並び順

ブックマーク数

期間指定

  • から
  • まで

41 - 55 件 / 55件

新着順 人気順

70年代の検索結果41 - 55 件 / 55件

  • 内田樹 on Twitter: "1975年卒業前にある宗教団体から全卒業生宛てに「3週間アメリカ旅行無料ご招待」の案内が届きました。義務は帰国後に報告会でレポートするだけ。結構な数の学生が「ただ旅行」に出かけました。ある宗教団体はこうやって「いずれ政官財で出世しそうな学生」を囲い込んでいたのでした。"

    1975年卒業前にある宗教団体から全卒業生宛てに「3週間アメリカ旅行無料ご招待」の案内が届きました。義務は帰国後に報告会でレポートするだけ。結構な数の学生が「ただ旅行」に出かけました。ある宗教団体はこうやって「いずれ政官財で出世しそうな学生」を囲い込んでいたのでした。

      内田樹 on Twitter: "1975年卒業前にある宗教団体から全卒業生宛てに「3週間アメリカ旅行無料ご招待」の案内が届きました。義務は帰国後に報告会でレポートするだけ。結構な数の学生が「ただ旅行」に出かけました。ある宗教団体はこうやって「いずれ政官財で出世しそうな学生」を囲い込んでいたのでした。"
    • 金田一耕助シリーズ「悪霊島」「仮面舞踏会」 横溝正史の新資料発見|NHK

      江戸川乱歩とともに日本の探偵小説の歴史を開いたと言われる横溝正史。 「八つ墓村」や「獄門島」など、映画やドラマにもなった作品も多く、もじゃもじゃ頭によれよれのはかまでおなじみの名探偵が登場する「金田一耕助シリーズ」で、今も多くのファンを持つ。 その晩年の創作活動を知る新たな資料が複数、見つかった。 そこからは、これまでにない「本格推理小説」を生み出そうとする情熱、そして、呻吟とも言える苦悩の一端がかいま見えた。 横溝正史は、1902年、兵庫県生まれ。ことしはちょうど生誕120年だ。 1921年、短編の探偵小説「恐ろしき四月馬鹿」でデビュー、その後、江戸川乱歩とともに日本の探偵小説をけん引していった。 代表作は、もじゃもじゃ頭によれよれのはかまでおなじみの名探偵が事件を解決する「金田一耕助シリーズ」だ。 横溝の創作に関わる多くの資料は、二松学舎大学が所蔵している。 日本の近代文学を研究してい

        金田一耕助シリーズ「悪霊島」「仮面舞踏会」 横溝正史の新資料発見|NHK
      • 徳力精工のレトロなテーブル筐体「TAKUYAタクヤ」,BEEP通販サイトで50台限定の受注を4月11日に開始。BEEP秋葉原店で実機展示も

        徳力精工のレトロなテーブル筐体「TAKUYAタクヤ」,BEEP通販サイトで50台限定の受注を4月11日に開始。BEEP秋葉原店で実機展示も 編集部:Gueed 徳力精工は本日(2023年3月30日),オリジナルのテーブル型ゲーム筐体「TAKUYAタクヤ」の50台限定の受注を,BEEP通販サイトで4月11日に開始すると発表した。筐体本体の税込価格は1レバー仕様が40万5625円から,2レバー仕様が41万9375円からで,各種オプションも用意されている。製品発送時期は5月下旬からの予定。“先行10台特典”として,こちらもレトロな雰囲気のゲームチェアと,シリアルナンバー入りのTAKUYAオリジナルドッグタグもある。 なお4月1日以降,BEEP秋葉原店で実機の展示を行うそうだ。 TAKUYAタクヤ 先行10台特典のゲームチェア(1脚)とTAKUYAオリジナルドッグタグ(シリアルNo入り) アミュー

          徳力精工のレトロなテーブル筐体「TAKUYAタクヤ」,BEEP通販サイトで50台限定の受注を4月11日に開始。BEEP秋葉原店で実機展示も
        • 光岡『M55コンセプト』公開、1970年代をイメージした創業55周年記念モデル | レスポンス(Response.jp)

          光岡自動車は11月16日、創業55周年記念モデル『M55コンセプト』を特設ページで公開した。 M55コンセプトのメインターゲットは、1968年創業の光岡自動車と同じ55年の人生を歩んだ「同世代の人々」。感受性豊かな少年・少女時代に体験した様々な出来事や1970年代の時代感覚をベースに、当時の夢や希望に満ち溢れ、先の未来を変える大きなエネルギーの中、時代を駆け抜けた人々のマインドを形にした。 M55コンセプトについて、公開されたのは画像のみでスペックは明らかにされていない。スタイリングは、1970年代当時のクルマ好きたちの心をつかんだ日産の4代目スカイライン(ケンメリ)やトヨタの初代セリカリフトバックを彷彿とさせる。両モデルが2ドアだったのに対し、M55コンセプトは4ドアだが、クラシカルな4灯ヘッドライトやリアガラスのサンシェードなど、当時の雰囲気を再現している。 光岡自動車は「1970年代

