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霞堤の検索結果1 - 40 件 / 126件

  • 一見ひどい洪水が起きてるだけに見えるこの光景、実は見事な治水で周りを守っていた

    Kent AOKI @kentaoki @asahi_photo これは見事な洪水制御の写真. 単に氾濫しているのではなく,霞堤によって制御されている氾濫.浸水しているのは当初から氾濫が想定されいる遊水地となる場所.さらに,堤防として機能させることを想定して作られている道路もしっかりと集落への浸水を防いでいる. 2022-08-06 05:15:37 オイカワ丸 @oikawamaru これは見事な治水。絶対にあふれない治水はあり得ないということが昨今の災害で明らかになったこと。その前提の上でいかに人の命を守るか、いかに失う財産を減らすか、というのが流域治水の考え方。なのでこの記事は「霞堤が機能して町の水没を防ぎました!」と報道しないといけません。 twitter.com/asahi_photo/st… 2022-08-06 11:20:26

      一見ひどい洪水が起きてるだけに見えるこの光景、実は見事な治水で周りを守っていた
    • Kent AOKI on Twitter: "これは見事な洪水制御の写真 単に氾濫しているのではなく,霞堤によって制御されている氾濫.浸水しているのは当初から氾濫が想定されいる遊水地となる場所.さらに,堤防として機能させることを想定して作られている道路もしっかりと集落への浸水… https://t.co/Eqn9aZAFTu"

      これは見事な洪水制御の写真 単に氾濫しているのではなく,霞堤によって制御されている氾濫.浸水しているのは当初から氾濫が想定されいる遊水地となる場所.さらに,堤防として機能させることを想定して作られている道路もしっかりと集落への浸水… https://t.co/Eqn9aZAFTu

        Kent AOKI on Twitter: "これは見事な洪水制御の写真 単に氾濫しているのではなく,霞堤によって制御されている氾濫.浸水しているのは当初から氾濫が想定されいる遊水地となる場所.さらに,堤防として機能させることを想定して作られている道路もしっかりと集落への浸水… https://t.co/Eqn9aZAFTu"
      • オイカワ丸 on Twitter: "これは見事な治水。絶対にあふれない治水はあり得ないということが昨今の災害で明らかになったこと。その前提の上でいかに人の命を守るか、いかに失う財産を減らすか、というのが流域治水の考え方。なのでこの記事は「霞堤が機能して町の水没を防ぎ… https://t.co/lNg0zdxH7i"

        これは見事な治水。絶対にあふれない治水はあり得ないということが昨今の災害で明らかになったこと。その前提の上でいかに人の命を守るか、いかに失う財産を減らすか、というのが流域治水の考え方。なのでこの記事は「霞堤が機能して町の水没を防ぎ… https://t.co/lNg0zdxH7i

          オイカワ丸 on Twitter: "これは見事な治水。絶対にあふれない治水はあり得ないということが昨今の災害で明らかになったこと。その前提の上でいかに人の命を守るか、いかに失う財産を減らすか、というのが流域治水の考え方。なのでこの記事は「霞堤が機能して町の水没を防ぎ… https://t.co/lNg0zdxH7i"
        • 太田猛彦『森林飽和』が話題のようなので読書メモを編集なしでさらしあげるっ! - 歴史ニュースウォーカー

          森林飽和―国土の変貌を考える (NHKブックス No.1193)posted with ヨメレバ太田 猛彦 NHK出版 2012-07-26 Amazon楽天ブックス7netブックオフ図書館 昨年出たNHK選書です。太田猛彦さんの『森林飽和』。これは衝撃的に面白かったです。 線ひきまくり、抜き出しまくりだったので、かえって書評にできていませんでした。 まとめるのも面倒なので、恥を忍んで、読書メモをそのまま公開いたします。(若干読みやすくするために私のコメントの部分だけは引用の前にもっていって見出しスタイルにしておきます) 日経BPのインタビューで話題になって、アマゾンでは品切れ中(楽天ではあり)なようなので、中身を少しでも読みたい人はどうぞご覧ください。 ちなみに、恵美嘉樹はこんな風にして読んだ本から部分部分を抜き出して、それにつっこみとか入れて、ハードディスク(最近はエバーノート)に保存

            太田猛彦『森林飽和』が話題のようなので読書メモを編集なしでさらしあげるっ! - 歴史ニュースウォーカー
          • 去年の台風19号 多摩川沿いの浸水 “旧河道”を含んだ地域も | NHKニュース

            去年の台風19号では、多摩川沿いの東京や神奈川の住宅地で雨水を排水しきれなかったり、支流があふれたりするなどして浸水被害が相次ぎましたが、専門家が調べた結果、広い範囲で浸水した地域のほとんどに、かつて川が流れていたことを示す「旧河道」と呼ばれる地形が含まれていたことがわかりました。 わずかな高低差によって水が集まりやすいということで、専門家は、いち早い避難に役立てるため、土地の成り立ちにも注目してほしいと指摘しています。 去年の台風19号で多摩川では堤防は決壊しませんでしたが、雨水を排水しきれなかったり、支流があふれたりするなどして、浸水被害が相次ぎました。 地理学などが専門で帝京平成大学の小森次郎准教授は、多摩川の下流沿いで広い範囲に浸水被害が確認された川崎市や東京 世田谷区など15の地域で、被害の状況や土地の成り立ちとの関係について調べました。 その結果、13の地域にかつて川が流れてい

