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革マル派 中核派 内ゲバの検索結果1 - 22 件 / 22件

  • 51年間地下に潜行「中核派」84歳最高幹部が初告白「新左翼運動とは何だったか」(田原 総一朗) @gendai_biz

    かつて革マル派と壮絶な内ゲバを繰り広げ、「暴力革命」を掲げてゲリラ活動を行ってきた新左翼党派・中核派。そのトップ・清水丈夫氏(84歳)が、前進社(中核派本部)で田原総一朗の取材に応じた。この年齢になった革命家は、いまの日本社会と戦後の左翼運動をどう総括するのか。 中核派議長 清水 丈夫 1937年、神奈川県生まれ。高校生時代に革命運動を志し、東京大学在学中に日本共産党に入党。58年に離党し、共産主義者同盟に参加。59-60年、全学連書記長として安保闘争を指導する。61年、革共同(革命的共産主義者同盟全国委員会=通称・中核派)に参加。97年、中核派議長に就任。69年4月より非公然活動に入る。2020年9月、実に51年ぶりに公然集会に姿を見せて人々を驚かせた。著書『清水丈夫選集』(全10巻予定)など。 51年ぶりに地下潜伏活動をやめた理由 田原 60年安保闘争の当時、僕は岩波映画の社員でしたが

      51年間地下に潜行「中核派」84歳最高幹部が初告白「新左翼運動とは何だったか」(田原 総一朗) @gendai_biz
    • 「早稲田にあったのは革マル派の自由」流れた資金は2億円超 対峙した奥島孝康元総長の気概と矜持 アーカイブ

      この記事は、平成21年5月29日付の産経新聞大阪本社版に掲載された記事のアーカイブ配信です。肩書などは当時のまま。学生運動について描いた連載記事「さらば革命的世代」のなかで、5月1日に亡くなった早大元総長、奥島孝康さんのインタビューを掲載しています。 元早大総長の奥島さん死去(2024/5/2) 合鍵もつくられていた「早稲田は自由の大学といわれていますが、実際にあったのは、革マル派にとっての自由だったのです」 早大の元総長で、現在は学事顧問を務める奥島孝康さんは振り返る。革マル派に大学の実権が握られているという危機感を強くした奥島さんは平成6~14年の任期中、彼らをキャンパスから追い出すことを最大の任務と位置づけていた。 早大では昭和40年代後半から、革マル派が各セクトとの抗争を制し、勢力を強めていた。自治会の主導権を握り、サークルの部屋が学外者も含めた活動家の拠点に使われるなど、約30年

        「早稲田にあったのは革マル派の自由」流れた資金は2億円超 対峙した奥島孝康元総長の気概と矜持 アーカイブ
      • #05「反・資本主義・リアリズム」── 左翼とリベラルとサブカルチャーの不愉快な三角関係・後編|GUEST|花咲政之輔 from 太陽肛門スパパーン

        石丸元章 『危ない平成史』 #05「反・資本主義・リアリズム」── 左翼とリベラルとサブカルチャーの不愉快な三角関係・後編|GUEST|花咲政之輔 from 太陽肛門スパパーン GONZO作家・石丸元章が異形の客人と共に平成の「危ない」歴史を語り合う。今回のテーマは平成の“イデオロギーとカルチャー”。ゲストは今年結成30年を迎えたバンド「太陽肛門スパパーン」のバンマスにして、ノンセクト左翼活動家である花咲政之輔。前後編の後編。 <<「反資本主義リアリズム」左翼とリベラルとサブカルチャーの不愉快な関係・前編を読む マクロンかルペンか、困難な二者択一 石丸 カルチャーの世界ではいわゆる正統派本格左翼の流れはかなり後退してしまったという話でしたが、一方で、左翼活動家は平成になって以降も存在していましたよね。 花咲 まあ、中核派も革マルも、日本共産党の地方でがんばっている人々もまだ沢山いますからね

          #05「反・資本主義・リアリズム」── 左翼とリベラルとサブカルチャーの不愉快な三角関係・後編|GUEST|花咲政之輔 from 太陽肛門スパパーン
        • 『全共闘以後』の余白に小さい字で書き込む、私の「活動」 - ohnosakiko’s blog

