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批評に関するpoohmobilのブックマーク (81)

  • 東浩紀『訂正可能性の哲学』|KIRA Takayuki

    つい昨日に発売された、東浩紀『訂正可能性の哲学』(ゲンロン、2023年8月)と『観光客の哲学 増補版』(ゲンロン、2023年6月)を読んだ。 私はこの著者のよい読者ではない。『訂正可能性の哲学』もよいだと思えなかった。ルソー、プラトン、ポパー、ウィトゲンシュタイン、アーレント……といった有名な哲学者の代表作をいきなり読んで(つまり近年の研究などはほとんど参照せず)、過度に単純化しながら連想ゲームで「ゆるいつながり」を作っていく。確かに読みやすいし、なるほどこういうふうに読ませるものかと感心させる部分はある。しかしそれは哲学的には意味のないレトリックを超えるものでない。もちろん一般向けの著作だから細かい解釈でどうこう言わずとも、何かオリジナルなアイデアが展開されていればそれでよいのだが、今回は「訂正可能性」という言葉でなんでもつなげている(たとえば第一部の鍵となる「家族」という言葉だが、こ

    東浩紀『訂正可能性の哲学』|KIRA Takayuki
  • 「私は何のために作られたの?」と問うているのは、映画『バービー』それ自体かもしれない | NiEW(ニュー)

    ©2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. ©2023 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved. 音楽ディレクター / 評論家の柴崎祐二が、映画の中のポップミュージックを読み解く連載「その選曲が、映画をつくる」。第4回は、マーゴット・ロビー主演『バービー』を取り上げる。 バービー人形をモチーフに、ジェンダーをはじめ種々の社会的なテーマに取り組んだ作は、Netflixの諸作品とも通じるような、いかにも今日的なエンターテイメント作品といえる。マーク・ロンソンのプロデュースのもと、今を代表する豪華なミュージシャンが集結したサウンドトラックも大きな話題だ。 柴崎は、作の社会問題への眼差しや音楽の優れた使用に一定の評価を示しつつも、それらが「目配せ」的な「記号」となっていることに疑義を呈する。それは、メタ的な手法が

    「私は何のために作られたの?」と問うているのは、映画『バービー』それ自体かもしれない | NiEW(ニュー)
  • ある一日に乾杯する|韻踏み夫

    Today I didn't even have to use my AK I gotta say, it was a good day ――Ice Cube 2022年7月8日に私はこの文章を書き始めている。以下で触れるような書物を引っ張り出しながら、いくつかの音楽を聴いた。私は明日の朝が早いにもかかわらず、思わず一杯だけ酒を飲み、「乾杯」をささげ、「今日はいい日であった」と眠るだろう。 酒井隆史の名著『暴力の哲学』は、「暴力はいけません」というモラルを批判するところから始まっている。その言表は、次のような連鎖をたどり、逆説的にも新たな暴力を生み出す。つまり、「暴力はいけない、だから、暴力を憎むのだ、暴力をふるう者を憎むのだ、暴力をふるう者の抑止が必要だ、だから暴力もやむをえない」。2004年に出されたこのが、9.11のテロリズムがもたらしたパニックに際して書かれたのであることは明白で

    ある一日に乾杯する|韻踏み夫
  • 八戸市美術館をめぐる議論を調べる[跡地]

    #architectureidea2022-08-18にここに移動しました。 Discussion

    八戸市美術館をめぐる議論を調べる[跡地]
  • 草彅剛主演『アルトゥロ・ウイの興隆』は、良質な「ファシズム体験」プログラムかもしれない(松本 俊樹) @gendai_biz

