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*_Sen:戦後民主主義に関するo_keke_nigelのブックマーク (65)

  • 日本の「政策」がダメな理由

    masaki ohashi @ohashimasaki 日の政府や自治体の「政策」がダメなのは、分析や決断に基づく実行としてじゃなくて、「企画」として出されてるからなのに気づいた…「企画」なので思いつきになりやすく、幼稚なキャラクターや標語で終わりやすい…そして「企画」なので広告代理店への委託によくなじむ。これは昔からそうなのか。 2021-04-28 19:36:03 masaki ohashi @ohashimasaki マンボウとか、打ち水とか、なんとか5.0だとか、とにかくなんでもかんでも「企画」だよね。パワポに描いた思いつきで、政策(実行としての行政)ではなく、ちゃらちゃらしたイベント企画にすぎなくなってる… 2021-04-28 19:38:38

    日本の「政策」がダメな理由
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2021/04/29
    政策が「政策」ではなくて「企画」つまりイベント化しているからという。興味深い視点。常々地方自治体の首長さんは「芸人」化してきたと個人的には思っているが、その違和感と関係あるかもしれない。
  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ ※カテゴリは、「その他のお問い合わせ」を選択して下さい。

    BLOGOS サービス終了のお知らせ
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2012/08/14
    議論と討論が一緒になっていたり(議論とはある種の対話)、民主主義の本旨は多数決(実際は参加と包摂→Public"を言い換えたもの)と考えていたらこういう「民主主義の落とし穴」みたいな考え方になると思う。
  • 東京都の青少年条例について思う - 紙屋研究所

    西日新聞の投書 先日(2010年12月9日付)の西日新聞の投書欄に「過激な性表現 規制やむなし」という70歳の人の投書が載った。もちろん東京都の青少年条例の件だ。 投書は、表現の自由という主張に一定の理解を示しつつも、規制はある程度はやむを得ないとする。 私には最近の性に対する感覚は異常に映る。一昔前なら非難された「できちゃった婚」や「援助交際」という名の売春。言葉にも意識にもモラルや罪の意識が薄い。それらが規律を乱していないか。 性観念の紊乱や崩壊が起きている、という指摘である。この文章の後に、教師や知識人の性的頽廃を嘆くくだりが続く。社会の自浄作用として善導を期待されている人々がその体たらくだから、行政が乗り出すのもしょうがないじゃん、というロジック構成だ。 この種の年配者の発言には、条例の内容などを早とちりするものが多いが、この投書は立法の内容を基的に正確におさえ、性的刺戟など

    東京都の青少年条例について思う - 紙屋研究所
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2010/12/16
    人権とか表現の自由とかいった問題はやはり「公共空間」論とも繋がる(つまり、「自分にとって好ましくない、と感じるものとどう接するか」)と改めて思う。/行政は本来「調整者(コーディネータ)」だと思う。
  • 加藤典洋氏と高橋哲哉氏の

    加藤典洋氏と高橋哲哉氏の「論争」 ~『敗戦後論』と『戦後責任論』を中心に~ 総合政策学部3年 70108602 松 純平 Ⅰ、発表の形式 著者紹介→加藤氏の主張の論点→高橋氏の論点→具体的な論争部分 Ⅱ、著者紹介 ・加藤典洋氏 1948年、山形県生まれ。東京大学文学部卒業仏文科卒業、現在、明治学院大学国際学部教授、文芸評論家。主な著作に『アメリカの影』、『ホーロー賞』、『戦略的思考』、『可能性としての戦後以後』などがある。 ・高橋哲哉氏 1956年、福島県生まれ。東京大学教養学部教養学科フランス科卒業、同大学大学院哲学専攻博士課程単位習得。専攻は哲学。現在、東京大学大学院総合文化研究科助教授。主な著作に『記憶のエチカ』、『断絶の世紀 証言の世紀』、『ナショナル・ヒストリーを超えて』などがある。 Ⅲ、加藤氏の主張 1、戦後日の分裂 ・ジキル氏と、ハイド氏 戦後において、日社会は人格的に

  • この「独裁者」を殺すことはできないが - Living, Loving, Thinking, Again

    http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20081012/1223753840へのコメントに「「日の独裁者である「世間様」は」と言ってますが、日は民主主義国家なので、世間こそが独裁者なのは当然です」というのがあった。こういうのは正確には「民主主義」というよりも、暴民支配(ochlocracy/mob rule)というべきなのかも知れない。また、選挙などの制度としての「民主主義」が不足している体制の方が政治(国策)が「世間様」に影響される可能性は高いということも指摘しておかなければならないだろう。しかし、多数者支配としての「民主主義」にはそもそもこうした問題を孕んでいるというべきだろう。ポピュリズムの危険*1というのはその極限なのだろう。「民主主義」がベタで貫徹されてしまえば、多数ならざるマイノリティはひとたまりもない。さらに、文字通りの「独裁者」はサ

