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野中広務の検索結果1 - 39 件 / 39件

  • 井上成美と野中広務が泣くだろう。元首相秘書官がみた安保3文書 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

    国家安全保障戦略など安保関連3文書が16日の閣議で決まった。岸田文雄内閣は今、2023年度から27年度まで5年間の防衛費を約43兆円に増やすとした方針を巡って大揺れだ。財源のなかで、2027年度に年1兆円強を増税で確保するとしたからだ。高市早苗経済安全保障担当相は10日、ツイッターに「賃上げマインドを冷やす発言を、このタイミングで発信した首相の真意が理解できない」と書き込んだ。萩生田光一政調会長は11日、国債の償還費の一部を財源にする案に触れた。自民党の佐藤正久元外務副大臣は11日のフジテレビ番組で「防衛力の中身を説明する前に増税というのは順番が違う」と語った。岸田首相は13日、自民党役員会で「今を生きる国民が自らの責任としてしっかりその重みを背負って対応すべきものである」と語ったが、後に「今を生きる我々が自らの責任として」と修正するなど、てんやわんやの状況で、政権の危機にもつながりかねな

      井上成美と野中広務が泣くだろう。元首相秘書官がみた安保3文書 | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
    • nishi on Twitter: "麻生太郎が野中広務のことを「部落の人間だ。あんなのが総理になってどうするんだい」と満座の中で喋った。野中は「実際そう思っているんでしょ。朝鮮人と部落民を死ぬほどこき使って、金儲けしてきた人間だから。・・何の疑問もなしにそう言うんだ… https://t.co/VQ8eyXwsok"

      麻生太郎が野中広務のことを「部落の人間だ。あんなのが総理になってどうするんだい」と満座の中で喋った。野中は「実際そう思っているんでしょ。朝鮮人と部落民を死ぬほどこき使って、金儲けしてきた人間だから。・・何の疑問もなしにそう言うんだ… https://t.co/VQ8eyXwsok

        nishi on Twitter: "麻生太郎が野中広務のことを「部落の人間だ。あんなのが総理になってどうするんだい」と満座の中で喋った。野中は「実際そう思っているんでしょ。朝鮮人と部落民を死ぬほどこき使って、金儲けしてきた人間だから。・・何の疑問もなしにそう言うんだ… https://t.co/VQ8eyXwsok"
      • 「闘う政治家」野中広務の足跡 “叩き上げ政治”の無念:時事ドットコム

        影の総理 衆院本会議に出席した自民党の野中広務元幹事長=2001年5月【時事通信社】 京都府の副知事まで務めてから国会議員となり、「影の総理」とまで呼ばれた政治家がいた。ご存じであろう、2018年に92歳で亡くなった野中広務だ。 自民党を離党した小沢一郎らと激しい権力闘争を展開し、「政界の狙撃手」「闘将」の異名を取った。自治相、内閣官房長官、自民党幹事長など要職を歴任。戦後の自民党政治において圧倒的な権勢を誇った田中角栄元首相の系譜を継いだ最後の実力者だった。地方から叩き上げた、その政治人生を検証し、私は2018年の年末に「『影の総理』と呼ばれた男 野中広務 権力闘争の論理」を上梓した。【日本テレビ政治部デスク 菊池正史】 日本テレビ政治部の記者として私が担当したのは1994年から1年余り。しかし、その魅力に引き付けられ、2003年に野中が政界を引退した後も、たびたび、事務所を訪ねては取材

          「闘う政治家」野中広務の足跡 “叩き上げ政治”の無念:時事ドットコム
        • 野中広務氏との不思議な縁、稀代の政治家に学んだ「仕事への向き合い方」

          きまた・せいごう/大阪キリスト教短大客員教授 元岐阜女子大学副学長、元週刊文春・月刊文芸春秋編集長。1955年京都市生まれ。78年早稲田大学政治経済学部政治学科卒、同年文芸春秋入社。『週刊文春』『文芸春秋』の編集長を経て、2015年常務取締役、18年退社。現在、大阪キリスト教短大客員教授を勤める。関わった主な記事は、江川紹子との坂本弁護士失踪事件追及、野坂参三密告の手紙、少年Aこの子を生んで、ジャニーズ追及キャンペーン、田中真紀子秘書給与疑惑、村木厚子独占手記、田中角栄の恋文、尾崎豊の遺書など多数。著書に『文春の流儀』。 文春は、お嫌いですか?元編集長の懺悔録 元週刊文春、月刊文芸春秋編集長が明かす週刊誌報道の舞台裏。記者たちの奮闘ぶりはもちろん、権力との対峙から文豪の素顔まで、40年間の文春での日々を赤裸々に振り返ります。 バックナンバー一覧 文芸春秋に入社して2018年に退社するまで4

            野中広務氏との不思議な縁、稀代の政治家に学んだ「仕事への向き合い方」
          • 京都農協界の“独裁者”中川泰宏が、野中広務と「決裂」した全内幕

            農協の大悪党 野中広務を倒した男 JAグループ京都のトップに26年にわたって君臨する中川泰宏氏は「ラジオ番組の主役」「小泉チルドレン」――として、京都府で高い知名度を誇る。彼を改革派とみる府民も少なくない。だが、中川氏には知られざる一面がある。農協組織を意のままに動かして「地上げ」を行い、ファミリー企業への利益誘導をしているのだ。本連載では、そうした農協私物化の実態や政敵、野中広務・元自民党幹事長との権力闘争など、中川氏の裏の顔を明らかにしていく。 バックナンバー一覧 JAグループ京都のトップに26年以上にわたって君臨する中川泰宏は「ラジオ番組の主役」「小泉チルドレン」──として、京都府で高い知名度を誇る。彼を改革派と見る府民も少なくない。だが、中川には知られざる一面がある。農協組織を意のままに動かして「地上げ」などを行い、ファミリー企業への利益誘導をしているのだ。とりわけ、目の上のたん瘤

