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*lifeに関するryskosnのブックマーク (510)

  • 📘2024年から始める3つの習慣 - Minerva

    ryskosn
    ryskosn 2024/01/26
    休日のスケジュール固定化、いいですね。自分も参考にしよう。
  • 老老介護の限界を感じた娘が出した「2つの選択」

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    老老介護の限界を感じた娘が出した「2つの選択」
  • 友人の結婚式の最終見積が600万円だった

    友人の間のグループラインに「うぉー!結婚式見積600万!金が足りねぇ!」ってメッセージが飛んできた。 60人程度でその値段とのことだけど流石にたけーよ!緊急グループ通話会議が開催される。 なんとか削減できるところは削ることになったが、風呂に入ってゆっくり考えたら、一生に一回のことだし、奥さんの望みを叶えてあげるために色々と二人でこれまで考えたことを、浪費だとか無駄だとか断罪するのは甚だおこがましいことだったなと思い直して反省。詫びの電話と困ったなら何でも相談してくれ、俺については車代もお礼も何も要らないと伝えた。 結婚式は無駄ではないと思う。 打算的な文脈で言えば、そこで漢気をみせたからこそ幸せな思い出が夫婦関係や出席者からの見られ方がよくなるんだろうし、そんな打算的な話はおいておいても、二人で頑張ったという話は一生覚えているかけがえのないものだと思う。 人生におけるムダとしてよく挙げられ

    友人の結婚式の最終見積が600万円だった
    ryskosn
    ryskosn 2022/01/08
    あなたのような思慮深い友人がいるという点でも幸せだと思う。
  • ワクチンを打ったわたし、心臓を止めない薬|岸田奈美|NamiKishida

    お下がりの洗濯機をいつ持っていけばいいかという連絡を母にしたら、いま病院のレントゲン検査にきているとのことだった。 心臓に人工弁を入れている母は、“念のため”の検査がやたらと多い。いつも飄々とした外科医の先生が「うん、今日も異常なっしーん」と壁に貼りつけた検査の書類を見ながら、もう当り前に決まってたことかのごとく言ってくれるのだが、超弩級な心配性の母は、いつもあれこれと質問をする。 その質問が、なんか、天王寺動物園のトラの背中にマウンテンゴリラが乗って檻から逃げ出した想定の避難訓練というか、とにかく「そうはならんやろ」と言いたくなるような想像の産物なので、母はだいたい「そうはならんのですよ」と先生に笑われて、すごすごと診察室をあとにすると言う。 「もう病気はいやや、ピンピンコロリがいい」 母が電話で、さめざめと泣いた。 「すでに病気で二回死にかけとるから、あなたの場合はピンコロ ピンコロ

    ワクチンを打ったわたし、心臓を止めない薬|岸田奈美|NamiKishida
  • 2020年ふり返り

    Figure 1: 今年の草 ほんとうに今年は色々ありすぎて3月にあったコトが数年前のことのようだ。 一年後にはみんなでビール飲めることを願いたい。 FOSDEM2月はFOSDEMのため初めての1人海外でベルギー。そして今年最初で最後の海外。 コロナが流行り始めた頃…まだアジアンの病気だと思われていたので暴行が問題になり始めた頃。 若干不安だったが、たまに席よけられるくらいで支障はなかった。 FOSDEM自体は面白いカンファレンスだったので次は発表者としていけるようになりたい。 (ビールも飯も最高だった 3冊目の去年からやっていたDocker & Kubernetesセキュリティが出版された。 FOSDEMの行き帰りの飛行機の中でもレビューした気がする。 KubeFest & Kubernetes Meetup Tokyo緊急事態宣言の前、カンファレンスが中止になったり、延期になった

    2020年ふり返り
    ryskosn
    ryskosn 2021/04/25
    お家 Hack について、さらっと書かれているけれどすごいなぁ。
  • 1人の女性がエンジニアならぬプログラマになるまで - トレイシーの肖像が記録するnote

    はじめまして、horinoAです。1970年生まれ、50歳になります。 今は某小売のWebマーケティング部門で社内SEとしてVBAやらPowerShellやらで分析用のPostgresSQLをたたいたりの仕事を週4日、子どものためのプログラミングコミュニティCoderDojoのご縁で知り合った方から紹介された子どもプログラミング教室で軽く講師のお手伝いをさせていただいています。のんびり仕事しながら今は放送大学情報コースで計算機科学を基礎から勉強しているところです。 ※2022/8現在追記 結局2022年初頭より技術者派遣でフルタイムに戻っちゃいました。でも週3日在宅でやっぱのんびりVBAやらPowershellで社内データの分析用DB整備(Postgresかかりきりよ・・)したり謎の古Saas、設定したりJSで機能追加(dom久々に直叩きした・・)してます。 発端になった記事や他の方の記事