              去年の台風19号 多摩川沿いの浸水 “旧河道”を含んだ地域も | NHKニュース
            • 治水 - Wikipedia

              治水(ちすい)とは、洪水・高潮などの水害や地すべり・土石流・急傾斜地崩壊などの土砂災害から人間の生命・財産・生活を防御するために行う事業を指し、具体的には、堤防・護岸・ダム・放水路・遊水池などの整備や、河川流路の付け替え、河道浚渫による流量確保、氾濫原における人間活動の制限、などが含まれる。 洪水で水没した街(ピーセク市,チェコ) 河川と堤防(千種川,日本) オランダの大堤防 治水の概要と必要性[編集] 水は人間生活にとって不可欠な資源であると同時に、水害や土砂災害などの危険ももたらす。水の持つ危険性を制御しようとする試みが治水であるが、一方で水を資源として使用するための制御、すなわち利水も必要となってくる。水の制御に取り組むという点において、治水は利水との共通性を持ち、両者に不可分の関係が生じるのである。そのため、広義の治水には、利水をも含むことがある。 治水に当たる英語はflood c

                治水 - Wikipedia
              • 水害を最小限におさえる知恵「霞堤(かすみてい)」 福岡県朝倉市屋永 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

                『地形と日本人』(金田章裕著)P.84-88を拝読していると、「霞堤(かすみてい)」という堤防のことが紹介されていました。霞堤とは河川が氾濫したとき、その被害をできるだけ小さくするために工夫された堤防のことです。図式化すると以下のようなしくみの堤防です。 同著による霞堤の説明文を抜粋すると以下のようになります。 霞堤とは、河川の下流側に短い堤防の一方の端を近づけ、他方を上流側に河川から離れた方向に真っ直ぐ伸ばして(河道から見れば上流側に開いて)設置した堤防であり、これを何本も、河道沿いに雁行状(感覚を置いて平行に)設置したものである。 増水すれば当然のことながら、雁行状の堤防の間の不連続な隙間の部分から流水があふれる。しかし、あふれた流水は、霞堤によって上流側へ誘導されるので、流勢はそがれて上流側で滞水することになる。 つまり、増水した主流の堤防が多少弱いものであっても、上の図のように霞堤

                  水害を最小限におさえる知恵「霞堤(かすみてい)」 福岡県朝倉市屋永 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
                • 堤防 - Wikipedia

                  現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています。 削除についての議論は、削除依頼の依頼サブページで行われています。削除の議論中はこのお知らせを除去しないでください。 この項目の執筆者の方々へ: まだ削除が行われていない場合は、議論に参加し、削除の方針に該当するかどうか検討してください。また、本項目を既に編集されていた方は、自身の編集した記述内容を念のために控えておいてください。 この項目は著作権侵害が指摘され、現在審議中です。 審議の結果、該当する投稿以降の全ての版またはこのページ全体(すべての版)が削除される可能性があります。問題箇所の適切な差し戻しが行われていれば、削除の範囲は問題版から差し戻し直前の版までとなる可能性もあります。適切な差し戻しが行われていないと考えられる場合は、この版の編集や引用はしないで下さい。著作権上問題のない自分の投稿内容

                    堤防 - Wikipedia
                  • 流域治水に武田信玄考案の霞堤「地域での合意形成必要」 | 西日本新聞me

                    激甚化する水害の減災策として、堤防に切れ目を設ける戦国時代の手法「霞堤(かすみてい)」が再評価されている。明治時代以降の河川整備に伴い全国で姿を消したが、国土交通省が約50年ぶりに関東地方の那珂川と久慈川で新設する方針を決定。九州では宮崎の五ケ瀬川流域や福岡県の筑後川流域などに残っており、流域全体で被害を軽減する「流域治水」の方策として、先人の知恵を見直す動きが出ている。 霞堤は武田信玄が考案したといわれる。堤防に開口部を設けて周辺の田畑に誘導することで川を流れる水量を減らし、下流の堤防決壊を防ぐ仕組み。田畑を“遊水池”にして集落を守り、洪水が解消されれば水が自然と川に戻っていく。 那珂川や久慈川では2019年の台風19号で堤防が決壊。計約4800ヘクタールが浸水し、約3400棟が被害に遭った。国直轄のダムや遊水池がない上に、下流部の勾配が緩く、洪水時の被害が大きくなりやすいため、関東地方

                      流域治水に武田信玄考案の霞堤「地域での合意形成必要」 | 西日本新聞me
                    • 投げかけ - 実施報告 龍と亀 日本の治水術と中国の治水史:里川文化塾│ミツカン 水の文化センター

                      中華世界において、いかに黄河の占める意味合いが大きいかを物語る言葉に治黄(ちこう)があります。治黄すなわち黄河の治水に奔走した潘季馴(はん きじゅん)と陳★(ちん こう)、■輔(きん ぽ)の治水術を紹介しています。 蜂屋邦夫さんの投げかけ1 明清の治黄問題 治黄(ちこう)という言葉は、黄河の治水を指す言葉です。こういう用語が、中国にはちゃんとあるんですね。黄河は、とにかく暴れ川で、河道が何度も変わっています。だいたいは、下流は北東のほうに流れるのが普通の道筋でしたが、東南のほうに流れて淮河(わいが)と合流してしまった時期もあります。 明代と清代は、だいたい黄河の下流は南に流れ淮河に合流するという道筋でした。1397年(明の洪武30)から1431年(宣徳6)には10回も氾濫を起こし、1565年(嘉靖44)には、とうとう堤防が決壊してしまいました。島谷先生がお話された明代は、黄河の歴史でいうと

                      • 朝日新聞の河川氾濫写真について、もっと情報の精度を増してほしいという要望は理解できるものの、速報の目的と限界が忘れられていることは気にかかる - 法華狼の日記