              京都農協界の“独裁者”中川泰宏が、野中広務と「決裂」した全内幕
            • 野中広務が陳情されたJAグループ京都「会長人事介入」、政治史の知られざる分岐点の顛末

              農協の大悪党 野中広務を倒した男 JAグループ京都のトップに26年にわたって君臨する中川泰宏氏は「ラジオ番組の主役」「小泉チルドレン」――として、京都府で高い知名度を誇る。彼を改革派とみる府民も少なくない。だが、中川氏には知られざる一面がある。農協組織を意のままに動かして「地上げ」を行い、ファミリー企業への利益誘導をしているのだ。本連載では、そうした農協私物化の実態や政敵、野中広務・元自民党幹事長との権力闘争など、中川氏の裏の顔を明らかにしていく。 バックナンバー一覧 JAグループ京都を26年以上にわたって牛耳っている中川泰宏は、36歳の若さで農協組合長に就任した。その上部団体の農協連合会会長に就任したのは6年後の42歳のときである。通常、連合会会長になるのは60代後半なので、かなりのスピード出世といえる。連載『農協の大悪党 野中広務を倒した男』の#4では、中川が“農協独裁体制”を築き上げ

                野中広務が陳情されたJAグループ京都「会長人事介入」、政治史の知られざる分岐点の顛末
              • 小泉純一郎の威を借る「農協界のドン」が、宿敵・野中広務に引導を渡した郵政選挙の全内幕

                農協の大悪党 野中広務を倒した男 JAグループ京都のトップに26年にわたって君臨する中川泰宏氏は「ラジオ番組の主役」「小泉チルドレン」――として、京都府で高い知名度を誇る。彼を改革派とみる府民も少なくない。だが、中川氏には知られざる一面がある。農協組織を意のままに動かして「地上げ」を行い、ファミリー企業への利益誘導をしているのだ。本連載では、そうした農協私物化の実態や政敵、野中広務・元自民党幹事長との権力闘争など、中川氏の裏の顔を明らかにしていく。 バックナンバー一覧 JAグループ京都会長の中川泰宏は国政に進出しようとしてきたが、政敵の自民党元幹事長、野中広務に阻まれ続けていた。だが、2005年にチャンスがやって来た。当時の首相、小泉純一郎による「郵政選挙」である。中川はこの機を逃さず刺客として野中の後継者に挑み、156票の僅差で衆議院議員の座を射止める。連載『農協の大悪党 野中広務を倒し

                  小泉純一郎の威を借る「農協界のドン」が、宿敵・野中広務に引導を渡した郵政選挙の全内幕
                • ナベツネも野中広務も、なぜここまで戦争を憎んだか…世代論で読み解く昭和史が面白い(保阪 正康) @gendai_biz

                  特攻兵だった読売新聞・渡邉恒雄の憲法観 保阪氏が、このほど新刊『世代の昭和史 「戦争要員世代」と「少国民世代」からの告発』(毎日新聞出版)を発刊した。「戦争を遂行した世代」「戦争の要員とされて犠牲になった世代」「少年少女期に戦争を経験し、戦後の価値転換を目の当たりにした少国民世代」「純粋戦後民主主義世代」と4種類のカテゴリーに分け、「世代」という切り口によって歴史を鮮やかに腑分けする。 大正生まれの男性が数多く戦死する中、運良く太平洋戦争を生き抜いた人々もいる。新刊『世代の昭和史』の第3章、第4章で保阪正康氏は、戦後日本の政界、経済界、言論界を担った人々の固有名詞を次々と挙げる。 読売新聞の総帥・渡邉恒雄主筆がテレビカメラの前でしゃべるのは珍しい。NHKのBS1スペシャル「独占告白 渡辺恒雄 ~戦後政治はこうして作られた 昭和編」(2019年放送)や「平成編」(2021年放送)、NHKスペ

                    ナベツネも野中広務も、なぜここまで戦争を憎んだか…世代論で読み解く昭和史が面白い(保阪 正康) @gendai_biz
                  • 野中広務亡き後に「農協界のドン」が演じた復讐劇、野中陣営“2つの城”を籠絡支配

                    農協の大悪党 野中広務を倒した男 JAグループ京都のトップに26年にわたって君臨する中川泰宏氏は「ラジオ番組の主役」「小泉チルドレン」――として、京都府で高い知名度を誇る。彼を改革派とみる府民も少なくない。だが、中川氏には知られざる一面がある。農協組織を意のままに動かして「地上げ」を行い、ファミリー企業への利益誘導をしているのだ。本連載では、そうした農協私物化の実態や政敵、野中広務・元自民党幹事長との権力闘争など、中川氏の裏の顔を明らかにしていく。 バックナンバー一覧 JAグループ京都会長で、小泉チルドレンだった中川泰宏は総選挙で2連敗した後、京都を牛耳る陰のフィクサーとして再出発したが、子飼いの政治家が地方選挙で連敗するなどうまくはいかなかった。だが、2018年に政敵である野中広務が死去するのと前後して地元の首長選挙に連勝し、反撃ののろしを上げる。連載『農協の大悪党 野中広務を倒した男』

                      野中広務亡き後に「農協界のドン」が演じた復讐劇、野中陣営“2つの城”を籠絡支配
                    • 【日本の闇】あの京都のドン・野中広務でもかなわなかった「農協のフィクサー」中川泰宏の存在がヤバすぎる(千本木 啓文) @gendai_biz

