梅毒の患者の治療を描いた最初期の医学挿画、ウィーン、1498年。 梅毒の歴史(ばいどくのれきし)では、梅毒の流行、診断と治療法などの歴史について記述する。 ヨーロッパで最初に記録された梅毒のアウトブレイクは、1494年から1495年にかけて、フランスの侵攻を受けていたイタリア・ナポリで起こったものである[1][2]。フランス軍の帰還とともに梅毒が流行したため、この病気は「フランス病」という名でも知られていた。梅毒を意味する "syphilis" という単語が登場するのは1530年で、イタリアの医師・詩人ジローラモ・フラカストロによって初めて用いられた[2]。梅毒の病原体である梅毒トレポネーマ Treponema pallidum はフリッツ・シャウディン(英語版)とエーリッヒ・ホフマン(英語版)によって1905年に同定された[2]。最初の効果的な治療法であるサルバルサンは、1910年にパウ