    1人の女性がエンジニアならぬプログラマになるまで - トレイシーの肖像が記録するnote
  • 【329】「絶対に赦さない」リストを作ろう|墓場

    人に見せられない文章というものがあります。 例えばそれは、恋文になりきらなかった恋文であったり、10年以上前の若々しさに任せて書き切った小説であったり、理知的であろうとしてみっともない衒学に陥ってしまった論文モドキであったりします。あるいは未来へのもう少し肯定的なマニフェストをここに含めてもよいでしょう。 そうした他人に見せることのできない文章の中には、私がもうひとつ隠し持っているのは、「絶対に赦さない」リストです。 「絶対に赦さない」リストとは、私が「こいつだけは絶対に赦さない」と思った人間の名前と、赦さない理由を書き記したノートです。 このリストについて。 ※この記事は、フランス在住、西洋思想史専攻の大学院生が毎日書く、地味で堅実な、それゆえ波及効果の高い、あらゆる知的分野の実践に活かせる内容をまとめたもののうちのひとつです。流読されるも熟読されるも、お好きにご利用ください。 ※記事の

    【329】「絶対に赦さない」リストを作ろう|墓場
  • 浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた文章がすべて消えてしまい心折れかけましたが、やはり大事なことなので、増田さんに伝わればと願って改めて書き直します。 お祖父様のことをお悔やみ申し上げるとともに、今回このような形で、増田さんやお母様が悲しまれる結果になってしまったこと、痛惜に堪えません。 結論から言わせていただくと、リモート葬儀それ自体に否はありません。そんなもので台無しになるのが仏の教えならば、仏法は2500年も受け継がれたりなどしません。 私から言わせれば、死者を軽んじ、葬儀を台無しにしているのは、ご親族の方だと思います。 葬儀とは「弔(とむら)い」であります。弔いとは元来、「訪(とぶら)い」という字を用いました。これは遠近様々な場所から死者の元へと人々が訪れる様子を意味していますが、決してそれだけではありません。 死者に出会うということは、まだ生きてい

    浄土真宗の僧侶です。初めて書き込みます。 不慣れなため、先ほど書いた..
  • 四十路を過ぎてから海外大学院で理転する事にした話。|Anonymous Investor|note

    さて、今回は題名の件について報告申し上げる次第である。 この度、自身はNational University of SingaporeのMaster of Computing(通称MComp)学科より入学オファーを頂き、2021年の1月から、正規の修士課程の生徒として学ぶ事になった。当初は現在の仕事は継続しながらパートタイム学生として修了する事を目指していたが、諸々あって会社を辞める事にした事もあり、いっその事であるし1年間位の間学生に専念して集中的に学ぶ事にした。 PythonSQLを独学で学び始めて足掛け5年、大学院の最初の出願から足掛け3年で3度目の出願、直近2年に渡るGraduate Certificateによる社会人聴講クラスでの大学潜り込みによる外堀埋めの準備期間、と言った長期に渡る「中年からの文系からの海外大学院を利用した理転」の試みが、(卒業しないといけないのだが)まずは

    四十路を過ぎてから海外大学院で理転する事にした話。|Anonymous Investor|note
  • みんな将来のこととかどう考えてるんだろう - まいくろ🍣きりみん

    進路調査のプリントを書かされてる中学生みたいなタイトルですが、実際内容もそんな感じです。 すごい技術者になりたいのか、素晴らしいプロダクトに貢献したいのか、すごいクリエイターになりたいのか、未だに自分が何を成し遂げたいのかわかってない。当は全部なんだけど— きりみんさん(きりみんちゃんのマネージャー) (@kirimin) 2020年7月1日 すごい技術者のイメージ すごい技術者というのは、なんかあらゆるコンピューターサイエンスとソフトウェエンジニアリングに精通していたり、特定の界隈を牽引するような非常に高度な技術を持っていて専門家として名を馳せていたりするような人のことです。 名著と呼ばれるような技術書を書いていたり、CTOや技術顧問、アーキテクトとして所属する組織を成功に導いたり有名なOSSに大きな貢献をしたりしています。 そこまでではなくとも、世界トップレベルの企業でバリバリソフト

    みんな将来のこととかどう考えてるんだろう - まいくろ🍣きりみん
  • 近況

    最近について。 AtomからVSCodeへ 利用するエディタをVSCodeに移行して1ヶ月が経った。また、AtomではVimモードで利用していたけれど、VSCodeではそういうものを使うのもやめた。 そこまでVimの機能に強く依存している訳ではなかったせいか、意外と簡単に移行できてしまって驚いたくらい。意図的に、Vimの機能に依存しないようにしていたところもあるかもしれない。 Railsアプリを良い感じにする仕事 依然として、3年ほどフリーランスRubyJavaScript仕事をやっている。Railsのアップグレード屋として仕事をもらうことが多く、ここ1年では20個ぐらいのRails 4〜5のアプリをRails 6に移行したと思う。 とはいえ、Railsのアップグレードをやるという話で仕事を請けるものの、実際には「Railsを利用しているプロダクトに参加して、とにかく全体的にDXを良