                      「農協の独裁者」と呼ばれる男がいる。その名は中川泰宏。 中川が1995年から会長を務める「JAバンク京都信連」(京都府信用農業協同組合連合会)の貯金残高は、1兆2567億円に達する。副会長を務めるJA共済連(全国共済農業協同組合連合会)の保有契約高は、なんと227兆円だ。JA共済連で保険商品を売り歩く農協の職員数は、18万6000人にのぼる。 京都の農協で27年以上にわたってトップに君臨しながら、中川泰宏は農協の労働組合潰しや悪質な地上げに手を染めてきた。2005年には「小泉チルドレン」として政界に進出し、野中広務と骨肉の争いを繰り広げる。 前篇『日本の最後のサンクチュアリ「農協」最大の独裁者は、いかにしてカネと権力を手に入れたか《農協のフィクサー》』に引き続き、新刊『農協のフィクサー』から読みどころを抜粋、ご紹介しよう(以下、文中敬称略)。 『農協のフィクサー』連載第1回(後篇) 「農協

                        【日本の闇】あの京都のドン・野中広務でもかなわなかった「農協のフィクサー」中川泰宏の存在がヤバすぎる(千本木 啓文) @gendai_biz
                      • 農協界のドンvs野中広務「代理戦争」の泥沼、実弟を懐柔された野中王国は崩壊へ

                        農協の大悪党 野中広務を倒した男 JAグループ京都のトップに26年にわたって君臨する中川泰宏氏は「ラジオ番組の主役」「小泉チルドレン」――として、京都府で高い知名度を誇る。彼を改革派とみる府民も少なくない。だが、中川氏には知られざる一面がある。農協組織を意のままに動かして「地上げ」を行い、ファミリー企業への利益誘導をしているのだ。本連載では、そうした農協私物化の実態や政敵、野中広務・元自民党幹事長との権力闘争など、中川氏の裏の顔を明らかにしていく。 バックナンバー一覧 JAグループ京都会長で、小泉チルドレンだった中川泰宏と野中広務・自民党元幹事長の戦いの場は国政選挙だけではなかった。むしろ、数十票を争う地元京都府の地方選挙における「代理戦争」での方が2人の闘志は燃え上がった。連載『農協の大悪党 野中広務を倒した男」』の#18では、逮捕者を出すほど白熱した泥沼の地方選挙の裏側に迫る。(ダイヤ

                          農協界のドンvs野中広務「代理戦争」の泥沼、実弟を懐柔された野中王国は崩壊へ
                        • 北朝鮮支援を「農協界のドン」が売名に利用した全内幕、野中広務の大誤算

                          農協の大悪党 野中広務を倒した男 JAグループ京都のトップに26年にわたって君臨する中川泰宏氏は「ラジオ番組の主役」「小泉チルドレン」――として、京都府で高い知名度を誇る。彼を改革派とみる府民も少なくない。だが、中川氏には知られざる一面がある。農協組織を意のままに動かして「地上げ」を行い、ファミリー企業への利益誘導をしているのだ。本連載では、そうした農協私物化の実態や政敵、野中広務・元自民党幹事長との権力闘争など、中川氏の裏の顔を明らかにしていく。 バックナンバー一覧 農協界のドンで、元小泉チルドレンでもある中川泰宏の知名度を一気に全国区に押し上げたのが、JAグループ京都が行った朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への食料支援だった。その支援を中川に持ち掛けたのは他ならぬ野中広務だ。連載『農協の大悪党 野中広務を倒した男』の#13では、野中が軽い気持ちで依頼した北朝鮮支援が、中川の政治的なパフ

                            北朝鮮支援を「農協界のドン」が売名に利用した全内幕、野中広務の大誤算
                          • 野中広務と石井一の国会論戦~「小沢一郎」「変節」を巡る~、がアウトレイジすぎる - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-

                            ひとつ前の記事から続く。そんなきっかけで「石井一」氏のことを思い出した。 m-dojo.hatenadiary.com 、最近また朝鮮半島情勢もきな臭くなったこともあって、氏の名前でtwitter検索したら、こんな動画が…… 自民党政治劇 1999年⑦ 民主党 石井一:亡国の独裁者 小沢一郎と組む輩は自民党を去れ ここまで言った人が、自自連立、小沢一郎との連立の中心で内閣の中核におられる。 これを称して「厚顔無恥」と言うのではないでしょうか? 野中広務:あなたがそこまで言うなら、私はあなたほど変節じゃないと pic.twitter.com/O4LZ4LPX9i— 個人情報 (@yoc_chyy) 2020年9月25日 こんなやり取りをしていたとしたら、国会議事録に残っているわけで。 ヨシ!! 国会会議録検索システム 第145回国会 衆議院 予算委員会 第20号 平成11年7月14日 103

                              野中広務と石井一の国会論戦~「小沢一郎」「変節」を巡る~、がアウトレイジすぎる - INVISIBLE Dojo. ーQUIET & COLORFUL PLACE-
                            • こたつぬこ🌾野党系政治クラスタ @sangituyama 京都がなぜ共産党vsそれ以外かというと、60年代〜70年代の蜷川府政のもとで共産党が急拡大し社会党が食い尽くされたから。それに危機感を抱いて対共産の陣形をつくりあげたのが野中広務。ここには同和利権をめぐる対立もある。野中は蜷川から保守府政を奪還しその功で国政に進出し、経世会のボスになる

                              • 野中広務が「農協界のドン」に初対面で放った侮蔑的発言、師弟が反目するまでの全内幕

                                農協の大悪党 野中広務を倒した男 JAグループ京都のトップに26年にわたって君臨する中川泰宏氏は「ラジオ番組の主役」「小泉チルドレン」――として、京都府で高い知名度を誇る。彼を改革派とみる府民も少なくない。だが、中川氏には知られざる一面がある。農協組織を意のままに動かして「地上げ」を行い、ファミリー企業への利益誘導をしているのだ。本連載では、そうした農協私物化の実態や政敵、野中広務・元自民党幹事長との権力闘争など、中川氏の裏の顔を明らかにしていく。 バックナンバー一覧 農協界のドンで、元小泉チルドレンでもある中川泰宏を語るとき、政敵として立ちはだかった自民党元幹事長の野中広務は欠かすことのできない存在だ。師弟関係から始まった二人は、最終的に完全に敵対し、野中が中川のことを「正面の敵」と公言するまでになった。同志でもライバルでもあった二人は初対面からすでに火花を散らしていた。連載『農協の大悪

