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2007年9月26日のブックマーク (13件)

  • あの楽しそうな人たち

    ポケットベルという物をまわりのみんなが持ち始めた。何だかコソコソと取り出しては、足早に電話ボックスに駆け込んで凄い早さで交信していた。でも、あんな小さい画面に数字の語呂合わせでやりとりできることなんてたかが知れているので、たいして気にも留めないふりをしていた。 やがて、連絡が付かないからと言って半ば強制的にポケベルを持たされた。知らない間に漢字まで表示できるようになっていて、びっくしりて、正直ちょっとうれしかった。でもまわりのみんなは携帯を持ち始めていた。何処にいても電話がかかってくるなんて、どうしてそんなことに耐えられるのかが不思議でならなかった。 あっと言う間にポケベルを持っているのは私だけになって、困ったことに公衆電話が見る見る減っていった。まわりのみんなはいつも携帯で楽しそうに話していた。不意にかかってきてそのまま歩きながらしゃべる内容なんてどうせ大したことはないということにして、

    あの楽しそうな人たち
  • X51.ORG : 情況の囚人 ― 1971年”スタンフォード監獄実験”とは

    【SPE】1971年、米海軍は海兵隊刑務所で相次ぐ問題解決の為に、ある実験を準備し、資金を調達した。実験はスタンフォード大学の心理学者フィリップ・G・ジンバルド博士を中心に組織され、同大学の講堂を刑務所に仕立て、模擬的な刑務所シュミレーションを行うというものだった。新聞広告によって集められた心身共に健全な被験者らは、無作為に囚人と看守に分けられ、実際の刑務所とほぼ同じ環境の中で、二週間を過ごすことが予定された。しかしこのとき、まさかこの実験が後々まで問題となる大きな事件になろうとは、その時、被験者も研究者も、誰一人想像だにしなかったのである。(写真上はこの事件をモチーフにした映画「es[エス]DAS EXPERIMENT」より。以下は当時撮影された実際の写真) 実験に参加した被験者は皆楽観的な気分だった。単に囚人、看守の服に着替えて刑務所風の質素な生活をし、報酬までもらえるユニークな実験と

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    「それ故、この実験が人間の行動モデルを研究する科学的研究成果として、果たして一般化しうるものであるのかどうか、今なおその評価は分かれている。」
  • スタンフォード監獄実験 - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2018年3月) 出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2018年3月) 出典検索?: "スタンフォード監獄実験" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL スタンフォード監獄実験(スタンフォードかんごくじっけん、英語: Stanford prison experiment)とは、アメリカ合衆国のスタンフォード大学で行われた、心理学の実験である[1]。心理学研究史の観点からは、ミルグラム実験(アイヒマン実験)のバリエーションとも考えられている。 概要[編集] 1971年8月14日から1971年8月20日まで、アメリカ・スタンフ

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    実験結果「強い権力を与えられた人間と力を持たない人間が、狭い空間で常に一緒にいると、次第に理性の歯止めが利かなくなり、暴走してしまう。」「しかも、元々の性格とは関係なく、役割を与えられただけでそのよう
  • 「あくまで私の意見ですから」 - kmizusawaの日記

    ■「あくまで私の意見ですから」 ときどき読んでていやーな気持ちにさせられる文章に出会うことがある。日常で出会った人や見かけた人、ドキュメンタリー番組で取り上げられている事柄や人の生き方に関わる社会現象などを一方的に決め付けて見下している感じのする文章に多い。 そら私だって、人の悪口・批判や嫌味はまったく書かないわけじゃないし、怒りのあまりつい…とか、日ごろの不満が噴出してしまったとか、なんだかんだでものの見方や受け止め方がゆがんでいるとか、そういうことまで非難しようとは思わない。 嫌なのは、そういう人が批判に対してしばしば「自分のブログなんだから何を書こうと勝手でしょ」「嫌なら見なければいい」「これはあくまで私の意見ですから」というような発言をして相手の意見の内容は無視する形で自己正当化を図ることだ。 「ひとそれぞれ」という言い方がある。私も使う。他人のやっていることや書いていることに腹が

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    異質な他者への”寛容”と”相対主義”を使いこなすのはかように難しい。「人それぞれ」という命題が有効なのはあくまでも「理解したい」「相違点・立脚点を理解したい」場合。
  • フライング・スコッツマン - Wikipedia

    フライング・スコッツマン(英語: Flying Scotsman)は、イギリスのロンドンとエディンバラを結ぶ急行列車の愛称である。その名の通り「空飛ぶスコットランド人」という意味である。 また、蒸気機関車でフライング・スコッツマンの名前をつけられた車両(LNER A3形4472号機)が存在する。 歴史[編集] 誕生[編集] 鉄道開通以前の19世紀前半当時、首都ロンドンとスコットランドの古都エディンバラの間は、当時の主力な交通手段である駅馬車によって結ばれていた。エディンバラ行きの駅馬車は「空飛ぶ馬車(Flying Coach)」と呼ばれ、約600kmの道のりを2日かけて走っていた。しかし当時は舗装されていない道が多く、乗り心地は悪かったと言われている。 1850年、ブリテン島東海岸に沿ってロンドン・エディンバラ間がグレート・ノーザン鉄道(Great Northern Railways、GN

