タグ

ブックマーク / t-hirosaka.hatenablog.com (10)

  • 香港の友人へ・新年のご挨拶 - 恐妻家の献立表blog

    新年のご挨拶を申し上げます。 ふつう、日の正月の挨拶は「あけましておめでとうございます」とか「謹賀新年」とか、祝意を表す言葉を交えるものですが、どうも素直に新年を祝う気分になれません。 もっともこれは私一人のことではないようです。 元旦にある方からいただいた年賀状には次のようにありました。 年末の選挙を経てこの国の将来を思うと、とても「おめでとう」とは言えなくなってしまいました。ほんとうに「おめでとう」と言える日が来ることを願って。 私もまったく同感です。 他にも、例えば社会学者の上野千鶴子氏が京都新聞に寄せたコラムは次のように書き出されています。 暗い時代が始まる。脱原発派と護憲派、ジェンダー平等派にとって。教育現場にとってもだ。インフレ、借金、東アジアの緊張、貧困と格差、弱者切り捨て…亡国政権の始まりだ。 私どもも暗い時代をどう生き延びるか、いずれにせよ今年が正念場になるだろうと暗澹

    香港の友人へ・新年のご挨拶 - 恐妻家の献立表blog
    sarutora
    sarutora 2013/01/03
    「日の丸の前で足を止め、ぐっと頭を下げて」旗に敬意を表した男性とは、「旗への素朴な思い」に「ぐっと頭を下げて」記事を書いた記者の分身ではないでしょうか。
  • ニーメラーの警句 - 恐妻家の献立表blog

    ニーメラーの警句として知られる文章がある。先日、またこの警句を思い出させるような事件があった。丸山真男「現代における人間と政治」(『現代政治の思想と行動』所収)から孫引きする。 「ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になつた。けれども結局自分は共産主義者でなかつたので何もしなかつた。それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども依然として自分では社会主義者でなかつた。そこでやはり何もしなかつた。それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増したが、なおも何事も行わなかつた。さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であつた。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであつた。」(Mayer,op,cit.,pp.168-169) このニーメラーの言葉は典拠不詳のままアレンジ

    ニーメラーの警句 - 恐妻家の献立表blog
    sarutora
    sarutora 2012/12/13
    「一般の国民の日常感覚」に対して…体制の被害者や異端者や抵抗者にとっては「同じ世界は…みんな幸福そうに見える」どころか、いたるところで憎悪と恐怖に満ち、猜疑と不振の嵐がふきすさぶ荒涼とした世界である」
  • まんまと引っかかった - 恐妻家の献立表blog

    今朝、通勤電車に乗ろうとした矢先、駅の売店に並べてある雑誌の中から「野中広務氏が暴露した「官房機密費」配布実名リスト公開」という見出しが目に飛び込んできた。 「週刊ポスト」誌である。 これは面白そう、と思って、久しぶりに週刊誌を買った。 期待に胸をふくらませてページをめくったが…。 まず冒頭に「なぜ大新聞・テレビは野中広務氏が暴露した「官房機密費」を追及できないのか」と題した記事があり、その記事は「次稿のリポートでは、その人名に斬り込む」と結ばれている。 そしていよいよ「次稿」である。 「「実名リスト」で名指しされた言論人を連続直撃!」という大きな見出しのそばに、「実名リスト」現物とおぼしき「3枚のメモ」の写真が、小さく添えられている。写真は小さいし、画像はぼけているので書かれてある文字は判読できない(竹村健一と藤原弘達の名前は辛うじて読めた)。 さては、このページをめくったら一覧表がある

    まんまと引っかかった - 恐妻家の献立表blog
    sarutora
    sarutora 2010/05/19
    これはひどい!(週間ポストが)詐欺ですね。「実名リスト公開」ってリストの写真が載ってるだけなんですって(・0・)
  • 政治音痴の戯言 - 恐妻家の献立表blog

    サヨクの人とかから糾弾されるのが怖いので政局ネタにはふれないようにしているのだが、なんとなく感じていた不安をkechackさんが上手く言葉にしていらしったので、思わずブックマークしてしまった。 http://d.hatena.ne.jp/kechack/20100412/p1 中田前市長は青年将校的な性格で、新自由主義的な思想を持っているが、国家主義でとは違う。この程度の立ち居地なら民主党にもゴロゴロいる程度だ。しかし、山田宏杉並区長は国家主義的な右派で、自分の思想信条に基いた政策を実行しなければ気がすまないタイプだ。 政局にはほとんど関心がないので、どの議員がどういう政策理念をとなえているかなどは詳しく知らない。けれども、新自由主義と国家主義がセットになったとき、非常に危ういことになるのは経験上知っている。 自由主義といい、国家主義といい、私はその政策の全てを全否定しているわけでもない。

    政治音痴の戯言 - 恐妻家の献立表blog
    sarutora
    sarutora 2010/04/13
  • 哲学と中国 - 恐妻家の献立表blog

    哲学 (ヒューマニティーズ) 作者: 中島隆博出版社/メーカー: 岩波書店発売日: 2009/05/26メディア: 単行購入: 1人 クリック: 14回この商品を含むブログ (10件) を見る権威書店による人文・社会科学の入門書シリーズの第一巻目だが、執筆者がちょっと曲者。一般にこうした入門書はその分野のオーソドックスな研究者、例えば,書の場合であれば、哲学(つまり西洋哲学)の第一人者が執筆することが多い。ところが書の著者は、哲学は哲学でも中国哲学の研究者なのである。 この「中国哲学」(「日哲学」も)というのは書でも論じられているように問題を含んだ名称なのだが、ともあれ著者はプラトンやデカルトやカントの研究といった、いわゆる哲学研究の主流から見れば異端とは言わないまでも、少なくとも傍流に位置する領域の専門家である。実は、だからこそメインストリームの中にいる人からはなかなか見えにく