            光岡『M55コンセプト』公開、1970年代をイメージした創業55周年記念モデル | レスポンス(Response.jp)
          • 第六十一回(最終回)《春助、それから、のち》(5)

            彼は「漫画ホット」の編集者であった。 今まで会ったことのないタイプの編集者だった。何というか、勤め人のくせに会社の看板を背負っているところがなく、一匹狼の匂いがあった。それでいて反骨精神をこれ見よがしに振りかざしているわけでもなく、自然体なのである。好ましい人物だと思った。 ぼくはこの小野編集者の依頼で「鋼鉄男シリーズ」(漫画ホット 十月四日号~十二月六日号 秋田書店)というのを描いた。女に手酷く振られた醜男が電車に飛び込んで自殺を図る。男が昏睡から覚めると手術台の上だった。彼の体は鉄板を張り合わせたロボットになっていた。外科医が入って来て、 「体がグシャグシャになっていたので適当に鉄板を張り合わせておきました。身体の中はカラーテレビの部品で十分間に合いましたよ。わっはっはっ」 と笑う。鋼鉄男にされてしまった男の復讐が始まる。鋼鉄男は看護婦の首を折り、病院の職員を投げ飛ばし、駆け寄って来た

              第六十一回(最終回)《春助、それから、のち》(5)
            • 合体ロボ|掃除にロボットの合わせ技!

              記事がありません 記事URLをコピーしました

                合体ロボ|掃除にロボットの合わせ技!
              • アトランジャー復活!「新・合体シリーズ」スタッフインタビュー - アキバ総研

                ※本コンテンツはアキバ総研が制作した独自コンテンツです。また本コンテンツでは掲載するECサイト等から購入実績などに基づいて手数料をいただくことがあります。 差し替え合体、カラフルな成型色を生かしたいろプラ、接着剤を使わないスナップフィットなど、今では当たり前の仕様をいち早く取り入れ、1970年代から1980年代半ばにかけて大ヒットを記録した、青島文化教材社のプラモデル「合体シリーズ」。 アニメ・特撮に登場するキャラクターやロボットを商品化するのが当たり前だった1970年代において、いち早くキット発のオリジナルロボット「アトランジャー」を発明し、日本全国のキッズを魅了した「合体シリーズ」が、2020年「新・合体シリーズ」として復活する。 青島文化教材社の創業96周年というメモリアルイヤーに復活する「新・合体シリーズ」は、はたしてどんな商品となるのか? そして、どんな人たちが手がけているのか…

                  アトランジャー復活!「新・合体シリーズ」スタッフインタビュー - アキバ総研
                • ソ連の子どもたちが大嫌いだった料理5選

                  ソ連の料理には、素晴らしいレシピがたくさんあったが、いま大人になったソ連時代の子どもたちが顔をしかめて思い出す料理がある。 今なら、ベジタリアンのためのデザートあるいは流行りのアイスとして受け入れられるかもしれないこのアイスも、ソ連時代には、子どもたちをガッカリさせるおやつであった。このアイスクリームが作られるようになったのは1970年代の半ば、トマトの収穫量が非常に高かった時期で、アイスはピュレーとトマトの汁から作られた。当時、もっとも安いアイスの一つで、紙製のカップに入って、笑顔のトマトが描かれた丸い紙で蓋がしてあった。しかしこの紙の蓋がついていないことがあり、子どもたちはイチゴだと思ったものだった。そして最初の一口を食べたときの落胆といったら・・・、それは相当なものだった。 2. ミルク・マカロニ 主にソ連の幼稚園で伝統的に作られていたが、ときに家庭でも作られた。ほとんどの子どもはマ

                    ソ連の子どもたちが大嫌いだった料理5選
                  • Kazutaka Miyatake On Studio Nue And The Birth Of Real Robot Mecha Design

                    “When it comes to ending up working in anime, that was due to a very specific event. Up until then, I was meaning to become some kind of scholar or academic. A biologist maybe. However, I came across a poster by Robert McCall for 2001: A Space Odyssey, it really shook me looking at it. At that time there were only two cineramas, but I went to see the film. This was when I was 18. It really changed

                      Kazutaka Miyatake On Studio Nue And The Birth Of Real Robot Mecha Design
                    • 「オタク以前」を考える - ex検証ブログ

                      小林信彦・片岡義男『星条旗と青春と―対談:ぼくらの個人史ー』(角川文庫、1984年)という本がある。サブタイトルに「個人史」とあるように、小林・片岡両氏がお互いの経験を語っていくうちに戦後の日本がたどった変化が見えてくる興味深い本なのだが、第4章「一九七〇年代 昨日を超えて」の中で、小林氏が処女作である評論本『喜劇の王様たち』について語っているくだりがある。1963年に校倉書房から出た『喜劇の王様たち』は全く売れず小林氏も意気消沈していたのだが、1970年になって大光社から改めて出し直すことになる。小林氏の『1960年代日記』(ちくま文庫、1990年)によれば(1970年11月20日の項)、最初の『喜劇の王様たち』は古書市で定価の倍の値段がついていたとのことで、小林氏が「おれの本が古本屋で値上がりしたなんて、光栄。お赤飯たいてお祝いだあ!」と素直に喜んでいるのが微笑ましい(同書P.295)

