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ブックマーク / douyaramiso.blog59.fc2.com (15)

  • みそ文 富士山よりも深く

    もう十年よりももっと前のことになるのだな、と、思い出したこと。 当時、私は大阪の小さな製薬会社の管理薬剤師として勤務していた。非常に機嫌よく、ぜひとも長く勤めたいものだと思いながら、品質管理や製造管理や衛生管理や薬事関係の仕事を、地味にわくわくとこなしていた。ところが、来ならば転勤などない部門や職種で働いている夫の勤務先(わりと大きめの会社)が、各種事情により統廃合や編成の見直しを行うことになり、夫の勤務地が大阪からけっこう離れた九州に変更になった。大阪から九州はあんまり近くない。少なくとも毎日通勤できる距離ではない。私はそのときの勤務先での仕事を続けたいのは富士山よりも高いレベルで相当山々ではあった。けれども、夫の転勤先である熊に引っ越して、夫とともに同じ場所で生活することを選び、私はその小さな製薬会社を退職することに決めた。 しかし、管理薬剤師一名以外に薬剤師のいない状態の零細企業

  • みそ文 青春の修羅場

    職場の売り場メンテナンスをして、結果売り場で不要になった販促物をバックヤードで分別廃棄する作業をしていたら、高校生アルバイトの男子が、別の売り場で補充した後の段ボール箱を捨てに来た。いくつもの段ボール箱を分解して、板状に薄くして、別の大きな段ボール箱に並べて片づける作業をする間に、ふと、アルバイトくんが「あのう。ちょっと聞いてもらってもいいですか」と言いだした。 「はい。なんでしょう」 「仕事のことじゃないんですけど。あの、僕、この前、喧嘩して」 「えっ。また怪我したんですか?」 「いえ。今回は、男子との喧嘩じゃなくて、彼女との口喧嘩なんで、怪我はないです」 「ああ。そうですか。それならよかったー(このアルバイトくんは一年近く前に、喧嘩で腕を骨折して、片腕片手が、しばらくの間、使えなくなり、販売業アルバイトとしては、致命的な時期が一時期あった。お客様がお買い上げくださった商品を両手で持つこ

    sakura_sakasuyo
    sakura_sakasuyo 2010/07/12
    どうやらみそさんに相談したら大丈夫、そんな安心感のような、なんていうか、そんな気がします。
  • みそ文 四十四の碁盤と碁石

    昨日、夫が誕生日を迎えた。四十四歳。結婚したとき、夫は二十八歳で、その後、二十九歳、三十歳、と順を追ってお祝いしてきて、今年が四十四歳だということは、結婚してから十六回「お誕生日おめでとう」を伝えたことになるのだなあ。 今回のプレゼントは、碁盤と碁石にしようと、数日前に決めた。夫は、これまで長い間、ずっと将棋の人だったのに、半年くらい前から突然、囲碁の修行を始めた。修行の場は、インターネットのオンライン囲碁ゲーム道場と、書籍による先生からの指導と自主学習。実物の碁盤と碁石もほしいなあ、と思うことはあるものの、実際の購入にはまだ至っていない。それなら、と、私が、誕生日のお祝いとしてプレゼントすることにした。 インターネットの通販で買える碁盤と碁石のセットを見てみると、いきなり、何万円も何十万円もするものがたくさん出てくる。いやいや、我が家は狭い賃貸住宅暮らしだし、そんなに立派なのではなくて、

    sakura_sakasuyo
    sakura_sakasuyo 2010/04/12
    携帯から見てたせいかもしれませんが、なんだかいつもより長く感じtのは、やはりめでたい日の出来事で、幸せいっぱいやからなのかなぁなんて思いながら、読んでいてこちらも幸せになるなんていう副産物がありました
  • みそ文 だれにもまけない

    「なにかひとつだけでいいから、これだけは誰にも負けない、というものを見つけなさい」。どこで誰が言った言葉なのか、全然思い出せないけれど、子どもの頃に、この言葉を聞いた私が感じたことはよく憶えている。『誰にも負けない、って、この地球上の三十八億人(当時地球人口は三十八億人だったのだ)全員と、競い合うのも、その頂点に立つのも、そんなの無理だし、面倒くさいし、いやだよ』。 「誰にも負けない」というのは、そういう意味ではなかったのだな、ということが、今ならばたぶんわかる。「誰にも負けない」というのは、他人と競い合った結果、というよりは、自分自身の鍛錬や修練の結果、自分自身がある程度、じっくりとその何かを行うことも味わうことも可能なレベルに達した状態をいうのだ。 「これだけは」というときの「これ」とは、何かが上手にできることや、何かの役に立つことや、広く知られることや、何らかの形で褒め称えられること

    sakura_sakasuyo
    sakura_sakasuyo 2010/03/05
    誰にも負けないこと、なんかあるかな。。。
  • みそ文 カレーひとすじ

