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ブックマーク / reki.hatenablog.com (23)

  • 『反知性主義』(新潮選書)−アメリカという国のかたちと「特殊性」について考える - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    当の意味での反知性主義とは何なのか 『反知性主義―アメリカが生んだ「熱病」の正体―(新潮選書)』森あんり著(新潮選書)を読みました。 2015年初版のなので少し古いのですが、かーなり面白かったです。 反知性主義って日では非常にネガティブな意味に使われますが、アメリカでは来は非常に前向きな意味を持ち、実際に「平等社会」の実現を目指して社会改革を成し遂げてきたという歴史があります。アメリカ社会の根にある思考が分かる大変素晴らしいです。 1. 来は前向きな意味を含む反知性主義 このはタイトル通り「反知性主義」について述べているものです。反知性主義って、日ではちゃんとした知識を学ばずにデマゴーグに扇動される人たちとか、知識人や権威を(屁理屈をこねて)「論破」して喜んでる人たちみたいな意味が多いです。 どっちかというと知識人やメディアの側が、知やアカデミズムが軽視されてるあまり好

    『反知性主義』(新潮選書)−アメリカという国のかたちと「特殊性」について考える - 歴ログ -世界史専門ブログ-
    osaan
    osaan 2023/09/16
    >無知な人間、ピュアな人間こそ真実に辿り着ける、辿り着けるべきという観念←突き詰めればポル・ポトに辿り着く。
  • オマーン帝国の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    インド洋交易を支配した帝国オマーン 帝国といえば、英仏独といったヨーロッパの国や、オスマン帝国、清帝国、ムガル帝国、ロシア帝国といった近代ユーラシアの大国、あるいはもっと時間がくだって、アッシリア帝国とかローマ帝国、ペルシア帝国を想像する方も多いかもしれません。 今日のテーマはオマーン帝国です。 オマーンはアラビア半島の東南部にある国で、首都はマスカット。あまり国際的な知名度が高い国ではありませんが、かつては東アフリカに領土を持ち、インド洋交易を支配する海上帝国、海軍大国でした。 オマーンがどうやって大国に成長したか、解説していきます。 1. ポルトガル支配以前のオマーン オマーンは紀元前から人が集落を作って住んでいましたが、歴史に登場するのは7世紀にイスラムが進出してきてからです。 オマーンのイスラム教は、世界的に見たら少数派であるイバード派が多数派を占めるところに特徴があります。 イバ

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    osaan 2023/08/05
  • 食あたりで死んだとされる世界史の人物10人 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    国のトップの人たちもあたりで死んでいた? 徳川家康の死因が「鯛の天ぷら」であるという逸話は有名です。 実際に死の直前に揚げた鯛をべたのは事実ですが、鯛にあたって死んだということではなく、もともと胃がんを患っていたと考えられています。 今回の記事は「中毒で死んだ人物」ですが、全員があたりで死んだ人というわけではないと思います。中には家康のような間接的なケースもあれば、中毒に見せかけて毒を盛られて殺されたケースもあるかもしれません。 その点をお含みいただきご覧ください。 1.イングラド王ヘンリー1世 ヤツメウナギのべ過ぎで死亡? ヘンリー1世はノルマン・コンクエストを成し遂げたウィリアム1世の末子。 彼は憲章「マグナ・カルタ」を発表し、気まぐれな税金や教会収入の没収などの悪行をなくすことを宣言しました。また、アングロサクソン系王家の血を引くスコットランドの王女マチルダと結婚し、スコ

