定期的にブチ切れる日図協(日本図書館協会)が今回は文科省にブチ切れてたよ。 簡単に言うと文科省が拉致被害の風化を避けるため関連図書置こうね、って通達だしたから。 図書館戦争じゃないけど、自由に関する宣言が脅かされたらブチ切れるのよ… https://t.co/XqeC8iBmdt
松野博一官房長官は7日の記者会見で、北朝鮮による拉致被害者救出を願うブルーリボンバッジの着用をすべての閣僚に求めたことを明らかにした。10日から始まる北朝鮮人権侵害問題啓発週間に合わせた取り組みで、松野氏は「国民が拉致被害者を取り戻す強い意思を北朝鮮に示す機会にしたい」と強調した。 拉致問題担当相を兼ねる松野氏は同日の閣僚懇談会で、国民への啓発強化に向けた協力を各省庁に要請。被害者家族会が、全国の政治家や国民に求めているブルーリボンの着用を全閣僚に呼びかけた。 ブルーリボンは、北朝鮮に捕らわれた被害者と家族を結ぶ「青い空」と日朝を隔てる「日本海の青」をイメージしており、被害者救出を訴える意思表示として、広く着用されている。 平成18年施行の「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律」(北朝鮮人権法)は拉致解決を国の責務と明記している。12月10日~16日を啓発週間とし
その不審船は、日本人拉致のために派遣された、北朝鮮の「工作母船」であった事実が後に明らかになっている。このとき、護衛艦「みょうこう」に航海長として乗船、真っ暗な日本海で翌朝まで追尾した元自衛官・伊藤祐靖氏は、射撃開始のその瞬間の様子をこう記録している(『自衛隊失格』より、以下引用は同書)。 〈艦長は、目をかっと見開くと、押し殺したような低い声で戦闘号令を発した。 「戦闘、右砲戦! 同航のエコー〈E〉目標!」 いよいよ訓練ではない射撃が開始されてしまった〉 この時点では工作母船は、内部では「E」と呼ばれていた。 〈初弾は依然として34ノットで進む工作母船の後方200メートルに着弾させたが、工作母船に減速する兆候はまったく見られなかった。前方200、後方100、前方100と弾着点を工作母船に近づけていった。工作母船を木(こ)っ端(ぱ)みじんにしてしまうギリギリの距離まで弾着点を近づけて、何十発
「北朝鮮による拉致の可能性が排除できない行方不明者」とされていた東京の当時30歳の男性が先月、国内で発見されていたことがわかりました。これで「拉致の可能性が排除できない行方不明者」は、全国で875人となりました。 警視庁によりますと、1980年、当時30歳だった会社員の小山栄一さんは、東京・東村山市の自宅を出て港区の実家に立ち寄って以降、行方がわからなくなり、これまで「北朝鮮による拉致の可能性が排除できない行方不明者」とされていました。 しかし、その後の捜査で、今年3月、小山さんが国内で生存していることがわかり、身元の確認などを進めた結果、拉致の可能性が排除されたということです。 これで、「北朝鮮による拉致の可能性が排除できない行方不明者」は、全国で875人となりました。
北朝鮮に拉致された日本政府認定の被害者17人のうち、5人は2002年10月15日に帰国したが、鹿児島県内の市川修一さん=失踪当時(23)、増元るみ子さん=同(24)=ら12人は戻らないまま20年が過ぎた。帰国した被害者の1人、蓮池薫さん(65)=新潟県柏崎市=に北朝鮮での様子や、全面解決に向けて政府がどう取り組むべきか聞いた。 -1978年7月31日、後に妻となる蓮池(旧姓奥土)祐木子さん(66)と共に新潟で拉致された。 「夕日を見に来る人が多い海岸を祐木子と訪れた。人がいない方へ歩いていたら、近づいてきた数人の男に襲われ、くぼみに引きずられた。彼らは手足を縛って私を袋に入れ、真っ暗になってからモーターボートに乗せた。沖合の船で連れて行かれた」 -祐木子さんは北朝鮮で79年10月までの約1年間、増元さんと同じ招待所(被害者の住居)にいた。 「祐木子によると、増元さんは『拉致された後、南浦(
黒枠のラベルは、コンテンツホルダー自身が付与したものです。グレー枠のラベルは本文解析で自動付与されたものです。 富山県警は19日、1996年に失踪した少女2人について、北朝鮮による拉致ではなかったと明らかにした。県警はプライバシーを理由に、2人の身元などの詳細を明らかにしていないが、関係者によると、今年3月、同県射水市の港の海底から引き揚げた車から遺体で見つかった同県氷見市の田組育鏡さん=当時(19)、屋敷恵美さん=同=とみられる。 県警によると、拉致の可能性を排除できない行方不明者は全国で876人となった。 2人は今年4月、DNA型鑑定などで身元が確認された。2人は96年5月5日夜に「肝試しに行く」と家族に伝え、その後、行方が分からなくなっていた。
