2011年11月12日12:00 【総理の器】麻生さんの政治哲学、報道されなかった舞台裏「危機をチャンスに変えろ」 Tweet 「麻生総理が掲げていたアジェンダがすべて結実した。」2009.04.03河村官房長官G20終了会見より 2008年9月15日。 この日、世界経済が一斉にダウン・銀行の連鎖倒産を招き『怪物』は実体経済をも浸食しはじめた。 100年ぶりに目撃された「世界同時デフレ不況」。相次ぐ国家破たん・世界大恐慌を目前にし 戦争の機運に世界が慄く中、明確な統計データと世界第二位・総額1兆2000億ドルにも及ぶ 巨額の外貨準備を武器に危機をチャンスに変えた男がいた。 「情けは他人の為ならず」政治哲学の実践をめぐる闘いに赴いた彼が ホワイトハウスの演台に上がったそのとき、歴史が動いた。 「危機をチャンスに変えろ」(前編)~G20サミットの 舞台裏 http://www.youtube.
イラン革命から35年が経ってなお、宗教復興の時代、今でいえば「ポスト世俗主義」の時代を、左派の人間やこれに賛同する人(多少距離のある人も含め)は、これを理解するのに苦労しており、理解することすらも拒んでいる。私たちは「世界の脱魔術化」を心待ちに、近代化が達成された暁には科学の勝利と世俗主義がもたらされるだろうと信じてきた。その後、私たちはニック・コーエンが記すように「啓蒙主義の教えを忘れて、あらゆる過激な信仰は圧政を生み出す可能性がある」のを目撃するに至った。 今日では、世界のあらゆる宗教が復興の明らかな途上にある。復興を遂げた宗教は、麻薬というよりは、刺激的な興奮剤である。1970年代以降、特にこの10年、この興奮剤はイスラム世界で最も強く効いている。パキスタンからナイジェリア、そしてヨーロッパの一部で、現代のイスラム教は多くの人々、特に男性に多くの影響を与えている。そして、宗教は、その
佐々木俊尚 @sasakitoshinao ジャーナリスト。(株)SFプロトタイピング共同代表。アベマプライム、ニッポン放送「飯田浩司のOK!Cozy up!」レギュラー出演。総務省情報通信白書編集委員。TOKYOFM放送番組審議委員。情報ネットワーク法学会員。東京長野福井の3拠点移動生活者。お仕事や取材のご依頼はsasaki@pressa.jpへ。 pressa.jp 佐々木俊尚 @sasakitoshinao 美人だから同情してたのに、などと言ってる人たちがいる。セクハラはあくまでも「言った側」の問題。相手が美人かどうかとか過去がどうかなど無関係だという認識を持たないと。/塩村文夏に同情したことを後悔している皆さんのお言葉 bit.ly/1lT5xEb
2012/11/269:0 「思考停止」としての新自由主義/批判 経済学と政治哲学の対話(前編) 飯田泰之×小川仁志 かつてない不況下、失業とデフレを前に、専門知はどこまで有効か? 専門領域を横断して繰り広げられるシノドス・クロス・オーバートーク政治哲学者と経済学者による真摯な対話、前編◇「道具」にすぎない経済学 飯田:以前から小川さんのお話を一度聞いてみたい、というよりも話を聞いて欲しいと思っていたんです。まず簡単にぼくの方から、この対談の目論見のようなものを話します。 経済学という学問は道具主義的です。つまり、「目標」については外部からオーダーを受ける。その上で、オーダーを達成する最善の「手段」を考える。これがぼくの考える経済学の本来の姿です。 ところが、経済学コミュニティ自身がそうしたあり方を忘却してしまった。昨今、経済学に対する風当たりが強いですが、その原因の一端はここにあると
政治哲学への招待―自由や平等のいったい何が問題なのか? 作者:アダム・スウィフト 風行社 Amazon ●格差原理と、不平等の正当化 分配の正義に関する論争において、最大の注目を集めたのは、最後の原理ーーすなわち、格差原理ーーである。不平等は、どのようにして、もっとも恵まれない人の地位を、最大限良くすることに役立ちうるのだろうか。それを理解するわかりやすい方法は、すべての人に同じものを支払うことではないだろうか。ロールズの考えは、もし人々が、実益をもたらすような諸活動において働くよう動機づけられるべきだとすれば、彼らにはインセンティヴが必要かもしれないというお馴染みのものである。そして、議論は次のように進行する。もし経済が、そうでありうるのと同程度に生産的であろうとするならば、何らかの不平等が必要(社会学者は「機能的に」と言うかもしれない)である。不平等がなければ、人々はある仕事を別の仕事
