▲貝津教会のステンドグラス 五島列島は長崎市の西100kmに位置する島々です。釣りや自然が豊かなので有名なところですが、キリシタンの歴史とも深い関わりがあります。キリスト教は当初は領主の庇護下、最初こそジャンジャンバリバリで根づいたものの、豊臣秀吉や徳川幕府の禁圧を受けることに…信徒達は、比較的禁制がゆるいと言われた五島にあいついで移住しました。しかし明治初期には「五島崩れ」と呼ばれる最後の大弾圧が行われ、死者を出しています。 やがて禁教令が解除されると、花の開くがごとく数多の教会が建てられ、いま五島に存在する教会の数はなんと50!とてもすべてはめぐりきれませんが、それぞれ個性ある教会ばかり。静かな漁村に建つ古い教会は、なんだかヨーロッパの田舎みたいな風情です(ヨーロッパ行ったことないけどな!)。今回の福江島編だけでも五島の教会の多彩さの一片は伝えられるのでは。宝石のような教会建築だけでな
「大正大震災大火災」(大正12年刊)って本を買ってきたのでうp Tweet 16 1 代行 2011/06/25(土) 22:17:02.95 ID:2hECBS7z0 表紙は横山大観 7 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/25(土) 22:26:35.15 ID:vo9kXvCC0 代行サンクス 全部はうpしきれないので、目ぼしいところをうpしていきます。 目次 事前に打ち込んだのをとりあえず貼っていきますが、 読みたいところあったらリクエストしてください。 3 代行 2011/06/25(土) 22:18:29.79 ID:uHVJpPmh0 古書店相場は800円から1000円の代物だな >>3 1500円で買ったwww 11 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします 2011/06/25(土) 22:32:23.36 ID:vo9kXvCC0 災害
2011年06月06日15:00 アメリカの軍事研究家が選んだ世界の名将トップ100 1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/06/05(日) 22:29:23.07 ID:Pwl/EyFE0 http://blogs.yahoo.co.jp/hiropi1600/24745425.html 1ジョージ・ワシントン 2ナポレオン1世 3アレクサンドロス大王 4ジンギス・カン 5ユリウス・カエサル 6グスタフ・アドルフ 7フランシスコ・ピサロ 8シャルルマーニュ(カール大帝) 9エルナン・コルテス 10キュロス大王 11フリードリヒ大王(フリードリヒ2世) 12シモン・ボリーバル 13ウイリアム1世征服王 14アドルフ・ヒトラー 15フン族のアッティラ 16ジョージ・カートレット・マーシャル 17ピョートル大帝(ピョ
→紀伊國屋書店で購入 『美の歴史』の姉妹編である。造本もレイアウトも『美の歴史』を踏襲した画集・詞華集となっているが、ひとつ異なる点がある。本文の活字が一回り小さいのだ。『美の歴史』は 1行33字だったが、こちらは 1行に36字詰めこんでいる。あてずっぽうだが『美の歴史』より文字量が二割か三割多いようである。 なぜ『醜の歴史』の方が文字が多いのだろう。一つ言えるのは「美」は「美」単独で語れるが、「醜」の方は単に「醜い」だけでは本として成立しないことがある。虫の好かないものも巧みに模倣されれば美となるというアリストテレスの言葉が序文に引かれているように、本書があつかう「醜」は美的対象に高められた「醜」なのだ。 もう一つ、幸福な家庭は似たりよったりだが、不幸な家庭はそれぞれ違うと書いた作家がいたが、「美」と「醜」では「醜」の方がはるかに多様なこと。本書を開けば歪んだり、崩れたり、責められたり、