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    osaan 2022/09/17
    ブッダの死因は豚に探させたキノコで、トリュフを食べたのでは?という説がある。
  • ソ連時代のマッド・サイエンティストたち - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「進歩的国家」ソ連が生んだ狂った科学者 マルクス主義理論では、社会主義そして共産主義は人類が普遍的に向かうべき社会であり、成熟し堕落した資主義が倒されるのは必然であるとされました。 そのため社会主義国であるソ連では、アメリカやイギリスといった資主義国よりもあらゆる面で進歩的であるのが当然とされ、学術・産業・文化・芸術など科学的であることが尊ばれました。 確かにソ連時代は科学の進歩が著しく進んだ時代ではあるのですが、中には行きすぎてとんでもないマッドサイエンティストが出現しました。 1. イリヤ・イワノビッチ・イワノフ (1870 - 1932) 人間と猿の交配動物を作ろうとした男 イリヤ・イワノビッチ・イワノフはソ連(ロシア)の獣医学者で、異種間の人工授精の先駆者です。 1898年、イワノフはモスクワに動物学研究所を設立し、家畜の性器の構造や生命現象、受精時の付属性腺の分泌物などを研究

    ソ連時代のマッド・サイエンティストたち - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    osaan 2021/08/10
    「努力したら報われる」はマルクス主義に限らんけど。  https://bit.ly/3jIaiUe
  • 「幸せの国」ブータン王国の歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ヒマラヤの山岳小国の歴史 ブータンという国名の由来は二つあります。 一つ目はサンスクリット語の「ボータンガ(チベットの手足)」から来ているという説。もう一つが同じくサンスクリット語で「ボーターンタ(チベットの辺境)」から来ているというもの。いずれにせよ、ブータンはチベットの外縁として成長した国です。 ちなみにブータンの共通語ゾンカ語では国名を「ドゥク・ユー」と言います。これは「ドゥク派の国」という意味で、チベット仏教のドゥク派のことで、ブータンという国の成り立ちを端的に表した国名です。 1. ドゥク派のブータン定着 仏教のブータン到来 ブータンの歴史は国名の通りチベット仏教と密接な関係があります。 ブータンに仏教が伝わったのは7世紀、チベットを統一し仏教を導入したソンツェン・ガンポの時代であると言われています。当時のブータンは小さい地域ごとに首長が統治しており、中央政府は存在しませんでした

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    osaan 2020/11/26
    よくまとまっててありがたい。
  • 中東の伝統料理「フムス」をめぐる歴史と戦争 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Paul Goyette 愛ゆえに人は苦しまねばならぬ、愛ゆえに人は悲しまねばならぬ フムスという料理をご存じでしょうか。 トルコ料理やシリア料理などでメゼ(前菜)として出される料理の一種で、ひよこ豆のペーストにタヒニ(ごまペースト)、にんにく、オリーブオイル、レモン汁を加えたもの。 中東圏を中心に、バルカン半島や東地中海沿岸地域でよくべられています。 中東ではあまりに愛されすぎて、民族主義と結びつき、「フムスは我々のものだ」としてアラブ人とユダヤ人の間で抗争が繰り広げられています。 1. フムスとはなにか フムスは、ホムス、フンムス、ホンムスなどと言われることがあります。 どの呼び方でも基の作り方は同じで、 ひよこ豆のペーストにタヒニ(ごまペースト)、にんにく、オリーブオイル、レモン汁を加えてペースト状にしたものです。 レシピは非常にシンプルですが、豆の煮る時間、ペ

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    osaan 2020/11/17
    ラテン語でフムスhumusなら「土」または「大地」の意味で、人間humanの語源だが、実は古代ローマ起源というオチはないのかな。
  • フランコ独裁体制下のスペインの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    硬直したカトリック保守体制の正体 スペインは1975年まで軍人フランシス・フランコの長期独裁体制下にありました。 当時のスペインはカトリック信仰に基づいた保守的・家父長的な規範が推奨され、国が隅々まで国民を監視し行動や発言、表現に介入してくる極めて息苦しい国でした。スペインは現在は世界でもっともフェミニズム運動が盛んな国の一つなので隔世の感があります。 フランコ独裁体制のスペイン歴史と社会についてまとめていきます。 1. フランコ将軍の反共和国反乱 右派と左派の対立 1930年に成立したスペイン第二共和政では、基的人権の保障と農地改革の実施が公約に掲げられました。特に農地改革は待ったなしと言われ、農民の悲願でした。 政府は労働者・農民保護のための様々な政策を打ちますが、一部の労働者・農民は政府の対応は生ぬるいとさらに急進的な方策を求め反乱を起こしたため国内の治安が悪化します。 治安の悪