                        大雨の影響で、滋賀県長浜市の高時川が氾濫(はんらん)し、田んぼや河川敷が水没していました。午前9時47分撮影。(矢) pic.twitter.com/GM6F9Uo8yU— 朝日新聞 映像報道部 (@asahi_photo) 2022年8月5日 大雨の影響で、滋賀県長浜市の高時川が氾濫(はんらん)し、田んぼや河川敷が水没していました。午前9時47分撮影。(矢) 朝日新聞映像報道部の上記ツイートに対して、金沢大学准教授の青木賢人氏と、オイカワ丸の名義で知られる中島淳氏*1の指摘が話題になっていた。 これは見事な洪水制御の写真 単に氾濫しているのではなく,霞堤によって制御されている氾濫.浸水しているのは当初から氾濫が想定されいる遊水地となる場所.さらに,堤防として機能させることを想定して作られている道路もしっかりと集落への浸水を防いでいる. https://t.co/KV0OSh8Rf9— K

                          朝日新聞の河川氾濫写真について、もっと情報の精度を増してほしいという要望は理解できるものの、速報の目的と限界が忘れられていることは気にかかる - 法華狼の日記
                        • めずらしい理由で天井川になった川~木津川支流~ 京都府木津川市 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ

                          どうして木津川を調べようとおもったのか? 『地形と日本人』,金田章裕著,P.80-114に、「堤防を築くと水害が起こる」という章があります。この章のなかに天井川について説明された箇所があり、天井川の代表的な河川として、三重県と京都府をながれる木津川(きづがわ)が例としてあげられています。 昔、愛知県名古屋市にすんでいたことがありました。名古屋から三重県や京都府へは、車で行ける距離だったので仕事がやすみのとき、ときどき足をはこんでいました。でもその当時は、「ただ遠くの街にいく」というだけの遠出だったのであまり印象にのこることはありませんでした。いま思うと、体力があまっていた20代のとき、漫然とひとり旅行をしていたのがもったいなかったなあと思います。 現在、それぞれの土地の風習や地質、地理などに興味がわいているので、もし中部地方へいける機会ができたとき、木津川周辺の天井川もみてみたいと思って、

                            めずらしい理由で天井川になった川~木津川支流~ 京都府木津川市 - 日々の”楽しい”をみつけるブログ
                          • 地図はいまも悪夢を知っている 浸水地域の地形に「旧河道」- NHK

                            地図はいまも悪夢を知っている その言葉の意味を、きっと多くの人がまだ知らないだろうし、知らなければ悪夢はまた起きる。そう感じざるをえない取材だった。 知っておいてほしい。あなたの目の前にある、けれど目には見えないリスクを。そして地図は今でもそれを教えてくれる、と。 (社会部記者 飯田耕太) 2020年10月に放送されたニュースの内容です 61年前の新聞記事 「地図は悪夢を知っていた」 そんな衝撃的な見出しが、新聞の一面に載ったのは今から61年前の昭和34年、中部日本新聞(現:中日新聞)日曜版でした。 前の月の「伊勢湾台風」の浸水被害の教訓を伝えるものです。 伊勢湾台風で水没した住宅(1959年) 記録的な高潮や暴風で死者・行方不明者が5000人超、浸水した住宅は30万棟にのぼった伊勢湾台風。 記事は、台風の3年前、地形をもとに浸水の危険性の高さを示した地図と、実際の浸水被害にあった地域がほ

                              地図はいまも悪夢を知っている 浸水地域の地形に「旧河道」- NHK
                            • 霞堤周辺の田畑に多数の穴、川の水が漏れ出す 宮崎:朝日新聞デジタル

                              台風16号の水害を軽減したとして注目された宮崎県延岡市北川町長井の北川の霞堤(かすみてい)で、川の水が堤防の地下を通じて周囲の田畑に漏れ出していたことが24日、わかった。冠水した田畑の水が引いた後に多数の穴が見つかった。このまま放置すれば大雨時の漏水で堤防の地盤が沈み、堤防が決壊する可能性もあるといい、県は対策を検討する。 霞堤は切れ目のある堤防で、川の増水時にそこから水を田畑に逃がして洪水を避ける古来の治水技術。田畑は緩やかに冠水して緩やかに水が引くため、被害を抑制できる。今回、町内の被災率(全戸数に占める建物被害戸数の割合)は1%未満で、霞堤も被害軽減に一役買ったとされている。 だが、北川の霞堤の一部がある川坂地区では、水が引いた田畑から大小の穴が多数見つかった。川坂大橋に近い堤防沿いのダイコン畑では約70平方メートル内に、すり鉢状に盛り上がった穴が40個ほど確認された。田んぼでは縦横

                                霞堤周辺の田畑に多数の穴、川の水が漏れ出す 宮崎:朝日新聞デジタル
                              • 「これは見事な洪水制御の写真」氾濫した滋賀県高時川の報道写真からわかる「霞堤」の機能と効果を専門家が解説

                                NHKニュース @nhk_news NHKニュースの公式アカウントです。最新のニュースを24時間休みなくお届けします。 nhk.jp/rules をご確認、ご了承ください。問い合わせは nhk.or.jp/css/ nhk.jp/news NHKニュース @nhk_news 5日午前11時半ごろ滋賀県長浜市の上空でNHKがヘリコプターから撮影した状況です。高時川と姉川に挟まれた場所が水につかっています。姉川が琵琶湖に流れ込んでいる場所では、大量の土砂や流木がたまっています。 www3.nhk.or.jp/news/html/2022… #nhk_video pic.twitter.com/wRoMzqWQt4 2022-08-05 14:36:52 朝日新聞 映像報道部 @asahi_photo 朝日新聞 映像報道部のアカウントです。映像報道部員や記者たちが撮影した写真や動画を中心に紹介し

