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歴史とドラマに関するpkerattaのブックマーク (4)

  • 『いだてん』は「スポーツ・感動・ファシズム」の関係を描いた傑作だ(堀越 英美) @gendai_biz

    「全体」「感動」が重視される日のスポーツ 1996年アトランタ五輪で、女子競泳の千葉すず選手がバッシングされたことを今も鮮明に覚えている。 メダルを獲れなくてもカラフルなアフロヘアのカツラをかぶってプールに登場し、オリンピックは楽しむつもりで出た、メダルメダル言う人は自分で泳いで獲ればいいとインタビューで放言する彼女は、同年代の筆者にはすさまじくかっこよく見えた。しかしそんな人間は少数派だったようだ。 当時、彼女は二十歳そこそこ。自分とさして年の変わらない、そして自分よりはるかに努力家で強くかっこいい女性が、ただ楽しんだだけでバッシングされている姿にショックを受けずにはいられなかった。 世界レベルで楽しむ彼女がダメなら、日のすみっこで娯楽にまみれて生きる自分なんて土に埋もれるしかないではないか。若者の頑張りに勝手に「感動の物語」を期待し、「感動の物語」から逸脱すれば容赦なく叩きのめす。

    『いだてん』は「スポーツ・感動・ファシズム」の関係を描いた傑作だ(堀越 英美) @gendai_biz
    pkeratta
    pkeratta 2019/03/11
    "劇中で一番痛くていたたまれない美川君は、一足お先に現代人をやっているのだ。" "美川君というキャラクターを明治という時代に存在させてくれるからこそ、一視聴者の筆者は安心して感動することができるのだから"
  • なぜNHK「まんぷく」は、安藤百福の“台湾ルーツ”を隠したのか(野嶋 剛) @gendai_biz

    日清品創業者の安藤百福(1910-2007)と、その・仁子をモデルにしたNHK連続テレビ小説「まんぷく」が好調だ。視聴率は放送開始1ヶ月以上を経ても、20%超をキープする。インスタントラーメンという国民への視聴者の関心の高さを感じさせるが、物語には、一切触れられていないことがある。 それは安藤百福が台湾出身者であるという来歴である。なぜ台湾というルーツが消されたのか。安藤とはいかなる人物だったのか。『タイワニーズ 故郷喪失者の物語』著者の野嶋剛氏が台湾の故郷への現地取材を行うと意外な事実が次々と明らかになった。 国籍と即席麺 放送が始まったのが今年10月。私もほとんど欠かさず見ており、戦前戦後の厳しい社会環境でたくましく支え合う2人の夫婦愛に時には心を揺さぶられ、時にはハラハラしながら引き込まれている。現在までの視聴率もなかなか好調なようである。 このドラマでは、安藤は日人として描

    なぜNHK「まんぷく」は、安藤百福の“台湾ルーツ”を隠したのか(野嶋 剛) @gendai_biz
  • 中国の歴史ドラマ『岳飛伝-THE LAST HERO-』のススメ - コバろぐ

    どうも!コバヤシです。 今回は中国で制作された歴史ドラマ『岳飛伝-THE LAST HERO-』を紹介します。なんで紹介するかというと、超絶クソ面白かったからです。 日では2015年6月~チャンネル銀河にて放送されていたのですが、もう一生懸命観ちゃいましたね。録画して今も残してあります。 岳飛って誰よ? 岳飛といっても知らない人も多いかと思いますので、まずはウィキ師匠に登場してもらいましょう。 岳 飛(がく ひ、拼音: Yuè Fēi、1103年3月24日 - 1142年1月27日)は、中国南宋の武将。字は鵬挙。相川湯陰(河南省湯陰県)出身。南宋を攻撃する金に対して幾度となく勝利を収めたが、岳飛らの勢力が拡大することを恐れた宰相・秦檜に謀殺された。その功績を称えて後に鄂王(がくおう)に封じられ(岳鄂王と呼ばれる)、関羽と並んで祀られている。 引用元:岳飛 - Wikipedia ちなみに

    中国の歴史ドラマ『岳飛伝-THE LAST HERO-』のススメ - コバろぐ
  • 日本の製糸技術と歴史経緯について

    NHKドラマが叩かれ気味なので、擁護してみようと思う ※ちょっと調べた程度で専門家ではない 背景もともと日の蚕糸業は国内向けだったため、品質も価格も国際標準に届いていなかった。 しかし、蚕病により海外の生産量が減っていたことから、日の生糸は世界の注目を集めることになる。 また、高品質な生糸よりも安価な物が求められていて、日の低品質な生糸でも十分に需要があった。(日の糸は、海外では横浜での相場の2倍ほどで取引されていた) 低品質な糸の使い道は、織物の横糸など。 織物は縦糸と横糸で構成されている。 機織りの工程では縦糸は強く引っ張るが、横糸は縦糸にくぐらすだけなので品質の悪い糸でも問題なかったりする。 年表1840年頃フランスで蚕病が発生1853年フランスの蚕病がピーク1860年横浜港開港 生糸輸出開始 蚕病の影響で日の輸出増1868年(明治元年)イタリアで蚕病ピーク明治3年藩営藩

    日本の製糸技術と歴史経緯について
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