終戦を迎えると、在留朝鮮人たちはわれ先にと各地の引き揚げ港に殺到した。この朝鮮への帰還事業を一手に引き受けたのが、共産主義者の組織となった「在日本朝鮮人連盟」だった。彼らは全国の鉄道網を押さえ、意のままに切符を発券、発売するようになる。 *** 【写真3枚】下関駅前に開かれた「朝鮮式闇市」 「在日本朝鮮人連盟」(朝連)の共産主義者たちは、混乱を極めた敗戦後の日本で潤沢な資金と強固なネットワークを持ち、列島を縦横無尽に駆け回っていた。 朝連秋田県本部の創設メンバーで、日本共産党の細胞としても活動した李又鳳は、こう回想している。 「警察だろうが、テキ屋・ヤクザだろうがこわいものはなかった。あの一時期、解放された朝鮮人は、皆な生き生きして最高の高潮のときであった」(『在日一世が語る 日帝36年間 朝鮮民族に涙の乾く日はなかった』「在日一世が語る」出版会) 前回でも触れたが、ハーバード大学のエドワ