          1.『改訂版 全共闘以後』(外山恒一、イースト・プレス、2018) 1950年代から60年代末にかけて盛り上がった学生運動は、72年のあさま山荘事件以降衰退し、若者は政治への関心を失った‥‥というこれまでの見方を否定し、主に80年代以降のメインストリームではない若者たちによる社会運動を、多くの関係者への丹念な聞き取りと自身の体験を元に”通史”として描き出した、本文だけで600ページ近い労作。 序章では全共闘の「前史」と本書に通底する筆者の問題意識が示され、第一章から第五章までは、80年代から90年代の左派から右派までの有名、無名の人々のさまざまな動きや現象を、内在的な批判を交えつつ活写している。第六章と終章はゼロ年代以降の話となっており、80年代生まれの活動家たちへの若干の距離感が見られる。 縮めて言えば、50年代半ばに革命への意志を失ったそれまでの左翼を否定して登場した新左翼運動と、その

            『全共闘以後』の余白に小さい字で書き込む、私の「活動」 - ohnosakiko’s blog
          • 咲×YOSTARの駅前コラボ広告が炎上した話と、スーパーのリアル店舗ではヘルシーメニューが売れない話について - 頭の上にミカンをのせる

            スーパーのバイヤーさんと面談。彼曰くスーパーでヘルシー系の惣菜は売れない。アンケートを取ると求められる。真に受けて管理栄養士が考案した系の惣菜を出す。売れない。これが新人バイヤーがよくやる失敗らしい。…ちなみに実際に女性や高齢者に売れるのは「ミニサイズのカツ丼だ」とのこと 笑 pic.twitter.com/ZmexG90JW9— 東プラ社長(崖っぷち) (@tokumei_banzai) 2022年12月2日 マックの話を思い出す。以前何処かで聞いた。マックでアンケートを取る。必ず野菜系のハンバーガーを出してくれと結果が出る。実際に出す。毎回コケる。理由はマックで食べる気になっているお客様は…少なくともその時はヘルシー系を望んでいないから 笑— 東プラ社長(崖っぷち) (@tokumei_banzai) 2022年12月2日 非常に参考になる。やはりネット系とは客層が違う。ネット系だと意

              咲×YOSTARの駅前コラボ広告が炎上した話と、スーパーのリアル店舗ではヘルシーメニューが売れない話について - 頭の上にミカンをのせる
            • The Platypus Affiliated Society – 「叛乱を革命から解放する」: 長崎浩氏とのインタビュー 前半

              2020年11月に安藤歴とヒューストン・スモールは日本の新左翼の歴史について、長崎浩にインタビューした。新左翼の起源や高揚、そして衰退の過程を辿りながら、マルクス主義とマルクス=レーニン主義の違い、左翼にとっての党の役割、叛乱及び革命と歴史の関係などを考察した。そもそも新左翼の目標は何であったのか?それをどこまで達成したのか? インタビューは二つに分かれており、後半は来月に掲載される予定である。 前半 1)長崎さんは、ブント、東大助手共闘等の活動において60年安保闘争、70年安保闘争に関わり、その後は地方党の結成などの活動をしており、成田闘争のような住民闘争にも関わっていたが、そもそもマルクス主義または「左翼」との出会いや運動に関わることになったきっかけは何だったのか? 1956年という年 長崎:もう昔の話になりますけれども、まずは1956年が日本ではどういう年だったかを思い出すことから始

              • 暴力による共産主義革命を目指す!ニッポンの過激派とは!?【田中哲郎の“カゲキな解説”】(2020年8月12日)

                かつて東大紛争や三里塚闘争で機動隊と激しい衝突を繰り広げた過激派。 国は今も「平和な民主主義社会を暴力で破壊することを企てている集団」として 監視対象にしています。 そんな数ある過激派の中でも最大級の勢力を持つ中核派は今も活発に活動しています。 知られざる過激派の実態について 5年前から取材してきた担当記者が深掘り解説します。 #過激派#中核派#東大紛争#三里塚闘争#内ゲバ#共産主義#革マル派#渋谷暴動事件#大坂正明#前進社#アジト ◆「ワールドビジネスサテライト」「ガイアの夜明け」などが見放題! 「テレビ東京ビジネスオンデマンド」はコチラ↓(入会月無料) https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/info/lp/?utm_source=youtube&utm_medium=meta ◆毎日ニュースを更新中! チャンネル登録:https://www.youtube.c