2010年12月14日08:10 カテゴリ本法/政治 サンデルの政治哲学 先週、自由が丘の本屋に行ったら、入口のところに『ハーバード白熱教室講義録』と本書が山のように積まれていて驚いた。日本人の感覚に合うとは思えないアメリカ的な政治哲学がこんなに受けるのは不思議な現象だが、『講義録』は『これからの「正義」の話をしよう』と内容がほとんど同じで、前著を読んだ人が買う価値はない。 サンデルを本格的に勉強しようと思う人は『リベラリズムと正義の限界』を読むかもしれないが、これは細密なロールズ批判なので、『正義論』を読んでいないと何を論じているのかわからないと思う。またロールズもサンデルもその後、立場を変えたので、最近の議論までコンパクトに紹介している本書が便利だ。 わかりやすいのは、サンデルの立場を師匠のテイラーまでさかのぼって整理し、ヘーゲリアンであるテイラーの思想から説明している点だ。テイラーを
4月18 國分功一郎『近代政治哲学』(ちくま新書) 7点 カテゴリ:政治・経済7点 社会契約論を中心とした近代政治哲学を読み直し、そこに現在の民主主義の問題点の原点や突破口を探ろうという試み。 構成としてはボーダン、ホッブズ、スピノザ、ロック、ルソー、ヒューム、カントを順にとり上げていくスタイルなので教科書的に見えますが、小平の都道建設問題に積極的に関わった著者の問題意識が色濃く反映されています。 スタイルや問題意識は同じちくま新書の重田園江『社会契約論』に近いものがあると思います。 目次は以下の通り。 第1章 近代政治哲学の原点―封建国家、ジャン・ボダン 第2章 近代政治哲学の夜明け―ホッブズ 第3章 近代政治哲学の先鋭化―スピノザ 第4章 近代政治哲学の建前―ジョン・ロック 第5章 近代政治哲学の完成―ジャン=ジャック・ルソー 第6章 近代政治哲学への批判―ヒューム 第7章 近代政治哲
政治哲学入門 作者:ジョナサン ウルフ 晃洋書房 Amazon 原書は1996年(最近に第4版が出版されているが)、邦訳も2000年。なんのフックもないタイトルに地味な装丁といかにも売れそうにないタイプの本だが、その中身はというと、わたしがいままで読んだ政治哲学入門のなかでも傑出した出来栄えだ*1。 「自然状態」とはどのようなものであるかというところから始まって、国家の正当化や民主主義の正当化、自由や財産の配分についてどう考えるか、個人主義に対する共同体主義的・フェミニズム的な批判と、政治哲学のトピックが幅広く扱われている。功利主義やリベラリズムといった理論ごとに章立てされているのでもなければ、思想家を時系列に紹介していくのでもなくて、章ごとの問題を扱いながら(西洋の)主要な哲学者たちの政治思想を提示していく、というところがミソ。 また、第一章で「(アナーキズム的な見解を除けば)自然状態は
読書の秋なので、最近読んだ本のことを取りあげてみることにします。今年の4月に出た、國分功一郎さんの『近代政治哲学 ー自然・主権・行政』(ちくま新書)は、とても勉強になりました。著者の國分功一郎さんは、今この国のなかで最も注目されている哲学者の一人でもあるので、今日の記事ではこの本を紹介したいと思います。 まず、この本は近代政治哲学の入門書として、とても効率のよい学習ツールになっています。ジャン・ボダンからホッブズをへて、スピノザ、ロックからルソーへ……。これら近代の思想家たちは、私たちが生きているこの民主主義社会のフォーマットについて、根本的なところから考えた人たちです。政治の問題について考えるなら、これらの思想家たちが主張していることに耳を傾けるのは、今の時代においてもとても役に立つことであるといえます。 その点からすると、何といっても、思想家一人につきたった30ページほどでわかりや
