POPなポイントを3行で SNSを賑わすキズナアイの分裂騒動 分裂の発端からファンの反応、経緯を振り返る 不適切だったActiv8の対応と「分人」 バーチャルYouTuber(VTuber)のキズナアイさんについての話題がSNS上を賑わせています。 最近の活動を巡り引退するのではないかと様々な憶測が飛び交いTwitterのトレンドにも登場、チャンネル登録者数も減少するなど多くの影響が出ています。 この記事では経緯について改めて確認しながら、何が問題だったのか整理していきます。 キズナアイの分裂 5月25日に投稿された動画「キズナアイが4人いるって言ったら信じますか? #1」から始まる一連の動画シリーズ「キズナアイな日々」。 計10本の動画が投稿されたこのシリーズは、キズナアイさんが4人に分裂しながらより多くのみんなとつながるために自身の様々な可能性を広げようと模索するものでした。 このよう
平野啓一郎氏が『ドーン』で提唱した「分人主義」についてメモ。簡単にいえば、人間関係で規定されるペルソナ。 ドーン (講談社文庫) 作者: 平野啓一郎出版社/メーカー: 講談社発売日: 2012/05/15メディア: 文庫購入: 1人 クリック: 8回この商品を含むブログ (18件) を見る平野啓一郎氏自身による解説。 『クローズアップ現代』再放送 - 平野啓一郎公式ブログ 「個人」の中には、対人関係や、場所ごとに自然と生じる様々な自分がいる。それを僕は、「本当の自分が、色々な仮面を使い分ける、『キャラ』を演じる」といった考え方と区別するために、「分人(ディヴ)」と言っています。 好きな友達や家族の前での自分は、必ずしも「演じている」、「キャラをあえて作っている」のではないし、逆にあわない人間の前では、イヤでもある自分になってしまうわけで、人間が多様である以上、コミュニケーションの過程では、
【1.本書の紹介】 【2.本書のポイント】 【3.本書の感想】 【4.関連書籍の紹介】 本書は「日蝕」で第120回芥川賞を受賞された平野啓一郎さんの作品です。 この方は、小説家で数々のヒット作品を生み出していますが、今回は、みなさんも1度は悩んだことのある問いに対して、持論を展開されています。 【1.本書の紹介】 私とは何か。自分ってなんだろう? そんな事で悩んだりしたことはありませんか? 本当の自分を一番知りたいのは、やっぱり自分自身ですよね。 自分自身がわかれば、自分自身の進むべき道が見えてくるそんな気がします。 でも、自分自身がいろんな自分を知っているので、いったいどれが本当の自分なのかわからず、悩むことはよくあると思います。 私もどれが本当の自分なのか悩んでいます。(笑) さて、著者が考える「私」とはいったい何なんでしょうか? 【2.本書のポイント】 分人とは、対人関係ごとの様々な
日経ビジネス10月3日号特集「確実に来る未来100」では、人口、財政、産業競争力の観点から、日本や日本を取り巻く世界の未来を、マクロ経済指標などを基に予測した。 これに関連し、2036年を舞台にした近未来小説『ドーン』(講談社、2009年)を執筆した作家の平野啓一郎氏に、国家や共同体、個人の関係とその未来について、聞いた。 (聞き手は北爪匡=日経ビジネス記者) 平野:今回の東日本大震災のように突然、未来が変わってしまうこともありますから、あまり長い先のことは分からない部分もあります。ただ、日本にとって2010年代は、震災とともに生きていくしかないと思います。 津波後の宮城県や岩手県の再建については時計の針の進めようがあるかもしれませんが、福島県の原発事故は終わらせ方が分からなくなっている部分があって、そうもいかないでしょう。大きな世界の流れとは別に、日本は震災後をどうしていくかという問題が
ふと気付けば、アニメ版『ゆゆ式』の放映からはや丸1年…ってウソだろ! と唖然としたのが先月のこと。それから少しずつ見返して、先日最終話まで見終えのですが、いやーやっぱり面白いです。見ればみるほど脚本も演出も緻密。 原作・アニメともに、この作品の大きなテーマのひとつとして「友情をいかにキープするか?」というのがあって、彼女たち、とくにゆずこにとっては「3人が仲良しでいること」は当たり前じゃない、特別なことです。その特別な状態をキープするために、彼女たちはコミュニケーションをとり、その過程がちょっと異様にも思えるほどの精密さで描かれていく。 今回は、作中でこの「友情をキープするためのコミュニケーション」がどのように描かれていたのかを、「キャラクターの独立性」と「分人」というふたつの視点から振り返ってみたいと思います。その①はまず「独立性」編です(「キャラがお互いもたれあっていない」という意味で