    この「独裁者」を殺すことはできないが - Living, Loving, Thinking, Again
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    o_keke_nigel 2008/10/15
    なるほど。でも「民主主義の本旨」は、その対話可能性と修正可能性(つまり「独裁を認めない」)にもあるだろう、その「本旨」にリンクする「人権概念」。民主主義は目的というよりも不断の過程であると考えるなら。
  • 私にも話させて

    新天皇の幼少期からの友人という小山泰生の著書『新天皇と日人』(海竜社、2018年11月刊)には、いろいろ注目すべき記述があるが、中でも興味深かったのは、以下の箇所である。 ・天皇明仁(書中では「今上陛下」。現在は上皇)は憲法違反の懸念があるのにビデオメッセージを放送した。「天皇の言葉で世論が動いたとき、内閣は動き、国会も呼応して、法律が一できあがった、この事実が重要なのです。これからも、そのときの世論が沸騰したならば、それに対しての天皇のお考えが内閣を動かしてもいいのではないでしょうか。つまり、今上陛下は、その前例を作ったのです。」(43~44頁) ・国会で可決された法律に憲法上の手続きの瑕疵があれば、日国憲法第99条の憲法擁護義務により、天皇は法理論上、法律の署名と交付を拒否することができる。法律が可決されたとしても、天皇がそれに署名しなければ、憲法上、その法律は成立しないのだか

    私にも話させて
  • NHK解説委員室ブログ | 視点・論点 「シリーズ戦後 『若者のナショナリズム』」 - 大澤真幸

    << 前の記事 | トップページ | 次の記事 >> 2007年08月15日 (水)視点・論点 「シリーズ戦後 『若者のナショナリズム』」 京都大学大学院准教授 大澤真幸 8月15日は、日人にとって、ナショナリズムという問題を考えずにはいられない日です。 そこで、今日は、若者のナショナリズムについて論じてみたいと思います。 90年代中盤以降より、右傾化やナショナリズムの傾向が若者の間で高まっている、と言われています。 たとえば、2002年のワールドカップの折に日を屈託なく応援する若者たちを指して、香山リカ氏が「ぷちナショナリズム」と呼んだ現象、あるいは、歴史教科書問題とも深く結びついている、小林よしのり氏のマンガ『戦争論』の大ヒット、あるいはネットでのいわゆる左翼バッシング等が、このことを示しています。 これは、NHK放送文化研究所による「日人の意識」という調査から、「日に対し

  • 私たちは裁判所の決定よりも顧客と地元を尊重する - 地を這う難破船

    ⇒http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080131-OYT1T00411.htm ⇒はてなブックマーク - 都内ホテル「教研集会、お帰りいただく」…高裁判断を無視 : 都内ホテル「教研 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) ⇒ホテルが日教組を司法判断を無視してまで拒否した件 - 一人でお茶を ⇒プリンスホテルVS日教組ちょっとまとめ - novtan別館 と言っておおっぴらに喝采は受けずとも、支持する人は多いだろう。愛国無罪も在って然るべきかも知れないとも思う昨今。ホテルマンの矜持とは、遵法精神にあるか、顧客と地元の尊重にあるか。優先されるべきはいずれか。はっきり言って傍迷惑なこととは思うが、集会・結社の自由は保障されて然るべきではある。が、私企業における政治的態度決定の問題とすることは筋が違うだろう。 他なる場所の指摘にあったが。民民

    私たちは裁判所の決定よりも顧客と地元を尊重する - 地を這う難破船
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    o_keke_nigel 2008/02/03
    「事なかれ主義」と「コンプライアンス」は違うし政治的ロマン主義のダシでもない。私は一度JTUの予約を受けながら、後出しじゃんけんで拒否したホテル側の行動には「コンプライアンス」を見いだせない。
  • 民主主義 多数者 専制 - Google 検索

    民主政治制度のもとで,多数者の名において行なわれる専制。近代民主主義(→民主主義)の構成原理である多数決(→多数決原理)は,アレクシス・ド・トックビルが看破した ...