                                  野中広務が「農協界のドン」に初対面で放った侮蔑的発言、師弟が反目するまでの全内幕
                                • 三浦英之 新刊「白い土地」予約開始 on Twitter: "まともな記者なら、こんな「踏み絵」みたいなオフレコ朝食会なんて参加したくないと思うし、内閣記者会はしっかりと拒否すべき。みんなでパンケーキとか食べるのだろうけど、部外者からすれば、昔、野中広務さんが言っていた「毒まんじゅう」のよう… https://t.co/vfQSR4hb8W"

                                  まともな記者なら、こんな「踏み絵」みたいなオフレコ朝食会なんて参加したくないと思うし、内閣記者会はしっかりと拒否すべき。みんなでパンケーキとか食べるのだろうけど、部外者からすれば、昔、野中広務さんが言っていた「毒まんじゅう」のよう… https://t.co/vfQSR4hb8W

                                    三浦英之 新刊「白い土地」予約開始 on Twitter: "まともな記者なら、こんな「踏み絵」みたいなオフレコ朝食会なんて参加したくないと思うし、内閣記者会はしっかりと拒否すべき。みんなでパンケーキとか食べるのだろうけど、部外者からすれば、昔、野中広務さんが言っていた「毒まんじゅう」のよう… https://t.co/vfQSR4hb8W"
                                  • 亡くなった石原慎太郎氏の意外な中国観 野中広務氏の仲介で中国大使と会食した日(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース

                                    石原慎太郎・元東京都知事が2月1日、89歳で亡くなった。この日の干潮は午前11時16分、石原の逝去はそれから間もなくだったと言う。晩年は暴走老人と呼ばれてあちこちで軋轢を生んだが、最期はヨットを愛した海の男らしく、引き潮とともに逝った。【武田一顕/ジャーナリスト】 【写真7枚】慎太郎・裕次郎の超貴重カット 1995年4月に国会議員を辞して、99年に都知事となった翌年の秋だったと思う。石原は当時の森総理を官邸に訪ねた。その頃の私は北京特派員を終えてTBSラジオの国会担当記者となり、飛ぶ鳥をおとす勢いの石原を追っていた。理想の総理の上位に入るなど、石原への期待は都民だけに止まらないものとなっていた。この日も私は、総理の執務室から出てくる石原を取材しようと扉の前で待機していたのだが、森との面会を終えて出てきたその人は私の顔を見るなり、「おっ、出たな支那のスパイ!」と宣った。場所は日本国の中枢たる

                                      亡くなった石原慎太郎氏の意外な中国観 野中広務氏の仲介で中国大使と会食した日(デイリー新潮) - Yahoo!ニュース
                                    • 野中広務が「農協界のドン」に激怒した理由、同和問題改革者が利権の亡者に変心の裏切り

                                      農協の大悪党 野中広務を倒した男 JAグループ京都のトップに26年にわたって君臨する中川泰宏氏は「ラジオ番組の主役」「小泉チルドレン」――として、京都府で高い知名度を誇る。彼を改革派とみる府民も少なくない。だが、中川氏には知られざる一面がある。農協組織を意のままに動かして「地上げ」を行い、ファミリー企業への利益誘導をしているのだ。本連載では、そうした農協私物化の実態や政敵、野中広務・元自民党幹事長との権力闘争など、中川氏の裏の顔を明らかにしていく。 バックナンバー一覧 農協界のドンで、元小泉チルドレンでもある中川泰宏が政治家として最も輝いたのは八木町長時代だ。中川は利権の温床となっていた町の同和対策事業を全廃したのだ。同和団体が町役場に押し掛けるといった抵抗にひるまず利権に切り込んだ。衆議院議員だった野中広務もそれを応援した。しかし、中川のある「裏切り行為」によって2人は反目していく。連載

                                        野中広務が「農協界のドン」に激怒した理由、同和問題改革者が利権の亡者に変心の裏切り
                                      • Amazon.co.jp: 野中広務 権力闘争全史: 大下英治: 本

                                          Amazon.co.jp: 野中広務 権力闘争全史: 大下英治: 本
                                        • 野中広務を「猛毒」で潰せ!小泉純一郎が「農協のフィクサー」を衆議院議員に仕立てあげた過程が凄まじすぎた《日本人が知らない戦後史の闇》(千本木 啓文) @gendai_biz

                                          郵政民営化選挙の「刺客」に指名される 「農協のフィクサー」中川泰宏は、どうにかして国会議員として中央政界に進出したかった。だが中川が京都農協のドンであることが、政界進出を阻む。チャンスが訪れるたび、同じ京都を地盤とする野中広務から激しい妨害を受けたのだ。 ところが小泉純一郎の登場によって潮目が変わる。「郵政民営化」一点張りで勝負をかけた2005年9月の衆議院総選挙で、「小泉チルドレン」「自民党守旧派への刺客」に指名されたのだ。 〈〇三年、野中は政界を引退した。野中自身は国会議事堂に雷が落ちたのを天啓のように感じたことが引退のきっかけであると語っているが、実際は政敵である小泉純一郎との戦いで刀折れ矢尽きたからに他ならなかった。 野中は同年九月、小泉の首相続投を阻止しようと政治生命を懸けて自民党総裁選に臨んだ。しかし、仲間であるはずの平成研究会の有力者(当時の参議院幹事長の青木幹雄や同派閥会長