    哲学と中国 - 恐妻家の献立表blog
    sarutora
    sarutora 2009/07/09
  • PK - 恐妻家の献立表blog

    大事なことを書き忘れていた。 昨日の新聞で「パンツい込む」のことを「PK」と略語で言うのだと知った。 「PK」は「パンツい込む」の略、それはわかった。 わからないのは、これはいったいどういうときに使う言葉なのだろう、ということだ。 字義通りに、自分のパンツがい込んだり、あるいは、誰かのパンツがい込んでいるのを見たりしたときに、そのことを指して言うのだろうか? それとも、事実をそのまま指す言葉ではなく、何か別の事態の隠喩なのだろうか? あるいは、何かへの当てこすりなのだろうか? 夕後、と二人で話し合ったが、ついに見当がつかなかった。 そういえば、ある方のブログで「い込んだパンツをづり下げるのはやめよう」という呼びかけを見かけたことがあったが、あれにも何か別の意味があったのだろうか? 賢者のご教示を待つ。 追記・PK、その後 賢者の皆さま方からブックマークコメントをいただきました

    PK - 恐妻家の献立表blog
    sarutora
    sarutora 2008/04/04
    そしてPKOは国連のパンツ食い込み活動ということに↑あ、すでに色々あるのですね(笑)失礼しました
  • 2007-10-05

    鍋の残りを使って、おでん。 多忙につきメモのみ。 http://qlove-1947.at.webry.info/200710/article_3.html 上記記事を読んで、kingfishさんの以下の連載を思い出した。 http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20070620 http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20070621 http://d.hatena.ne.jp/kingfish/20070623 私は原氏の述べている事柄の適否を判定する知識もない素人である。故に、積極的な論拠があるというわけではないのだが…。 人間だから記憶ちがいもあろうし、まして個人史に引きつけて語る場合はある程度のバイアスがかかるのは当然だとも言える。 しかし、それにしても「もしもの老子」さんやkingfishさんの指摘は見過ごせないところを突いているよう

    2007-10-05
    sarutora
    sarutora 2007/10/06
    >ある一定の風潮に抗してなされる「実はこうだった」的語りが、別のベクトルへ向かっての印象操作になってしまいかねない危険性というのはあるのではないか
  • 2007-05-15

    麻婆ナス、冷や奴、キュウリのぶつ切りとシソのみじん切りを塩もみしたもの、舞茸のみそ汁。私は蕎麦。 体重変わらず。 ブログ軍師に相談すると、よく出てくる文句だが、何のことかわからなかったが、id:kurahito師に教えていただいた。 悪意の訪問者がグーグルとかのアドセンス(広告)を連打してブログ主等に規約違反による制裁をうけさせる行為です。 うーん、そんなことをする人もいるのかぁ。 それで、今ごろ気づいたんだけれど、ブックマークのコメント欄って一言掲示板みたいにも使えるのね。いや、そういえば自分もかつてそうしていたか。なんでやめたんだっけな(あ、自分用にメモのつもりが、他の人へのメッセージみたいになっちゃうのが嫌だったんだ)。 最近、体調不良と気力減退で、ろくにを読んでおりません。 思いつきを書き留めておきたいので、過誤を恐れず書き出していきます。 続きを読む

    2007-05-15
    sarutora
    sarutora 2007/05/16
    >「…大人の判断をしよう」…などと言う人はたいていの場合…自分自身の幼児性が露見することに恐れを抱いている…大人であることにウンザリするくらい大人である人間は自分が大人であることを強調しない
  • 恐妻家の献立表-葦の原に穴掘って----教育基本法「改正」反対

    ハンバーグ、レタスとアボガドのサラダ、冷や奴、アサリの味噌汁。 の風邪はもう治った。速すぎ。 昨日、fmnakaさんの「愛国心ってLove Moreよりも前にKnow Deeplyだよね。。」と題された記事を読んで考えることがあった。 続きを読む

    恐妻家の献立表-葦の原に穴掘って----教育基本法「改正」反対
    sarutora
    sarutora 2006/04/30
    「尾崎豊に学校を愛せと強制する」ようなものだ
  • t-hirosakaの読書録 「衆愚」という言葉

    だんだん忙しくなってきて、ゆっくりを読む時間がなくなりつつあるので、今日はちょっとした小話。 1950年代のアメリカで、マッカーシー議員による「赤狩り」旋風が吹き荒れた頃の話。 ヒトラーの財政面の手品師だったヒャルマール・シャハトはアイゼンハワーの顧問ジョン・エメット・ヒューズに向かってこう言った。「君もようやく分っただろう、ある国民が扇動政治家を追い払おうと思っても、唯いなくなってくれと念ずるだけでやれるようなものではないことが。」(『マッカーシズム (岩波文庫)』、p28-29) 「衆愚」という言葉は、自分もまた民衆の一人だという自覚を持っている人間には天に唾するようで言いづらい言葉であるし、あえてそれを発する者は、エリート主義者、傲慢、といった非難を受ける覚悟を強いられるため、禁句のようになってしまっているが、一方でヒトラーやマッカーシーの跳梁を許したドイツ国民、アメリカ国民に対し

    t-hirosakaの読書録 「衆愚」という言葉
    sarutora
    sarutora 2005/08/25
    >自己批判の意味を込めて口にされた「衆愚」という言葉に対して傲慢だと反発する者こそ小賢しい愚衆である
  • 1