                                  「これは見事な洪水制御の写真」氾濫した滋賀県高時川の報道写真からわかる「霞堤」の機能と効果を専門家が解説
                                • 常願寺川 - Wikipedia

                                  富山県富山市小見にて(芳見橋) 立山連峰と常願寺川空撮 常願寺川(じょうがんじがわ)は、富山県中新川郡立山町 および富山市を流れ富山湾に注ぐ一級河川。「常願寺川」の名称は鎌倉時代になって文献に現れる[1]。 古くは新川(ニヒ川、にいかわ)と呼ばれたり、上流下流でそれぞれ様々な呼称が用いられた[1](新川は新川郡の名の由来ともなっている)。流域の地名を取って大森川(おおもりがわ)・水橋川(みずはしがわ)・岩峅川(いわくらがわ)・芦峅川(あしくらがわ)とも呼ばれた。 古代から洪水が多かったため、川の名前は「出水(氾濫)なきを常に願う」という沿岸住民の気持ちをこめた瑞祥名称である[2]。また、立山の山中にある「常願寺」、下流の川沿いにある「常願寺村」、上流にある大岩「常願の岩」から名付けられた説もある[3]。 富山県の七大河川(黒部川、片貝川、早月川、常願寺川、神通川、庄川、小矢部川)の一つであ

                                    常願寺川 - Wikipedia
                                  • 歴史が語る、治水の変遷│32号 治水家の統(すべ):機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター

                                    私たちは、つい目の前の現実をそのまま受け止めてしまいます。 ところが、「今のダムを中心にした治水の考え方は、高度経済成長時代にできたもの」と松浦茂樹さんは言います。 土木技術や河川工学の進歩があって、洪水後にできた自然堤防や湖沼を利用するやり方から、 人工的な水利事業を興すように変わり、治水家の「目利き」は、いったんは不要になっていきます。 しかし、新たな治水家意識こそ、これからの地域を考えるキーワードになるかもしれません。 東洋大学国際地域学部国際地域学科教授 松浦 茂樹 (まつうら しげき)さん 1948年生まれ。1971年東京大学工学部土木工学科卒業後、同大学院修士課程を経て1973年建設省(当時)入省。土木研究所都市河川研究室長、近畿地方建設局淀川ダム統合管理事務所長、河川局水都調査官などを経て1999年より現職。 主な著書に、『明治の国土開発史ー近代土木技術の礎』(鹿島出版会19

                                    • 「決壊しない堤防」をつくった武田信玄の発想法に学べ | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)

                                      台風19号による猛烈な豪雨で河川の堤防が決壊するニュースを見ながら、思い出したことがある。それは武田信玄だ。 400年前、武田信玄が洪水対策としてつくった有名な堤防が、「信玄堤」こと「霞堤」である。水害から人々を守った功績で名高い「信玄堤」と、明治時代以降の治水事業がどう違うのか。まずは、国土交通省のOBたちに取材したときに知った2つの派閥から説明したい。 堤防には「連続堤防」と、「流域治水」という2つの考え方がある。 連続堤防はその名の通り、堤防が上流から下流まで連続して途切れることなく続くものである。洪水を防ぐために堤防を高くして、川底を掘削して深くする。水を溢れさせないように川の中に押し込めるという発想だ。 ところが、これを「危険だ」と主張する国交省のOBや元技官たちがいた。今から6年前、日本の行政の盲点を取材している際に出会った人たちで、その一人は琵琶湖から二府四県を流れて大阪湾に

                                        「決壊しない堤防」をつくった武田信玄の発想法に学べ | Forbes JAPAN 公式サイト(フォーブス ジャパン)
                                      • 文芸誌ムセイオン 大正文学を読む

                                        大正文学を読む ●大正文学について 文学史を紐解くと、大正は15年という短い時代であったにも関わらず、文学の思潮としては大きなうねりが見られ、特筆すべき作品も多い。文芸誌ムセイオンでは、大正時代に発表された作品を年代順に紹介していきながら、大正文学作品が持つ独特な魅力に迫っていきたい。 【大正文学作品】 ※緑色で記した作品は順次レビューアップ予定。 黒色で記したものはその年に発表されたその他の作品、著名な作品。 ※作品名や引用部分の旧字・旧仮名づかいは、一部改めて記しています。 ※リストにあるeBOOKリンクから作品を読むことができます。 大正元年(1912年) 「艦底」(荒畑寒村) eBOOK 「我等の一団と彼」(石川啄木) eBOOK 「霰ふる」(泉鏡花) eBOOK 「家」(稲岡奴之助) eBOOK(前編) eBOOK(後編) 「かかり船(改題/赤い矢帆)」(江口渙) 「ゆきずり」(

                                        • 過去に学ぶ~甲府盆地の治水システム|JFS ジャパン・フォー・サステナビリティ

                                          JFS ニュースレター No.164 (2016年4月号) 甲府盆地: Photo by Oita Trip Some rights reserved. 気候変動の影響の顕在化か、世界各地で大雨や洪水が増えています。日本でも、以前には考えられなかったほど、短時間に大量の雨が降るようになり、河川の氾濫や洪水、土砂崩れなどの被害が出ています。温暖化をこれ以上進めないように温室効果ガスの排出を急速に減らすことが肝要である一方、今後数十年にわたって、どうしても生じてしまう温暖化の影響に対する備えをしておくことの重要性も増しています。 国土が狭く、急峻な山地の多い日本の河川は急流が多く、明治時代に河川技術者として日本に招かれたオランダ人が、富山県を流れる常願寺川を見て「これは川ではない、滝だ」と言ったと伝えられるほど。世界でも多雨地帯であるモンスーンアジアに位置する日本には、世界平均の約2倍にあたる