「ヒトラーはクリスマスを祝うことを禁止した」と主張した人々も過去にはいたそうですが、これは誤解で、ヒトラーはクリスマスを始めとしたキリスト教の祝祭を禁止することは一切なく、むしろ積極的にナチスのイベントを開催することで、プロパガンダに利用したそうです。 ヒトラーお付きの写真家Hugo Jaegerにより撮影された、1941年のナチスのクリスマスパーティーの様子のカラー写真は、華々しい祝賀ムードの中にも緊張感ただよう当時の異様な雰囲気を伝える貴重なものとなっています。 Inside a Nazi Christmas party hosted by Adolf Hitler, 1941 - Rare Historical Photos https://rarehistoricalphotos.com/nazi-christmas-party-hitler-1941/ 1941年12月18日、ミ
2011年12月01日00:00 by hineri その記事は既に無いんよ。 カテゴリ雑記 今このページを見てるって事は、君は旧ひろぶろの記事を閲覧しようとしてここへ来たんだね。 でもその記事はもう無いんだ。 詳しくはこのブログの「このサイトについて」の所に書いてあるけど、 今“この”サイトを管理している「僕」は初代管理人じゃない。 で、君がどんな記事を見ようとしたのかわからないけど、 その記事は管理人が代替わりする時に消えちゃったってわけ。 正直言って「僕」にもよく分からないんだよ。 どこまでが運命で どこからが選んだ人生なのか まさか「僕」が「ひろぶろ」の管理人になるとはね…。 フフフッ でもまあ、今は「僕」が、面白おかしくもちょっと怖い動画とかをさ、 毎日新しく頑張って更新してるから、是非このブログのTOPへ行って、 最新のオモシロ動画、ネタ動画を閲覧してみてちょ。 だって君は本当
フランスの研究者チームは仏国王アンリ4世(1553−1610年)のものとみられていた人間の頭部を「本物」と断定した。15日、英BBCが伝えた。防腐処理を施されたアンリ4世の頭部は1793年にパリ郊外の教会から盗まれ、その後は収集家の手を転々としていたという。今回は残されている国王の肖像画を参考に最新の法医学を使い、「アンリ4世の頭部」との結論を出した。
メロドラマのルーツは、ヴィクトル・ユーゴーやアレクサンドル・デュマ・ペールがロマン主義の演劇改革を起こすよりもずっと前の1775年にジャン=ジャック・ルソーが書いた音楽劇「ピグマリオン」と言われている。当時、カロン・ド・ボーマルシェの喜劇「セビリアの理髪師」と並び、フランスの古典派演劇に新風を吹き込んだ。 今回取り上げる映画におけるメロドラマの全盛期は、1930年〜50年代のハリウッド映画である。その当時のハリウッドはプロダクション・コードのもとに守られ或いは規制されていることで完成された形式と法則があった。1960年代に入ってからは不穏な社会情勢の影響で、そういったハリウッドのスター・システム等の伝統を突き崩し、反体制的な人物を描いたアメリカン・ニューシネマが席巻。それ以降、エットレ・スコーラ監督「特別な一日」(1977)や、ピーター・ウィアー監督「刑事ジョン・ブック/目撃者」(1985
大阪駅前の歴史(3) 吉本家篇 梅田の大地主、吉本家は元々曽根崎洲の豪農でした。明治5年頃、梅田に鉄道の駅(梅田停車場)が作られることになり、広大な土地を一反歩(300坪)55円で売ることになります。しかし、そのかわりに駅の西側一帯の土地を手に入れたのです。それを手掛けたのが九代目吉本五郎右衛門という方で、不動産の利殖を知っておられた方のようです。 文章の途中ですがクリック。→ [ 人気ブロランキング ] ランキングページには面白いブログがいっぱいありますよ。 いつもクリックありがとうございます。 (+10ポイントがめちゃ嬉しいです。) 九代目吉本五郎右衛門は、絶家していた清右衛門家の再興をはかります。そしてそのあとを継いだのが息子の吉本彦太郎という方です。それが「東吉本家」のはじまりで、同時に本家を「西吉本家」としました。 「大日本ドケチ教」の教組として有名な吉本晴彦氏は、「東吉本家」に
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