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内田樹に関するsarutoraのブックマーク (13)

  • 祭りの戦士 @ กรุงเทพฯ マジシャン

    じつは最近、レヴィナスなどを読みかじり始めているせいで、しばらく見ないようにしていた内田樹先生の名前に再会する機会が多くなった。で、ついこの古いエントリー に行き着いて、(よせばいいのに)読んでしまった。怒り爆発のブックマーク などもくっついていて、相変わらずなんですね。反論は懐かしの同志kingさん の書いたもので言い尽くされているので(もう、痛快!)必要もないのだろうが、なんとも言えぬ居心地悪い読後感が残っている。というのは、「わからないね」をはじめとする哀れむべき言葉を読まされたからという理由だけではなく、この先生の言ってることが私がしてきた主張に妙に似ているからなのだ。私の書いたものを批判する人なんかに、「ほら、お前などウチダと同じポストモダン系保守なんだよ」とでも言われてしまいそうな内容なのである。だから厄払いだけはしておこうと思う。 好意的にとれば先生の言ってることは、人の意識

    sarutora
    sarutora 2008/12/02
    >ところが先生のなさっていることは、不可解な詭弁(トリック)を操り、社会の条件な不正を放置し、相も変わらず何者かを貶めることによって、自己を浄化すること。
  • 2つの消費――内田樹 - Living, Loving, Thinking, Again

    http://blog.tatsuru.com/2008/02/12_1607.php 先ずは題とは関係ないが、橋下徹を巡って; 大阪府知事選については、有権者の政治システムに対する無根拠な楽観(「誰がなっても、何とかなる」)と無根拠な悲観(「誰がなっても、どうにもならない」)のアマルガムが表出したものであり、その選択の根拠がいずれも「無根拠」という点で、評価することのむずかしい選択であると述べる。 このあと数ヶ月以内に、メディアは集中豪雨的に橋下知事のスキャンダルと政治的無策に対する攻撃的報道を開始するであろうし、有権者の多くはそれを期待している。 「持ち上げて」から「落とす」のはテレビ視聴者のタレントに対する基的な態度だからである。 おそらく、それからあとの残任期間、大阪府政は長い停滞を余儀なくされるだろうが、それを代償に差し出しても、府民は「目先のスペクタクル」を選択したのである

    2つの消費――内田樹 - Living, Loving, Thinking, Again
    sarutora
    sarutora 2008/02/20
    >女性の消費活動は濃密に「身体的」であり、ディスプレイ上に表示される電磁パルスの数値を見て極快感を得ることのできる女性はあまりいない…せいぜい宝石とか毛皮とか香水とかドレスとか
  • 突発性仏文学者症候群 - 内田樹の研究室

    『困難な自由』の未訳箇所の翻訳が終わった。 国文社に送信。 『困難な自由』は既報のとおり76年版を7年かけて全訳を終えたのであるが、翻訳権を取り忘れており、発売できなくなってしまった。 あら残念でした・・・とあきらめていたのであるが、稀覯である1963年版が発見され、ここには76年版には未収録の論文がいくつか収録されていたので、これを底に訳しなおしたのである。 わずかな頁数の仕事だったのだが、去年はまったく時間が取れず、年明けに角川新書のデータを送り終わったあとにできた奇跡的な空白の間に訳し終えたのである。 やれやれ。 いずれ76年版がどこかの出版社から出るはずで、収録論文の大半は重複するので、今76年版を一生懸命訳している訳者の方にはいささか申し訳ないのだが、原理的には翻訳はいくつか種類があって、読者に選択権がある方がよいと私は思っている。 続いてカミュ論を書く。 これは鷲田先生が編

    sarutora
    sarutora 2008/02/12
    私はサルトルの著作のうちで今日でもまだリーダブルなものはきわめて少ないと思う/しかしサルトルは哲学史の「上席」に定位置を占めカミュには哲学者たちはほとんど関心を示さない <どっちも興味ない人が殆どじゃ?
  • エビちゃんの「内田センセ的クライシス」(その1) - ちゃずけのはてなにっき

