どうも違和感を感じるのは、謝罪が求められているものなのか、ということ。 たとえてみれば、牛を要求されているのに馬を与えて、馬をいくら与えても牛を要求されるから、また馬を与えて、そしてまた馬を与えて、そして「普通は一頭で満足するのが標準だ、何頭やったと思ってるんだ、不当だ!」と怒っているように見える。根本的にすれ違っている。そして、欲しいのは牛で、馬は要らない、といわれると、「返さず受け取ったじゃないか、何だかんだいって欲しいんだろう?」あるいは「売って牛を買えばいいじゃないか」と返答してるような。そういう、無神経さというよりも、或る、奇妙な無自覚さがある。 謝る必要はない、なぜなら正当だったから、という言説には、ひとつの思想として耳を傾けることができるし、反論もできるし、少なくとも理解はできる。 しかし、さんざん謝ったじゃないか、という言説には率直に言って同意も共感もできない、というか、始