    大人になってから、なんとなく思うのは、「感謝」というものは、まず自分の内側に、じんわりと、あるいは、突き上げるように、「湧いてくるもの」であって、感謝しなくてはと義務感に駆られるようなものではない、ということだ。自分の内面に湧き上がってきた「ありがたい」という気持ちを、言動で表出することも「感謝する」ことに含まれるだろうが、その表出の仕方やスタイルは、各人の習慣や表現特性によって異なる。 私はどちらかというと、言葉にすることにこだわる習慣と表現特性を持つタイプだ。だから、「わざわざ言わなくてもわかるだろう」と期待することも判断することも多くない。自分の脳がいつまで正常に言葉を紡ぐ機能を保てるのだろうかと、折々に気にして生きるくらいだから、ほとんど常に、言葉は惜しんでいないと思う。けれども、その結果、いろんなことを、言葉にのせて、つまびらかにしすぎることでの、くどさやイタさが現われる傾向も、

  • みそ文 本日の衝撃(職場編)

    日の衝撃。 はりきって出勤し、白衣に着替えて売り場に出る前、バックヤードで店長に挨拶。その場で朝礼(その日の仕事の連絡事項などの確認)をしてもらおうとしたら、店長が少し驚いたみたいに、「今日のワースケ(その日の従業員全員のワークスケジュールの時間割表)に、先生いないんですけど。先生、お休みのはずなんですが。僕が勘違いしてるのかな。もしかして、ワースケ作成のし間違い? 月度勤務表で確認しますね」と言うではないか。 ワースケ作成のし間違いは、過去にも何度かあったことで、その都度、店長と社員に、「私、今日、ワースケでは仲間はずれみたいですけど、売り場では仲良く仕事するフリをちゃんとしてくださいね。私真面目に仕事しますけど、止めたりしないでくださいね」と声をかけて仕事をしてきた。だから、今日も、そうするつもりで、店長と、今一度、月度勤務表(毎月21日から翌月20日までの全員の出勤と休日を表にして

    sakura_sakasuyo
    sakura_sakasuyo 2010/03/02
    お疲れ様でした
  • みそ文 繋がる万歳

    季節の変わり目ということもあるのか、職場の売り場編成の変更や、商品のリニューアルや、なんやらかんやらいろいろで、毎日、仕事をこなしてもこなしても、やるべきことが際限なく、目の前に現われる。商いは止まらない列車、という言い回しがあるけれど、止まらなくてもいいからせめて、ちょっと速度を落としてはいかがかしら、と思いそうになることがある。 私だけでなく、同僚皆が、息切れ気味に、それでも、その日のキリのよいところまで、時間内に、精一杯の仕事を片付けて帰ってゆく。そして各自、少しでも手が空いたなら、自分の担当部署以外の売り場作業のお手伝いに励む。それぞれがそれぞれの勤務時間を終えて帰ってゆくときには、皆一様に、もうこれ以上は働けません、な疲労した空気を身にまとい、「お疲れ様でした。お先に失礼します」と挨拶する。けれど、各自、その直後には、各家庭での日常業務に取り掛かるのだ。子どもの習い事などの送り迎

    sakura_sakasuyo
    sakura_sakasuyo 2010/02/27
    「お疲れ様でした。お先に失礼します」と挨拶する。
  • みそ文 大人も飛ぼう