    「エビチャン」人気が今熱い。といって、私が「エビチャン」を見始めたのはもう数年前になるので やっとどこかが売り出しにかかったんだなと、思ってたんだけど「アンチフェミニスト」の内田センセが エビチャンを取り上げてたので、ふと考えた。 内田センセはお勤めの女子大の学生が「フェミニズム」を知らないと失笑されておりますが、 私は「フェミニズム」すら知らない学生にセンセは一体御自分が何を教えられると考えるのだろうかと センセの無邪気さに涙をおさえる事が出来ません。いくらセンセが「私の学生はスマート」なんて 表現してみせたところで、センセ、ケツに火がついてますぜ。 センセは「フェミニズムは数年前に役目を終えられた」とおっしゃってますが、とんでもない、 ちっとも役目を果たしてないから唯物的な「女子大生」が「エビチャン」に向かうのです、 女の子が何故「フェミニズム」じゃなく「エビチャン」を必要とするか、そ

    エビちゃんの「内田センセ的クライシス」(その1) - ちゃずけのはてなにっき
    sarutora
    sarutora 2006/08/02
    >内田センセまでがエビチャンの名前を知った時点でエビチャンの輝かしさは凋落の一途を辿るのではないか
  • http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20060526093232/index.html

  • 内田樹に近づくな! - umeten's blog

    結論から言うと、 アイロニカルな存在である内田先生に、うっかり批判の手を*1出すと、カリスマメールシュトローム作戦*2に巻き込まれて、結果的に氏の「名声」――すなわち量を底上げすることにしかならず、それは逆説的な賞賛となるほかはないというお話。 結論を言ったのでもういいかと思ったけど、もうちょっと説明すると、 ポストモダン時代の先端思想であるといわれるところの「フランス現代思想=フランス文学」…… ああ、ちなみに、欧米圏では大航海時代からの積み重ねによって獲得された帝国主義的勝利の産物としての言語の特性によって文学と思想とはイコールなのです。 つまり、哲学書とか読んでもフツーの言葉で書いてあったりするわけですね。 臨兵闘者皆陣烈在前*3とかなんとかいった風な読む人の眉間にシワを寄せさせる漢字の熟語や、逆にテクマクマヤコン*4でマハリクマハリタ*5でパパレホパパレホドリミンパ*6といった風な

    内田樹に近づくな! - umeten's blog
    sarutora
    sarutora 2006/05/25
    すばらしすぎ!出ちゃったよ、結論が…近づきすぎましたorz
  • 調布ときどき日記

    調布ときどき日記

  • ちゃずけのはてなにっき

    以前から好きな伊藤沙莉さん主演の朝ドラ「寅に翼」を毎日楽しみにみている。 こんなに楽しみなのはのん主演の「あまちゃん」以来かも。 物語がおもしろいのはもちろん、演出、小道具、その他もろもろが素晴らしい。 特に近年NHKドラマで私が注目しているのはお着物で 毎回時代に合った柄や着付け、などなどをじっくり眺めている。 今回の「寅に翼」などはメインキャラクターにあったそれぞれのお着物など 眼福もの、主人公で東京の「中流の上」くらいのお嬢様である沙莉さんの 普段のお着物の愛らしさは何とも言い難く魅力的だ。 大学同期の弁護士夫人である平岩紙さんの抑えた色目にぞろりとした着こなしや 男爵令嬢のあでやかな友禅模様を羽織も併せて美しく見せる、 ちなみにこの方は半襟も総刺繍でお見事、柄と柄を合わせる妙味につきている。 「昭和レトロ」の現代風再現力を見よ!って感じ。 主人公が暮らす書生を置く家は畳敷きであって

