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育児 頑張ってるねと言ってほしいと旦那に言ってもいいか これは何度でも書くべきだと思っているんですが。 我々は、身近な人への感謝を、労いを、好意を、親愛を、言葉にしなくてはいけません。 我々は、不安に思っていることを、不満に思っていることを、直して欲しいと思っていることを、大切にしているものを、言葉にしなくてはいけません。 何故かと言うと、思いは言葉にしないと伝わらないから。伝わらない情報はゼロとそんなに変わらないから。伝わらないままに、自分の、あるいは相手の不満を溜めてしまうことは、馬鹿馬鹿しいことこの上ないから。 言葉を発するべきです。我々は、自分で思っている以上に、言葉にするべきことを言葉に出来ていません。 言葉を発するべきです。以心伝心なんてものは、「言わなくても伝わる筈だ」という思い上がり、ないし「言わなくても伝わってくれるだろう」という甘えのどちらかでしかありません。普通の人は
試験勉強のお話である。 その内自分の子どもに教えることになるかも知れないシリーズ。思い出したので忘れない内にメモしておく。既出かどうかは知らない。 学生の頃からやっていたことなのだが、選択問題を解く際、ちょっと難しい問題だなと思った時には、5つのステップに分けて勉強していた。で、自分が勉強していたやり方を、家庭教師や塾講師のバイトで教えてみたら、これがそれなりに評判が良かった。 主にセンター試験対策で、現代文・古文の文章題を解く時に使っていた勉強法なのだが、多分ある程度一般化出来ると思う。下のようなやり方だ。 1.選択問題を解く 2.正解がどれだったか、それが何故正解だったのか、を確認する 3.正解以外の選択肢に注目して、「それは何故間違いなのか」を重点的に確認する 4.出題者が、「どういう間違え方を期待して」その選択肢を作ったのか、を考える 5.自分ならばどういう問題と選択肢を作るか?を
先に言いたいことをまとめておく。 1.コミュニケーションというものは、基本的には「興味のやり取り」である、と思う。「私はあなたに/あなたのいうことに興味があるよ」という意志表示の交換が、コミュニケーションの根底にある、というのは確かだと私は考えている。 2.だから、「相手に対する興味、関心」「相手の、自分に対する興味、関心」というものを上手に扱える人程、「コミュニケーションが上手い」ということになる、と思う。 3.いわゆる「コミュニケーション術」「コミュ力の鍛え方」的なものは山のようにあるが、「相手から上手く話を引き出す」ことが重要だ、というのは割と共通しているように感じる。 4.つまり、根本的には「相手/他人に対する興味」を持っている、ということが重大な要件になる。「他人に対する興味をもっている」ないし「興味をもっている振りをすることが出来る」というのがクリティカルだ。 5.世間一般の、
義母が泊まりに来てくださっていた訳です。 で、義母が行った病院で、食べたことがなかった美味しい飴があったそうで、その飴の名前を忘れてしまっていたとか、その飴見つかったー買ってきたーというような話を奥様がしていた訳です。なんか忘れましたが「塩の花」とかそういう名前だったと思います。私も食べさせてもらいましたが美味しかったです。 で、よく事情は分かりませんが珍しい飴っぽいのでメーカー見るじゃないですか。味覚糖って書いてありました。知りませんでした。 私「あー、どこか地方のメーカーさんですかね?」 義母「えっ」 私「えっ」 奥様「味覚糖知らないの!?飴食べたことがある日本人が味覚糖知らないのは、ファミコン好きが任天堂知らないようなものだよそれは」 などと誹謗されたので、味覚糖とは本当にそんなに有名なメーカーなのかOIOIいくら何でもおおげさだろ、と思ってTwitterで聞いてみたら、「味覚糖知ら