小説家、平野啓一郎さんのコミュニケーション論。これかなり面白いです。救われる人が多そうな一冊。読書メモをご共有です。 「分人主義」のススメ ・すべての間違いの元は、唯一無二の「本当の自分」という神話である。そこで、こう考えてみよう。たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」となる。 ・「分人」という造語について、別に、従来のキャラとか仮面といった言葉で十分じゃないかという指摘を何度か受けた。しかし、キャラを演じる、仮面をかぶる、という発想は、どうしても、「本当の自分」が、表面的に仮の人格をまとったり、操作したりしているというイメージになる。問題は、その二重性であり、価値の序列である。 ・人間には、いくつもの顔がある。—私たちは、このことをまず肯定しよう。相手次第で、自然とさまざまな自分になる。それは少しも後ろめたいこと
※その①はこちら→ 『ゆゆ式』感想 その① 今回は「分人」という視点から、アニメ『ゆゆ式』を見てみます。 「分人」は作家の平野啓一郎が提唱しているあたらしい言葉・人間観で、それについて書かれた新書(『私とは何か 「個人」から「分人」へ』)は話題になったので、ご存知の方もいるかもしれません。 記事ではまず、この「分人」がどのような概念なのか?を確認します。それから、この概念を通して『ゆゆ式』を解釈してみることで、作品のなかで人間関係がどれだけ精密に描かれていたか、を確認していくという流れで進んでいきます。 けっこう「分人」という発想におんぶに抱っこの記事です。またもや1万字ぐらいの長さになっているので、時間のあるときにのんびり読んでいただけたら嬉しいです。 ◯分人とは まずは、分人という言葉の説明から。「平野さんの本なら読んだよ」という方は、次の「分人という単位の細かさ」に進んでいただいて大
ソーシャルメディアでの発言をきっかけに、過去の発言や友人のツイート、別のサイトに掲載された断片的な情報から本人特定が行われ、炎上してしまうケースが後を絶たない。照合作業の機会を待ち構えているユーザーもいて、「私刑」につながりかねない事態になっている。ソーシャルメディアによる情報発信は、自分の意図しない形で、情報が拡散されてしまうリスクと隣り合わせだ。そんな状況を回避するためのアイデアとして、駒沢大学の山口浩教授は、ソーシャルメディア上の人格を、リアルの人格と切り離す「分人」の法人化を提唱する。 ソーシャルメディアの断片的な情報を組み合わせれば、特定の個人に関する様々な情報が浮かび上がってくる。例えば、自分と別の人が、同じ時間に同じ場所にいることをそれぞれツイートしていれば、2人の間に何か関係があるのではないか推測することができる。また、過去のツイートをさかのぼって、友人を含めた周辺情報も全
「分人」再検討 本書は平野啓一郎が自著の小説である『ドーン』で描いた「分人(dividual)」という概念について、著者自身の自伝的な要素を含めて一般に向けて解説した書籍である。 ドーン (講談社文庫) 作者:平野 啓一郎講談社Amazon すべての間違いの元は、唯一無二の「本当の自分」という神話である。そこで、こう考えてみよう。たった一つの「本当の自分」など存在しない。裏返して言うならば、対人関係ごとに見せる複数の顔が、すべて「本当の自分」となる。 私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書) 作者:平野啓一郎講談社Amazon 「分人」はキャラやペルソナといった「本当の自分」を隠して複数の人格を演じるという従来のロールモデルと異なることが強調される。むしろ、この「本当の自分」にまつわる煩わしさが、そもそも不要であるという論考である。「分人」には以下の様なルール設定があると理解