    近況
    ryskosn
    ryskosn 2020/06/29
    "文字通り鉄板"
  • 在宅勤務が始まり、いまが人生で1番幸せな春

    零細企業の社員。昼は公園で弁当派。 職場を転々としているから春は毎年違う公園で桜を見る。 去年は池袋で桜を眺め、来年の自分はどこにいるか考えながら、ぼんやり米をほうばっていた。 それがまさか在宅勤務になって、マンションの桜を見ながら弁当をべてるとは思わなかった。 マンションの桜はいつも子供が遊んでいる広場に咲いていてやや近寄り難く、いつも気がついたら散っている存在だった。 在宅勤務の昼休憩は12時からと決まっている。チャットで休憩に入りますと伝えるのもルール。 いつもの弁当箱じゃなくて、洗いやすいタッパーに米と昨日の残りの春巻きと卵焼きだけつめて階段を降りると、マンションの広場にはそこそこ人がいた。みんなそれなりの距離を保っている。 同年代の夫婦はシートを敷いてお弁当を広げ、老夫婦はベンチに座ってパンをべて、子供と母親はサッカーをしていた。 のどかだった。牧歌的という言葉が頭をよぎっ

    在宅勤務が始まり、いまが人生で1番幸せな春
  • 最近ADHDと診断された30代東大卒男だが、わかる。問題はバックレるかどうか..

    最近ADHDと診断された30代東大卒男だが、わかる。問題はバックレるかどうかじゃなくて、「成功する可能性」だけで満足できてしまうこと。 実際に成功するかどうかは人の幸福にとって問題じゃないんだよ。だからといって、一般の人が思う「失敗を怖がっている」とか「プライドが高い」とかも完全に的外れの大間違い。 「まだチャンスがあると思える」事の方が、実際にチャンスを生かして成功することよりも、自分の幸福にとって、ずっと重要なんだよ。 失敗しまくっているから、失敗しても自分の人生がそこまでは悪くならないと知っている。成功体験がないのが問題でもなく、何回も成功した経験はあるが、大して嬉しくなかった。ADHDは報酬系にも問題があるから、成功時の「得した」感が普通より低い。だから、実際に成功したか失敗したかよりも、「成功する希望があるか」「成功する可能性があるか」といった期待感を持てるかどうかの方が、

    最近ADHDと診断された30代東大卒男だが、わかる。問題はバックレるかどうか..
  • 芸能活動を休止中の坂口憲二さん、コーヒー焙煎士になっていた。新たなチャレンジにかけた思いを聞いた

    難病の治療に専念するため、無期限で芸能活動を休止している坂口憲二さん。坂口さんは今、こだわりの焙煎豆を提供するコーヒービジネスにチャレンジしている。プライベートレッスンで技術を学び、自ら焙煎を手がける。 拠点は坂口さんが愛するサーフィンの聖地、千葉県・九十九里。2018年夏に焙煎所を開設し、サーフショップやカフェでコーヒー豆やグッズの卸販売をはじめた。オンラインショップも展開し、2019年春には東京都内に初店舗もオープン。地域密着型のため、住所は非公表だ。

    芸能活動を休止中の坂口憲二さん、コーヒー焙煎士になっていた。新たなチャレンジにかけた思いを聞いた
  • いつか怪物になるわたしへ|おかき大明神|note

    女子高生と山月記 「虎になる」というフレーズが流行った。 高校時代の話だ。かつて鬼才と呼ばれた男が、己の心に潜む獣に振り回されて虎になる話を習った。重い題材なのにどうにも心にひっかかる上、人間が虎になるという衝撃的展開に驚いた。加えて「尊大な羞恥心」だとか「臆病な自尊心」とかいう妙に語呂の良いワードが登場することから、わたしたちは授業が終わってもこの話を忘れられず、結果「虎になる」というフレーズを局地的に流行らせた。 わたしたちは虎になった。主に葛藤してどうしようもない時や人間関係が煩わしい時、そして自分が嫌いになった時に。具体的に言うならテスト前や恋愛にまつわる他者とのいざこざ、理想と現実の狭間でもがいた時に、現状の気怠さを「ほんと虎になるわあ」と溜息交じりに吐き出したのだ。 仲のいいグループだけで使う暗号のような、気怠さの共有コードのような使い方をしていたのに、いつしか他のグループにも