〈紹介〉 リベラル・ナショナリストはグローバル正義とどう向き合うのか D・ミラー著『国際正義とは何か──グローバル化とネーションとしての責任』(富沢克・伊藤恭彦・長谷川一年・施光恒・竹島博之訳)』の刊行に寄せて 英国のオックスフォード大学で政治理論を講じるデイヴィッド・ミラーについては、多くの紹介を要しないであろう。ミラーのこれまでの啓発的な政治理論的取り組みについては、日本でもよく知られている。この関連では、社会主義と自由な市場経済とを何とか調停させようとしたミラーの比較的初期の刺激的な理論的かつ実践的試み(市場型社会主義)、そして「リベラル・ナショナリズム」に関する彼の近年の興味深い議論などが、想い起こされる。その関連で「グローバル正義」を論じる本書は、これまでの彼の政治理論研究の趨勢からは多少とも逸脱したミラーの新しい問題関心と思い入れを伝えるものと理解されなくもない。 しかし、邦訳
ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 (中公新書) 作者: 矢野久美子出版社/メーカー: 中央公論新社発売日: 2014/03/24メディア: 新書この商品を含むブログ (31件) を見る 内容(「BOOK」データベースより) 『全体主義の起原』『人間の条件』などで知られる政治哲学者ハンナ・アーレント(1906‐75)。未曽有の破局の世紀を生き抜いた彼女は、全体主義と対決し、「悪の陳腐さ」を問い、公共性を求めつづけた。ユダヤ人としての出自、ハイデガーとの出会いとヤスパースによる薫陶、ナチ台頭後の亡命生活、アイヒマン論争―。幾多のドラマに彩られた生涯と、強靱でラディカルな思考の軌跡を、繊細な筆致によって克明に描き出す。 ハンナ・アーレントとは、何者なのか? 昨年、映画『ハンナ・アーレント』が日本で公開され、あらためて注目されたそうなのですが、僕はこの新書を読んで、その映画
.ノージックだからといってアナ国ばっかり論じるのは芸がないぜ、ということで最近はそれ以降の著作にも焦点をあてる研究書が何冊か出ています。ただ、後期の認識論的な仕事などは、それはそれで検討に値するものだと思うのですが、リバタリアンな政治哲学との関係がどうかはよくわからないので、どの本もそんなに突っ込んで書いてない印象です。 .ノージック自身の著作で多少、政治的なことも書いてあって、しかもあまりリバタリアンぽくない本としては 'The Examined Life,' 1989(井上章子訳『生のなかの螺旋――自己と人生のダイアローグ』青土社、1993年)があるんですが(ここに相続税の話あったかな??)、これはどちらかというとかなり一般向けのゆるい哲学エッセイといった感じで、特に体系的でもないので、ここに書いてあるリバタリアンぽくない話でもって「転向」うんぬんしても仕方ない感じ。それ以外の本でもそ
政治哲学の広がり ―入門のための仮説的枠組み― 近年の地域政策の展開そして国における法律改正を包括的に眺めると、規制緩和を主張する自由主義(リベラリズム)と地域社会の再活性化を主張する共同体主義(コミュニタリアニズム)の両方向の発想が混在したまま政策が展開しているように見られる。 地域のあり方を考える者にとっては、このような政治思想の広がりをどう理解し、どう対応していけばいいのか、政治哲学の基本に戻って検討しておく必要がある。 しかし、多くの政治哲学者あるいは社会学者等々が議論を重ねており、簡潔な整理がてぎるものではない。また、小生自身、その能力を持ち合わせてはいない。 ここでは、こうした分野の広がりを把握しておくための初歩的なアプローチとして、主としてWWWのサイトから得られた情報により、小生なりの理解の出発点における骨格を提示しておく。 内容に多くの誤解が含まれている
