○光の教会(大阪府茨木市) 晩夏、あるいは初秋、ペットボトルと文庫、写真機をコンビニ袋にいれて大阪にむかう車中、暇つぶしにケータイメモリの整理をする。イマジカFT窓口なんて二度と用事はなく、キンコーズの店舗の番号がやたらと入っているのに前職の名残りを見たりもする。国立天文台は日没の時間、国土地理院は日没の方位を問い合わせのにメモリに入れていたのだったか。もはや記憶にない。 そこには、その昔、好きだった女の名前があった。 その女を好きになったのは、女がマイノリティだったからである。私のようなどうしようもないニンゲンは、自分に自信など物ごころついた時からなくて、そんな身の上の女に、そうであるがゆえに安心感を覚え、安心して好きになれたのである。女が抱えていたであろう負い目に、私はただ、つけこんでいたのである。 そのような私は、どうかんがえてもニンゲンのクズであるに違いない。 ニンゲン性はとっくに
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