    先日肋骨を骨折した同僚に、私は今日「ごめん。私、まちがっとった」と話しかけてみた。同僚は「え? なにが?」と首をかしげる。 「私、これまで、もう、椅子の上から飛んで遊ぶのはやめたほうがいい、ってばっかり言うとったけど」 「うん。私も、もう、あれは、せんほうがええ、って思っとるよ」 「うん、でもね、やっぱり、人間として、飛びたいとき、ってあると思ったん。やっぱり飛びたいときには飛ぶほうがええと思う」 「ええー? そうじゃろうか。でも、私が今回気をつけんといけんかったのは、自分の身長と体重が、子どものとは違う、いうことを考えんにゃいけんのに、それをしてなかったとこじゃと思う」 「うん、じゃけん、大切なのは、飛ばんようにすることじゃなくて、安全対策を十分にしてから飛ぶことじゃと思うんよ」 「そうじゃろうか。飛ばんかったら済むことなんじゃないんじゃろうか」 「まあ、飛びたくないのを、無理に飛ぶ必要

    sakura_sakasuyo
    sakura_sakasuyo 2010/02/18
    私はうずうずしたら思う存分駆けまわることにしていますが、思う存分飛びたくなった際には、思う存分飛ぼうと思います。
  • みそ文 用法は正しく

    わりとお若い女性二人組みのお客様。そのうちのお一人の方から「お腹が痛いのを止めたい」とのご相談。 お話をうかがってみたところ、下痢でもなく、お腹とは言っても、どちらかというと痛いのは胃のよう。やや胃酸過多気味か、軽い胃痙攣気味なのか、という症状だったので、対応方法はいくつかありますが、と、ブスコパン(鎮痙薬。胃腸の痛みと緊張を和らげる薬)を使う方法と、胃液分泌を調整して胃粘膜の荒れを修復するタイプの胃腸薬と、漢方タイプのお薬とをご紹介してみる。 このうちのどれかで様子を見られてはいかがでしょう。あとは、お腹周りが冷えないように、胴体にスカーフかなにかを一枚巻くか、腹巻したり、カイロで温めたり、工夫してみてくださいね。たいていの痛みは温めるだけで、ずいぶんとラクになりますから。 お客様が「胃が痛いときに、生理痛の痛み止めの薬を飲むんでは、だめですか?」とおたずねくださる。 はい。だめです。生

    sakura_sakasuyo
    sakura_sakasuyo 2010/01/04
    抗コリン薬とNSAIDs
  • みそ文 大切な春雨

    少し前に、リンク先の「みそ記」に書いた、「豚キャベツ春雨炒め」のレシピ紹介日記。我が家では、そのおいしさにすっかりハマり、いつでも再現できるように、これまでは常備していなかった春雨を、何個か買い置きするまでに。 我が家以外のところからも、実際に作ってみたよ、の知らせがやってくる。 ある友人は「私はこのままでおいしいと思ったけど、上の子は、お母さん、これは、コショウをかけてべるほうがもっとおいしいと思う、と言ってコショウをかけ、お父さん(子どもたちにとっての父。友人にとっては夫。)は、ピリカラにしたらおいしいはず、と言って一味唐辛子をかけたけど、それぞれが各自の味に大満足して、ぱくぱく、いっきにべたよ。また作るね。」とメールに書いてくれている。そうか、そうか。それはよかった。 そしてまた、別の友人からのメールには、「みそさんがみそ記で教えてくれた豚肉とキャベツの炒め物を作ってみたら、

    sakura_sakasuyo
    sakura_sakasuyo 2010/01/02
    裏メニュー,豚キャベツ春雨炒め春雨抜き
  • みそ文 みずからがかけるもの

    自らの心身のすこやかさを護るために、かけてもいいのは、尊厳であって、健康や命ではない。 自分の自尊心を損なうような作用を持つエネルギーには、様々な形がある。自分に対して否定的な言動、という形の場合もあれば、自らの美学や美意識や価値観とどうにもこうにも相容れない、という形もある。 自分に対して否定的な言動、というのは、まあまあわかりやすく、その認定も対処も、どちらかというと、まだやりやすい。それでももちろん、消耗も疲弊もするものだから、必ずしっかり腹を括って、心づもりを整えて、ことにあたる必要がある。 けれども、自分とはどうにも相容れないものについては、ついうっかり、気づき損ねてしまうことがある。 間違いなく瞬時に「これは自分にとっては十分に不愉快である」とせっかく感知したとしても、「みんな仲良く」だとか、「多様な価値観」だとか、「異文化共生」だとか、自分の中で勝手に自己主張している、そうい