👈応援クリックよろしくお願いします! 私も九州出身(鹿児島)なので、「九州男児」とか「薩摩隼人」とかいう言葉には敏感である。私は、ほとんど使わないし、正直に言うとあまり好きではない。むしろ大嫌いと言った方がいい。田舎者の図々しい郷土自慢、田舎自慢の匂いがするからだ。つまり、私には、この言葉は、口先だけの「田舎者の大法螺吹き」の代名詞にしか聞こえない。 しかし、廣松渉が頻繁にこの「九州男児」という言葉を使っていたとすれば、それは別である。廣松渉は「田舎者の大法螺吹き」とは無縁な人間である。廣松渉のような人が、この「九州男児」という言葉を使ったとすれば、そこには何か深い意味があるはずだ。廣松渉は、この言葉にどういう意味を込めたのだろうか。私の推測では、「言行一致」「不言実行」「知行合一」・・・という意味を込めて、「九州男児」という言葉を使っていたのではあるまいか。 廣松渉と「廣松渉の弟子達」
2016年07月30日18:00 20世紀の法哲学者・政治哲学者で打線組んだ Tweet 1: 風吹けば名無し@\(^o^)/ 2016/07/30(土) 01:52:41.17 ID:gw/aUeNN0 1 右 ハンナ・アレント 2 三 ハンス・ケルゼン 3 遊 ハーバート・ハート 4 二 ジョン・ロールズ 5 一 ロナルド・ドゥオーキン 6 左 ジェラルド・コーエン 7 中 ロバート・ノージック 8 捕 レオ・シュトラウス 9 投 アイザイア・バーリン 控 マイケル・オークショット 控 アラスデア・マッキンタイア 控 マイケル・ウォルツァー 控 ヒレル・スタイナー 転載元:http://tomcat.2ch.sc/test/read.cgi/livejupiter/1469811161/ 【閲覧注意】きさらぎ駅、八尺様、ヒッチハイク、コトリバコ http://blog.livedoor
ISBN: 9784000258180 発売⽇: 2011/09/01 サイズ: 20cm/36,444p ハーバード大学で30余年にわたって練り上げられたジョン・ロールズによる円熟の講義録。8人の理論家を範例とし、丹念に分析を重ねた最後の著書。1は、ホッブズ、ロック、ヒューム… ロールズ 政治哲学史講義1・2 [著]ジョン・ロールズ 本書はロールズによるハーバード大学での講義録であるが、現代の古典(カノン)として名高い『正義論』の読解に不可欠なテキストである。講義という形式のせいか、ロールズは率直かつ簡潔にリベラリズムとその政治哲学の思想と伝統について語っており、読んでいても小気味いいほどである。 それにしても政治哲学と聞けば、難解な思弁や高尚な理想がちりばめられた権威的な学問と思われがちだが、決してそんなことはない。ロールズが言う政治哲学は、立憲デモクラシーの制度や政策にふさわしい正義
安倍政権から「暴言議員」の出現がとまらない。「魔の2回生」だけが問題なのか。元「週刊現代」編集長の元木昌彦氏は、「今のように質の悪い暴言・放言が増えたのは2001年の小泉純一郎内閣からだと思う」という。現在の安倍政権はその”伝統”を継いでいる。これでいいのか――。 バカは隣の火事より怖い バカは隣の火事より怖い。立川談志の名言である。 ウソがつけなくては政治家になれないが、最近の政治家はウソつきの上にバカが付くから始末が悪い。中でも「魔の2回生」といわれる安倍第2次政権下の2012年に初当選して、現在当選2回の若手政治家の質の悪さは、政治家と書いて「バカか」とルビを振りたくなるほどである。 不倫した上、ストーカー登録までされた中川俊直。妻が妊娠中に不倫をした宮崎謙介。がん患者は働かなくていいといった大西英男。被災現場の水たまりをおんぶされて渡った務台俊介。マスコミを懲らしめるには広告料収入