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    osaan 2020/10/07
    反資本主義で反社会主義を標榜、と。「中立」とやらがファシストになるわかりやすい事例。
  • 【中国史】戦闘力が異常に高かった宦官列伝 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    中国史にその名を遺す武闘派宦官たち 宦官と言えば、宮廷に侍り皇帝や宮家一門の生活の世話をしたり、宮廷の各種運営をするのが仕事でしたが、中には武力を買われて仕える者もいました。 生殖能力は奪われているので女性のように華奢な体というイメージが強いですが、筋骨隆々なガチムチ宦官もいたようです。 今回は非常に名の知れた武闘派宦官をピックアップいたします。 1. 張蚝(ちょう こう) 張蚝は五胡十六国の前秦に仕えた宦官・武将。若いころから身体能力に優れ、牛と綱引きして勝つほどのパワーと、どんな高い城壁も難なく乗り越えられるほどの敏捷性を兼ね備えていたそうです。なんかバキに出てくるキャラみたいです。 北魏の歴史家である崔鴻(さい こう)は、前秦の猛将・鄧羌(とう きゅう)と共に「万人の敵(万人敌)」と評しました。 張蚝はもともと弓という姓でしたが、并州の軍閥の頭目・張平に気に入られ養子となり、張姓を授

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  • 【腐敗・汚職】中国史の悪名高い宦官列伝 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    中国史を裏で動かしてきた宦官 宦官とはご存じの通り、宮廷に仕える去勢をした男性のことです。 皇帝の身辺に侍り様々な世話をする役割を与えられ、通常は掃除や料理や連絡など雑用が主でしたが、皇帝の近辺にいることを許される立場を利用し、強大な実権を握る人物も少なくありませんでした。皇帝や帝国のために尽くした名宦官もいる一方で、自らの私腹を肥やし権勢を高め帝国の没落をもたらした悪徳宦官も数多くいます。今回は後者の悪徳宦官をピックアップします。 1. 秦の趙高(ちょう こう) 戦国七国を統一した始皇帝の秦王国を崩壊に導いた要因の一つは、宦官の趙高にあるとされています。 趙高がどのように始皇帝に仕えたかは定かではなく、子の胡亥の守役となった後、始皇帝の信頼を得て身辺に侍るようになりました。 始皇帝は死ぬ直前に聡明な長男の扶蘇を後継者に指定しました。しかし趙高は丞相の李斯を説得して遺言を書き換え、末子の胡

    【腐敗・汚職】中国史の悪名高い宦官列伝 - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    osaan 2020/07/21
    中国以外にもそうした事例があるなら知りたいものだが。
  • 「反お笑い」の哲学史(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    近代哲学の中の「反お笑い」 古代から近代までの哲学の中における「反お笑い論」をまとめています。 前編では古代の反お笑いの創始者プラトンからプロテスタントの反お笑い論までまとめています。まだご覧になっていない方はこちらをどうぞ。 後編は近代哲学編です。 5. ホッブズ「笑いは突然の得意」 近代社会哲学の基礎を築いたトーマス・ホッブズも笑いを否定した人物です。 ホッブズといえば、国家のあり方が論じられた1651年の著作「リヴァイアサン」が有名ですが、このの中で笑いが否定的に論じられています。 ホッブズにとって国家とは国民を素材とする巨大な人造人間であるため、国家の構造を理解するためにはまず人間そのものを理解する必要があると考えました。 リヴァイアサンではまずは演繹法により人間論が展開されます。人間性に関する一般的なカテゴリをまずは定義し、その部分的な下位カテゴリとそれとの関連を定義、そしてさ

