論議を呼んでいるジダンの頭突き事件。後悔はしないというジダンだが、いつか必ず後悔する時が来るだろう【 Photo:AFLO 】 サッカーは醜い。いや、サッカーが人を醜くするというべきか。 スペインでは毎日放送されているアメリカのアニメ『ザ・シンプソンズ』にこんなシーンがあった。バックパスばっかりする、さっぱり点が入らないスポーツを主人公ホーマーたちは理解できず、退屈の余り暴動を起すというものだ。「退屈だから」というのはアメリカ人一流の皮肉だが、サッカーにはわれわれの醜さを引き出す何かがある。 監督として、ライターとしてこのスポーツにかかわっていながら、見聞きする醜さに顔を背けたくなることも少なくない。もちろん、美醜を比べると「美」の方が多いから我慢しているのだが、例えば私は一度、監督業はもう辞めようと決心したことがある。そう思うほど、サッカーには醜い部分があるのだ。感動だの、芸術だの美
決勝以来ずっと沈黙を守っていたジダンだったが、ついに自らこの件について語った【 (C)Getty Images/AFLO 】 パリのホテル・クリヨンのバルコニーにレ・ブルー(フランス代表)のメンバーが姿を現すと、割れるような歓声が上がった。ワールドカップ(W杯)決勝でのPK戦の末の敗北、それに先立つ延長後半5分に起きたジダンの退場のショックから一夜が明けた7月10日、コンコルド広場に集まったフランスの国民は、ボロボロになりながら最後まで戦った選手たちを温かく、情熱的に迎えた。PKを外した直後に硬い表情を保っていたトレゼゲは、アンリの肩を借りて泣いていた。試合後、子供のように涙を流していたテュラムは、笑顔で観衆に手を振った。そしてジダンもそこにいた。悲しげな表情で、国民に最後のあいさつをしたジダンは、その日の新聞でかなり厳しく批判されていた。 その翌日、彼を非難していた新聞は、言い過ぎたこ
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