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ブックマーク / blog.livedoor.jp/iseda503 (10)

  • Daily Life:物理(学)帝国主義という言葉を使い始めたのはだれか

    July 23, 2023 物理(学)帝国主義という言葉を使い始めたのはだれか (細矢先生のお名前を間違えるなどいくつか誤字を指摘いただきましたので修正しました。ありがとうございます)(さらにご指摘をいただき追補を別記事として書きました。)(さらにご指摘をいただきオルテガのスペイン語原文についての追記をしました) 「物理帝国主義」ないし「物理学帝国主義」という言葉は物理学と他の学問のある種の関係や物理学者の態度を指すことばとして漠然と用いられることが多いと思うが、だれがこういう言葉を使い始めたのだろうか? ネット上を少し検索すると「伏見康治によると、この言葉は桑原武夫が初めて使ったとのこと」という解説が出てくる(ウィキペディア「物理帝国主義」の項、2023年7月15日参照)。まずはその参考文献をみてみることからはじめる。 1細矢治夫の記述 典拠となっているのは化学者の細矢治夫が『日物理学

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    o_secchan 2023/07/23
  • Daily Life:『はじめての動物倫理学』読書ノート

    September 06, 2021 『はじめての動物倫理学』読書ノート 田上孝一さんの『はじめての動物倫理学』は、動物倫理の分野を概説するおそらく最初の新書であり、この分野の存在を多くの人に知らしめたという意味で、大変画期的なだと思う。 以下では主にわたしが同意できない点や疑問に思う点を中心に記述していくが、その前に書の良いところをいくつかあげておこう。 まず、全体として非常に読みやすい。ときどき「広く観念されている」(p.107)といった耳慣れない表現が出てきたりするものの、全般に難解な表現は極力避けられている。また、いろいろ留保をつけずに言い切る形で論述されているところが多いのも、立場が鮮明であるという意味で書の美点である。動物の権利論がいろいろな問題をどうとらえるかについて、田上さんなりの一貫した視点を提供しているのも書のよいところである。 第一章の倫理学理論の整理はスタン

  • Daily Life:佐藤直樹『科学哲学へのいざない』

    June 07, 2021 佐藤直樹『科学哲学へのいざない』 佐藤直樹さんの『科学哲学へのいざない』について少し書きたい。 佐藤さん(以下「著者」とする)は実験生物学者でありながらも、哲学系の学会のワークショップに登壇されたり、マラテール『生命起源論の科学哲学』の翻訳を手掛けられるなど、科学哲学的な問題意識を強く持ち、科学哲学と関わりを作ってこられた研究者である。その著者による科学哲学へのいざないということで、科学哲学の側からも注目すべき書籍であると思う。 書は少し変わった成り立ちのである。著者はサミール・オカーシャの『科学哲学』を教材としつつ、独自の資料で補足しながら授業を行っていたとのことである。そうした授業の内容に、さらに加筆して書籍としてまとめたのが書である。そのため、全体としてオカーシャの教科書に対するコメンタリのようにも読めるとなっている。 全体のトーンはオカーシャの

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    o_secchan 2021/06/07
  • Daily Life:生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか

    July 16, 2020 生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか 最近発表された人間行動進化学会の声明の中で、「自然主義的誤謬」という哲学由来の概念が使われていた。 そこでは、自然主義的誤謬が、「「自然の状態」を「あるべき状態だ」もしくは「望ましい状態だ」とする自然主義的誤謬と呼ばれる「間違い」」という言い方で紹介されている。これを倫理学者が聞いたなら「いや、自然主義的誤謬はそういう意味じゃないんだけどなあ」と言いたくなるところであろう。しかし、進化生物学者と「自然主義的誤謬」という概念の付き合いはかなり長く、それなりの経緯がある。稿の目的はとりあえずその経緯を追うことで、「自然主義的誤謬」という概念の適切な用法とはなんだろうかということを考えることである。 最初に断っておくが、稿はいかなる意味でも体系的なサーベイとはなっていない。どちらかといえば、目立つ事例いくつかをつ

  • Daily Life:井上さんの書評へのお答え

    June 17, 2020 井上さんの書評へのお答え 翻訳家の井上太一さんが『マンガで学ぶ動物倫理』の書評を公開された。 井上太一さんは動物擁護運動(わたしは包括的な名称として「動物保護運動」を使っていますが、ここでは井上さんの表現をお借りします)関連の書籍の気鋭の翻訳家であり、私も井上さんの訳されたはいくつも参照させていただき、勉強させていただいている。そうした方にわれわれのを評していただけるのは大変ありがたいことである。 以下、井上さんが批判的なコメントをされている箇所にしぼってお返事を書きたいと思う。 動物実験をめぐる書の説明は、あたかも国内外における動物実験の規制が、実験業者によって積極的に進められてきたかのような印象を与える。 19世紀から20世紀初頭のフランセス・コビーらの動物実験反対運動は当時の動物擁護運動の主流になることができず、運動として停滞したというのがわたしの認

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    o_secchan 2020/06/18
  • Daily Life:『〈現在〉という謎』の感想

