自信のアウトソースは服オタの専売でも、近年の傾向でも、たぶん、ない。 ・服オタが、贔屓のブランドが叩かれて必死になる理由 - シロクマの屑籠(汎適所属) リンク先で指摘されている「自信の喪失⇒自己否定」という流れをみて、ぼくが最初に感じたのは奇妙な懐かしさだった。この手のアイデンティティクライシスの物語には見覚えがある。それはたとえば、こんな物語だ。その青年は有名一流大学を出て、有名一流企業に就職することを至上目標としていた。弛まぬ努力は実り、目標は叶う。彼にとって、「その企業にいる自分」がすべてである。自覚の有無に関わらず、だ。この場合、服オタにとっての贔屓ブランドは、学歴や所属企業に置き換えられる。しかも、時間をかけて手に入れた分、より取り返しのつかないものとして。 そういう感覚は、おそらく、その辺にごく普通にあった。価値観が多様化したといわれる現在でさえ、完全になくなったとは思えない