                                          • 荒舩清十郎 - Wikipedia

                                            荒舩 清十郎(あらふね せいじゅうろう、1907年(明治40年)3月9日[1] - 1980年(昭和55年)11月25日[1])は、日本の政治家、実業家。運輸大臣(第33代)、行政管理庁長官(第40・42代)、衆議院副議長(第49代)。衆議院議員(13期)。位階は正三位、勲等は勲一等。東映フライヤーズのプロ野球選手(1970年 - 1972年)、埼玉県議会議員(1期、1979年4月 - 1983年3月)であった荒舩洋資は甥であり後に養子となる[2]。 埼玉県秩父郡[1]高篠村(現秩父市)出身。先代・清十郎の長男[3]。埼玉県立工業学校卒業[4]、明治大学専門部中退[1]。織物製造業を経営[3]。 「清十郎」は先祖代々の襲名で、本人は16代目にあたる(以後は襲名者は出ていない)[5]。ほとんどのメディアでは「荒船」と表記していたが、「荒舩」が正しく、本人は誤記されると怒ったという[5]。先祖

                                            • 信玄堤 - Wikipedia

                                              信玄堤(2012年8月撮影) 信玄堤(しんげんづつみ)は、山梨県甲斐市竜王にある堤防である。しかしその堤防だけでなく、信玄堤や聖牛、将棋頭などの治水構造物を含めた総合的な治水システム自体を信玄堤として指している場合もある。 なお治水システムの構造物に雁行が含まれ、これを急流河川型霞堤として解説、紹介されることがあるが、信玄堤自体は霞堤ではない。戦国時代に甲斐の守護、戦国大名である武田信玄(晴信)により築かれたとされる。 史料上では「竜王川除場」と記されており、「信玄堤」の呼称は江戸時代後期から見られ、近代以降に一般化した。また「信玄堤」と呼ばれる堤防は武田氏以降のものを含め県内各地にも存在する(『甲斐国志』に拠る)。竜王堤。 釜無・御勅使川と信玄堤の築造[編集] 竜王信玄堤の地理的・歴史的景観[編集] 信玄堤(竜王堤)付近の空中写真。写真上方より下方に流れる釜無川の左岸(画像右側)に帯状に

                                                信玄堤 - Wikipedia
                                              • 霞堤 - Wikipedia

                                                緩流河川型霞堤の図 A-通常時,B-洪水時,C-洪水後 霞堤(かすみてい)は、河川堤防の一つ。 明確な定義はないが、連続する堤防ではなく、あらかじめ間に切れ目をいれた不連続の堤防が主である。不連続点においては、上流側の堤防が下流側の堤防の堤外(河川側)に入れ込み、堤防が重複している。 概要[編集] 霞堤と呼ばれている不連続堤の治水機能は概ね、氾濫水の河道還元・内水の排除(氾濫域の限定化)と、本川洪水の一時貯留(滞留調整)と堤防決壊を防ぐ効果(破堤防止)がある。[1] しかし急流河川と緩流河川とでは機能や目的が違う。急流河川と緩流河川では流速・水深・土砂含有量・運搬力・洪水の破壊力などに大きな相違があるためである。しかしこれらを混同して、急流河川と緩流河川の両方の機能があるように表記したり考えることが多い。そのため手取川のように両方の機能、目的を紹介した上で手取川の霞堤を紹介している例もある

                                                  霞堤 - Wikipedia
                                                • 内務省技術顧問 ヨハネス・デ・レーケ:農林水産省

                                                  1858年(安政5年)に飛騨地方を襲った大地震(マグニチュード7程度)は、常願寺川の上流域である、大鳶・小鳶山を崩壊させ、立山カルデラ内に推定で4億立方メートルを超える膨大な量の土砂がたまった。このため、常願寺川は、洪水の度に土石を押し流し、流域に大きな被害を与えている。 1891年(明治24年)7月、九州から山陰、北陸、信越、東北地方にかけて、豪雨災害が発生した。常願寺川流域も御多分にもれず、安政の大水害に次ぐもので、堤防決壊6,500メートル、流出地1,527haに達した。当時の県知事森山茂は、国に専門技師の派遣を要請、デ・レーケが同年8月6日、富山に到着した。9月2日、石川県へ出発するまでに常願寺川をはじめ、黒部川、片貝川、上市川、庄川、神通川の各水系と伏木港を視察して、治水計画を立てている。 彼が立てた常願寺川治水計画は、 12本の右岸側農業用水の合口化 12箇所の取水口が堤防を壊

                                                  • 『途切れた堤防』で川の氾濫被害を軽減成功!その陰で...水の流し先となった農家は『被害700万円で補償ゼロ』で苦悩「収入なくなれば生きていくのも大変」 | 特集 | MBSニュース

                                                    『途切れた堤防』で川の氾濫被害を軽減成功!その陰で...水の流し先となった農家は『被害700万円で補償ゼロ』で苦悩「収入なくなれば生きていくのも大変」 今年8月上旬に降った大雨の影響で滋賀県長浜市を流れる高時川が氾濫しましたが、「霞堤」という伝統的な治水方法で被害の軽減に成功していました。しかし、この治水方法によって、農地に水が誘導されて畑が浸水して農作物に甚大な被害をあたえました。この件に関して一切の補償をしてくれないという行政の対応に農家は困惑しています。 “計画的な治水方法”で農地が浸水…甚大な被害を受けた農作物 滋賀県長浜市。米の収穫シーズンを迎えて農家は大忙しです。ただ今年は例年とは事情が違うようです。9月21日に長浜市で農園を営む横田圭弘さんに話を聞きました。横田さんは農薬をできるだけ使わずに米や野菜を作ることにこだわっています。しかし今年、横田さんが育てた米などの農作物は豪雨