                        「オタク以前」を考える - ex検証ブログ
                      • よど号 半世紀後の「謎の核心」 赤軍派「平壌へ行け」 どうして韓国に着陸 KCIA部長から「閣下の指示だ」 | 西日本新聞me

                        1970年3月31日午前7時半すぎ、富士山上空付近を飛行中の羽田発福岡行きの日本航空351便(よど号)が、赤軍派の9人にハイジャックされた。男たちの要求は「(北朝鮮の)平壌へ行け」。板付空港(現福岡空港)に給油のため立ち寄った同機は、平壌へ飛んだはずだった。ところが-。同機はなぜか、韓国の金浦空港に降り立つ。日本初のハイジャック事件から約半世紀。韓国空軍の元管制官、蔡熙錫(チェヒソク)さん(78)=当時(28)=ら当事者が、最大の謎の核心を語った。 ■厳命 「これは閣下の指示だ。理由のいかんを問わず、よど号を金浦に着陸させろ」。事件当日午後0時半ごろ、よど号ハイジャックの情報を受けて金浦空港の管制施設に詰めていた蔡さんに、1本の電話が入った。 電話の声は、韓国中央情報部(KCIA、現国家情報院)のトップ、金桂元(キムゲウォン)部長だったと蔡さんは明かす。閣下とは当時の朴正熙(パクチョンヒ)

                          よど号 半世紀後の「謎の核心」 赤軍派「平壌へ行け」 どうして韓国に着陸 KCIA部長から「閣下の指示だ」 | 西日本新聞me
                        • 白ふくろう on Twitter: "何度か貼ってる某市資料で昭和45年から57年までの産業別給与水準なんだけど、この間の上がり方って今じゃ想像を絶するものだったんだな。 https://t.co/2AYQDa7N2E"

                          何度か貼ってる某市資料で昭和45年から57年までの産業別給与水準なんだけど、この間の上がり方って今じゃ想像を絶するものだったんだな。 https://t.co/2AYQDa7N2E

                            白ふくろう on Twitter: "何度か貼ってる某市資料で昭和45年から57年までの産業別給与水準なんだけど、この間の上がり方って今じゃ想像を絶するものだったんだな。 https://t.co/2AYQDa7N2E"
                          • https://twitter.com/icjk2019/status/1364145630239621120

                              https://twitter.com/icjk2019/status/1364145630239621120
                            • 編集者・柿沼秀樹氏が振り返る、ガンプラ大ヒットへ至るキャラクターモデル勃興の昭和史【ホビー業界インサイド第58回】 - アキバ総研

                              今年は、ガンプラ(「機動戦士ガンダム」のプラモデル商品)が初めて発売されてから、ちょうど40周年となる。かつて模型誌「ホビージャパン」の編集者としてガンプラの大ブレイクに立会い、別冊「How to build GUNDAM」を編集した柿沼秀樹さん(「機甲創世記モスピーダ」「メガゾーン23」のメカデザイナーとしても有名)に、1980年のガンプラ発売へ至る昭和のプラモデル史を、独自の視点から振り返っていただいた。 ガンプラの遠い祖先、それは「鉄人28号」だった!? ── 柿沼さんと故・加藤智さん(バンダイ模型)との共著「バンダイ キャラクタープラモ年代記」学研/刊によると、日本最初のキャラクタープラモデルは今井科学(イマイ)の「電動・鉄人28号」(1960年発売)だそうですね。 柿沼 当時は実物を縮小したスケールモデルが主流で、キャラクターの商品化権を得てプラモデル化した商品としては、イマイの

                                編集者・柿沼秀樹氏が振り返る、ガンプラ大ヒットへ至るキャラクターモデル勃興の昭和史【ホビー業界インサイド第58回】 - アキバ総研
                              • 『がんばれいわ!!ロボコン』に至る東映「ロボットコメディー」の系譜

                                7月31日よりロードショー公開される東映映画『がんばれいわ!!ロボコン ウララ~!恋する汁なしタンタンメン!! の巻』(脚本:浦沢義雄、監督:石田秀範)の詳細情報が明らかとなった。先日、第1弾キャストやストーリー概略が発表されるや、WEB上では「恋する"汁なしタンタンメン"とは?」とミステリアスにもほどがあるサブタイトルについて話題が沸騰。往年の『ロボコン』ファンをどよめかせた。 今回の映画の"原点"というべき東映製作のテレビドラマ『がんばれ!!ロボコン』は、1974(昭和49)年10月から1977(昭和52)年3月まで、約2年半にわたってNET(現:テレビ朝日)系で放送された。原作者・石ノ森章太郎氏が生み出したロボコンおよび「ロボット学校」の生徒たちのユーモラスなキャラクター性や「ロボットがおりなす人情喜劇」というべき物語の面白さなど、さまざまな魅力によって子どもを中心としたファミリー層

                                  『がんばれいわ!!ロボコン』に至る東映「ロボットコメディー」の系譜

                                新着記事