                                            野中広務を「猛毒」で潰せ!小泉純一郎が「農協のフィクサー」を衆議院議員に仕立てあげた過程が凄まじすぎた《日本人が知らない戦後史の闇》(千本木 啓文) @gendai_biz
                                          • 「ここまで徹底した気配りをするのか」安倍晋三、竹下登、野中広務…中国と対峙した大物政治家の“凄み”《ベテラン外交官が語る》(文春オンライン) - Yahoo!ニュース

                                            2020年9月16日、菅義偉内閣が発足したこの日、私は永田町・議員会館の事務所で、安倍晋三前総理と向き合っていました。同年11月に駐中国大使として北京に赴任する前の挨拶に伺ったのです。 30分弱の面会ではありましたが、安倍さんは「垂大使のように中国と台湾の両方を知っている人に大使になっていただき、非常に嬉しい」と言ってくれ、習近平国家主席と李克強国務院総理との本当の関係など中国内政についても尋ねられました。一方で、大半を占めたのが台湾に関する話題でした。面会の冒頭、安倍さんはこう切り出しました。 「その節は、母が大変お世話になりました」 16年6月、アジア大洋州局審議官だった私は、安倍洋子さんが台湾を訪れた際に随行しました。 この訪台に繋がったのは、前年10月に北京の天安門広場の横にある国家大劇院で行われたNHK交響楽団の公演です。自民党の二階俊博総務会長が尽力して実現したもので、二階さん

                                              「ここまで徹底した気配りをするのか」安倍晋三、竹下登、野中広務…中国と対峙した大物政治家の“凄み”《ベテラン外交官が語る》(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
                                            • 内閣官房機密費の使途についての野中広務・元官房長官の証言 : 上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場

                                              2010年05月21日17:14 カテゴリ内閣官房機密費 内閣官房機密費の使途についての野中広務・元官房長官の証言 はじめに 1998年7月から1年余り小渕内閣で官房長官を務めた野中広務氏が、テレビ、新聞、週刊誌で、内閣官房報償費(いわゆる官房機密費)の使途について一定程度話し始めている。 貴重な証言なので、以下、記録に残すために紹介しておこう。 1.TBS『NEWS23X(クロス)』は、2010年4月19日と同月20日の2回にわたり、「シリーズ追跡:官房機密費の真実」を放送しました。 >【第1夜】 外交の情報収集などを目的とした官房機密費予算は、年間14億6000万円が計上されている。内容が公開されることのない機密費は、国会対策等に流用されているのではないかという疑惑が囁かれてきた。そんな中、官房機密費を一手に扱う官房長官を務めた野中広務氏が番組の単独インタビューに応じ、その実態を初めて

                                                内閣官房機密費の使途についての野中広務・元官房長官の証言 : 上脇博之 ある憲法研究者の情報発信の場
                                              • かつて野中広務が田原総一朗に渡そうとした裏金の額とは?「いいお茶を渡したい」喫茶店で渡された紙袋の中には100万円の封筒がひとつ、ふたつ… | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け

                                                権力と金の誘惑、そしてタブーへの挑戦僕はこの本を極めてアクチュアルな「遺言」のつもりで語り下ろしている。こういう本にありがちな構成を裏切るように、まずライフワークとして追いかけている政策テーマについて、長々と述べたのは、その切迫感からだ。 二つ目に言い残したいことは、ジャーナリストの取材姿勢についてだ。 自由な言論を司るジャーナリズムは、批判力こそがその精髄だ。僕らは、誰に対しても、何に対しても、常に自由に批判できるようにしておかなければならない。 批判の矛先は権力に向けられることが多い。ということは、権力から身分と金を受け取ってはならないということになる。 田中角栄から差し出された厚さ1センチの封筒 僕はジャーナリストだけど、名刺には肩書きが一切ない。名前と連絡先だけだ。僕が好きなことを言えるのは、肩書きがないからだ。つまり、どこにも属してないので、気を遣う必要がない。 権力側の、ジャー

                                                  かつて野中広務が田原総一朗に渡そうとした裏金の額とは?「いいお茶を渡したい」喫茶店で渡された紙袋の中には100万円の封筒がひとつ、ふたつ… | 集英社オンライン | ニュースを本気で噛み砕け
                                                • 緑 雷光 on Twitter: "石原慎太郎が新井将敬にしたことと、麻生太郎が野中広務に言い放ったことは、しっかり覚えといて蒸し返そうな。"

                                                  石原慎太郎が新井将敬にしたことと、麻生太郎が野中広務に言い放ったことは、しっかり覚えといて蒸し返そうな。

                                                    緑 雷光 on Twitter: "石原慎太郎が新井将敬にしたことと、麻生太郎が野中広務に言い放ったことは、しっかり覚えといて蒸し返そうな。"
                                                  • 『野中広務氏死去 麻生太郎「部落出身者を総理にはできないわなぁ」』

                                                    転機となった「裏切り」 野中広務さんの「政治と差別」 https://www.j-cast.com/2018/01/26319712.html 2018年1月26日に92歳で亡くなった元官房長官の野中広務さんは、近年、政権中枢を担った保守政治家の中ではとびぬけて重たい人生経験の持ち主だった。 戦争末期に召集され、軍隊生活を送っただけではない。身をもって「被差別」を知り、もがきしんだ過去があった。 ◆「差別体験」を赤裸々に語る 元共同通信記者、魚住昭さんは2004年、『野中広務 差別と権力』(講談社)を出版、野中さんの波乱に満ちた人生に切り込んだ。当時、しぶしぶ取材に応じた野中さんは「話をするのはいいけれど、雑誌に書かれるのは迷惑な話なんで、死んでからにしてください」と、良い顔をしなかった。 だが、政界引退後の09年に人材育成コンサルタント、辛淑玉さんと共著で出した『差別と日本人』(角川書店