                                                      『途切れた堤防』で川の氾濫被害を軽減成功!その陰で...水の流し先となった農家は『被害700万円で補償ゼロ』で苦悩「収入なくなれば生きていくのも大変」 | 特集 | MBSニュース
                                                    • 「なぜ自分たちが犠牲に?」霞堤と集団移転、治水対策に揺れる集落:朝日新聞デジタル

                                                      ","naka5":"<!-- BFF501 PC記事下(中⑤企画)パーツ=1541 -->","naka6":"<!-- BFF486 PC記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 --><!-- /news/esi/ichikiji/c6/default.htm -->","naka6Sp":"<!-- BFF3053 SP記事下(中⑥デジ編)パーツ=8826 -->","adcreative72":"<!-- BFF920 広告枠)ADCREATIVE-72 こんな特集も -->\n<!-- Ad BGN -->\n<!-- dfptag PC誘導枠5行 ★ここから -->\n<div class=\"p_infeed_list_wrapper\" id=\"p_infeed_list1\">\n <div class=\"p_infeed_list\">\n <div class=\"

                                                        「なぜ自分たちが犠牲に?」霞堤と集団移転、治水対策に揺れる集落:朝日新聞デジタル
                                                      • 佐々成政 - Wikipedia

                                                        佐々 成政(さっさ なりまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。佐々成宗(盛政とも)の子[1]。通称は内蔵助。家紋は棕櫚(シュロ)。馬印は金の三階菅笠。鷹司孝子(本理院・徳川家光正室)の外祖父。とやま城郭カードNo.95(富山ゆかりの武将カード)[2][3]。 出自[編集] 佐々氏は、現在の名古屋市西区にあたる尾張国春日井郡の比良城を拠点とした土豪で、元々は織田信安に属していたとされる(『武功夜話』)。佐々氏は宇多源氏近江佐々木氏の庶流で、尾張国に移り斯波氏の、ついで織田氏の家臣になったと思われる。そのほかに上総国佐々庄から尾張に移ったとする説、藤原氏出身説、菅原姓を名乗ったとする説がある[4]。 生涯[編集] 尾張時代[編集] 佐々成宗の三男として、尾張国春日井郡比良城に生まれる。 天文19年(1550年)、織田信長に仕える(『尾張佐々系譜』)[5]。兄に政次、孫介がいた

                                                          佐々成政 - Wikipedia
                                                        • 酒匂川の堤防を歩く - ひとりしずか

                                                          不意に大井町にあるひょうたん池の花菖蒲が気になったので行ってみた。ここの花菖蒲はすっかり終わり池がこざっぱりしていた。咲いていたのはアジサイ。 そのまま酒匂川の堤防になっている道を小回りしてみる フェンスの向こうをキジが歩いている 酒匂川サイクリングロード 私が立つ堤防(サイクリングロード)から向こうにも堤防が見える。案内板によると二重になっている堤防の間を水田にするなど遊水機能を持たせているのだそうだ。これは霞堤というが武田信玄が考案したとされているため信玄堤とも呼ばれるとのこと。 ツバメの幼鳥。じっと動かずにいたが、親かな?鳴き声が聞こえると飛び立った なんと!早くもひまわりが咲いていた

                                                            酒匂川の堤防を歩く - ひとりしずか
                                                          • 霞堤(かすみてい)

                                                            堤防のある区間に開口部を設け、上流側の堤防と下流側の堤防が、二重になるようにした不連続な堤防のことです。洪水時には開口部から水が逆流して堤内地に湛水し、下流に流れる洪水の流量を減少さます。洪水が終わると、堤内地に湛水した水を排水します。急流河川の治水方策としては、非常に合理的な機能と言われています。 霞堤の歴史は古く、戦国時代の武田信玄が考案したと言われています。 霞堤の名前の由来は、堤防が折れ重なり、霞がたなびくように見える様子からこう呼ばれています。

                                                            • 日本農業新聞

                                                              [新型コロナ] 農泊 修学旅行にぜひ 苦境打開へ県内照準 岡山県吉備中央町 岡山県吉備中央町で、農泊に取り組む農家らが新型コロナウイルスの影響による経営難を打破しようと、県内の小・中学校、高校の修学旅行先としてPRを始めた。利用客の半数をインバウンド(訪日外国人)に頼っていたが、感染拡大で宿泊や利用者が激減。そこでコロナ禍で修学旅行先に悩む学校に着目し、自然豊かな場所での農業体験や民泊を提案する。(鈴木薫子) 農家らは吉備中央町農家民宿推進協議会を組織して2015年から農泊に取り組み、「県内でも早く始まった」(同町協働推進課)という。 19年の利用客は宿泊が340人、日帰り体験が224人。うち約半数が、町がPRに力を入れていた台湾の修学旅行生などインバウンドが占めた。国内客は首都圏や関西圏からが多い。 協議会には今年、前年比3戸増の13戸が所属する。夏場には団体予約が入っていたが新型コロナ

                                                                日本農業新聞
                                                              • 台風16号:宮崎・延岡10カ所氾濫 霞堤の全6集落浸水 | 毎日新聞