    March 03, 2020 『〈現在〉という謎』の感想 編者の森田さんよりご恵贈いただいた。 www.keisoshobo.co.jp/book/b477659.html 最近はいただいたでもなかなか読む時間がとれず、お礼もままならないことが多い。しかし、書については著者の一人である谷村さんが追加の論考「一物理学者が観た哲学」を公開され、著者間でかなりの行き違いが生じているらしいことがわかった。哲学者と科学者の対話は私にとっても大きな関心事であるので、書を通読して感想を述べさせていただこうと思った。 そういう経緯であるので、以下の感想は谷村さんのノートに触発されて書き始めたものである(ずいぶん時間がかかってしまったが)。しかし、今回の感想は『〈現在〉という謎』のに限定して書いており、谷村さんのノートの内容や、谷村さんのノートにさらに反応していろいろな人が書いたものは念頭においてい

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    o_secchan 2020/03/03
  • Daily Life:蝶名林亮『倫理学は科学になれるのか』に以前つけたコメント

    March 27, 2019 蝶名林亮『倫理学は科学になれるのか』に以前つけたコメント 佐藤さんの『メタ倫理学入門』へのコメントをまとめていて、そういえば蝶名林さんの『倫理学は科学になれるのか』にもコメントをつけたのを思い出した。以下は2017年3月11日に開催された京都生命倫理研究会での『倫理学は科学になれるのか』合評会の資料として書いたものである。当日のリプライを聞いて取り下げた点などもあった気がするが、それはさすがにもうわからなくなっているので資料として作成したものをそのまま転載する。 1 大きな事項 1-1 総合的倫理自然主義は魅力的か?(pp.29-32) 内的適合と外的適合の2つをよりよく満たす立場だから総合的倫理自然主義が魅力的だ、と著者は言うが、疑問がある。 適合と訳すとなにか整合性のような要請に聞こえるが、原語はaccommodationなので、どういう要素を取り込んでい

  • Daily Life:『メタ倫理学入門』へのコメント

    March 25, 2019 『メタ倫理学入門』へのコメント 佐藤岳詩『メタ倫理学入門』はメタ倫理学に特化した入門書である。メタ倫理学の100年あまりの歴史の中で議論されてきたさまざまなテーマや、そのそれぞれのテーマについてのさまざまな立場が手際よく整理され、紹介されている。ときどき挟まれるフローチャート形式の分類図も読者にとっておおきな助けになる。分野外の人にとってなかなかアクセスしにくかったメタ倫理学という分野の全体像を広く紹介したという意味で、書の価値は非常に大きい。 書の独自性は、話題の配置にもある。メタ倫理学の歴史は言語の分析からヒューム的心理学の是非や道徳形而上学へと議論の領域を拡大してきたが、書はそれを逆にして、道徳形而上学から話をはじめる。それはおそらく、善や悪があるかないかという問題設定の方が、道徳語は何かを記述するかしないかという問題設定よりわかりやすいだろう、と

  • Daily Life:「いただきますの倫理」はいつごろ広まったのか(2)

    June 01, 2018 「いただきますの倫理」はいつごろ広まったのか(2) 前記事のつづき。 6 1998−1999の言及 1998年、1999年の記事においても、1997年までの記事と大きく傾向が変わるわけではない。ただ、いくつか注目すべき記事はある。 朝日新聞 1998年12月19日岡山版「ごみ テーマでおしゃべり」という記事内で、63歳の主婦からの投稿として以下の文章が掲げられている。 私が常に心がけていることは、(1)安いからといって必要以上の料品を買わない。料理するにも残るほど作らない。子供のころ親から教えられていたのは、「事することは物の命をいただくこと」。もったいない気持ちが先に立つ(2)ごみ出しの日は、ごみを小さく切ったり、折りたたんで量を少なくする、など。 この記事の注目すべき点は、「命をいただく」ことと「もったいない」という概念の結びつきが指摘され、材を無駄

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    o_secchan 2018/06/04
  • Daily Life:「いただきますの倫理」はいつごろ広まったのか(1)

    May 29, 2018 「いただきますの倫理」はいつごろ広まったのか(1) 1 いただきますの倫理 日の文脈で動物倫理の議論、とりわけ肉をめぐる議論をしている際に無視できないのが「いただきますの倫理」とでも呼ぶべきものである。この倫理は、人によって内容に異同はあるものの、概ね以下のような主張から構成されている。 ・人間は動植物の命を犠牲にする(「命をいただく」)ことでしか生きていくことはできない。・人間はそうして犠牲になった動植物にせめて感謝を捧げなくてはならない。・その感謝の気持ちを表すのが「(命を)いただきます」という前のあいさつである。・この感謝の気持ちの当然の帰結として、材を無駄にする、べ残しをするといった行為は許されない。 日人の間で大変ポピュラーなこの考え方であるが、西洋流の動物倫理(19世紀型動物愛護、動物福祉、動物の権利等)の観点からは大変奇妙な考え方にうつ

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    o_secchan 2018/06/04
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