「ジョジョの奇妙な冒険」の話。多分既出なのだろうがまあいいや。 言うまでもなく、「ジョジョの奇妙な冒険」はとても面白い超有名少年漫画であり、ファンもアット―的に多い作品である。そして、皆様よくご存じの通り、ジョジョはストーリー毎に幾つかのブロックに分かれている。 第一部「ファントムブラッド」は、ジョナサン・ジョースターが主人公の、全ての始まりとなるお話。私連載開始当初読んでいたが、まさか序盤のあの展開が後にあんな怒涛の展開になるとは思いませんでしたよ。 第二部「戦闘潮流」は、ジョナサンの孫であるジョセフ・ジョースターが主人公の、「柱の男」たちとの戦いのお話。 第三部「スターダストクルセイダース」は、 空条承太郎が主人公の、「スタンド」をメインのギミックとした戦いのお話。 以下、第四部「ダイヤモンドは砕けない」第五部「黄金の風」第六部「ストーンオーシャン」にSTEEL BALL RUNと、ど
大事なのは、関心量の調節、だと思う。というか、本当にそれだけだと思う。 最近幾つか、「結婚が上手くいかなかった人」の視点で書かれたお話を読んだ。この視点が注目を集めていることを見ていると、結婚に全然不満を持っていない人の視点も一応書いておいた方がいい様な気がしてきた。 なので書く。 例えば結婚生活が上手くいっている話とか、上手くいっていない話とか、色んな人のお話を聞く。色んな人のお話を読む。 決まって思うことがある。結婚生活が上手くいっていない人というのは、つまり関心量に大きな食い違いが出てしまっている様に見えるなあ、と。 関心というのは、大きく言うと勿論お互いへの関心である。更には、お互いが関心をもっているものへの関心、でもある。 AさんがBさんに関心をもつ。あるいは興味をもつ。何をしているのか、どんな人間なのか知りたいと思う。 全ての人間関係はそこから始まる。お互いへの関心のバランスが
なんとなく思ったこと。 ちょっと古い記事だけど、 北野監督に聞く 新作映画「アキレスと亀」 今の社会はさ、子供に夢を持てって言うよね。でも、その気になった子供が結局悲惨な現実に遭ったりする。いつから、みな強制的に夢を持たされることになったんだろうと思うよ この言葉だけとっても仕方がない文章だけど、ちょっとこの言葉が思考のトリガーになった。 悪いのは、「夢を持て」って言うことじゃない。「夢を持て」といいつつ、夢の方向性を制限することだ。「なりたいもの」「やりたいこと」を「夢のあるもの」と「平凡なもの」に分類することだ。自分の基準で「夢がないなあ」という感想を吐くことだ。 「サラリーマンになって会社の為に働きたい」という夢に対し、我々は時に「平凡な夢だなあ」という感想を抱く。「現実的過ぎてつまらないなあ」という言葉を頭に浮かべる。 一方で、「宇宙飛行士」や「パイロット」という言葉を聴くと、我々
今更な話だが、格ゲーには「挫折ポイント」というものがあると思う。 格ゲーには大小様々なシステムやテクニックがあり、そのシステムやテクニックをどれだけ駆使出来るかが勝敗に直結する。 そして、そのシステムやテクニックを使いこなせなかった時、我々は「そのテクニックなしでのプレイを続行するか、それとも挫折するか」という選択を迫られる。 この選択の強制力を、格ゲー挫折ポイント(以下挫折P)と勝手に呼称する。 ここでいう「ポイント」は、「位置」の意味も含むし、「点数」の意味も含む。 本エントリーでは、この「格ゲー挫折ポイント」をネタに色々考えてみたいと思う。長文なのでお暇な時に。 ・挫折Pにはいったいどんなものがあるのか。 小さなところでは「波動拳や昇竜拳が出せるかどうか」というのも立派に挫折Pの内だし、「目押しコンボが出来るかどうか」「エリアルが出来るかどうか」「鳳凰脚が出せるかどうか」「天覇封神斬
