最近友だちとわたしは思春期なのか知らないけど、この世界で自分であることの不安と疎外感に苛まされていて、「自分」というよりは「役割」になりきりたいなどと話しているのです。友達なんて「私もう『菅原ナントカの母』って名前でいいよ!」などとフェミニズムを帳消しにする?ようなことまで言い出す始末。(ま、こう思うのもモチロン、もとをただせば資本主義のせいで労働から疎外されてるせいなんですけどね!) そんな自我病のわたしたちがこのたび楽しんだのは(皮肉にも資本主義の権化ディズニーが作った)『魔法にかけられて』です。というのも、この映画は「おとぎの国」と「現代社会」が出会うというものなんですが、「お伽噺」パロディでありながら「現代人自我」のパロディみたいなんですよ。 なんといっても「おとぎの世界」は「…こうして二人は結ばれ幸せに暮らしましたとさ」といった運命の支配する世界。王子は王子、姫は姫として疑問の余