    フライング・スコッツマン - Wikipedia
  • コリン・マクレー - Wikipedia

    コリン・スティール・マクレー(Colin Steele McRae, MBE, 1968年8月5日 - 2007年9月15日)は、イギリス(スコットランド)ラナーク出身のラリードライバー。1995年の世界ラリー選手権 (WRC) ドライバーズチャンピオン。WRC通算25勝は歴代5位[注釈 1]。父のジミー・マクレー、弟のアリスター・マクレーもラリードライバーである。と2人の子供がいた。 リスクを恐れない攻めの走りと豪快なドリフト走行で世界的な人気を誇り、「マクラッシュ[1][2] (McCrash[3])」の愛称で呼ばれた。スバルのラリー活動の黄金期を支え、スバルのWRC初優勝、3度のマニュファクチャラータイトル獲得に貢献した[4][5]。 経歴[編集] 現役生活[編集] レガシィRS(1993年ラリー・ニュージーランド優勝車) 1995年のタイトルを獲得したインプレッサ 1985年から

    コリン・マクレー - Wikipedia
  • Hopeless Homeless - 人望があって善良でカワイイ女の子

    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

    Hopeless Homeless - 人望があって善良でカワイイ女の子
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    コメント欄も。こういうのは確かに職場でもある。一番影響を受けずにいられるのはやはり大学の間か。つまり「一人で」居ても割合平気で過ごせるのは、という意味で。
  • マルティン・ニーメラー - Wikipedia

    マルティン・ニーメラー(1952年) フリードリヒ・グスタフ・エミール・マルティン・ニーメラー(Friedrich Gustav Emil Martin Niemöller, 1892年[1]1月14日 - 1984年3月6日)は、ドイツの神学者、海軍軍人。福音主義神学者であり、古プロイセン合同福音主義教会、ヘッセン=ナッサウ福音主義教会(ルター派)の牧師であった。反ナチ運動家として知られ、『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』(Als die Nazis die Kommunisten holten)は彼の言葉に由来する。マルチン・ニーメラーとも表記。 生涯[編集] 出自[編集] リップシュタット市の生家 現ノルトライン=ヴェストファーレン州のリップシュタット出身。ニーメラーの父ハインリヒ・ニーメラー (1859年 – 1941年) はルター派教会牧師、母はパウラ (1868年 – 19

    マルティン・ニーメラー - Wikipedia
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    カトリック系保守主義者で反ユダヤ主義者のニーメラーが戦後「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」という詩を敢えて書いたことの意味を考えたい。
  • ノート:彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia

    >ドイツでは未だに隠された反ユダヤ主義が存在し、このドイツ語原文でも来は存在したユダヤ人に関する行が削除されています。ここの日人も意図的に加担しているのではない事を願いたいですね。(再三の警告にも拘わらず、修正されませんので。) ニーメラー自身は大変な反ユダヤ主義者でありましたが、収容所から生還した後に、反省して語った貴重な言葉なので、尚更この行を削除するのは頂けません。(Bebson Y. HOCHFELDによるイチャモン) ここから項目記述者による反論........ 別にユダヤ差別に加担しているわけでも何でもなく、最初の頃は「........を削除して引用する事が多いのです。どんだけ~?」のように、悪戯と勘違いされてもそりゃ仕方がないだろ、って感じの記述だったんで消してみただけです。(複数IPからの投稿なんで、同一人物かどうか分かりませんが)。 申し訳ないです。 で、文に「19

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    本文だけでなくノートでの議論も必見。むしろこちらの方が面白いかも。
  • 彼らが最初共産主義者を攻撃したとき - Wikipedia

    『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』(かれらがさいしょきょうさんしゅぎしゃをこうげきしたとき)は、ドイツのルター派牧師であり反ナチ運動組織告白教会の指導者マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩。 ニーメラー自身は原稿の無いスピーチの中で成立してきた言い回しで詩として発表されたものではないとしており、厳密な意味でのオリジナルは存在していない[1]。この言い回しはおそらく1946年頃に生まれたと見られ、1950年代初期にはすでに詩の形で広まっていた[2]。 基的な内容は、国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が迫害対象を徐々に拡大していく様に恐怖を感じつつも、「自分は当該集団の関係者じゃないから」と見て見ぬふりをしていたら、己がいざ迫害対象になった際、社会には声を上げてくれる人はもう誰もいなかったというもの。 強いメッセージ性を内包するため、政治への無関心層へ向けた呼びかけとして世界各国で

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    wikipedia本文「政治への無関心層へ政治への呼びかけとして世界の多くの場所で引用されてきた。」原詩からいろいろなバリエーション(追加、置き換え等々)が伝えられている。
  • ふりむかないで

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    谷村新司作詞・作曲とは知らなかった。というか一瞬韓国のS.E.Sの一人いない状態かと思った(爆)。
  • The National Anthem of China (R.O.C.)

    "National Anthem of the Republic of China" is the current national anthem of the Republic of China (ROC). It discusses how the vision and hopes of a new nation and its people can and should be achieved and maintained using the Three Principles of the People. Informally, the song is sometimes known as "San Min Chu-i" or "Three Principles of the People" from its opening line, but this is never used

    The National Anthem of China (R.O.C.)
    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    台湾の国歌・国旗歌のメロディー版とコーラス版のフルセット。出てくる風景がほとんど大陸のもの……というところがまたいかにも。
  • 奪金國旗歌

    o_keke_nigel
    o_keke_nigel 2007/09/26
    こちらは06アジア大会の野球。台湾が金メダル。