私は元来ベルトは何故必要なのかということが良く分からず、腰回りにぴったりとした細めのボトムスを履くことが殆どだったから別にベルトつけなくてもずり下がらないしベルトなくてもいーんじゃねえの、とか思っていたのだが、ここ最近30過ぎという年齢の為かたくさん食事をとると若干腹が前方に突出するという悲惨な事態が発生しており、この状態でズボンがキツいと大変おなかが苦しいのであり、しかしズボンのボタンを外すとズボンごと下にずり落ちてしまうという悲劇的な状況になってしまうのであるが、ベルトがあるとベルトをつけた状態でズボンのボタンを外すことが出来るわけであり、「そうか、ベルトは締める為ではなく、緩める為に存在するのだ」という事実にハタと気づき俺の中では俺のかしこさが30くらい上がったのだが超どうでもいい。
好みの話だけからいえば、以前書いたように、私はそれ程ソーシャルゲームが好きではないし、課金ガチャもそれほど好きではない。ただ、それを好きな人、それに時間やお金をかける人を否定しようとは全く思わない。 これも以前書いたように、好きなものにはお金をかけるべきだ。そのお金が好きなものを支えるから。だから、ソーシャルゲームが好きな人は、めきめきお金をかけてソーシャルゲームを支えるべきだと思う。何の異存もない。 同じ「ゲーム」であり、同じ「ゲーム好き」だ。私はゲーム好きなので、それがどんな形であれ、ゲームが栄えるのであれば私は嬉しい。 ただ、お金をかけた上で、「こんなにお金をかけるつもりじゃなかったのに!」と後悔するとしたら、それは不幸なことだと思う。お金をかける上では、主体的に、これだけのお金をかけるのだ、という意志をもってかけるべきではないか、とも思う。 以上は、下記リンクをざっと読んだ上での感
カレードウルフはどこだカレードウルフはァ!! といいますか、林友彦先生のゲームブックの味わいは、何を置いても「まったりとした雰囲気」と、「一見まったりしているのに実はフラグ立て・難易度は結構極悪」というそのバランスだと私は思っているのです。ティルトは猫だしエスメレーは可愛いしかぼちゃ男のエスメレーはもっと可愛いし語り口はおとぎ話だったりもしますが、それでもポピーにやられて永遠にお休みなさいとかドラゴンに瞬殺とか山椒魚に丸呑みとか。あるある。よくある。 ということで、一年ぶり以上のゲームブック半里を往くは、私が鈴木直人先生と同じくらい個人的大ファンである、林友彦先生の「ニフルハイムのユリ」についてゆるゆると書いてみますですよ。 以下常態。 ニフルハイムのユリ。1987年、創元推理文庫より発売。一連の「スーパー・アドベンチャー・ゲーム」の重要な一角である、パラグラフ数1000の大作おとぎ話ゲー
・思いは、言葉にしなければ決して伝わらないということ。だからこそ言葉は貴重だ、ということ。 ・言葉は、ハードルでもあるということ。決して、意図通り、たやすく伝わるものではないということ。 ・だからこそ、思いを伝える為には、持てる限りの言葉を、費やせる限り費やさなくてはならない、ということ。 今日で不倒城が七歳になった。 別に毎日更新を掲げている訳でもなんでもなく、書きたい時に書きたいことだけ書いているブログなので、それほど大げさな話でもないが、七年というのは言葉にしてみると流石に長い。二文字だけど長い。小学生が中学生にクラスチェンジしてしまう程度の期間である。 冒頭の三行は、先日NoBorderでも書いた内容なのだが、ブログを七年やって考えたことではあるので、この機会にちょっと書き直してみる。 ・思いは、言葉にしなければ決して伝わらないということ。だからこそ言葉は貴重だ、ということ。 一つ
いきなり何の関係もない話から入ってしまうのだが、三国無双には「貴重品」という代物がある。 敵を倒せばぽろぽろ落とす肉まんやら剣やらと違って、貴重品はある一定の条件を満たさないと取れない。出るステージも決められている。例えば4において、「発破伝書」の取得条件は「虎牢関の戦い」において劉備・孫堅・曹操・公孫サンを撃破することが条件だし、「無双鎧」の条件は南中平定戦で虎戦車を全部破壊することだ。 その貴重品の中に、絶影鐙というものがある。Web上でも最後の最後まで出し方が分からなかった代物で、「涼州の戦いで胡診と張済を50秒以内に撃破」という取得条件にたどり着くまで、多くのプレイヤーがありとあらゆる試行錯誤を繰り返した。ある面で二千人斬りを試みたりとか、ある面でステージ中の洗濯台を全てたたき壊したりとか。 この条件を突き止める過程で、あちこちのページで色んな情報交換が見られた訳だが、これを見て私