    sakura_sakasuyo
    sakura_sakasuyo 2009/12/31
    はい。なんとか努力します。
  • みそ文

    今となってはあの時のあれはなんだったんだろうと思うことがいろいろある。 今は車に標準搭載されているETC車載器を昔は各自で後付けしていたのはまあいいとして、まだ世の中にETCはないけれど、もうしばらくしたらETCなるものが整備されていろいろオトクに便利になりますよ、楽しみにしていてね、という案内が高速道路のあちこちに掲示され始めた頃。 案内を何度も何度も目にするようになり、これはどんなものなんだろうね、と興味を持ち、後続車がいないのを確認してから、料金所の人に尋ねる。 「イーティーシーについて何かわかる資料があったらいただけますか」 すると料金所の人は 「イーティーシーじゃなくてイーテックですけど。ここにあるのはこのチラシだけなんで、またサービスエリアの案内所で詳しいものをもらってください。イーティーシーじゃなくイーテックですよ」 と言う。 お礼を伝えて走行する。夫と「ETCと書いてイーテ

    sakura_sakasuyo
    sakura_sakasuyo 2009/12/28
    夜中に読み出すと、次々と読んでしまうので寝れなくなる。本になったら欲しい。
  • みそ文 おくりびと

    実家の母から電話がかかる。「どうやらのお父さんとお母さん(私の夫の両親)から、お歳暮をいただいたけん、また、よろしゅう伝えておいて」という内容。夫の実家周辺では、地元で採れた農産物で作った味噌やおやきな粉や干し柿など、少しずつの詰め合わせセットを、ふるさと商品として販売しているらしい。昨冬だったか、義母が初めて、その商品を選んで、私の実家の両親に贈ってくれたときに、私の母が「ちょびっとずつなのか嬉しい。いろいろ試せるのが嬉しい」とたいそう喜んでいた話を、義母にした。だからなのか、今年も同じシリーズの今年版を、選んで贈ってくれたようだ。 それとは、別件での、母からの連絡事項は、父がお気に入りの九州の温泉宿に出かけて、いつもの焼き物の新しいバージョンを買ってきて、「みそにも、要りゃあ、送っちゃれえや」言うんじゃけど、配達時間はいつもどおり、夜8時以降でええかね、ということであった。 「ちょっ

    sakura_sakasuyo
    sakura_sakasuyo 2009/12/17
    うちの実家の人たちも何かとおくりたがるんですが、一人暮らしってことを知ってるはずなのに、容赦ないものをおくろうそしてくるので止めるのに必死です
  • みそ文 製本への道

    「みそ文」を読んでくれているおじやおばたち(母の兄や姉妹たち)が、「みそ文をにしたらいいのに」と言ってくれるから、と、母が「お金は私が出すから、ブログをにするには、何をどうしたらいいのか、いくらくらいかかるのか、調べてみてほしんだけど。で、手続きもしてほしい。きょうだいたちに配りたいから」と言う。これまでは、母がPC画面をプリンターで印刷したものを、一か月分ずつまとめては、母のきょうだいたちに郵送してくれていた。姪っ子(私)に甘いおじやおばたちは、そのたびに、「おもしろい! おもしろい!」と、母に伝えてきてくれる。それに気をよくした母がまた、翌月分も送りつける、という繰り返しであった。 たしかに、コピー用紙をクリップやステープラー(ホチキス)で留めたものを、一枚ずつ、べろりんべろりん、と、めくって読むよりは、の形になっているもののほうが、ずいぶん読みやすいことだろう。製かあ。どんな

  • みそ文 お粥の場所

    入荷した商品の補充作業中。医薬品ドリンク売り場にて、袋詰め作業をしていたら、8歳か9歳くらいだろうか、小さな女の子が近寄ってきて、私に話しかける。小さな人ではあるけれど、話し方はきちんとしていて、「すみません。このおみせには、おかゆはおいてありますか?」と、丁寧な言葉で質問してくださる。 「はい。お粥ですね。品コーナーのレトルト品の棚のところにございますので、ご案内いたしますね。」と、言いながら、小さなお客様を誘導する。途中の通路にさしかかったとき、小さなお客様は、通路から見える場所にいらっしゃる大人の女性にむかって、「おかあさん!こっちにおかゆ、あるって。おみせのひとにきいたら、やっぱり、ちゃんと、あったよ。」と、声をかける。 お母さん、と呼ばれた女性のお客様が近くにいらっしゃるのを待ってから、「お粥はこちらの棚になります。あ、上の段にも、箱入りで、お粥のシリーズがありますね。こちら

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