                                                      『野中広務氏死去 麻生太郎「部落出身者を総理にはできないわなぁ」』
                                                    • 「闘う政治家」野中広務の足跡 “叩き上げ政治”の無念:時事ドットコム

                                                      「“叩き上げ”の弱点」 記者会見で今期限りでの政界引退を表明する自民党橋本派の野中広務元幹事長=2003年9月【時事通信社】 なぜ、こうも簡単に、野中が守り続けた「リベラル保守」の理念は影響力を失ったのか。深みのある「大人の政治」は崩壊しつつあるのか。 悲惨な戦争の記憶が薄れたことだけが原因なのだろうか。いや、それだけではあるまい。やはり、「リベラル保守」を継承するリーダーが育っていないということも大きな理由だろう。そして、これは野中が唯一、置き去りにしてしまった仕事だ。 残念ながら崇高な理念も、それだけでは呪文と変わらない。権力と結び付いてこそ人々を動かし、時代の精神となり得る。野中は、弱者のために強くなければならないことを知っていた。弱者と共に歩むだけでは、弱者を救えないことを知るリアリストだった。だからこそ、強力な権力を求めて権謀術数を繰り広げ、政敵を執拗に攻撃したのだ。 しかし、野

                                                        「闘う政治家」野中広務の足跡 “叩き上げ政治”の無念:時事ドットコム
                                                      • 野中広務氏が映した自民党の「強さ」と「弱さ」

                                                        ただ、野中氏はこの政権の中で自治相など要職を務め、加藤氏との親交を深める中で、加藤氏流のハト派リベラル路線を身につけていった。戦争体験に基づく平和への思いや地方政治家として学んだ弱者への配慮といった個人的経験が、加藤氏との交流で「理論化」されていった。 1998年、野中氏は小渕恵三内閣の官房長官に就任。沖縄問題などに尽力する。ただ、自民党は参院で過半数を持っておらず、政権は不安定だった。そこで野中氏は、宿敵の小沢氏率いる自由党との連立を実現。その後、公明党も加えた自民・自由・公明連立政権となる。野中氏は政権を安定させることで、消費税率の引き上げや社会保障の拡充などを狙っていたが、小渕氏が病気で倒れたことで、その構想が実現することはなかった。 2000年秋、加藤紘一氏が森喜朗首相を倒そうとした「加藤の乱」で、自民党幹事長だった野中氏は盟友の加藤氏と対立。加藤氏の支持グループを個別に揺さぶり、

                                                          野中広務氏が映した自民党の「強さ」と「弱さ」
                                                        • 野中広務が見た朝鮮人の「強制労働」

                                                          私の生まれ育った京都府船井郡園部町(現在の南丹市)がある口丹波(くちたんば)といわれる地方には戦争前、マンガンなどの鉱山がありました。 僕は子どものころ、鉱山で働く朝鮮人が、背中にたくさんの荷物を背負い、道をよろよろ歩く、疲れ切ってうずくまるとムチでパチッと叩(たた)かれ、血を流しながら、はうようにまた歩き出す、そんな姿を見てきました。また私の家から300メートルほど先に大阪造兵廠(しょう)が疎開してきて、兵器を造るため連行されてきた朝鮮人が同じようにひどい仕打ちで働かされていました。

                                                            野中広務が見た朝鮮人の「強制労働」
                                                          • 野中広務に「農協界のドン」が反逆した最大の理由、“京都政界”権力抗争の修羅場

                                                            農協の大悪党 野中広務を倒した男 JAグループ京都のトップに26年にわたって君臨する中川泰宏氏は「ラジオ番組の主役」「小泉チルドレン」――として、京都府で高い知名度を誇る。彼を改革派とみる府民も少なくない。だが、中川氏には知られざる一面がある。農協組織を意のままに動かして「地上げ」を行い、ファミリー企業への利益誘導をしているのだ。本連載では、そうした農協私物化の実態や政敵、野中広務・元自民党幹事長との権力闘争など、中川氏の裏の顔を明らかにしていく。 バックナンバー一覧 農協界のドンで、元小泉チルドレンでもある中川泰宏は、地元の町長を務めつつ、国政への進出を虎視眈々と狙っていた。1998年には参議院議員選挙に自民党公認候補として出馬を目指したが、自民党幹事長代理だった野中広務が首を縦に振らなかった。チャンスを逸した中川は野中への怨念を募らせていく。連載『農協の大悪党 野中広務を倒した男』の#

                                                              野中広務に「農協界のドン」が反逆した最大の理由、“京都政界”権力抗争の修羅場
                                                            • 【自民党と創価学会】自公関係の本質は「連立」ではなく「選挙協力」 野中広務・幹事長が見いだした「自創連携」という計略

                                                              公称会員827万世帯を誇る創価学会──政権運営に多大な影響を及ぼしながら、これまで公明党という緩衝材のおかげで、自民党との関係性は表に見えてこなかった。支持率低下にあえぐ岸田政権の生殺与奪権をも握る「最強集票組織」の正体に迫る──。 自公ではなく「自創」という連立政権の核心を知り得る者は、永田町にも数少ない。長年その関係を取材し、創価学会との太いパイプがあることで知られる菅義偉・前首相のもとで首相補佐官を務めた帝京大学教授の柿崎明二氏がその内幕を描く。【全3回の第2回。第1回から読む】 * * * メディアは自公関係を「連立」と称する。しかし、これでは野党時代を説明できない。本質は選挙協力にある。2009年に下野した直後、公明党は関係見直しを模索したが、2010年の参院選でも地域ごとの協力は維持され、非改選も含めて民主党を参院過半数割れに追い込んだ。2012年、衆院選では選挙協力をほぼ復活

