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ブックマーク / koshian.hateblo.jp (2)

  • あるべき大人像を模索していく - 狐の王国

    最近「生きる」とは何か、ということについてよく考える。定義するのは簡単だ。生きるとは、べるものと着るものと寝るところを用意することだ。それらを用意する力を生活力という。 昔はこれがとても難しいことだった。コンビニもないし外は金銭的に無理があった。服だって、ユニクロもなければしまむらも無かった。だから人は力を合わせて生きなくてはならなかった。それはジェンダーという社会的な性役割を生む結果にもなった。 その当時の大人像は、ただ黙々と働き、べるものと、着るものと、寝るところを用意する日々を送ることだった。 だが時代は変わってしまった。資主義経済、グローバリゼーションが生み出したものは、安くておいしい事、安くて丈夫な服、安くて粗末だけど充分な寝床だった。少々のお金さえあれば、人は生きていけるようになった。 だからこそ、孤独の2文字が浮き立った。 人々は依存せずに繋がれる場所を求めた。それ

    あるべき大人像を模索していく - 狐の王国
    pkeratta
    pkeratta 2018/08/03
    “好奇心を失うことが大人になることだった時代は、そこで終りを告げる。昔の大人から見れば、いつまでたっても子供のままに見えるだろう。落ち着くことがない。だってまだまだ新しいものが見えるし。”
  • 空気読み国家の国民は「日本語が亡びるとき」をやっぱり読んでおけ - 狐の王国

    今週何かと話題を呼んだ日語が亡びるとき―英語の世紀の中でを読んでみた。いろいろと異論はあるだろうが、やはりこれは読んでおいたほうがいいじゃないかと思う。 日語が亡びるとき―英語の世紀の中で 作者: 水村美苗出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2008/11/05メディア: 単行購入: 169人 クリック: 12,657回この商品を含むブログ (463件) を見る ただこのは読む人によってはけっこう戸惑うだと思う。梅田望夫さんの紹介記事を読んだ限りでは、我々の言語環境を未来予測をまじえて論じたかと思っていた。紹介にも「論考」とあるしね。しかしこれは「論考」というには文学的すぎる。最初の章を読みはじめたとき、俺は何かの小説にでも対峙してるのかと思った。 内容も論考とまで言うには余計なことを書きすぎているし、まとまりがない。四章や五章を読まずに七章を読んだらそりゃ何をバカなことを

    空気読み国家の国民は「日本語が亡びるとき」をやっぱり読んでおけ - 狐の王国
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