小説家の平野啓一郎氏が近年唱えてきた「分人主義」は、人間は一つの人格だけを生きているのではなく、対人関係ごとに異なる人格を持ち、その集合体として生きているという考え方だ。一方、田川欣哉氏率いるデザインエンジアリングファーム「takram」は、「デザイン」と「エンジニアリング」という2つの手法を一人の人間が切り替え、組み合わせながら開発する方法論を採っている。根底の視座に共通点を持つ2人が語る、これからのデザインとは。 デザインとエンジニアリングに境界はない 田川:takramはデザインエンジニアリングの会社です。デザイナーとエンジニアがチームを組むのは珍しくありませんが、takramにいるのは、エンジニアリングの経験を積んでからデザインの世界に入ってきた人、つまり一人の中に2つのスキルが同居した人たちです。彼らを「デザインエンジニア」と呼んでいます。 個人としても、会社としても、プロダクト
平野啓一郎さんとお話させていただくということで、改めて「分人主義」という考え方について思考を巡らせてみました。 分人主義とは? 人間には、いくつもの顔がある。—私たちは、このことをまず肯定しよう。相手次第で、自然とさまざまな自分になる。それは少しも後ろめたいことではない。どこに行ってもオレはオレでは、面倒くさがられるだけで、コミュニケーションは成立しない。だからこそ、人間は決して唯一無二の「(分割不可能な)個人 individual」ではない。複数の「(分割可能な)dividual」である。 たとえば、「クライアントとの打ち合わせをしているイケダハヤト」と「娘と遊んでいるイケダハヤト」では、表面的に見るとまったくキャラが違うわけです。 前者では「うーん、そうですね。○○だから、やっぱり○○だと思いますよ。どうですか?」とか言ってる一方、後者では「あぶあぶあぶー!おとうちゃんやどー!」とあぶ
おつかれさまです。 自分探しの旅にも、 東京都民割「もっとTokyo」 が、使えます。 だけど、 旅にに出る前に、 これを読みましょ。 “自分探し”? その前に… 生きるのが楽になる 〈分人主義〉のススメ 私とは何か / 平野啓一郎 分人主義とは 「本当の自分」=〈分人〉の集合体 好きな〈分人〉嫌いな〈分人〉 ダイアモンドみたい まとめ 分人主義とは 「私とは何か」 「本当の自分とは」 こんな難問を、自分で自分に問いかけて、苦しんでる人って多くないですか? 〈家族といる時の自分〉 〈恋人といるときの自分〉 〈友人といるときの自分〉 〈会社にいるときの自分〉 〈一人でいるときの自分〉 全部、自分で、全部、本当。 この本は、 それぞれを〈分人〉とし、 その集合体が「本当の自分」なんだよ、 という 〈分人主義〉のススメです。 「本当の自分」=〈分人〉の集合体 〈会社にいるときの自分〉 は嫌いだけ
ソーシャルメディアの炎上対策が求められる中、駒沢大学の山口浩教授は、ソーシャルメディア上の人格をリアルな人格と切り離して、情報発信者を炎上から守る「分人」の法人化を提唱している。しかし、現実の運用を考えると、「分人」を炎上から守るには多くの課題がありそうだ。しかも、制度化を推進すればするほど、国家による監視社会の足音が忍び寄ってくる。「分人」を維持するためには、何が求められるのだろうか。 分人の法人化については、前回の記事で紹介した通り、株式会社の法人化を参考に、ネット上でリアルとは別の人格を法人化することだ。法人なので、アカウント名で契約締結や税務申告なども可能になる。似たようなものとして、「匿名」を思い浮かべるかもしれないが、「匿名」は制度化されたものではない。Yahoo!ニュース編集部の伊藤儀雄氏は、「分人」と「匿名」との区別するために、制度的な対処法を提案する。 (2ちゃんねるの管
→紀伊國屋ウェブストアで購入 「ほどけゆく個人のゆくえ」 本書は、作家の平野啓一郎が、2009年の小説『ドーン』の作中で描いた概念「分人主義」について、スピンオフ的に別の著作にまとめあげたものである。 『ドーン』は近未来の社会を描いた小説であり、「分人主義」という概念も、われわれ人間存在のこれからのゆくえを説得的に描き出したものとして興味深く、何よりもネーミングセンスがよい。 その内容についてパラフレーズしておくならば、「分人主義」とは読んで字のごとく「個人主義」と対置される概念である。元の英語で述べたほうが分かりやすいが、「個人」がin-dividual(それ以上分けられない存在)であるならば、「分人」とは、dividual(分けられる存在、複数のコミュニケーションの寄せ集まった存在)のことをいう。 すなわち、人間存在を、「固定化された自己」や「かけがえのない自分」が中心に据えられたもの