    昨年11月から今年1月にかけて、草彅剛主演の舞台『アルトゥロ・ウイの興隆』(白井晃演出)が、KAAT神奈川芸術劇場をはじめ各地で上演されました。「異化効果」などで知られる20世紀の劇作家・ブレヒトの戯曲を基にした公演で、普通なら「熱狂」が起きにくい舞台と考えられていますが、実際は客席に大きな熱狂が巻き起こりました。 昨年12月に公演を見た演劇の研究者である松俊樹さんは、その舞台が良質な「ファシズム体験プログラム」とも呼べるような性質を持っていたと言います。ブレヒトという作家の特徴とわせて、公演の特徴を松さんが紹介します。 ブレヒトの「異化効果」 「ブレヒトで熱狂?」最初は耳を疑った。白井晃演出、草彅剛主演のKAAT神奈川芸術劇場主催・製作による『アルトゥロ・ウイの興隆』のことである。格的なコロナ禍を迎える直前、まだ私たちがこの災禍を海の向こうの出来事だと思っていた2020年1月に迎

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  • 萩尾望都「一度きりの大泉の話」書評「週刊朝日」8月 - jun-jun1965の日記

    一九九〇年前後、小学館の少女漫画誌『プチフラワー』に連載されていた萩尾望都の、少年への義理の父による性的虐待を描いた「残酷な神が支配する」を、私はなぜこのようなものを萩尾が長々と連載しているのだろうと、真意をはかりかねる気持ちで読んでいた。中川右介の『萩尾望都と竹宮惠子』(幻冬舎新書)を読んだとき、これが、竹宮の『風と木の詩』への批判なのだということが初めて分かった。 萩尾と竹宮は、一九七〇年代はじめ、少女漫画界のニューウェーブの二人組として台頭してきた。竹宮の代表作が、少年愛を描いて衝撃を与えたとされる『風と木の誌』で、萩尾も初期は『トーマの心臓』など少年愛かと思われる題材を描いていたが、その後はSFなどに移行していき、竹宮は京都精華大学のマンガ学部の教授から学長を務め、萩尾は朝日賞を受賞するなど成功を収めた。 二〇一六年に竹宮が自伝『少年の名はジルベール』を刊行し、漫画は描かないがスト

    萩尾望都「一度きりの大泉の話」書評「週刊朝日」8月 - jun-jun1965の日記
  • BLOGOS サービス終了のお知らせ

    平素は株式会社ライブドアのサービスを ご利用いただきありがとうございます。 提言型ニュースサイト「BLOGOS」は、 2022年5月31日をもちまして、 サービスの提供を終了いたしました。 一部のオリジナル記事につきましては、 livedoorニュース内の 「BLOGOSの記事一覧」からご覧いただけます。 長らくご利用いただき、ありがとうございました。 サービス終了に関するお問い合わせは、 下記までお願いいたします。 お問い合わせ

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  • 『パラサイト』はなぜ社会的不平等を描いた映画ではないのか/D・グレーバー&N・ドゥブロフスキー

    『パラサイト』はなぜ社会的不平等を描いた映画ではないのか ──神の建築とクレイジーキルト デヴィッド・グレーバー&ニカ・ドゥブロフスキー (片岡大右訳) 『パラサイト 半地下の家族』Blu-ray&DVD発売中/発売・販売元:バップ Ⓒ2019 CJ ENM CORPORATION, BARUNSON E&A ALL RIGHTS RESERVED 批判、構造、希望──訳者まえがき 以下に読まれるのは、デヴィッド・グレーバーとニカ・ドゥブロフスキーによる映画『パラサイト』(ポン・ジュノ監督、2019年)のレヴューの日語訳である。段落分けは訳者と編集部の判断で原文よりも増やしている。タイトル(原文は無題)と見出しは訳者による。 ニューヨークを拠点とする文芸誌『n+1』への寄稿として執筆された稿は、コロナ禍の余波で掲載の目処が立たないために、著者らによって「みんなの人類学」のページ中に、P

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  • ジョーカー誕生の物語としてめちゃめちゃ好き! 解釈一致! 「ジョーカー」が超超超良かったので勢いで感想を書きました