官僚組織と産業界の癒着や、霞が関の利権構造を暴いて40万部に迫る大ベストセラーとなった『日本中枢の崩壊』(2011年5月刊/講談社)。著者で元経産官僚の古賀茂明さんの新刊が間もなく発売される。『日本中枢の狂謀』と題されたこの本で、古賀さんは日本の危機的な状況を明らかにし、そこから脱するための提案を行っている──。 *** ──日本中枢の「崩壊」に続いて、本作は「狂謀」。このタイトルには、古賀さんのどのような思いが込められているのでしょう。 古賀 最初は『日本中枢の陰謀』というタイトルで進めていたんです。でも、「陰謀」というのが、いまひとつピンとこなかった。いまの日本中枢の人々は、はかりごとをそんなに隠れてやっているわけでもないですからね。それで「陰謀」に代わる言葉をずっと考えていて、その中に「狂謀」という案もあったのですが、原稿を書き進めるうちにそれが一番合っていると思うようになったん
(前回から読む) 自己への愛に依拠すること、これは近代の政治哲学の端緒を告げる重要な視点だった。それまでは人々が社会を作り、人々と結びつきを作りだし、国家を構築するのは、人間の本性の働きのためだと考えられていた。この伝統をごく駆け足でたどってみよう。 人間の本性と国家――アリストテレスの政治哲学 アリストテレスはすでに「人間は自然にポリス的な動物である」[1]と定義していた。この定義によると、人間はその本性からして政治的な生き物であり、人間の最高の善は、ポリスで生きることによって実現されることになる。「共同体へと向かう衝動は自然にすべての人のうちに備わっている」[2]のであり、「共同することのできない者か、あるいは自足しているので共同することを少しも必要としない者は決して国の部分ではない。従って野獣であるか、さもなければ神である」[3]。国家を作らない者は、神のように人間を超えているか、野
講義シラバス 4/12 政治哲学は可能か? 4/19 「知」とは何か 5/26 言葉と学問 5/10 言葉と政治 5/17 古代ギリシアにおける政治の発見 5/24 プラトンの呪縛 5/31 アリストテレスと現代 6/7 近代の「政治」・「哲学」へ ~techneとしての政治学? 6/14 宗教改革:非政治思想の意図せざる政治的な帰結 6/21 近代の「政治」・「哲学」へ ~epistemeとしての政治学? 6/28 ホッブズ問題(1) 7/5 ホッブズ問題(2) 萩原研究会ホームページに戻る 4/12 第一講 政治哲学は可能か?< (予定) 1) 学問としての政治哲学? 政治哲学は「われわれは何をなすべきか」という問題に答えるものか。また、それを教えることは可能か。 ウェーバー的意味で不可能である。 トルストイはいう、「学問は無意味な存在である、なぜならそれはわれわれにとってもっとも大切
最近フーコーについて気がついたこと 〜概念の哲学の中の科学哲学と政治哲学の区別について〜 今まで、『知の考古学』以後のフーコーの方針転換をどのように理解するべきかでだいぶ迷ってきたが、次のように考えると筋が通る。 1.『知の考古学』までは、エピステモロジーの哲学および方法論に対して強くこだわっていたし、その範囲の中での拡張(特に人間科学への適用)を考えていたが、それ以後においては、このこだわりはある意味で捨てられているように見える。 2.この「ある意味で」というのをどのように理解するかということをこれまでかなり迷ってきた。今まで検討してきたのは、1.エピステモロジーを捨てて、ある別の哲学へと進んでいった。2.あくまでエピステモロジーの範囲にとどまって仕事をしていた。しかしこのいずれの選択肢も、事実との整合性が取れない。前者の場合、方法論があくまで言説分析であり、考古学的手法が否定さ
現在、筆者はドイツのベルリンに滞在している。この連載では、「欧州の首都」と呼ばれることもあるこの地にあって、現代の政治思想・政治哲学の「いま」を、心象スケッチ風に考えていきたい。 * この街を歩いていて(といっても、筆者がふらついているのは、大学や書店、雑誌スタンドなどの周辺ばかりであるが)、マルクスの肖像画を目にすることが多い。考えてみれば、今年(2018年)はマルクスの生誕200年にあたる。誕生日である5月5日を中心に、さまざまなマルクス関連企画があっても不思議ではない。 ベルリン観光の中心ウンター・デン・リンデンの通りから一本入ったフリードリヒ通りには、大型書店のドゥスマンがある。といっても、店を入ってすぐに目につくのは、CDやDVDの売り場ばかり。哲学のコーナーまで行くには、だいぶ上の階に上がらなければならない。カント、ヘーゲルを生んだこの国にあっても、もはや哲学はそれほど厚遇され