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    osaan 2020/02/24
    オチにベルクソンを持ってくるかと思ったが、そう安直ではなかった。ルソーは笑いそのものは『新エロイーズ』で肯定してなかったけか。
  • 「反お笑い」の哲学史(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    笑いを否定する哲学論の歴史 「笑う」ことは心身のリラックスやストレスに効果があることが科学的に証明されており、健康的にも笑うことが推奨されています。 一方で「どんな理由で笑うか」は結構センシティブな話題で、人種やジェンダー、宗教、特殊な身体的特徴をあげつらって笑ったことで、毎日どこかで誰かが炎上しています。笑うという行為は、いかなる理由があってもしてはいけない、という極端な主張がなされた時代もありました。 今回は歴代の「笑い」に反対する哲学者の主張を時代を追ってみていきたいと思います。 1. 反お笑いの元祖プラトン 古代ギリシア人は大変お笑い好きな人たちでした。 喜劇役者、道化師、コメディアン、伴者など笑いを専門にする職業も多彩にあったそうです。特に人々が好んだのが劇場で見る喜劇。著名な喜劇詩人、エウリポスやクセルナルコス、アリストファネス、息子のニコストラトスの作品は現代でもいくつも残

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    osaan 2020/02/18
  • トイレの中で死んだ歴史上の偉人たち - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    安心できる場所であり危険な場所でもあるトイレ 越後の龍こと上杉謙信が春日山城の厠で倒れ、そのまま息を引き取ったことは有名な話です。トイレは部屋よりも温度が低く気温差によって発作を起こしやすいし、1人になるので発見も遅れるためか、現代でもトイレで死亡する人は多いです。まして温便座などない昔のこと。火鉢で火を起こすくらいはやったかもしれませんが、死亡者は多かったはずです。 加えて、トイレでは1人になる上にあまり身軽に動けない場所なので、暗殺するには絶好のタイミングだったはずです。 今回は「そうだったという説もある」というのも含めて、トイレで死んだとされる偉人たちを紹介します。 1. 晋の景公 新麦をべる前に死ぬという巫女の予言 晋は紀元前7世紀ごろの春秋時代に中原の覇者となった国ですが、紀元前6世紀の景公の時代に衰え、覇者の座を南の楚に奪われていました。 景公の死のエピソードには「新麦の予言

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    osaan 2019/09/18
    フランシス・ベーコンの名画’Death on a Toilet' https://www.theguardian.com/artanddesign/2019/sep/17/francis-bacon-paris-death-toilet
  • 歴史的な価格下落をした6の通貨 - ハイパーインフレはなぜ起こったのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    お金とは何なのか、を考えざるを得ないハイパーインフレの世界 2007年から2009年にかけてジンバブエ・ドルが狂ったようなインフレを起こし、最後は100兆ジンバブエ・ドルまで発行されたのは記憶に新しいと思います。 この件は結構ネタ的に語られることが多かったですが、実際銀行に預金をしていたであろう庶民はたまったもんじゃありません。預金にあった1000万円が、ある日1円まで値下がりしてたみたいな話ですからね。庶民もバカじゃないので、金やドルに変えて持っておくとかそれなりの自衛策はやるんでしょうが、経済や市場は大ダメージを受け庶民生活にも影響があるのは必然でしょう。 今回はかつてハイパーインフレを起こした6の通貨から、どのようなタイミングで起こるものかを学んでいきたいと思います。 1. ハンガリー・ペンゲー(1945-1946) 国民生活の保証のために大量に紙幣を刷ったことで発生 史上起こったハ