  • ヒューリスティクスの適用と社会 - novtan別館

    このエントリを読んで、ある程度納得する部分はありつつも、差別や偏見をヒューリスティクスな手法を採用することと結び付けて考えることに抵抗があって、ブクマでも「差別のことを合理性と呼ばない」のはなぜかと言うことを自分に問いただしてみるも、イマイチ回答が思い浮かばない。そんなときに、以下のエントリを読んだ。 ヒューリスティクスと差別 - raurublock on Hatena それで大体わかったんだけど、先のエントリで示されるヒューリスティクスによる合理性は、あくまで当事者の利益においてのみの合理性であって、あるいはそれは社会全体にも適用されるかも知れないけれど、そのことは、一部のもの(あるいは人)を明確に切り捨てると言う意思の元なされることであって、そのことは、正に差別そのものなんじゃないかと思いました。だって、差別ってのは社会にコストをかけないために採用された手法であり、それはコストをかけ

    ヒューリスティクスの適用と社会 - novtan別館
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/10/28
    「差別ってのは社会にコストをかけないために採用された手法であり、それはコストをかける余裕がなかったことが背景にあるから」なるほど。「コスト」を経済だけでなく射程を広げれば、この観点はよく分かる。
  • 熱く語る人間を私は信用しない - こころはどこへゆくのか (Hatena blog)

    北村弁護士、麻生応援を熱弁(ニュー速アワーズ) いいですか。人間の言葉が説得力あるというのはどういうことなんですか。政治の問題は難しい。だけどその難しいことをわかりやすく具体的に話せる人間ってのはどういう人間なんだ。その政治質をわかっているからわかりやすく、我々に話すことが出来るんですよ。いいですか。政治の話をわかりやすく出来ない人間ってのは二通りあるんだ。 一つは音を語ろうとしない人間。(拍手) もう一つは頭の悪い人間なんだ。 この二つしかないんだ。 そこが麻生太郎と全く違うところなんです。もう一つ言わせてもらいます。 私は、例えばですよ、私はお膳立てが全部揃わなければ出ません、て。私はお膳立てが全部揃わなければ出ませんと、こういう風に言う候補がいたとすれば、これは弁護士の目から見ると非常にプライドの高いお方だ。(笑い)それはどういうことになるか、いいですか、この人にもし日の未来

    熱く語る人間を私は信用しない - こころはどこへゆくのか (Hatena blog)
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/27
    全知全能の「神の手」が「一気に解決してくれる」ことを期待するのではなく、リライトと修正を繰り返していくのが「民主主義」。だからコストもかかれば非効率でもあるが致命的に人を傷つけない体制でもある。
  • 「マスコミを信用するな」「麻生謀略説は世論操作」「麻生が負けるなら自民の悪口言う」北村弁護士が新宿で応援演説が大人気!!:【2ch】ニュース速報アワーズ

    「マスコミを信用するな」「麻生謀略説は世論操作」「麻生が負けるなら自民の悪口言う」北村弁護士が新宿で応援演説が大人気!! 1 :ぽこたん( ・∀・ )φ ★:2007/09/22(土) 22:07:38 ID:???0 ☆北村弁護士の応援演説の音声など (とにかくまず動画を見よう↓) Youtube (8分38秒) ニコニコ動画 (8分36秒) ☆北村弁護士がマスコミ批判した理由を分かりやすく説明している番組(ch桜) ニコニコ動画 (25分) 同じく新宿アルタでの中川昭一演説全文 【ニコニコ動画】麻生太郎総裁選街頭演説@新宿アルタ前07/09/22 太郎の演説をニコニコ動画見れない人用の動画 総裁選街頭演説の画像まとめ 以下、行列の出来る法律相談所の北村弁護士の応援演説全文 2 :ぽこたん( ・∀・ )φ ★:2007/09/22(土) 22:07:53 ID:???0 552 :北村弁

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/27
    「あっち側」へ引っ張られていくその瞬間、実演編。
  • マルティン・ニーメラー - Wikipedia

    マルティン・ニーメラー(1952年) フリードリヒ・グスタフ・エミール・マルティン・ニーメラー(Friedrich Gustav Emil Martin Niemöller, 1892年[1]1月14日 - 1984年3月6日)は、ドイツの神学者、海軍軍人。福音主義神学者であり、古プロイセン合同福音主義教会、ヘッセン=ナッサウ福音主義教会(ルター派)の牧師であった。反ナチ運動家として知られ、『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』(Als die Nazis die Kommunisten holten)は彼の言葉に由来する。マルチン・ニーメラーとも表記。 生涯[編集] 出自[編集] リップシュタット市の生家 現ノルトライン=ヴェストファーレン州のリップシュタット出身。ニーメラーの父ハインリヒ・ニーメラー (1859年 – 1941年) はルター派教会牧師、母はパウラ (1868年 – 19

    マルティン・ニーメラー - Wikipedia
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    カトリック系保守主義者で反ユダヤ主義者のニーメラーが戦後「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」という詩を敢えて書いたことの意味を考えたい。
  • ノート:彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia

    >ドイツでは未だに隠された反ユダヤ主義が存在し、このドイツ語原文でも来は存在したユダヤ人に関する行が削除されています。ここの日人も意図的に加担しているのではない事を願いたいですね。(再三の警告にも拘わらず、修正されませんので。) ニーメラー自身は大変な反ユダヤ主義者でありましたが、収容所から生還した後に、反省して語った貴重な言葉なので、尚更この行を削除するのは頂けません。(Bebson Y. HOCHFELDによるイチャモン) ここから項目記述者による反論........ 別にユダヤ差別に加担しているわけでも何でもなく、最初の頃は「........を削除して引用する事が多いのです。どんだけ~?」のように、悪戯と勘違いされてもそりゃ仕方がないだろ、って感じの記述だったんで消してみただけです。(複数IPからの投稿なんで、同一人物かどうか分かりませんが)。 申し訳ないです。 で、文に「19

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    本文だけでなくノートでの議論も必見。むしろこちらの方が面白いかも。
  • 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia

    『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』(かれらがさいしょきょうさんしゅぎしゃをこうげきしたとき)は、ドイツのルター派牧師であり反ナチ運動組織告白教会の指導者マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩。 ニーメラー自身は原稿の無いスピーチの中で成立してきた言い回しで詩として発表されたものではないとしており、厳密な意味でのオリジナルは存在していない[1]。この言い回しはおそらく1946年頃に生まれたと見られ、1950年代初期にはすでに詩の形で広まっていた[2]。 基的な内容は、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が迫害対象を徐々に拡大していく様に恐怖を感じつつも、「自分は当該集団の関係者じゃないから」と見て見ぬふりをしていたら、己がいざ迫害対象になった際、社会には声を上げてくれる人はもう誰もいなかったというもの。 強いメッセージ性を内包するため、政治への無関心層へ向けた呼びかけとして世界各国で

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    wikipedia本文「政治への無関心層へ政治への呼びかけとして世界の多くの場所で引用されてきた。」原詩からいろいろなバリエーション(追加、置き換え等々)が伝えられている。
  • 『多数決がその前提として啓蒙を要求していることを忘れてはならない - OjohmbonX』へのコメント

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    『多数決がその前提として啓蒙を要求していることを忘れてはならない - OjohmbonX』へのコメント
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/08/02
    「彼らが十分にコミュニケートする過程で、Bの誤った意見・論理がAにより正され、Bの領域が縮小(消滅)する・Aの領域が拡大する。その結果、多数派が正しい意見を持っているだろう、とみなすのが多数決だ。」
  • 日本近代史について議論する前に知っておくべきこと - tukinoha’s blog

    歴史を語るということは自分の歴史観を語ることと同義である、と僕は考えています。 ところでその「歴史観」という言葉についてですが、「あの時のAの判断は正しかった/誤りだった」という価値判断のことだと考えられていたり、あるいは「Bはあった/なかった」という事実認定のことだと考えられていたりと、使う人によって意味が変わるため議論にズレが生じる、というのもよくある話。 それに対して僕が「歴史観の定義とは○○だ!お前らはみんな間違っている!」と主張しても、所詮は「自分定義」ですから、何の意味もありません。ただ、仮に「歴史観」という言葉の定義が上に例として挙げたようなものであるならば、歴史観なんて無い方が良いんじゃないの?とも思うわけで。 つまり「Aは正しい。Bは悪い」という価値判断を歴史学に持ち込むのであれば、それは戦前の皇国史観と同じものか、あるいはそれを裏返したものにしかなり得ません。また「あっ

    日本近代史について議論する前に知っておくべきこと - tukinoha’s blog
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/07/25
    「日本近代史学の問題点は、大局的な「歴史観」を失ったことによる、個別論への逃避と「歴史=物語」の強調に集約」/「近代全体を見据えた「必然としての歴史」を提示し、無制限な相対主義にストップをかけること」
  • Amazon.co.jp: 現代政治の思想と行動 増補版: 丸山眞男: 本

    Amazon.co.jp: 現代政治の思想と行動 増補版: 丸山眞男: 本
  • 丸山真男 『日本の思想』

    丸山真男 『日本の思想』
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/07/02
    いわゆる「丸山批判」のポイントは、彼の「西欧合理主義」が結局想像の産物でしかなかった、というところにあるのだろうけれど、今なお丸山真男は「ベンチマーク」としての価値はある、というべきか。
  • ケルゼン的相対主義 - Google 検索

    ケルゼンは、価値相対主義こそ民主制の根拠を提供し得ると主張する。価値相対主義に立つ限り、どんな天才も偉人も英雄も自分の価値判断を「絶対のもの」として他人に ...