    記事はアフィリエイトプログラムによる収益を得ています バーチャルYouTuber、マシーナリーとも子による不定期コラム第17回(連載一覧)。今回は、「次は『デモンエクスマキナ』の感想を書きたい」と言っていたとも子から、深夜に「『ジョーカー』めちゃめちゃ良かったからともコラムで書いていいですか???」とメッセージが飛んできたので、急きょ予定を変更して、映画「ジョーカー」についてお送りします。なお、ネタバレありなので未見の方はご注意を! あと「新しいテーマ曲ができたから聞いて!」だそうです ※バットマンは出ません ライター:マシーナリーとも子 徳で動くバーチャルYouTuber(サイボーグ)。「アイドルマスター シンデレラガールズ」の池袋晶葉ちゃんのファンやプロデューサーを増やして投票してもらうために2018年4月に活動開始。前世はプラモ雑誌の編集をしていたとも言われているが定かではない。

    ジョーカー誕生の物語としてめちゃめちゃ好き! 解釈一致! 「ジョーカー」が超超超良かったので勢いで感想を書きました
  • ディカプリオの「見せる演技」と、ブラピの「見る演技」。|小林でび 〈演技ブログ『でびノート☆彡』〉

    タランティーノ新作映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド(以下ワンハリ)』最高でしたね! 今までのタランティーノ映画の演技って演劇的というか、素晴しい台詞とト書きを「華麗に演じて見せる」タイプの芝居が多かったんですよ。『パルプ・フィクション』『レザボア・ドッグス』・・・90年代はそれがカッコよかったし最高だったんですが、それが時代の流れとともに少しづつ古くなってきていたと思うんですよねー。正直、前作『ヘイトフル・エイト』の演技はかなりわざとらしくて古臭く感じました。リアリティとか実在感が薄くて、作りものくさかった。 それが今回『ワンハリ』ではどうかというと・・・うわー!やられた!まさに2019年型最新の演技にチューンアップされてるじゃん!!! 実在感!そして徹底して魅力的! 今回その新しい演技をやりまくってるのがブラッド・ピットです。 対するレオナルド・ディカプリオはタランティ

    ディカプリオの「見せる演技」と、ブラピの「見る演技」。|小林でび 〈演技ブログ『でびノート☆彡』〉
  • aikoにとって言葉とは何か? - 真顔日記

    「あたし」の身体に「あなた」の言葉が侵入してくる。それがaikoの歌詞世界である。aikoにとって、言葉は器用に使いこなすことのできる便利な道具ではない。言葉があまりに強く肉体と結びついているからだ。『LoveLetter』の歌詞を見よう。 何度も何度も何度も読み返そうか だけどそんなに読んだらあなたは嫌かな 何度も体に入ってくる言葉が苦しい 「あなた」の手紙にまったくうっとりしていないところが、いかにもaiko的な描写だと言える。aikoにとって「あなた」の手紙を読むことは、言葉をみずからの体内にいれて苦しむことなのである。むろん、「苦しいなら読むなよ」というツッコミもありうるが、それはaiko的世界への無理解から起こる。「好き」という感情が苦しみと結びつくことを知らない人は、端的に言って、いまだaikoを知らないのである。 『彼の落書き』という曲では、「あなた」への想いが、「あたし」の

    aikoにとって言葉とは何か? - 真顔日記
    poohmobil
    poohmobil 2019/08/24
    "二つの名前が結びつくことが恋愛なのであって、二つの性器が結びつくことが恋愛なのではない。それは生殖という別のジャンルである。"
  • 映画『愛がなんだ』感想 または今、映画館で起きている特別な現象について - CDBのまんがdeシネマ日記

    人類で初めて『片思いブラックホール』の撮影に成功した、世界の秘密に触れる映画である 映画館で何かが起きていると気がついたのは、ゴールデンウィーク明けだったと思う。アベンジャーズエンドゲームと名探偵コナンとキングダムという、ゴジラモスラキングギドラみたいな組み合わせのブロックバスター映画三大怪獣史上最大の決戦は、劇場で彼ら以外のあらゆる映画を虐殺しまくった。各映画館最大級のホールを占有するだけでは足りず、巨大な肉獣が獲物をい殺すような獰猛さと残忍さで、小規模中規模のヒット映画から劇場を奪い去って2ホール同時上映を行い(劇場によっては3作が同時にである)多くの佳作映画が打ち切りに追い込まれていった。 『愛がなんだ』という日映画の予告編は何度か見ていた。成田凌は良い俳優だし、時間があったら見に行こうかなと考えつつ、なんだか地味そうな恋愛映画だし、何しろコナキンエンドの三大怪獣を見なくてはい