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「分人主義(ディヴィジュアリズム/dividualism)」は、平野啓一郎氏がSF小説『ドーン』の中で描いた概念。 人は対人関係ごとに別の自分(=分人/dividual/ディヴ)を持っているのではないか、という考え。 自分で意図的に作り演じる操作的(operational)な「キャラ」作りとは違い、「分人」は対人関係の中で発生し形成されていく協同的(cooperative)なもの。分けることが出来ない最小の単位として「個人(individual)」が定義されてきたが、「分人主義」では、複数のコミュニティーに属していればそのコミュニティーごとに最適化された複数の「分人」が一人の「個人」の中に形成される、と考える。
私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書) 作者: 平野啓一郎出版社/メーカー: 講談社発売日: 2012/09/14メディア: 新書購入: 19人 クリック: 299回この商品を含むブログ (79件) を見る 内容(「BOOK」データベースより) 小説と格闘する中で生まれたまったく新しい人間観!嫌いな自分を肯定するには?自分らしさはどう生まれるのか?他者と自分の距離の取り方―。恋愛・職場・家族…人間関係に悩むすべての人へ。 読みながら、「ああ、そういうことなのか!」と感心したり、「でも、それって結局のところ『言葉遊び』なんじゃないか?」と思ったり。 もっとも「言葉遊び」なんていうのは、僕からみた偏見であって、平野啓一郎さんにとっては「言葉こそが、すべての起源」なのだろうな、とは感じます。 平野さんは、この新書のキーワードとなる「分人」を、こんなふうに定義しています。 すべて
『人志松本の酒のツマミになる話』が好きで、毎週見ているんだけど。 🌃今夜9:58〜放送 『人志松本の酒のツマミになる話』#要潤 は〇〇が出たら引っ越す🚛💨#おいでやす小田 のどこで倹約してる❓💴#根本宗子 がありがた迷惑な人を告発💥#生駒里奈 は終活始めてます✍️ 今週もお疲れ様でした🍻#松本人志 #フットボールアワー#酒のツマミになる話 pic.twitter.com/bVvMJR4QXG — 【公式】人志松本の酒のツマミになる話 (@cxSAKEnoTSUMAMI) 2021年7月30日 松本さんが、 「中学時代の友達と高校時代の友達を会わせることが出来ない。中学と高校での俺のキャラは違う。でもそれを乗り越えてくる奴がいて3人で合った時の俺のキャラが決まらない。」 って言ってました。 そうなんですよね。 私も、仕事での顔と、家族での顔、友人との顔が違う。 ブログでの顔なんて
『私とは何か---「個人」から「分人」へ』(講談社現代新書)---この度、刊行した本書の副題に、おや?と思った方もいるだろう。「分人」とは、何なのか? 一言で言うなら、人間を見る際の「個人」よりも更に小さな単位である。 私たちは、日常生活の中で、当たり前のように多種多様な自分を生きている。勿論、妄想的に、勝手に分裂するのではない。常に、相手次第、場所次第である。 職場の上司といる時と、気の置けない友達といる時とでは、決して同じ人間ではない。 当たり前の話だ。しかし、環境によって容易に変化する自分というイメージが、個性的に、主体的に生きる自分という固定観念と矛盾を来すためか、私たちは、この事実をなぜか軽んじ、否定しようとする。 「もちろん、色んな顔は持っている。けど、それはそれ。表面的なことであって、〈本当の自分〉は、ちゃんとある。」 そして、その肝心の〈本当の自分〉が何なのか分からないこと
この流れは面白いですね!分人主義についてはこちらの記事をどうぞ。 一人のユーザーが複数のプロフィールを設定できる あらゆる人を一括りに「友だち」として管理してしまうFacebookって「上司と”友だち”になっちゃってるから投稿しにくい…」「職場の人には見せたくない…」といった、「この顔はこの人たちに見せたくない」という瞬間がありますよね。 Bunjinはそんな「見せたくない顔」問題を解決するコミュニケーションアプリ。こんな感じで複数のプロフィールを作成することができ、それに応じて表示先を出し分けることができます。 従来のサービスはプロフィールはひとつであるのが普通ですが、Bunjinにおいては、一人のユーザーが複数のプロフィールを持つことができるわけですね。 LINE的なマンツーマンのコミュニケーションはもちろん、 SNS的な「特定のグループへの投稿」も実装されています。LINEでいう「タ