    ちゃずけのはてなにっき
    sarutora
    sarutora 2006/05/24
    >内田センセまでがエビチャンの名前を知った時点でエビチャンの輝かしさは凋落の一途を辿るのではないか
  • エビちゃんや『働きマン』にフェミニズムという言葉がでてこないからといって、それは彼女たちがフェミニズムと問題意識を共有しないことを意味しない。 - 変身物語

    ちょっと予定を変えまして、内田のエビちゃんをネタにしたフェミニズム批判が酷いので、そちらを先に批判してみます。http://blog.tatsuru.com/archives/001731.php各所で指摘されているように、まず内田の特定のゼミでのできごとをもってして、社会一般を論じられると思うことはおかしい。しかし、ここで主張したいことはそういうことではない。むしろ、エビちゃんの人気が、フェミニズム的問題意識の後退とパラレルなものであるのか、私はこのことを疑問視したい。内田のエントリーによれば、彼等のクラスの学生は、エビちゃんを「アクセサリー的に美しい、庇護欲をそそるような女性」と定義したという。内田は、この女性像がフェミニズムと対立的なものであると主張し、このような女性像に問題を感じない学生にはフェミニズムが届いていないとする。しかし、エビちゃんをフェミニズム的ではない、男に媚びる女性

    sarutora
    sarutora 2006/05/23
    まったくその通りだと思う。「内田は、フェミニズムの心配なんてする前に、自分の飯の種であるフランス現代思想の心配をした方がいいんじゃないかな」まったくだよ
  • あるマルクス主義者の自意識劇場 - *minx* [macska dot org in exile]

    どうやら khideaki さんは chiki さんだけをマトモな議論相手と認定する一方、わたしなどは「まったく前提を共有できない」「議論にならない」相手だと断定してしまっているらしい。そう考えるのはもちろんかれの勝手だけれど、かれの議論がどんどん支離滅裂になっていくのをただ見ているだけでもつまらないので、ちょっとコメントしておこう。 chikiさんは、「「たとえ善意から出発した○○であろうとも、それが極論にまで達すれば論理的には間違える」というのはどんな論理にも当てはまる」と書いている。つまり、僕が語ったことはある意味ではごく当たり前のことなのである。書き方が気に入らないということはあるだろうが、ごく当たり前のことに対してどうして過剰反応が起こるのかが僕には分からない。 どんな論理にも当てはまるようなことが、ことさらフェミニズムの欠点であるかのように「フェミニズムのうさんくささ」という文

    あるマルクス主義者の自意識劇場 - *minx* [macska dot org in exile]
    sarutora
    sarutora 2006/05/23
    マルクス主義者も怒るんじゃないかて気もする。
  • 内田樹氏の「フェミ批判」を批判する-ソウル・ヨガ(イダヒロユキ)

    ニックネーム:イダヒロユキ 伊田広行 都道府県:大阪府 HPはhttp://www.geocities.jp/idadefiro/過去ブログへはカレンダーの〈 〉記号やカテゴリーから。 »くわしく見る 内田樹氏の「フェミ批判」を批判する---バックラッシュ状況の中で考える バックラッシュがすすんでいるのは、新自由主義のもとでの格差拡大による不満の増大とか、戦争のできるナショナリスティックな強権社会にしたいと思うものが意識的に仕掛けているという面もあるが、フェミニズムの主張がようやく少し社会を実際に変革し始めようとしたということにもよる。 そうしたフェミニズム的な変革に反発する裾野は広い。戦後の教育政治やメディアが、考えない、自立しない、発言しない、運動をしない人間を多く育ててきたからだ。 そうした「変革への抵抗勢力」を育てていくという、保守的な意見・感覚と言うものがある。それ

  • 内田樹の研究室: うなぎくん、小説を救う

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    sarutora
    sarutora 2005/11/07
    また屁理屈。幸福=同化を前提しながらそれができなくて困ったと言うだけ。「告発の~」なる悪者まで捏造。
  • http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20051103

    sarutora
    sarutora 2005/11/03
    かっこいい。
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