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![『韓流が多いのは通販番組が多いのと一緒』へのコメント](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b1638cdb5807a4788e4ba3c1109a984166e095fc/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2Fimages%2Fog-image-1500.gif)
コンテンツ、人件費が安い割りに、視聴率がそこそことれる。 そんだけの話。円高もそれに拍車をかけている。 昼間の再放送の枠が全部韓流になったなとか、通販ばっかだなと個人的に思うことはある。 しかし、通販番組がこれだけ多いのは裏に何か巨大な組織がいるのだろうか。 高田社長は実は悪の枢軸で、裏で何かつながりがあるのだろうか。 通販番組特権なるものがあるのだろうか。 ない。コンテンツを生み出す能力がないなかで、安いコンテンツで枠を埋めれるものがそれだからにすぎない。 メイドインチャイナが身の回りの物を占めることと同じ。 ある程度の品質のコンテンツが物価の安い国から出てくればこうなることは必然だった。 文化集団的に言えば、かつてだったらビジュアル系のファンになっただろう少女がボーカロイドに吸収されているように かつてであればビルボード洋楽、ジャニーズに憧れるようなファン層がK-POPに引き寄せられて
夜。新宿から明治通りをてくてく歩いて家に帰る途中、大久保交差点のあたりで自転車に乗ったおばちゃんとすれ違った。 すれ違いざま、おばちゃんが、やたらとデカい声で何か叫んだので、なんだこの野郎文句あんのかよと振り向いたら、自転車に乗りながら携帯電話で話しているようだった。 その叫びが(多分)韓国語で、そういえば大久保駅から大久保交差点に歩く時にすれ違う韓国人も声がでかくてうるさいな、と思い出した。 なるほど、これはつまり韓国人というのは声がデカくてうるさいのだ。俺の経験からいって間違いない。 そうだ、ネットで見たぞ。確か唐辛子の食い過ぎがカプサイシンで韓国人は声が大きく激しやすいのだ。確かそうだ。 あいつらは世界で自分が一番偉いと思っているからな。まったく韓国人はけしからん。まったく。 そうおもってプンスカしながら歩いていると、そういえば高田馬場駅近辺にいるワセダの学生も声がデカくてうるさいな
正確には、議論が許される場が好きだ。だから2chの議論できるスレや増田が好きだ。 俺は直接見てきたわけではないが、大正デモクラシー前夜の電車で演説をぶつ人や新聞上での議論を連想する。 ただ、議論をしない社会というのも尊重しなければならない。議論が息苦しいという人の気持ちも分かるからだ。例えばはてなハイクはゆるい空気だからこそいいとなる。それを議論で汚染されたくない人の気持ちは痛いほど分かる。 でも、両者を住み分けしようとすると、議論しない場は排他的になり、議論する場はどんどん公共性を失い、醜悪なものになる。そんな議論ならやらない方がましだ。 では住み分けしないとなると、議論しない場は議論する場に汚染されることを避けられない。議論する(1)としない(0)を足したら1になるわけだ。議論したくない人たちの気持ちは無視されることになる。 議論しない人と議論する人の共存はどうすればいいかということを
6/21追記: http://anond.hatelabo.jp/201006210004476/21追記2: http://anond.hatelabo.jp/20100621194920俺は英語学習オタクだ。これまでの人生の中で大量の時間を英語学習に費やしてきた。中学校から始めて、日本にいてできる英語学習法は殆ど試したと思う。高校時代には学習参考書や問題集を二百冊以上終わらせた。ネイティブの個人家庭教師がついていて、さらにマンツーマンの英会話スクールにも通った。大学は迷わず英語学科を選んだ。大学在学中にTOEFLのスコアは640を超えた(厳密には覚えていないが、目標が640でそれを超えたのは間違いない)。 大学を卒業後、アメリカの大学院の博士課程に留学した。ここでも俺の英語は「通用した」。授業に問題なくついて行き、ディスカッションにも十分に参加できる。タームペーパーや授業でのプレゼンの