「リヴァイアサン」といえば召喚獣の一体…ではなくて、政治哲学の古典です。 リヴァイアサン〈1〉 (岩波文庫) 作者: T.ホッブズ,Thomas Hobbes,水田洋 出版社/メーカー: 岩波書店 発売日: 1992/02 メディア: 文庫 購入: 7人 クリック: 93回 この商品を含むブログ (48件) を見る 著者であるトマス・ホッブズの思想は、国際政治学においてはリアリズム学派に親和的な考えとして知られています。国際政治学の思想を簡単に色分けしたとき、リアリズム学派は「ホッブズ的」であり、リベラリズムは「カント的」である…といった風に、ざっくりした方向性を説明する場合があるからです。 なぜリアリズムがホッブズ的と言われるかといえば、概念と世界観が類似しているためです。リアリズム学派の「無政府状態」はホッブズの「自然状態」に通じるものがあります。 という程度は聞き知っているのですが、
トランプ次期米大統領の誕生と英国の欧州連合(EU)離脱はグローバル化(経済・社会などの地球規模化)への扇動的で国家主義的な反応だ。2008年の金融危機以降の経済状況を前にした大衆の反乱だが、反銀行よりもむしろ、反グローバル化となって表れている。 だが、危機の本質はグローバル化ではない。グローバル化は本来、労働の自由、移動の拡大、可能性の共有という前向きな側面を持ち、必要なものだ。地球規模で取り組まなければ、どうやって金融規制やエコロジー問題への対処、移民流入の制御ができるのか。いずれも地球レベルでなければ解決できない。 自著「帝国」で、政治には(1)グローバル化世界(2)多国籍企業ネットワークと国民国家(3)労働者、市民、非政府組織(NGO)、組合など--の三つのレベルがあると指摘した。国民国家を橋渡し役の中間地点でなく、中心に置こうとすれば、旧来の帝国主義、強大な国家を復活させてしまうこ
ここ秋吉台では、音楽監督の細川俊夫を中心に、内外のすぐれた音楽家の参加を得て、きわめて充実した活動が積み重ねられてきました。そして、10年目にあたる今年(1998年)は、磯崎新による国際芸術村の見事な建物ができあがり、そのユニークなホールでルイジ・ノーノのオペラ《プロメテオ》の日本初演が実現されるはこびとなったわけです。そもそもこのホールは《プロメテオ》を念頭に置いて設計されたのですから、これほど贅沢なことはないと言うべきでしょう。並々ならぬ努力によってここまで漕ぎ着けられた細川俊夫をはじめとする関係者の皆さんに、深い敬意を表したいと思います。 この歴史的な機会に、ノーノの歩みをもういちどざっと振り返ってみたい。とはいえ、私は音楽の専門家ではないので、むしろノーノをとりまく状況をできるだけ広く展望することにし、ノーノの音楽については作品そのものに語らせることにしたいと思います。 ノーノは、
春秋社 2009年7月 この「思想史論集」は偶然書店でみつけた。その中にこの「デイヴィッド・ヒュームの法哲学と政治哲学」が収載されていた。これを知ったのは、だいぶ前に読んだ渡部昇一氏の「新常識主義のすすめ」(文藝春秋 1979年)の中の「不確実性時代の哲学−デイヴィッド・ヒューム再評価−」によってである。その当時の世界的なヒュームの再評価を紹介したもので、「英国史」の著者として生前にヒュームは有名であったことをそこで知った。そこでは、現代ヒューム研究の白眉としてこの1963年のフライブルク大学での公開講演「デイヴィッド・ヒュームの法哲学と政治哲学」をあげていた。講演のキーワードとして「構成的主知主義」という言葉が紹介されていた。ヒュームは合理主義を否定したといわれるが、合理主義すべてを否定したのではなく、その中の「構成的主知主義」といういきかたを否定したのだという。この言葉は全集では「設計