                                                                北川が氾濫し浸水した民家や道路=宮崎県延岡市で2016年9月20日午前11時48分、本社ヘリから矢頭智剛撮影 20日未明に九州南部を直撃した台風16号による記録的な大雨で、宮崎県延岡市の北川とその支流の10カ所で、川が氾濫していたことが分かった。河川を管理する県は住宅への浸水被害は「確認していない」としていたが、実際には27棟の浸水被害が発生していた。幹線道路の国道10号も冠水して一時通行止めになり、洪水が多発する地域での治水対策の難しさが改めて浮き彫りになった。 延岡市の北川沿いには、一部だけ高さが周囲より低い堤防「霞堤(かすみてい)」のある集落が六つある。通常の堤防は高さ5〜6メートルだが、霞堤は1〜3メートルしかなく、増水時にここから水があふれる仕組みだ。延岡市で降り始めからの雨量が240ミリを超えた20日午前1時ごろ、6集落すべての霞堤から水があふれ始め、6集落の大部分が浸水した。

                                                                  台風16号:宮崎・延岡10カ所氾濫 霞堤の全6集落浸水 | 毎日新聞
                                                                • 【序章】山をも流した河 | 常願寺川 農人の記憶―山をも流した河 Jyouganji-River Memory of the Farmers | 富山(常願寺川/立山カルデラ) | 水土の礎

                                                                  巨石の中に刻が流れている。 岩ができた何億年という悠久の時間ではない。刻まれた記憶はわずか百数十年。セピア色ながら生々しい歳月である。 半ば地中に埋もれているが、直径6、7メートル、重さは約400トン。乗用車300台分を集めた重量に匹敵しようか。常願寺川堤防の外(富山市大場)にあるこの岩は安政5年(1858)の大災害で立山の山中から四十数キロも流されて、この地で止まったという。 常願寺川中流、およびその周辺にはこうした100~600トンもある巨石が40個ほど点在している。さらに、川の上流部には数千個とあるらしい。 いくら川の洪水が激しいものだとしても、数百トンの岩を流すことはありえまい。川を流れたのは水ではない。泥水でさえない。岩と土と砂に加え、山の森やら草木やら、すなわち、立山連山の一峰をなしていた鳶山が山ごとずるりと抜け落ち(地元では「山抜け」と呼ぶ)、古今未曾有の量の土砂や岩々が河道

                                                                  • とてつもなく日本 : 河川はんらん許容…分かりやすい例を挙げると、場所によって治水安全度を変えるということ。

                                                                    【ダム】治水:河川はんらん許容…有識者会議、政策転換検討で一致【国土交通省】 http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1263566754/ 231 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 18:10:39 ID:MRqBiPDm0 (PC) マスコミは河川整備基本方針と河川整備計画を混同させてミスリードしてる。 現にこのスレの書きこみも方針と計画の区別が付いてない。 日本の多くの河川は整備計画レベルでは30年確率以下の場合が多い。 実際の整備レベルは5年確率以下の河川がかなりあるのが現実。 ウチの近くの川なんて流域人口が10万人もいるのに整備レベルは1年確率。 233 名前:名無しさん@十周年[sage] 投稿日:2010/01/16(土) 18:29:00 ID:MRqBiPDm0 (PC) 利根

                                                                    • 台風16号 共産党が被害調査/水没した郵便局を視察/宮崎・延岡 前屋敷県議ら事情聞く

                                                                      (写真)パネルを使って被害状況を説明する米田支所長(左から2人目)と安藤俊則副参事兼地域振興課長(左端)、話を聞く(右から)前屋敷県議、平田延岡市議=22日、宮崎県延岡市 台風16号で浸水などの被害がでた宮崎県延岡市を22日、日本共産党の前屋敷恵美県議、平田信広・延岡市議、松本隆県委員会書記長が訪れ、被害状況などを調べました。 台風16号は20日の深夜に宮崎県を直撃し、延岡市を流れる北川が氾濫。本流と支流の合流地域にある北川町の一部地域が浸水しました。 一行は水没した郵便局を視察。市の北川総合支所で被害状況を聞き取り、今後の対策など意見交換しました。北川町では、これまでの台風による被害を元に県と地元が話し合いの場を設け、先人の知恵である「霞堤(かすみてい)」方式(洪水時には川の水を堤防の開口部から田畑に誘導し下流に流れる水の量を減らすもの)の整備・強化、川砂の採掘や防災無線の全戸設置など対

                                                                        台風16号 共産党が被害調査/水没した郵便局を視察/宮崎・延岡 前屋敷県議ら事情聞く
                                                                      • 武田信玄の総合的治水術│32号 治水家の統(すべ):機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター

                                                                        かつて甲斐の国には、御幸祭が3つあったといわれている。おみゆきさんは「東御幸」。 上は、一之宮浅間(あさま)神社境内での様子。「ソッコーダイッと」という掛け声で練り歩く。現在では境内と近隣を練り歩いた後、神輿はトラックで竜王の信玄堤まで運ばれ、二之宮美和神社、三之宮玉諸神社の神輿と合流し、三社神社の鳥居をくぐる。 水を制するものは、国を制す。 戦国時代の勇武田信玄は、暴れ川を治め、新田開発することで富国を目指しました。 その仕組みは、実に雄大な規模です。 人心を掌握し、川除普請を実行した総合力に、治水の叡智を学びます。 独立行政法人土木研究所研究企画監博士(工学) 和田 一範 (わだ かずのり)さん 1955年川崎市生まれ。東京工業大学土木工学科卒業後、1978年建設省(当時)入省。建設省高知工事事務所長、宮城県河川課長、国土交通省甲府工事事務所長、国土交通省国土技術政策総合研究所流域管理