    いつか怪物になるわたしへ|おかき大明神|note
  • 結婚しても子どもを持っても「自分の人生を生きる」という軸はぶらさない - りっすん by イーアイデム

    文 どんぐりのママ 小学生の頃、「結婚はしない、子どもも産まない」と決めていたはてなブロガーのどんぐりのママさん。ある転機によって、その考えが変わったそう。そんな彼女は、結婚しても子どもが産まれても「自分の人生」を歩むための選択をしてきました。 過去の自分に「結婚」の選択肢はなかった 43歳で結婚、44歳に第一子を出産し、お母さん歴2年になるどんぐりのママと申します。 子どもが9カ月になった頃、時短勤務で職場復帰すると同時に、初年度に保育園の父母会の役員も引き受けました。約1年、よく乗り越えられたな……と思うのと同時に、もう1年たってしまったのかと、感慨深いです。 私は晩婚&高齢出産でしたが、ずっと「結婚」は自分の選択肢にありませんでした。 きっかけは、小学生の頃に受けた社会科の授業です。 「地球温暖化」 「石油資源の枯渇」 「日の少子高齢化」 この3つを習った際に、「今後はどんどん大変

    結婚しても子どもを持っても「自分の人生を生きる」という軸はぶらさない - りっすん by イーアイデム
  • 一生モノを作った話 | なんかいいたい

    先日、歳の近い先輩達と"一生モノ"について話した。メンテナンスを繰り返してずっと使おうと決めた愛用品も、10年で壊れて修理もできなくなるようでは一生モノとは呼べない。また、何をしても絶対に壊れないような頑丈なモノでも、10年使って飽きてしまうのではその条件を満たさない・・・そんな話をした。はて、自分は"一生モノ"をいくつ持っているだろうか・・・と考え、いくつか浮かんだ候補の中にひとつ、間違いなくそう呼べるものがあった。先輩達とは革の話をしていたのだけれど、僕の頭に浮かんだのはではなかった。 一生使いたいし、使える・・・そういうモノを作った話を書く。 >>> 5年前の7月のある日。 「おい、どっかでトラック借りてこい」 と偉い人は言った。「沢山積めるやつな」 僕は運搬用のトラックを調達して、偉い人=Kさんと目的地に向かった。そこは山の麓の大きな一軒家で、庭先に長さ2メートル、幅50センチ

    一生モノを作った話 | なんかいいたい
  • 【グッと!地球便】in アメリカ・ロサンゼルス | Hilty & Bosch (ヒルティアンドボッシュ) - YouTube

  • コンピュータを理解するにはExcelが最適だった 83歳の現役プログラマーが語る、アプリ開発秘話 - ログミー

    2018年9月6日、ビジネスエアポート六木にて「米国アップル社、マイクロソフト社、そして国連部も認めた83歳のアプリ開発者 若宮正子氏登壇!『MY SMART WORK LIFE』セミナー②。世界を魅了する理由に迫る!!」が開催されました。パートでは、若宮正子氏の生い立ちからアプリ開発に至るまでのエピソードについての講演模様をお送りします。 突然世界中で有名人になってしまった、若宮正子氏の講演 若宮正子氏:みなさん、こんばんは。若宮正子です。どうぞよろしくお願いいたします。だいたいの人はみんな「マーちゃん」って言っているみたいなんですけども、戸籍上の名前は若宮正子です。 今日お話しすることは、まず自己紹介。それから、今日のテーマであります「私は創造的でありたい」というお話。それから最後に、最近の活動から得られたものです。といいますのも、私は1年半ぐらい前に、急に「にわか有名人」になっ

    コンピュータを理解するにはExcelが最適だった 83歳の現役プログラマーが語る、アプリ開発秘話 - ログミー
  • 自宅で看取るのが自分には辛かった話

    父方の祖母が亡くなって数年経つのだけれども、未だに亡くなる前夜のことを忘れられなくて軽めに死にたくなったりするのでとりあえず書いてみようと思う。 一人暮らしで、痛いのずっと我慢して、病院に行った時にはもう手遅れだったんだよ、癌だった。みんなに心配かけるからってずっと痛いの我慢して、結構怒っちまったんだ。なんで言わないんだよって、でもまあ分かるんだよね。そんで困ったみたいな顔でニコニコしてる、わたしのおばあちゃんはそういう人でした。 そこから結構頑張ってくれて、もしかしたらもう癌なんて嘘みたいになくなってて、わたしが風邪引いて熱出して一週間くらい寝込んだ時にうどん作りに来てくれて部屋まで運んでくれたりなんかして、この先あと五年くらい穏やかにいつも通りに生きてくれるんじゃないかなって思ってたんだけどそうはいかなかったね。 煮てくれたうどんべてわたしが復活したのと入れ替わるくらいのタイミングで

    自宅で看取るのが自分には辛かった話