    映画『愛がなんだ』感想 または今、映画館で起きている特別な現象について - CDBのまんがdeシネマ日記
  • 『エースコンバット7』はもはや面白くないフライトゲームへと成り果てた - MY GAME LIFE

    ここ数日ずっと考えていた。 物事を正しく伝えるにはどうしたら良いのかと。 作品に対する批評とは主観的なものだ。 必ずしも賛同を得られるわけではない。蔑まれることだってある。 私自身が批判されるのは一向に構わない。しかし私の批評によって作品そのものに傷を付けてしまうのだけは避けたい。あれだけ多くの反響を受けて生半可な気持ちで無責任なことは書けない。 だからこそ前回の記事とTwitterでは十分に説明できなかった点も踏まえ、私が持てる全ての知識と経験、根拠と熱意を持って断言させていただこう。 「作『エースコンバット7』はもはや面白くもなんともないフライトゲームになってしまった」と。 ※記事にネタバレは含まれませんが、面倒くさいウンチクが多分に含まれます。 以前書いた記事 mrbird.hatenablog.com ・空を飛ぶ恐怖 空は美しい。 誰もが一度は目を奪われた経験があるはずだ。「ど

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  • 菊地成孔の『アリー/ スター誕生』評:完璧さのインフレーション

    気か? この、「まあそりゃあ、アカデミー賞は獲るよね。でも意外と主題歌賞だけだったりするのかも。とはいえ、品格としては複数ノミニー前提ぐらいのステージにある、ということだけは間違いない」作に対して、世評が何と言っているか? 勿論ここでいう「世評」とはSNSのことではない。 先ず 「究極的にエモーショナル!出会ったことがない愛の物語」 としているVariety誌は論外である。「出会ったことがない愛の物語」? 作は3度目のリメイクであり、制作年代に合せて、抜的な意匠の変換を行った前作(76年版。以下「バーブラ版」。バーブラはストライサンド)にほぼ準じており、「物語」という単語を「ストーリー」と逆翻訳する限りに於いて、言わんや、「あらすじ」に於いてをや、37年の映画オリジナル版から一貫して変更はなく、「出会ったことがない」どころではない。むしろ「誰でも知っている、お馴染みの物語」ーー例え

    菊地成孔の『アリー/ スター誕生』評:完璧さのインフレーション
  • 国会前の落とし前。サニーデイ ・サービス『FUCK YOU音頭』について。 - ドリーミー刑事のスモーキー事件簿

    最近のサニーデイがやることなすことに興奮してしまうのは決して私が盲目的信者だからとかパブロフの犬だからというわけではなくて、ただただサニーデイのやることなすことがかっこいいという結果なのであって、当然のことながら、ごくまれにではあるけれども「あれ?」と思うこともある。 そんなひっかかりを感じたのは北沢夏音氏との共著作『青春狂走曲』の中に収められた『DANCE TO YOU』の制作にまつわるインタビュー。 曽我部恵一が小田島等と見に行ったSEALDsのデモを「もっとゲバった方がいい」「機動隊が出てきて大きな展開になればいいと思った」「世の中を変えるためには血を流さないとダメ」を評しているくだりを読んだ時である。 私を含めたふがいない大人になりかわり、民主主義を守るために立ち上がった若者に向かって血を流せなんて、なんかちょっと無責任な物言いなんじゃないかなぁとモヤモヤするところがあったのだ。(

    国会前の落とし前。サニーデイ ・サービス『FUCK YOU音頭』について。 - ドリーミー刑事のスモーキー事件簿
  • 境界線と死者たちと狐のこと - 内田樹の研究室