ヘルプを見る限り、はてなハイクでは「禁止事項」が明記されていません。 「こういう用途を想定しています」「こういうことができます」ということが説明されているだけです。 ヘルプで禁止事項が明示されていない以上、はてなの利用規約に反していなければ、 ハイク上でいかなるエントリを行うこともルール上の問題はないと判断して良いでしょう。 しかし、ハイクでは「再利用共有性の低いキーワードを指定してのエントリ」や 「エントリ内容に沿わないキーワードを指定してのエントリ」「過度の連投」「重い画像・動画の多投」 「非常に長文のエントリ」などに対して「そういうのはやめたほうがいいかも」と説明してみたり、 「よそでやってください」と説得してみたり、「~~がうざい」と陰で愚痴ってみたり、そういった光景がたまに見受けられます。 確かに、「再利用性の低いキーワードを指定してのエントリ」はキーワード検索の際にノイズになる
私が寮生活をしている頃、スウェーデン人の友人がある雑誌の記事を持ってきて私に噛み付いてきたの。そこには、六本木で売春するスウェーデン人女性のインタビュ―が載っていてね、“1ヶ月で1年分の稼ぎが入るからやめないけれど、こんなに自分が安っぽく扱われた事はない。”ってその女性が証言しているのに激怒してるんだ、その私の友人は。『どうして日本人は売春を容認するの!?そのスウェーデン人を安っぽく扱うことに日本人として恥って観念を覚えないの!?』ってね。 “売春は法律で禁止されてるよ、日本でも。たとえばそれがフィリピン人の売春婦だったら、ブロ―カ―に騙されたってケ―スが考えられるから同情するけどさ、そのスウェーデン人は稼ぎがいいから 安っぽく扱われるのを承知で自ら売春してるわけじゃん。なんで日本人として恥を覚えなきゃならんのよ?” 周りにいた他のスウェーデン人も中に入ってきて一斉に私を非難しはじめたじょ
小さい頃からブスブスと当然の如く言われ続けてきてさ ブスなんです的な人生相談を中学のときにネットでしたこともあったんよ そうしたら真っ先に「デブなんじゃないの?まず痩せてから言って。これだからデブは(ry」「ていうか化粧してないんでしょ、化粧してから言って」とか言われたんで、まあ化粧とかしたわけですよ(体重に関してはもともと特に問題なかった) でもまあブスはブスなんすよね。まあ以前よりはよくなったけど、まあやっぱブスなんですわ。 服のセンスだけは褒められる。ま、勉強しましたからね。センスよく見られるようなファッション。努力できるとこでしておかないとにっちもさっちもいかないもので… で当然の如く彼氏いない歴=年齢で、うっすらまあこのまま多分独身だな。まあいっか。孤独死でも……今のうちに覚悟しておこう……とか思っていた矢先、友達がある男性を紹介してくれたのですが、彼が性格のいい人で、そんでもっ
前回分にトラックバックが付いていたので、もう一度それについて考えておく。 その内容を読んでみると、言葉が足りなかったせいか今ひとつ私の意図が伝わらなかったみたい。 以下、引用は特に断りがないものはhttp://anond.hatelabo.jp/20081224161454より。 各発言には優劣があるに決まってるじゃない。優劣というのは自分がハイクで楽しむための優劣のことでしょ?判断するのは各ユーザーだよ。 それに自分の発言が“自分にとって”ノイズになるわけないよ。それが全ての中心なんだから。 そんなんだから盲目的に実況を嫌がる人もいるけれど、盲目的に実況を続ける人もいる。誰も「実況だけ」がノイズなんて言ってない。 自分にとって興味のない書き込みは全部ノイズだよ。 ここでの「優劣」という表現は少し違和感を感じるけど、受け取る人によって投稿の価値の有無が変わることは分かる。それについては前回
ネットのコメント欄とかで関西弁の書き込みを見るとなんか嫌な気分になってしょうがない。 これは特に大阪の人間に多いと思うんだけど、ちゃんとした文章は標準語で書けるくせに、ネット上のやりとりになると「わざわざ」方言を使って自分が関西人であることをアピールする。なんで通常の文章で書けるように標準語を使ってコメントすることに抵抗があるんでしょうか。そういう地方的党派心ってコミュニケーションの妨げになることも多いと思うんだけどどうでしょうか。 書き込みを標準語で統一しろってのは関東人の傲慢だという意見もあるかもしれんけど、別に北海道の人々や東北の人々、さらには沖縄の人たちだってネット上のコミュニケーションのなかで強引に方言を使ったりはしない。せいぜい冗談めいた表現の中で使うぐらいでしょ。なんで一部の関西人は方言での書き込みに固執するの?自分たちが特別だとでも思ってるんじゃないの?
