カント『純粋理性批判』 日本で最初に「Subject」と格闘した西周 1922年末アインシュタイン来日 フォイエルバッハ・テーゼ 師・西田の先を行った三木清 sub(下に)+ject(投げる)という意味になる“subject”が何故に「主体」と訳されているかという話。 アウトラインだけざっくり引用するので、肝心の難しい話は現物を読んで下さい。 〈主体〉のゆくえ-日本近代思想史への一視角 (講談社選書メチエ) 作者:小林 敏明発売日: 2010/10/08メディア: 単行本(ソフトカバー) カント『純粋理性批判』 いまやSubjektの新たな意味が明らかだろう。デカルトの出発点となった「我思う」の「我=Ich」がここで「Subjekt」と等置されているのである。かつては対象の元または奥にあって、それを成立させている規定不可能なもの、それが「真にあるもの」としての「実体」であった。だが、いまや
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