横田めぐみさんの早期帰国を願って「翼をください」を合唱するめぐみさんの同級生ら=5日午後、新潟市中央区の市立寄居中学校(本田賢一撮影) 横田めぐみさんは昭和39年10月5日、名古屋市の病院で生まれた。1日には東海道新幹線が開通し、10日には国立競技場で東京オリンピックの開会式が行われた。 母の早紀江さんは「この子は、すごいときに生まれたんだ」と実感していた。赤ん坊のころのめぐみさんには、いつも陽光が当たっていた記憶がある。 それが暗転したのは、52年11月15日だった。父、滋さんの転勤で引っ越した新潟で、めぐみさんは中学校からバドミントン部の練習の帰りに、北朝鮮の工作員に拉致された。13歳だった。 あれから長い、家族の戦いが始まり、滋さんは一昨年6月に亡くなった。夫妻は「めぐみは東京五輪とともに生まれたのだから、次の東京五輪までに絶対に返してほしい」と話していたが、コロナ禍により1年の延期
北朝鮮の金正日総書記が日本人拉致の非を認めた平成14年9月17日の日朝首脳会談から20年となった。これがどれだけ長く、残酷な日々であったか。 会談は拉致被害者5人の帰国につながったが、横田めぐみさんらについては一方的に「死亡」と伝えられ、その後の進展はない。 めぐみさんの母、早紀江さんは首脳会談20年を前に、「いつまでたっても解決しない。言いようのないいらだちを強く感じる。むなしく、地獄の苦しみを味わっている」と述べた。 母のいらだちは、国民の全てが共有すべきものだ。長すぎる膠着(こうちゃく)状態に、もっと怒らなくてはならない。政府も国民もだ。 岸田文雄首相は、拉致被害者家族が味わってきた地獄の苦しみをわがことと受け止め、金正恩総書記との直接交渉で局面の打開を図ってほしい。 全ての約束は守られず20年前のこの日、金正日氏は訪朝した当時の小泉純一郎首相に対し、工作員による拉致の事実を認め、謝
横田めぐみさんの帰国を願い、母・早紀江さん作詞の歌を合唱する新潟小の児童ら=14日、新潟市中央区(本田賢一撮影) あれから46年となった。それがどれだけ長く、つらく、残酷な年月であったことか。 昭和52年11月15日、新潟市の中学1年生、横田めぐみさんはバドミントン部の練習後、帰宅途中に北朝鮮の工作員に拉致された。 わずか13歳だった可憐(かれん)な少女はそのまま工作船で北朝鮮に連れ去られ、家族との再会を果たせないでいる。 平成14年9月の日朝首脳会談で当時の金正日総書記が拉致を認めて謝罪し、蓮池薫さんら5人の被害者が帰国した。 だが、めぐみさんらについては一方的に「死亡」と伝えられた。その説明も二転三転し、16年には「遺骨」まで送り付けられたが、DNA鑑定で別人のものと判明した。 こうした理不尽な経緯の一つ一つが、どれだけ娘の帰りを待つ家族を傷つけてきたか。 岸田文雄首相は15日、「いま
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岸田文雄首相は北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記とのトップ会談を行い、全ての拉致被害者の帰国を実現させたい考えだ。だが、北朝鮮は日本や米国などの制止を振り切り、弾道ミサイルの発射や核開発に向けた動きを活発化させている。この状況を打開し、拉致問題解決に道筋をつけられるか。首相の覚悟と力量が問われている。 「あなたの遺志を継ぎ、ご家族のもとに、拉致被害者が帰ってくることができるよう、全力を尽くす」 首相は9月27日に行った安倍晋三元首相の国葬の弔辞で拉致問題の解決を誓った。安倍氏が首相辞任を表明した際、やり残したこととして挙げたのが拉致問題だ。岸田政権も「最重要課題」と位置付けている。 拉致被害者帰国には米国の関与も欠かせない。バイデン米大統領は5月に来日した際、被害者家族と面会した。ただ、米国の関心は中国やロシアのウクライナ侵攻への対応に向けられており、トランプ前大統領が金氏