                                                                【自民党と創価学会】自公関係の本質は「連立」ではなく「選挙協力」 野中広務・幹事長が見いだした「自創連携」という計略
                                                              • 野中広務が語っていた安倍政権への怒り!「安倍首相は東條英機と変わらない」「麻生太郎の部落差別発言は絶対許さん」 (2018年1月29日) - エキサイトニュース

                                                                元衆院議員の野中広務氏が26日、92歳で逝去した。野中氏といえば、小渕、森内閣で官房長官や自民党幹事長などを歴任、その情報収集力や剛腕ぶりから"影の総理""キングメーカー"とまで称された政治家だ。 そのため野党や各界からもその死を惜しむ声が寄せられている。しかし肝心の自民党は元重鎮の死にもかかわらず、ほとんど誰もコメントを発していない。 普通なら真っ先に弔意を表わす立場であるはずの安倍首相や菅義偉官房長官もなぜか、きちんと公に弔意を表した形跡はまったくない。 この明らかな無視の理由はやはり、野中氏が後年、安倍首相と安倍政権、自民党主流派にとって、煙たい存在だったからだろう。 その利権や恫喝的な政治手法への批判が絶えなかった野中氏だが、一方で徹底した護憲の姿勢を貫き、第二次安倍政権以降は、安倍首相の歴史修正主義や平和主義を脅かす戦争政策を徹底的に批判してきた。 たとえば、安倍政権が集団的自衛

                                                                  野中広務が語っていた安倍政権への怒り!「安倍首相は東條英機と変わらない」「麻生太郎の部落差別発言は絶対許さん」 (2018年1月29日) - エキサイトニュース
                                                                • 野中広務 辛淑玉『差別と日本人』悪人 - 誰かあの本を知らないか

                                                                  野中広務 辛淑玉『差別と日本人』角川oneテーマ21(2009.6.10初版発行) この世に悪人はいるであろうか。人がひとりでは生きられない以上、必ず善人でさえ悪人とも手を結ぶしかないとすれば、それは悪人であろうか。それは善人であろうか。 それでも有史このかた、人類は悪人という象徴を、とりわけ政治家に必要とした。彼は人類の嫌われ者である。 有能で見識があって必要悪に手を染める勇気があり、誰も知らないところで自己犠牲に身を挺し、このうえないほど憎まれた。その仕事は省みられず、すがたと面つきばかりが戯画化され、遠巻きに嘲弄され、近い者は面従腹背した。家族ですら家族でなく、場合によっては自らも敵であった。 彼は恫喝することをためらわない。私腹も肥やす。なぜなら善人こそが、金で転ぶことをよく知っているからである。善人のように金が好きなわけではない。 人間には「生まれつき」と「めぐり合わせ」で果たさ

                                                                    野中広務 辛淑玉『差別と日本人』悪人 - 誰かあの本を知らないか
                                                                  • 危機管理のプロが断言。コロナ禍に故・野中広務氏が必要だと感じた訳 - まぐまぐニュース!

                                                                    一時期に比べて落ち着いてきたものの依然として予断を許さない、新型コロナウイルスの感染拡大。この未曾有の危機を迎えている日本に、かつて自民党幹事長、官房長官を歴任し2018年に亡くなった故・野中広務氏がいてくれたら…と思いを馳せるのは、軍事アナリストでメルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する小川和久さん。小川さんは、世間でも評価が真っ二つに分かれている野中氏が、いかに決断力、行動力、判断力などに優れていたかを実際に経験したエピソードを交えて紹介しています。 コロナの時代には野中広務が必要 1月26日は、野中広務さんのご命日でした。2018年のこの日、92歳で旅立たれました。 自民党幹事長、内閣官房長官などを歴任し、私が仕事でご一緒させていただいた政治家の中でも、特に印象に残っている人です。 なぜ野中さんのことを書くのか。 それは、現在のコロナ対策の有り様を前に、野中さんが首相だったら、自民党幹

                                                                      危機管理のプロが断言。コロナ禍に故・野中広務氏が必要だと感じた訳 - まぐまぐニュース!
                                                                    • 次のAmazonレビューを確認してください: 野中広務 権力闘争全史

                                                                      野中広務、この男こそ平成時代の激動の30年の主役であった。 90年代以降日本政治を動かしたのは、今やキングメーカーとなった森喜朗でも、経世会を潰すことで安倍独裁政権を生んだ小泉純一郎でもなければ、7年8カ月の長期政権を維持した安倍晋三でもない。 90年代の永田町を動かした陰の男こそ、この野中広務だった。 竹下登亡き今、90年代以降の政治は小沢一郎と野中広務の時代だった。 自民党最大派閥経世会を割り、表向き二大政党制を掲げた小沢一郎。 120人を誇った自民党最大派閥経世会の分裂が今の清和会独裁政治を生んでいる。 その主役は間違いなく小沢一郎だった。 時は海部政権、時の最高権力者は間違いなく、若き経世会のエース47歳の自民党幹事長小沢一郎だった。 政界のドン金丸信の庇護のもと永田町の最高権力者として絶頂にあった小沢はPKO法案、自衛隊の海外派遣の先鞭をつけた。 当時日本は湾岸戦争にあたりクウェ

                                                                      • 私が見た政治家・野中広務の神髄 - 御厨貴|論座アーカイブ

                                                                        私が見た政治家・野中広務の神髄 孤高のケンカ師政治家が弱者救済、平和追求、差別解消の政治を求めるようになったわけ 御厨貴 東京大学名誉教授 1月26日、野中広務さんが亡くなった。享年92歳。大往生といっていい。 最後に会ったのは一昨年の12月。私が司会者をつとめるTBSの「時事放談」に古賀誠(自民党元衆院議員)さんと一緒に出てもらった時だ。 当時、私は「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の座長代理を仰せつかり、会議の仕切りやメディア対応でそれなりに苦労をしていた。それを知ってか知らずか、野中さんは番組の最後で、大事なお働きをしていただいてありがとうございました、と言った。その声音が今もありありと耳底に残る。 訃報(ふほう)を耳にした時に感じたのは、「巨星墜つ」という思いだった。そんな感慨を抱く政治家はもう最後かもしれない。 首相をつとめたわけではない。中央政界で活躍した期間も実はそ