    村上春樹の新作『騎士団長殺し』を読んでいるうちに、村上春樹と上田秋成について書いた文章があったことを思い出した。 もうだいぶ前に書いたものだ。たしか『文學界』に寄稿したのだと思う(違うかも知れない)。江藤淳が上田秋成について書いていたものをちょうどその直前に読んでいたので、上田秋成~江藤淳~村上春樹という系譜を考えてみた。 上田秋成と村上春樹の関連については論じた人がいくらもいると思うけれど、江藤淳をまじえた三者を論じたのはたぶん僕の創見ではないかと思う。 『騎士団長殺し』はまだ上巻が終わったところで、これからどうなるかわからない。 もしかすると、ここに書いたような話になるのかもしれない。そう思うとどきどきする。 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(村上春樹)について 小説を論じるときに「主題は何か?」というような問いから始まるアプローチはずいぶん時代遅れのものだ。私の定かならぬ

  • ラ・ラ・ランド【連載】田中泰延のエンタメ新党 | 田中泰延 | 街角のクリエイティブ

    デッテッテ テレッテレテッテ デッテッテ テレッテレテッテ 映画「ラ・ラ・ランド」 みなさんこんにちは。田中泰延です。ひろのぶと読んでください。青年失業家の僕が映画音楽などのエンタテインメントについてお話するというこの連載。 知ってますよね。僕、先週この連載落としたんですよ。すみません。書けませんでした。 経緯を報告します。 記 まず、2017年2月25日。 僕は原稿を納品したつもりでいたのです。 街角のクリエイティブ 編集部小野様 田中泰延のエンタメ新党 (3月15日掲載文) 校正済原稿納品します。 (以下文) ふだん無職の僕が自腹のこの連載。 今月は「ラ・ラ・ランド」観て来ました。 号泣や号泣!!ぐおー!! では、また来月! (以上文 51文字) — 田中泰延 (@hironobutnk) 2017年2月25日 ところが2日後、意外な事実が判明したのです。 【お詫び】 3月の

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  • 「ラ・ラ・ランド」超好き、最高に美しいハッピーエンドだと思った - インターネットもぐもぐ

    「ラ・ラ・ランド」、いろんな感想が飛び交ってるけど、私はすごく好きだった。めちゃよかった。完璧に幸福なハッピーエンドに見えた。誰がなんと言おうと好き! これから書くのは、批評でも分析でもない、ただの感想です。 www.youtube.com 楽しみにしてた一番の理由は、違う映画を観た時に目にした予告編の音楽が最高にハッピーだったからだ。それまでタイトルのイメージで勝手にボリウッド映画だと思っていた……(めっちゃインドみある響きじゃない!?)。なので映画館行く前からサントラ聞きまくって、この音楽が聞けるなら内容が微妙でも全然いい!すでに好き!と思ってた。 …って予防線はるくらい、正直、かなり身構えていった。公開初日から周囲では賛否両論だったし、もっと前から英語メディアでもくさすようなレビューがいくつも出てたし、自分が一体どう感じるか全然想像つかなかった。超好き、になるのか、悪態つくことになる

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  • 菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評 第二弾:米国アカデミー賞の授賞式を受けての追補

    参考:菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評:世界中を敵に回す覚悟で平然と言うが、こんなもん全然大したことないね 掲載稿が米国アカデミー賞の発表前に書いた原稿なので、結果を踏まえた上で、追補を書くことにした。 と、思っていたら、どういうわけだか、筆者のリアルサウンドでの連載中、最も多いビュー数と、いいね!数を稼いでしまったとか何とかで、有り難いと言えば言えるのだろうが、一度SNSを全部止めてみればわかるが、何が起こっているかわからない。 ただ、数多く俎上に登ったのであれば、これは当然、数多くの支持者と、数多くの不支持者を生んだと思われるが、支持されるにせよ、されないにせよ、何れにしても、この映画に対し、以下の指摘はなかったか、或いは極端に少なかったのではないか? と推測する。 それは何かと言えば「ハッキリ言えなくて気の毒だ、言っちゃえば良いのに」という事だ。 え? なんて言っちゃえば良かったのか、

    菊地成孔の『ラ・ラ・ランド』評 第二弾:米国アカデミー賞の授賞式を受けての追補
  • 『ラ・ラ・ランド』を、擁護してみる