平野啓一郎『私とは何か 「個人」から「分人」へ』を読んだ。本の感想や紹介は苦手なので、読んだときの心の動きを、アホみたいにそのままお見せしよう。 「個人」を、さらに分けて「分人」という単位で自分というものを見て、人間関係を考える。ふむ。 一人の人間は、複数の分人のネットワークであり、そこには「本当の自分」という中心はない。コミュニケーションは他者との共同作業である。会話の内容や口調、気分など、すべては相互作用の中で決定されてゆく。 つまり、人によって態度がちがうのはあたりまえで、「どれが本当の自分だろうか?」と悩む必要はないよ、どれもこれも全部「自分」だよ、という。 え、揺るがない自分、芯のある自分、じゃなくてもいいの?と読み進める。 誰とどうつきあっているかで性格、個性にも変化があるはずだ。個性とは、決して生まれつきの、生涯不変のものではない。 他人や環境によって個性は変化するから、「本
国際大学GLOCOM 准教授・主任研究員。Open Knowledge Japan 代表理事、インターネットユーザー協会(MIAU)理事、東京大学公共政策大学院 客員研究員、内閣官房IT総合戦略室オープンデータ伝道師、総務省地域情報化アドバイザー。情報社会学、地域社会、オープンガバメント、社会イノベーション等に関心。 ──「分人」「複属」という考え方は非常に興味深い視点です。 庄司氏:今や特定の会社に1日中どっぷりと浸かって、個人の時間をすべて使わせるという考え方は古くなってきているのではないでしょうか。たとえば半日はある会社で仕事をして、残りの半日は社外のコミュニティでまったく異なる役割を果たすという形があってもよいかもしれません。 そうすれば働き方の面でも、お金の面でもより柔軟になり、人生のポートフォリオ、たとえば自社の倒産に直面して生活が一気に立ち行かなくなったり、精神的に打撃を受け
「観察」は客観的なのか?ユーザー調査の落とし穴 平野:ものをデザインする時、田川さんは具体的に使う人を思い描いて考えますか? その時一番のキーになるのは何ですか? 田川:ユーザーをどう理解するかは、実は一番明確に答えが出ないところなんです。ペルソナを立てようとよく言いますが、ペルソナを立てた方が手が動くデザイナーもいれば、立てた瞬間作れなくなるデザイナーもいます。 いま主流のデザイン思考は、「観察」を基本に置く手法です。観察というのは、デザインする上での正義や正しさを、デザイナーの主観ではなく、環境の側に預けるということです。 でもそれをあまり得意としないデザイナーの場合、正義を個人の側に奪回してもらった方が、実は人に喜ばれるものを生み出しやすかったりします。 平野:その人の主観が、社会的な何かと合致しているというケースですね。天才型とも言えそうです。 田川:そうですね。人間とは不思議なも
異なる「自分」を肯定 平野啓一郎氏「分人主義」2009年8月19日14時28分 作家の平野啓一郎氏が、2030年代のアメリカを舞台にしたSF長編『ドーン』(講談社)で「分人主義」というあり方を提言している。ネット社会で人間が多面的な顔を持つ状況を踏まえ、監視社会が加速した未来における人間関係を示唆する着眼だ。 「分人(dividual)」とは、状況や相手により異なる「自分」になるという概念。「キャラの使い分け」とは違う。「その場限りの仮面」の裏に「本当の自分」があるわけではないからだ。「多重人格」とも異なり、相手と協同して「自分」が成り立つ。 平野氏は「閉ざされた共同体では一人の個人で通用したが、都市化やネット社会化で人はバラバラな顔を持ち、場に応じて自己を調整する能力が求められる。人格が変わることはネガティブに思われてきたが、肯定した方が楽になる」と語る。 物語は、人類初の火星着陸を果た
前大分県知事・平松守彦(ひらまつ もりひこ)氏のサイトが面白くて、ときどき読んでいる。 平松守彦ホームページ http://www.coara.or.jp/hiramatsu/ 平松氏は「一村一品運動」の提唱者でもあり、地方分権の推進論者として知られている。 ウィキペディアの解説ページには、平松氏の考え方が次のようにまとめられている。 <平松の地域論は、国がやるべきは「通貨、国防、外交」で、福祉、教育、農業などは地方に任せればよいとするもので、さらに地方の中でも地域、コミュニティは「一村一品」運動のように地域が主人公として特徴を出せばよい、行政は黒子、知事の役割はトップセールス、国は法や規制をかざして制約すべきでないという主張であった>。 <さらに、地方はまとまり、道州となり自主運営力をつけ、その一つである九州は地理的な強みを生かしてアジアとの交流に取り組むべきとするものである。実際、平松