メモ的に。特に結論が出るような話でもない。 先日Twitterで、「家康が主人公のゲームがないのは何故なのか」みたいな話になっていた。多分発端はこの辺の記事なのではないかと思う。 確か関ヶ原合戦がテーマのゲームは出ていたような気がするが、確かに信長・秀吉が主人公のゲームに比べれば、家康が主人公のゲームの数は少ないかも知れない。 まあ、「歴史のifを楽しむ」というのが歴史ゲームの一つの楽しみ、ということから考えると、実際に野望を成就してしまった家康さんはちょっと素材として美味しくない、という側面はあるのかも知れない。「信長の野望」というタイトルに対し、「家康の野望」というタイトルは確かにキャッチーではない。この辺、江戸幕府の礎を築いた家康の事績が、むしろマイナスの方向に作用してしまっているということなのかも知れない。 それはそうと。ifを楽しめる素材、という観点から言えば、歴史ものゲーム、特
自分が書いた文章というものは面白い。 「むだづかいにっき♂」さんを読んで、こんなことを考えた。 当たり前のことであるのだが、それがどんなジャンルであれ、自分が書き残した文章を読み返すという行為は基本的に楽しい。私の様なしょうもない雑文書き散らし人間でもそれは変わらない。その理由はいくつか考えられるが、やはり一番大きいのは、文章のバックボーンが非常にリアルに感じられるから、という点であろう。故に例えば、上記で越後屋さんが挙げられた「私の好きな食べ物」というのも、本人にしてみれば基本的に面白い筈なのである。 文章というものは無から生じる。日記だろうが創作だろうが論評だろうが、始めにこねくり回されるのは飽くまで自分の頭の中、脳内の回路だか左脳だか右脳だか前頭葉だかという部分においての話であり、それは「書く」というプロセスを間に挟んで初めてテキストとして書き残される。故に、その文章を書いた「履歴」
敵をよく見る、ということ。 攻撃出来る時だけ攻撃する、それ以外の場面では無理しない、ということ。 これは自慢して言うのだが、私はアクションゲームへたっぴーである。 このへたっぴー度は、特にベルトスクロールアクションで顕著だ。どれくらいへたっぴーかというと、ファイナルファイトの1面で、ダムドの機嫌次第では余裕で全滅出来る程度にはへたっぴーだし、D&Dシャドーオーバーミスタラではうっかりするとゴブリン戦車で全滅するくらいにはへたっぴーである。 ゴールデンアックスやパワードギアは暫くやっていないが、多分今やったら1面で死ぬことは疑いない。ちなみに、影の伝説や源平討魔伝、魔界村あたりでもそれ程レベルは変わらない。 あまりゲームをやらない人で「アクションゲーム全然ダメ」というのは珍しくないと思うが、落ち物パズルもやれば格ゲーもやり、シューティングはダラ外に人生かけてました、という程度にゲームをやって
土曜日から。色々ありました。 ・先週の医龍が面白かった。 作中の展開でもテンションでも色々変転がありましたが、先週はとにかく野口教授がいい味出しまくり。なんとなくだけど、最後の「精一杯、がんばりなさい」のシーンが「へうげもの」の宗匠と一瞬被りました。 野口教授というキャラの凄いところは、最後の最後まで「嫌なキャラ」「腐敗した権力者」という立ち位置を保持しながら、例えばツンデレキャラのようにデレ化・いい人化することなく、最後の台詞を言うことが出来たこと、だと思います。 ということでThe very 野口たんな会でした。単行本集めようかしらん。 ・ぺらねこナイトにいってきた。 いってきました。 @peranekoさん主催の恒例イベントに初参加。当日は色んな人と色んなボードゲームを遊べてとても楽しかったです。ぺらねこさんはじめ、主催の皆さんに感謝。 当日は渋谷のラブホ街でひとしきり迷って、カップ
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