北朝鮮による拉致被害者の家族らを、ここまで追い詰めたのは誰か。 もちろん悪いのは、無(む)辜(こ)の日本人を国家主導で拉致、誘拐し、解決に向けても背を向け続ける北朝鮮である。 ただ家族会の怒りは、事態を打開できぬまま時ばかりが過ぎていく日本政府の交渉にも向けられている。政府はこの事実を重く受け止めなくてはならない。 拉致被害者の家族会と支援組織「救う会」が被害者救出に向けた今年の運動方針を決定した。日本政府に「(被害者の)親世代が存命中」の全拉致被害者の即時一括帰国を求める一方で、一括帰国が実現するのであれば「北朝鮮に対する人道支援には反対しない」との立場を初めて明記した。 従来の北朝鮮の核・ミサイル問題との包括的解決から、拉致問題の単独解決に向けて、一歩踏み出した方針といえる。 背景には「親世代」の超高齢化がある。拉致被害者の親世代は多くが亡くなり、2人だけとなっている。横田めぐみさんの
政治音痴なのに「政治知新」を名乗るまとめサイトが拉致問題に関するデマを流している。記事の中で「ロクに拉致問題で質問してこなかった、立憲民主党に拉致問題で政府を批判する資格はない」と断罪しているが、拉致問題を審議する拉致問題特別委員会は与党側が野党の開催要求に応じず2019年5月を最後に1年8ヶ月ものあいだ質疑はされていないので、立憲は他の委員会で質問している。 枝野代表「拉致問題解決に向けての熱意や必死さが感じられない!」 → 貴方が閣僚そして幹事長を務めた政権では何人担当大臣変わりました?立民はまともに質問しましたか?https://t.co/GHPskqN7PG #拉致問題 #枝野幸男 — 政治知新 (@seijichishin) January 21, 2021 先日はGoToトラベルに関する閉会中審査で、所管大臣である赤羽一嘉国土交通大臣を国土交通員会に呼び枝野代表が質問したことを
国連総会第3委員会(人権)が北朝鮮の人権状況に重大な懸念を表明する決議案を採択した。日本人拉致問題に言及し、被害者家族への安否や所在の情報提供と即時帰国の実現を求めた。 欧州連合(EU)が提出し、日本など60カ国が「共同提案国」として名を連ねた。投票は行われず、12月に国連総会本会議で正式採択される見通しだ。 2005年、北朝鮮の外国人拉致を「組織的な人権侵害」と断じた国連総会決議が採択された。同趣旨の決議は以後、毎年採択され、今年で17年連続となる。 政治犯収容所での拷問、言論弾圧、移動の制限など、北朝鮮の過酷な人権状況は、脱北者らの証言で広く知られるようになった。 拉致問題の非道も、被害者家族の訴えや、トランプ前米大統領が国連総会演説で取り上げたことなどで問題意識が高まった。 決議案は被害者家族の高齢化が進む中、「被害者と家族が長年にわたって苦しみを経験していることに重大な懸念を表明」
25日投開票の埼玉県知事選、野党統一候補として出馬した大野もとひろ氏は16日、匿名の質問サービス「Peing質問箱」で朝鮮学校の無償化について聞かれ「拉致問題や非核化など、我が国に対する脅威と問題が継続する中で、補助は困難です。」と答えた。 拉致問題や非核化など、我が国に対する脅威と問題が継続する中で、補助は困難です。他の私学と同様の補助を提供するには、上記の問題が必要と粘り強く訴えてまいります。 拉致問題や非核化など、我が国に対する脅威と問題が継続する中で、補助は困難です。他の私学と同様の補助を提供するには、上記の問題が必要と粘り強く訴えてまいります。 #peing #質問箱 https://t.co/6L60Xu4RHj — 大野もとひろ 埼玉県知事 (@oonomotohiro) August 16, 2019 これに対して大野氏を支援する共産党支持者らから「差別主義者」などと批判の
新たに宮内庁参与に就いた五百旗頭眞(いおきべまこと)氏が、過去に知人結婚式の控室で北朝鮮による拉致問題を「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしいよ。あんな小さな問題をね。こっちは、はるかに多くの人間を強制連行しているのに」と発言したとされることに、義家弘介法務副大臣がツイッターで問題を危惧する投稿を行っている。 報道によれば新たに宮内庁参与に就いた五百旗頭(いおきべ)氏が「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしい。あんな小さな問題を」と発言された過去があるという。被害者は大切な日本国民。事実なら国民統合の象徴である天皇陛下の相談役に相応しいと言えるだろうか。フェイクだと願いたい。 報道によれば新たに宮内庁参与に就いた五百旗頭(いおきべ)氏が「拉致なんて取り上げるのは日本外交として恥ずかしい。あんな小さな問題を」と発言された過去があるという。被害者は大切な日本国民。事実なら
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