「すべてのレイシストたちに捧げる歌」 http://blog.livedoor.jp/oospexxx/archives/51060824.html ニコ動で『らきすた』などのアニソン歌う、韓国人の女の子リールさんが話題になっている。 (中略) だけどどうも様子がおかしい。 褒めてる奴らの歯に衣を着せたような、ムリヤリな賞賛コメントがイラつく。イラつくのだ。 なんだこの気持ち悪さは。 上手く言葉にできない。 しかし気持ち悪いのだ。 このエントリー自体は別個な問題を並べて相対させる構図であって適正な論理かどうかには疑問がある。しかし言わんとすることに一理あるのも確かだ。 そしてその一理のために手を挙げることにすら勇気が要る現状に問題があることを指摘したい。 ホワイトバンドのときもそうだった。死ぬ死ぬ詐欺の時も。騒ぎ立てる彼らは下品で卑しいがその根幹には明示できない欺瞞への怒りがあった。 ポリ
http://q.hatena.ne.jp/1191162777 逆になぜ東京にいったら標準語を喋らないといけないんだろうか、とか思った。意識して替えるものなのか? いきなり標準語に切り替えるのも普通無理だし(特にアクセント)。ちょっと長い間滞在してたら、抵抗感あってもいつの間にか関西弁抜けてくるし。そもそも標準語じゃなくて関東弁だろ、と思うし。 テレビや文字ならOKやけど、リアルで話されると約8割の関西人は殺意を覚えます http://b.hatena.ne.jp/entry/http://q.hatena.ne.jp/1191162777 これには同意。そういえば昔は、いわゆるテレビ中の【関西弁キャラ】が話している言葉と自分の言葉が一緒だと思ってなかった。気づいた時は物凄く衝撃的だった。 というか自分の出身地以外のところにいったとき、自分の出身地の方言を話すのは普通のことだし、関西だけ
当初は売春婦っていう具体的なトピックがあったけど、もういろいろ幅広い事象を含めた差別っていう一般概念にまつわる話になってるので、なんか書かれてることが軽くてしょうがなくね? ネット上では、「誰が書いたか」よりも「書かれた内容」信者が多いからしょうがないのかね。喩え話ではあるが、同和地区も、外国人労働者も、ゲイもレズビアンも、射精産業も、ゴミ処理場も食肉工場も、何にも身の回りにない小奇麗な住宅地で育ったような高校生に「差別はよくないですよ!」とか言われてもな。「(……)あー、そりゃあ差別はよくないよ!」って、大事なのは(……)だろう。 もちろん性別や貧富の差なども差別の対象になるわけだから、まったく差別に無縁で育った人間なんていうのは想像しようがないけど。そういうのも含めて、やっぱりこういう問題って人それぞれがかかえるバックボーンを抜きにすると、本当につまらないんだよなあ。というか、書いてる
俺は中国人は嫌いだ。でも仕事を一緒にしている中国人の朱さんは物腰も穏やかで知識もすごいし、だからと言ってそれをひけらかしたりもしないし仲良くやっている 俺は韓国人も嫌いだ。でもこれも仕事を一緒にしている韓国人の金さんは日本語は不自由だけど仕事は速いし、一度注意したミスは二度と間違えないし、日本語を覚えるスピードも半端ない。この人も一緒にお酒を飲みに行く仲間だ 俺はDQNも嫌いだ。でもバイトをしてた頃にいた地域で一番のDQN高の生徒だった古谷君は思ってる事はすぐに口にして社員には嫌われていたけれど、言ってることは間違いじゃないし、仕事の覚えも速かった。「母親が妹に手を挙げるのをやめさせたいんだけどどうすればいいっすかね?」なんて相談されて徹夜で話し合った挙句に一緒に家までついて行ったっけ。 俺はギャル(死語っぽいけど)みたいな奴も嫌いだ。でもバイトにいた桜井さんはいかにも格好をしていたけれど
私は"知的障害者"が嫌いだ。 と言ったら、遅れている人だとか社会とズレている人だとか差別をしている人だとか思われるだろうか。 私は小学生の頃に通っていたスイミングスクールで"障害者"に痴漢を受けた。 ==== 背の高い、狐みたいな顔をした奴だった。中学生に見えたが実際はどうかわからない。 プールでは順番に泳ぐので壁沿いに並んで待っている時間があるのだが、 奴は後ろに並んだ時、そっと尻の割れ目に指を這わせた。 この気持ち悪さをわかってもらえるだろうか。 水着なので布一枚しか隔てるものがない。 物心つく前の自分にはそれはもう本当にただ単純に「気持ち悪いこと」でしかなかった。 プールの中、プールサイド、挙句の果てには泳いでいてコース越しにすれ違った時まで。 痴漢は続いた。 ちょうどその頃自分は小学校の体育の授業で性教育の初歩の初歩を習った所だった。 「セイシが女の子にあるランシとくっついて赤ちゃ
トラバを追ってから書こうかと思ったけど、追いつかないので書く。誰かと意見が重複してても仕方がない。 小学校低学年の頃、一学年上に知的障碍を持った児童がいた。「彼」はひどく乱暴なふるまいを(突然追いかけてきたり、髪の毛をひっぱったり、殴ったり)するので、学校中の児童から嫌われ、避けられ、時にはからかわれていた。「彼」の障碍について、先生も親も何一つ説明をしてくれなかったので、ひたすら「彼」が恐ろしいばかりだった。小学校低学年のこと、「障碍者」という言葉すら私は知らず、「彼」がモンスターか何かのように思えた。 数年後、私は他地方へ転校することになった。転校先の小学校には、「彼」と同じように障碍を持つ児童が数名いた。私は怯えた。彼らは、「彼」と同じように乱暴なふるまいをするのではないかと思った。しかし、私以外の児童は、彼らに気楽に話しかけ、笑い、楽しそうにふるまっていた。彼らは時折、(私にとって
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