逆ドメスティック・アナロジーの衝撃 ──リチャード・タック『戦争と平和の権利――政治思想と国際秩序:グロティウスからカントまで』の国際法学における意義 リチャード・タックのテーゼを一言でまとめれば、こうだ。〈近代政治思想の前提となる、自己利益を追求する自律的な個人という観念は、国際関係における主権者の観念に由来する〉。すなわち、国内の政治秩序思想の基盤となる観念が、国際秩序思想からのアナロジー(類推)として形成されたということである。 これは、国際法学にとって、衝撃的な思想史解釈といえる。なぜなら、国際法学においては、国内秩序から国際秩序への類推(ドメスティック・アナロジー)こそが、問題とされてきたからである。法律学の通念によれば、「遅れた」法は、「進んだ」法を受容する。そうだとすれば、未発達の「原始的法」である国際法秩序の構想は、より発達した国内法秩序の構想を類推することによって、その「
近代政治哲学:自然・主権・行政 (ちくま新書) 作者: 國分功一郎出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2015/04/08メディア: 新書この商品を含むブログ (11件) を見る 國分功一郎『近代政治哲学ー自然・主権・行政』のレビューです。 くそ暑いですね。本読む気になれません。というわけで昨日につづいて新書読みました。ポイントはイケメンです。 かっこよすぎでしょ。 國分功一郎さんは『ドゥルーズの哲学原理』がよかったので、気になる殿方のおひとりです。(ゝω・)vキャピッドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書) 作者: 國分功一郎出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2013/06/19メディア: 単行本(ソフトカバー)この商品を含むブログ (28件) を見る この本はジャン・ボダン、ホッブズ、スピノザ、ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソー、ヒューム、カントを順にたどっていくという感じ
民法をやっているかどうかです。……というだけではわかりにくいので、もうちょっと説明します。研究する領域はかなりの程度に重なっていますね。この三者に加えて、理論系の社会学なども似ています。たとえば、最近流行の「グローバル・ジャスティス」論などは、どの分野もだいたい同じような文献を読んだ上で論じていますので、パッと見では著者の分野の違いなんてわかりません。法哲学だったら法制度をつねに念頭に置いている……はずですが、別にそういうの言及していない論文もたくさんあるのでよくわからない。もう、ぶっちゃけ出身や所属など制度上の違いにすぎない、ともいいたくなります。しかし、それで済ますのもどうも気がきかない。この三者は、やっている内容や研究手法というより、バックグラウンドの違いが大きいと思います。法哲学だと憲法・民法・刑法……という法律科目を一通りやっていますし、政治哲学だと実証系の政治学などをやっている
おはようございます。皆さんは「マイケル・サンデル」という名前をご存知でしょうか? 本を読んだ、大学で学んだ、テレビで見た事がある、という人も沢山いると思います。 サンデル氏は政治哲学の世界では超有名な学者です。政治哲学について勉強するならば、まずサンデル氏の本を読むべきだと言っても過言ではありません。 今回はそんなマイケル・サンデル氏の紹介と、おすすめの本を紹介して行きます。 目次 ・サンデル氏の略歴 ・サンデル氏の大まかな思想 ・サンデル氏のおすすめ本7選! 1.これからの「正義」の話をしよう 2.公共哲学 政治における道徳を考える 3.ハーバード白熱教室講義録+東大特別授業 4.それをお金で買いますか 市場主義の限界 5.サンデル教授、中国哲学に出会う 6.民主政の不満 7.完全な人間を目指さなくてもよい理由-遺伝子操作とエンハンスメントの倫理 ・まとめ ・サンデル氏の略歴 サンデル氏
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