突然だけど、わたしは自己肯定感に非常に乏しい。そして、これまでの人生で、さすがに自己肯定感の低さを苦しいと思うようになり、本当の自分を探し好きになろうとして疲弊してきた。 そんなわたしの頭を、この本はガツンと殴ってくれた。 私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書) 作者: 平野啓一郎出版社/メーカー: 講談社発売日: 2012/09/14メディア: 新書購入: 19人 クリック: 299回この商品を含むブログ (79件) を見る 個人主義は個人を最小単位と規定しているけど、その個人は実は分人という更に細かな単位で構成されている。その分人は他者との関係で作られていくものである、という分人主義について説いた本だ。わたしはこの本を読んで、目から鱗と涙がぼろぼろ落ちた。 例えば、会社で萎縮しているわたしは嘘のわたしで、友達と楽しくくだらない話をして笑っているわたしが本当のわたしなの
卯野どえす。さいきんの自分の振り返りをつらつらと。 photo by Toni Blay /以前自分のこういう困った状態を書いたんだけど( ビリー・ミリガンと23人のアカウント人格 - nerumae )、最近はかなり落ち着いてる。おそらく @macchaunoという精神的避難/ゆるいお遊び用アカウントをつくったのと、短編小説という創作方法に初挑戦してみたことがとてもよく影響してるんだと思う。 /それまでも短歌が好きで誰に見せるわけでもなく、せこせこと作ったり辞めたりをしてた。今年に入って短編小説というもうちょっとブレスの長い物語をつくってみることで見えてきたのは、「あ、私には分人を遊ばせる舞台が必要だったんだ」ということ。 /短編小説を完成させてみて得られたのは短歌以上の「超絶スッキリ」感と「癒やし」だった。 もちろん素人なので稚拙だし、暗めの話が多いので他者が読んだらおもんないだろうな
「個人」と「分人」について 続いて、内容2つ目の「個人」と「分人」について説明します。 みなさん、個人って何か分かりますか? 日常生活で耳にしたことがない人はほとんどいないと思います。 個人というのは、人間の「最小単位」です。 最小単位なので、これ以上「分ける」ことができません。 それは「分ける」じゃなくて「割れる」の間違いですよ 人間の最小単位は「個人」じゃない!?著者である平野啓一郎さんは、「個人」は、人間の最小単位ではないと主張しています。 そこで、出てくるのが「分人」という考え方です。 では、分けられないはずの「個人」をどのように分けるのかというと、著者の平野啓一郎さんは、その個人が持つ「人格」ごとに分けることができる、と考えています。 例えば、みなさんは、家族と喋るとき、友人と一緒にいる時、また、職場の上司と話す時、全て「同じ人格である」と言えるでしょうか? 話す相手によって、大
2013-01-15 分人多元主義と多分人主義について~『私とは何かーー「個人」から「分人」へ』を読む。 私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)作者: 平野啓一郎出版社/メーカー: 講談社発売日: 2012/09/14メディア: 新書購入: 11人 クリック: 176回この商品を含むブログ (34件) を見る 本書は平野啓一郎氏が『ドーン (講談社文庫)』で描いた「分人(dividual)」という概念について、著者自身の自伝的な要素を含めて一般に向けて解説した書籍となっています。 本ブログではフロイト的な意味での「超自我」が絶対的な倫理規範が崩れた中では蓄積欲を重視するエスとしてステークホルダーに降りてきているのではないかという観点から異なる欲望を持つ複数の仮想機械を物理機械たる<私>に配置されているというモデルを用いて、実績を積み上げる方法について思索しているので*1*