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    osaan 2019/01/15
    レンテンマルクを構想したのは、シャハトじゃなくてへルフェリッヒ。シャハトはずっと導入に反対していた。  https://koshohirakiya.blogspot.com/2015/12/blog-post_27.html
  • 「ホッジャ主義」とは何だったのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    時代の流れに逆らい続けたアルバニア ホッジャ主義とは、アルバニア労働党の指導者エンヴェル・ホッジャ(1908-1985)が掲げたイデオロギー。 ホッジャはソ連のスターリン主義や毛沢東の文化大革命を賞賛しこれらに倣いますが、1956年のフルシチョフによるスターリン批判でソ連と断交し、次いで文革終結期の中国の対外方針転換で中国と断交。 個人崇拝、帝国主義との軍事対決、国家による厳格な国民統制、外国人の入国を厳しく制限する鎖国政策など独自のイデオロギー政策を実施しました。 アルバニア国民にとってはたまったものじゃないですが、 ソ連や中国の「修正主義」を批判しマルクス・レーニン主義の維持を望む世界中の社会主義政党にとって、アルバニアとホッジャ主義は「最後の希望」となったのでした。 1. エンヴェル・ホッジャの登場 Photo by Forrásjelölés Hasonló パルチザンによるアルバ

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    osaan 2018/12/04
    アルバニアといえば、資本主義が入ってきた途端、ネズミ講で国が潰れかけたりしてたな。
  • ある日突然消息不明となった人物の未解決事件 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    行方が分からず遺体も発見されていない著名人たち 近年、失踪者・行方不明者が注目を集めています。 2016年の日の行方不明者は84,850人で、家出などが多いのですが、大半が警察の捜査などで発見されます。しかし発見されずに失踪者扱いされるのが985人もいます。 日で1000人近くいるとなると、世界で合計すると何十万単位で毎年失踪しているんじゃないでしょうか。これまでの数を累計すれば、とてつもない数になります。 当時の有名人・著名人も例外でなく、歴史上も多くの人物が失踪し大ニュースになっています。 1. ハチャトゥル・アボヴィアン 1849年失踪(アルメニア) 散歩に出かけたまま失踪した「アルメニア文学の父」 ハチャトゥル・アボヴィアンはアルメニアの作家・教育者。 1858年に東部アルメニア方言を元にした「近代アルメニア語」を用いて、同国初の小説「アルメニアの傷」を出版しました。この功績が

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    osaan 2018/05/21
    アンブローズ・ビアスとアメリア・イアハートは判明したんだったか。
  • 日本軍による占領がフィリピン社会に与えた根深い問題 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    悪い意味で何も変えなかった日軍のフィリピン占領 太平洋戦争とその影響が語られる時、日の社会や政治体制、人々の心の面がどう変わったか、あるいは変わっていないか、という面にフォーカスが当たる傾向が多いように思います。 それはそれで大事なのですが、日がおっぱじめた戦争が、他の国々にどれくらい大きな影響を与えたかという視点で語られることはあまり無いように思います。 あっても、「アジア解放に多大な貢献した」とか「住民を殺したり強姦しまくった」みたいな物事を単純化した見方ばかりです。 さて、日軍のフィリピン占領は、実際のところフィリピン社会の土台を揺るがすような変化を何も起こすことはありませんでした。一方で戦後フィリピンの国の選択肢を狭め、国の有り様を決定づける結果になりました。 1. 仮想敵国・日 フィリピンは1901年からアメリカの植民地になっており、当然アメリカの影響力が最も大きかった

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    osaan 2018/02/26
    >多大なアメリカからの支援金や投資はエグゼクティブの懐に消えて適切な民間投資に回らず、でも名目上はGDPが増加していったため、極めて不均衡な階級対立の一要因となっていったのでした。
  • アメリカの実験的な「ユートピア建設計画」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    理想主義者が作った「素晴らしき共同体」とは 一般的にはコミューンと言われますが、何か先鋭的な社会の仕組みが発明された時、それが実際に人々が生活を営む社会でどうワークするかを実験する小さな共同体が作られる場合があります。 大抵、現在の社会と離れた山奥や孤島などに作られ、経過が観察されるのですが、当然ながら上手くいくケースのほうが少ないです。もし仮に上手くいったとしても、実際に社会に適応した時に上手くいく保証もありません。関係する因子が多すぎて、どのような因果関係でワークするのか、誰も証明できないのです。 社会とは偶然や感情や各種しがらみのなかで、とても理性的とは思えない形で作られていくのですが、実際に自らが理想とするユートピアの実現を目指した者たちがアメリカには数多く存在します。 1. フルーツランド・コミューン Photo by victorgrigas 聖書のエデンの園を再現しようとした

