今ほど大企業の政治的影響力が高まっている時はないだろう。昨年末の税制改正の答申では個人に対する定率減税の廃止とは対照的に、法人に対しては減税が打ち出された。通常国会にはホワイトカラー・エグゼンプション制度が提出されることになった。当初はこの制度によって残業手当をもらえなくなるホワイトカラーは少数との試算もある。しかし、派遣労働に関する規制緩和の歴史が示すとおり、この種の規制緩和はどんどん拡大するに違いない。いざなぎ景気以来の長期拡大の成果も、労働者や家計には十分分配されていない。そのことに対する評価は様々であろうが、この現実自体を否定する人はいないであろう。 そんな折、日本経団連が御手洗ビジョンを発表した。これは、愛国心の強調や憲法改正など重大な論点を含む政治に対する積極的な提言である。正月の新聞でこの提言を読んだとき、私は経済界の役割について錯覚していたことを思い知らされた。 日本のよう
地元民「スパイ」を殺せ このように沖縄戦では、作戦を練り上げ、戦闘を指揮する肝心要の守備軍首脳の間で、基本的戦術をめぐって終始意見が対立した。あまつさえ戦況判断の面でも上級司令部と現地軍とが極端な食い違いをみせたことは、たんに”困りもの”という以上に、一般の兵士にとっても、また戦禍に巻き込まれた住民にとっても深刻な影響を与えずにはおかなかった。とりわけ、作戦の食い違いによってもたらされた戦況の悪化は、将兵の間に疑心暗鬼を生んだ上、やがてそれが、「地元住民の中に敵に内通するものがいる」としてスケープ・ゴート探しをするおぞましい事態を生んだからである。つまり、軍は住民のスパイ活動によって戦況が悪化したとして苛酷な「スパイ狩り」を始めたのだ。 そんな折、地元の一女性がスパイ容疑で逮捕された。彼女は、首里郊外で懐中電灯を振って敵に合図をしたという容疑であった。だが、その事実を裏付ける証拠は何も示さ
平成18年5月17日、第164回国会衆議院農林水産委員会において、民主党の森本哲生議員が質問に立った。同議員は集団営農を経営安定のための政策としてだけでなく、農村の人々の暮らし、環境の保全や自治機能の遂行など、多角的な観点からとらえるべきではないかと質問した。私は農政に詳しくないが、村落共同体の復興という観点からこのような質問がなされたものと考える。農林水産省の井出道雄経営局長からそのように考えているという回答を受けた森本議員は、具体的に検討していることはあるかと問うた。これに同省の西川孝一生産局長 が水利、科学農薬を使わない農法等では地域ぐるみで行うほうが効率が良いし、地域の景観の保全等で農業外の人を呼び込んで地域の活性化につなげられるんではないかというような、思いつきもしくはあまり深くは考えてはいなかったと思われる発言をするが、森本議員は気に留めず、中川昭一農林水産大臣にこのような質問
実のところ、『このブログは4月10日をもって、無期限休眠に入ります』の記事は、4月1日その日に書いて、その日に上げたモノなんです。その日にこの手の記事を上げようと決めていましたが、内容については気分でどうするか決めようと思っていました。 まぁ、4月10日で何がしかの区切りをつけようと思ってたってのは、その記事で書いたとおりなのですが、結局、“閉鎖”する踏ん切りまでは付かなかった。 それでも、4月1日にそう思ってたら閉鎖もあったんでしょうけどね。ただ、たとえ閉鎖したとしても、ログは公開したままだとは思いますけどね。 では、なぜ踏ん切りがつかなかったのか、その理由を考えてみる。 ・「継続は力なり」なので、続けないと見えてこないことってのがあると思うと閉鎖ってのは、厳しいかなと。 ・とりあえず、このブログでやりたかったことはほぼやったが、まだ物足りない何かがある気がする。 ・それは、ブログがスト
属性を嫌ったり憎んだりするのは、実は楽なんだ。その相手本人と直接対峙しなくて済むから。 この歳になると、ひと本人と対峙することがそう苦痛でなくなって、誰かを嫌ったり憎んだりすることも自分自身の重荷として直接自分で担えるようになったから*1、属性だけで判断しないようにしよう、という心がけができるようになった。しかし、やはり若いころというか、思春期にはなかなかそうはできなかった。 男は云々。大人は云々。社会は云々。etc. レッテル貼りともちょっと違う。レッテル貼りは、まずそこに一人の人がいて、その人をジャンル分けしてそのジャンル・属性で判断する、という行為。 属性を嫌う、憎むのは、そこに人がいてもいなくても、その属性自体に対して判断している。つまり、実際に存在する人を嫌ったり憎んだりしなくても済む。 人を嫌ったり憎んだりするのは、やはりネガティブなエネルギーを発するものだし、それに伴う罪悪感
かつての心理学の徒としては(またこれか)、感情はロジックで説明してみたいところです。あ、「興味深い」と「上から目線」 - novtan別館の続きですね。 さて、興味深いと言う発言=上から目線と受け取られて当然という発想。なかなか分析しづらい話です。 きょうみぶか・い 5 【興味深い】 (形)[文]ク きようみぶか・し 〔「きょうみふかい」とも〕大変おもしろく心がひかれる。関心がもたれる。興味が深い。 「―・い問題」 goo辞書検索 三省堂提供「大辞林 第二版」より 興味深い=感心あるいは関心の一表現として捉える 興味深い=感心しつつ客観的立場を保つことの表明と捉える 通常1であることがほとんどだと思いますが、原義としては上記の辞書の定義にもあるように基本的にはポジティブな意見としての言葉ですね。これを2の意味で捉えること自体がそもそも言葉の受け止め方が間違っているということになりますが、こ
『転載可』 を選ぶことは、著作者が 『転載可能である』 と表明していることになりますので、 転載者は既に著作者の許諾を得ているものと考えられるために無断転載を行ったとしても著作権的な問題は発生しません。 (というより、既に転載しても良いと著作者が断りを入れているために”無断=断り無く転載する”ということ自体がありえないんですが) ただし、執筆者によっては 『独自のルール』 を設け、その転載許諾が制限されている場合があることに注意する必要があります。 (例えば 『転載に際しては挨拶すべきである。コメント欄にて一言挨拶しないと転載してはいけない』 などの制限です) この 『転載しても良いかどうか問題』 は人によって意見が異なります。 (既にこの質問の回答を見ても意見が異なるのがわかると思いますが……) そのため、転載機能で転載可を表明しておきながら独自のルールで例外を設けられているような場合、
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