今朝、6月の理事会に出張しようとして鞄の中を探すと、飛行機のチケットがない。 3週連続の東京出張なので医局の秘書さんから受け取ったかどうか記憶が確かでない。 病院に電話すると秘書さんは「えっ、どこに出張するのですか?」と言って、絶句してしまった。 6月の暑さで加齢が進んだのは僕だけではないらしい。 数万円高いが、当日券をカウンターで購入する。 JALの地上係員に「失礼ですがお幾つでしょうか」と聞かれたことに傷ついた。ついに、年齢を聞くことが失礼になるほどの外見に至ったのだ。 さて、東京に向かう飛行機の中で、ファビエンエンヌ・ブルジェール「ケアの倫理ーネオリベラリズムへの反論」文庫クセジュ2014/1を、事情あって読み返した。 真っ先に「他者に依存しない自律した個人」が存在するというのは愚かしい幻想に過ぎないことが明言されている。 人間は他者の配慮をうけないと生存できない脆弱な存在で、互いに
私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書) 発売日 (2012/09/14) 著者 平野 啓一郎 出版社 講談社 商品詳細を見る 本書を語る前に、僕は平野啓一郎氏の著作は全ては持っていませんが、下の写真程度には持っています。 「なんだ、ただの自慢か」と思われるために掲載したのではもちろんありません。 では、なぜか?。 平野啓一郎氏のイメージと言えば、デビュー作の『日蝕』を思い浮かべられる方が多く、非所に堅くて難しい漢字が鏤められ、典雅な文体のイメージがあって、自分に読めるだろうか?と思っている方も多いのではないでしょうか?。 また、実験的な文体を試されているようなイメージが…等。 しかし、僕はこれだけの平野氏の著作を読んで来たから(恥ずかしながら途中で挫折した本もある。)言える事は、今回紹介する本は、口述筆記をもとにして後で御本人が手直しをされた文章であり、大変読みやすい
2020-04-19 おはようございます!! 今日は休日ということもあり体調も良いので、久しぶりに記事を書きます。内容はずばりマスクについてです。マスクについての私の考えは一言、「一般人には布マスクで十分なので、本当に必要な人のため布マスクで我慢しよう」ということです。 それではどうぞ!! 一般人は布マスクで十分です!! 紙(不織布)マスクの品薄状態は今後も続く そもそも、マスクの正しい効果を知っていますか? 効果① 直接飛来する飛沫(唾・吐物・排泄物など)から口と鼻を守る 効果② 自分の唾などを飛散させない 効果③ 自分の口や鼻をむやみに触らなくなる 空気中に漂うウイルスの侵入は防止できない マスクを正しく付けていない人が多過ぎる 結論から言うと、医療従事者以外は布マスクで十分なのです 一般人が布マスクで我慢すれば、その分医療現場に紙マスクが行き渡る 紙(不織布)マスクの品薄状態は今後も
「ポストモダニズムを現状の中で咀嚼する」、『私とは何か 「個人」から「分人」へ 』(平野 啓一郎 著) 小説家・平野啓一郎さんの「私」論である。 本書の目的は、人間の基本単位である「私」を考え直すことにある。具体的には、「個人」から「分人」へと人間の基本単位の概念の更新を志向すること、となる。 現代英語で「個人」を意味するのは「individual」という言葉だが、これは「in」と「divide」から構成されており、日本語にすると、「不可分」、「(もうこれ以上)分けられない」と翻訳される。 この語源からすると「私」はただひとつの分けることの出来ない人格となる。けれども実際には、1人の人間は複数のリンクやネットワークの総体であり、そこには「本当の自分」という中心は実在しない。「私」という存在は、対人関係ごとのいくつかの「分人」によって構成され、その人らしさというものは、その複数の「分人」の構
2016年以降、バーチャルYouTuber・キズナアイは私たちに少なくない衝撃をもたらした。 彼女が名乗った「バーチャルYouTuber」は「VTuber」と語を変え、模倣され、世界中に広まり、今や日本発の新たな巨大カルチャーへと変貌している。 しかし、パイオニアであるキズナアイは2022年2月に眠りに入った(無期限活動休止)。しかし、現在までその長い眠りから目覚めていない。 彼女が深い眠りにある中、キズナアイの産み親であるActiv8株式会社、傘下であるキズナアイの運営・キズナアイ株式会社は様々な施策を行ってきた。 特に”キズナアイのアニメ化”と発表された「絆のアリル」は、発表時話題になったが、その内容まで把握している人物はそう多くない。 そして、見方によってはネガティブにも受け取れるニュースが2024年連続して起こった。ひとつはキズナアイのアドバイザー/ボイス提供者の春日望さんがアドバ
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