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    osaan 2017/12/28
    理想という名の病
  • 東南アジアの優等生・タイの政治経済史(後編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    腐敗と格差との戦いの中で混乱するタイの戦後史 1950年から現在までのタイの政治・経済史を前後編でまとめていきます。 今回は後編で、「半分の民主化」を成し遂げた1980年代のプレーム政権から2001年のタクシン政権、そしてタクシン追放から始まる現在の政治混乱までを追っていきます。 前半がをまだお読みでない方はこちらをご覧ください。 3. 中間層の時代(1980年後半〜1990年代半ば) プレーム政権下では内閣の主要ポストを国会議員で占めさせるなど政治の民主化が推進され、また抵抗を続ける共産主義勢力に対しては恩赦による政治工作を行い、その脅威を大幅に取り除きました。 共産主義勢力の脅威が減少したことでテレビなど農民・労働者も見るメディアでも大幅な自由があたえられるようになりました。 1980年代後半から90年にかけては3年連続で年10%の高い経済成長を達成。外資が次々にタイに進出し、エンジニ

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    osaan 2017/07/13
    メモ
  • 東南アジアの優等生・タイの政治経済史(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    不安定な政治・発展する経済 2016年のタイ王国の名目GDPランキングは26位。 アジアで言うと、中国、日、インド、韓国、インドネシア、台湾に次ぐ6位です。 日を始め先進国のメーカーの工場がいくつもあり東南アジアの製造業の拠点となっており、首都バンコクは自他共に認めるメガシティ。新たな文化や産業が生まれる先端都市です。 一方で政治的には混乱が続き、2014年に軍部によるクーデターを経て、2017年現在の首相は陸軍出身のプラユット・チャンオチャです。2016年9月には政治のバランサー的存在だったプミポン国王(ラーマ9世)が崩御されたことで、国民を統合する求心力が失われ、政治的に不安定になることが懸念されます。 戦後のタイの政治・経済史を見ていくことで、この不安定な政治と発展する経済の背景にあるものが見えてきます。 今回は前編で、ナショナリストのピブーン政権が崩壊するところから、1970年

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    osaan 2017/07/13
    メモ
  • 西欧の大国・フランク王国とは何だったのか(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    現在のヨーロッパの母体となった「フランク王国」 カール大帝とフランク王国と言えば、高校の世界史でも大きく扱われるし、 800年の「カールの戴冠」はセンター試験にも登場します。 メロヴィング朝のカール・マルテルがイスラム軍を打ち破った732年の「トゥール・ポワティエの戦い」や、前王のピピン3世が行った「ピピンの寄進」もめちゃくちゃ有名です。 これだけ後のヨーロッパに大きな影響を与えた事柄をが起こったフランク王国ですが、日ではあまりこの時代は人気がないというか、あまり知名度がない気がします。この時代のもあまり出てませんし。 Work by cyberprout 後世に与えた影響の大きさもそうですが、西はブルターニュ・東はパンノニアまで制覇した軍事力、東方世界との関係の深さはかなり面白く、歴史好きは是非知っておいたほうが楽しいと思います。 1. カロリング朝の成立 1-1. 交易圏をめぐる婚

    西欧の大国・フランク王国とは何だったのか(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-
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    osaan 2016/09/27
    カール・マルテルにはスキャンダラスな伝説もたくさんあるので、マンガなんかのいい素材だと思うんだが。