わーい! 私の書いた『機動戦士Zガンダム論 混沌と葛藤、境界線の哲学』にコメントくださった方がいたので、今日はちょっとこのネタで。 TV版を踏まえて、映画版の変更をどう解釈したかということを書きます。 いきなりラストだけネタバレしますので、未見の方は読まないでください。 富野監督は、カミーユを精神崩壊させたことを後悔するような発言をよくされていましたので、それで『ΖΖ』ではカミーユの回復を描いたのではないかと思っていました。 そして新たに映画化する時、今なら前向きな作品にできると確信して手掛けたようなことも仰っていました。 どうなっちゃうの?と楽しみに三部作を拝見すると、精神崩壊はなく、殉教物語ではなくなりました。 ならば、ラストの理屈はどうなるのかと考えないと、個人的とはいえ、私の解釈が崩壊するので、再考してみました。 TV版Ζガンダム論では、カミーユが女性原理、シロッコが男性原理として