                                                                          私が見た政治家・野中広務の神髄 - 御厨貴|論座アーカイブ
                                                                        • 「影の総理」野中広務はなぜ権力闘争を挑み続けたのか(菊池 正史)

                                                                          2018年1月に逝去した政治家・野中広務。政敵と徹底的に闘う強面のイメージが強かった一方で、戦争を憎み平和を愛した政治家でもあった——。 「強いリーダー」がもてはやされる現代にこそ見直すべき彼の「政治哲学」とは? 今の日本には、こういう政治家が求められているのではないか。菊池正史『「影の総理」と呼ばれた男 野中広務 権力闘争の論理』(講談社現代新書)より。 戦死した父親を訪ねて 今から16年前の2003(平成15)年2月9日、野中広務は太平洋戦争激戦の地、レイテ島ダニエル・Z・ロマオルデス空港に降り立った。傍らには古賀誠の姿もあった。森喜朗政権下、野中の後を継いで自民党の幹事長を務め、肝胆相照らす仲である。 空は青く澄み渡り、強い日差しが容赦なく二人の顔を突き刺す。2月とはいえ、熱帯ならではの蒸し暑さがまとわりついた。 チャーターしたバスにともに乗り込み、街中から1時間ほど走った山間部でバ

                                                                            「影の総理」野中広務はなぜ権力闘争を挑み続けたのか(菊池 正史)
                                                                          • 官房機密費「月7000万円」 野中広務氏の告白 ~過去の紙面から | 毎日新聞

                                                                            小渕恵三内閣時代の官房機密費について語る野中広務元官房長官=東京都千代田区で2010年5月20日午後、佐々木順一撮影 東京オリンピックの招致活動に関する石川県の馳浩知事の発言で、内閣官房報償費(官房機密費)が改めて注目されています。使途を公表していない官房機密費に関し岸田文雄首相も29日の参院予算委員会で、「取り扱いはさまざまな経緯を踏まえたもの。現状の取り扱いを維持していくべきだ」と話しましたが、過去に「目的外使用」が指摘されたことがありました。その一端を明らかにしたのが、小渕恵三内閣(1998年7月~2000年4月)で官房長官を務めた野中広務氏(18年に92歳で死去)。10年5月、当時84歳だった野中氏が生々しく明かしたインタビューを、再掲載します。(2010年5月21日付・毎日新聞朝刊) 読まれています・関連記事 ▼馳浩知事、東京五輪招致で「機密費でIOC委員に贈答品」 後に撤回 ▼

                                                                              官房機密費「月7000万円」 野中広務氏の告白 ~過去の紙面から | 毎日新聞
                                                                            • 【闇の戦後史】なぜ現役「農協のフィクサー」は北朝鮮で名前を売ろうとしたか…北朝鮮妻「里帰り」騒動での野中広務との暗闘がヤバい(千本木 啓文) @gendai_biz

                                                                              【闇の戦後史】なぜ現役「農協のフィクサー」は北朝鮮で名前を売ろうとしたか…北朝鮮妻「里帰り」騒動での野中広務との暗闘がヤバい 農協のフィクサー 「農協の独裁者」と呼ばれる男がいる。その名は中川泰宏。 中川が1995年から会長を務める「JAバンク京都信連」(京都府信用農業協同組合連合会)の貯金残高は、1兆2567億円に達する。副会長を務めるJA共済連(全国共済農業協同組合連合会)の保有契約高は、なんと227兆円だ。JA共済連で保険商品を売り歩く農協の職員数は、18万6000人にのぼる。 京都の農協で27年以上にわたってトップに君臨しながら、中川泰宏は農協の労働組合潰しや悪質な地上げに手を染めてきた。2005年には「小泉チルドレン」として政界に進出し、野中広務と骨肉の争いを繰り広げる。 「週刊ダイヤモンド」記者として取材してきた千本木啓文氏が「農協の独裁者」中川泰宏の実像に迫る。新刊『農協のフ

                                                                                【闇の戦後史】なぜ現役「農協のフィクサー」は北朝鮮で名前を売ろうとしたか…北朝鮮妻「里帰り」騒動での野中広務との暗闘がヤバい(千本木 啓文) @gendai_biz
                                                                              • 心に残る故野中広務さんのあいさつ 対談・水平社100年 /下 | 毎日新聞

                                                                                日本初の全国的な反差別当事者団体「全国水平社」結成から100年を迎え、世代が違う被差別部落出身の女性、京都市在住の山本栄子さん(91)と、和歌山市出身の坂東希大阪大特任講師(43)の対談。下は、部落が解放されるとはどういうことか、部落での取り組みの蓄積が、どのように広まったらよいかなどを議論した。(対談の「上」はこちら)【構成・鈴木英生】 出自を「隠さんでもええんや」 ――上で、「部落出身と言いにくい」という話がありました。山本さんには、何かエピソードがありますか? ◆山本 私は調理師になる前、1年だけ市役所でアルバイトをしました。私がいつも大声で部落解放運動の話をしていたら、ある日、隣の課長さんに「山本さん、山本さん」と呼ばれました。「なんですかー?」と聞いたら、その課長さん、「実は、私もなんです」と切り出されました。2世代前に部落から引っ越して、ずっと隠して生きてきた。役所の同和研修な

                                                                                  心に残る故野中広務さんのあいさつ 対談・水平社100年 /下 | 毎日新聞
                                                                                1