                                                                        • 社会科学者の時評: ■ 社会インフラと皇室インフラ ■

                                                                          ◎ 道路である橋の老朽化問題と皇室の21世紀的問題「憲法改正」 ◎ 【21世紀の社会問題:2題】 ① 社会基盤(インフラ)問題は日本も深刻 本ブログは「2012.4.29」「■20世紀の日本の原発,21世紀の日本社会(2)■」は「◎高齢社会の到来と社会基盤の老朽化◎」を「【21世紀の今後に日本は備えがあるのか】と,疑問を投げかけて論じていた。本日〔2012年5月2日〕の記述は,社会基盤(社会資本)を意味することば「インフラ」が日本においても,相当程度「老朽化」した段階まで達しており,以下に注目してとりあげる〈橋〉のばあいでも分かるように,その安全性に重大な問題が生じている事実をめぐって議論することから開始したい。 1) 「橋や道路,迫る寿命 膨らむインフラ補修費」2012年5月1日報道記事 全国の橋や道路,水道といった社会資本(インフラ)が一斉に寿命を迎えつつある。高度経済成長期に大量に造

                                                                          • 小鮎川を歩く 3つの沢が集まって川がはじまる場所へさかのぼる - 散歩の途中

                                                                            神奈川県清川村、丹沢山地東麓の多数の沢、小河川の水が集まり、清川村煤ヶ谷付近から名称が小鮎川(こあゆがわ)となって流れ下り、厚木市に入って荻野川を合わせ、厚木市街地近くで中津川とともに相模川に合流する。延長は13.8㎞(厚木市資料)。 今回、相模川、中津川との合流点付近からさかのぼって、「小鮎川」の名前がはじまる地点まで追いかけてみた。 小鮎川足あと 小田急線本厚木駅からアプローチ 駅前から歩いて相模川、中津川、小鮎川、3つの川が一気に合流している場所へ向かう。 歩いて約20分で合流点付近 左手前から正面向こうへ流れるのが、今回追いかける小鮎川。 左向こう鬱蒼とした木や草のかげから姿を現し、右へ流れて行くのが相模川。ちょっとわかりにくいが、その相模川との合流点すぐ手前で左から流れ込んでいる川があり、これが中津川。 鳩川のノートでも指摘したけど、ここで相模川、中津川、小鮎川の三川が合流してい

                                                                              小鮎川を歩く 3つの沢が集まって川がはじまる場所へさかのぼる - 散歩の途中
                                                                            • 日本農業新聞

                                                                              農水・環境省が連携強化 地域振興、環境負荷減へ 野上浩太郎農相と小泉進次郎環境相は23日、地域の活性化や農林水産業の環境負荷の軽減などに向け、農水省と環境省の連携強化に合意したと発表した。新型コロナウイルス収束後の社会を見据え、食や再生可能エネルギーの地産地消、農地の多面的機能の発揮、鳥獣被害の軽減、食品ロス削減といった多分野で緊密に連携。両省の施策の相乗効果を目指す。 食と再生エネ地産地消・ 農地の多面機能発揮・ 鳥獣被害の軽減 両閣僚が東京・霞が関の農水省で共同記者会見を開き、合意文書を発表した。中央省庁のこうした連携の合意は珍しい。菅義偉首相が重視する省庁の「縦割り打破」の一環で、小泉氏から持ち掛けた。 共同会見で、野上氏は「合意でさらにスピード感を持って進められる」。小泉氏は「農水省と環境行政は非常に親和性が高く、密接な関係だ」と述べた。 連携の柱の一つが、地球温暖化の防止に向けた

                                                                                日本農業新聞
                                                                              • 中条堤 - Wikipedia

                                                                                行田市北河原地区に残存する中条堤。 中条堤(ちゅうじょうてい)は、埼玉県熊谷市付近に設置されていた堤防であり、東京(江戸)を水害から守る治水システムの要であった。 上利根川の右岸堤を利根大堰から2.5キロメートルほど上流に位置し[1]、利根川の堤防に対し直角に、おおむね福川の旧流路の南岸に沿って6580メートルに渡って続く、江戸時代から明治時代にかけて治水システムの要として機能した堤防である。この堤防によって遊水地が形成されるため、増水時に利根川や荒川の水を上流の熊谷市一帯と深谷市の一部を含む地域に意図的に氾濫させることができ、結果的に下流の洪水を軽減し、最下流の東京(江戸)を水害から守っていた。 この中条堤付近は利根川の勾配が緩やかになる地点であり治水上重要な地点である。中条堤の下流の行田市酒巻と千代田町瀬戸井間に人為的に狭窄部を設けるとともに、左岸の群馬県側には33キロメートルに亘って

                                                                                  中条堤 - Wikipedia
                                                                                • 宮崎 高齢者施設浸水 原因は内水氾濫か | NHKニュース

                                                                                  宮崎県延岡市の老人保健施設でお年寄り70人ほどが一時的に取り残された浸水被害について、宮崎県が調査した結果、川への排水が間に合わなくなって市街地に水がたまる「内水氾濫」が起きたと見られることがわかりました。 宮崎県が堤防の被害状況を調査したところ、老人保健施設の近くの堤防には決壊したり水があふれたりした跡は見つかりませんでした。 このため県は、そばにある堤防の「樋門」が川の増水に伴って自動的に閉まったことで、川への排水が間に合わなくなって市街地に水がたまる「内水氾濫」が起きたと見ています。 一方、町内の堤防には、増水した際に時間をかけて農地などに排水を行う「霞堤」と呼ばれる設備が6か所に整備されていますが、すべての霞堤で排水した跡が確認できたということです。 県は、21日も引き続き堤防の状態や浸水した範囲などを詳しく調べることにしています。 浸水した介護老人保健施設「螢邑苑」は延岡市を流れ