                  暴力による共産主義革命を目指す!ニッポンの過激派とは!?【田中哲郎の“カゲキな解説”】(2020年8月12日)
                • 凄惨なリンチのすえに…大学構内で起きた“殺人事件”「半世紀前、早稲田大学は過激派セクトに暴力支配されていた」 | 文春オンライン

                  『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(樋田毅 著)文藝春秋 「半世紀前、早稲田大学の文学部キャンパスは過激派セクトの革マル派に暴力支配されていました。あの暗黒の時代の恐ろしさ、今の世界にも通じる危うさを、書き残そうと思いました」 そう語るのは、元朝日新聞記者でジャーナリストの樋田毅さん。今回、革マル派と闘いつづけた自身の経験を克明に記したルポルタージュ『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』を上梓した。 早稲田で死んだ「彼」とは、第一文学部2年生だった川口大三郎さん。革マル派によって、敵対していた中核派のスパイという汚名を着せられて文学部自治会室で凄惨なリンチのすえに殺された。当時の学生たちにとっては忘れることができない大事件だった。 「村上春樹さんのベストセラー小説『海辺のカフカ』にも、川口さんがモデルの人物が登場します。この小説の重要なモチーフとなっている不

                    凄惨なリンチのすえに…大学構内で起きた“殺人事件”「半世紀前、早稲田大学は過激派セクトに暴力支配されていた」 | 文春オンライン
                  • 中核派トップの会見記事で思い出したことなど - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)

                    中核派トップの老人が会見したという記事を見て、その昔本ブログに書いたあるエントリを思い出しました。 https://www.tokyo-np.co.jp/article/82518 約半世紀にわたる潜伏生活から昨年9月に姿を現した過激派「中核派」最高指導者の清水丈夫議長(83)が27日、東京都内で会見した。公の場で活動する方針に転じた理由を「資本主義をぶっ倒すために闘わなければならない。全労働者階級人民に訴えようと思った」と述べた。警察は活動の活発化を警戒する。 中核派は1963年、「革マル派」と分裂して発足し、安保闘争や成田空港反対運動を展開。多くのテロ、ゲリラを実行し、71年に警察官が殺害された「渋谷暴動事件」を起こした。清水氏は会見で、渋谷暴動事件を「安保・沖縄闘争の発展の中でどうしても必要な闘争だった」と振り返り、人命が失われたことは「階級闘争だから仕方ない」と述べた。・・・ 中核

                      中核派トップの会見記事で思い出したことなど - hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
                    • 雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」/内ゲバで若者が殺し合った時代と、SNSで集団リンチが繰り返される時代/イミダス

                      すごい映画を観た。 それは代島治彦監督『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』(2024年、ノンデライコ配給)。 今から約半世紀前、早稲田大学の文学部キャンパスで20歳の学生が約8時間にわたるリンチの果てに殺されたことを、どれくらいの人が知っているだろう? 私がそれを知ったのは、21年に出版された樋田毅著『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)によってである。映画は、この書籍と監督との出会いによって生まれたそうだ。 事件が起きたのは1972年11月。この年の2月には、かの有名な「あさま山荘事件」が起きている。連合赤軍の若者たちが人質をとってあさま山荘(長野県軽井沢町)に立てこもり、警察と銃撃戦を繰り広げた事件だ。この模様は連日テレビ中継され視聴率90%という驚愕の数字を叩き出し、また警察官が極寒の中すするカップめんが注目され、カップヌードルが爆売れするなどした。 この事

                        雨宮処凛「生きづらい女子たちへ」/内ゲバで若者が殺し合った時代と、SNSで集団リンチが繰り返される時代/イミダス
                      • 「白いセーターには血が滲み、足元には血だまりが」8時間に及ぶ暴行の末…早稲田大学2年生を殺した、エリートたちの“正義感” | 文春オンライン

                        部屋の中央の椅子に、手を針金で縛られ座らせられた青年。10人ほどの男女が囲み、手にした凶器を振り下ろす。青年の哀切なる声が響く。 ――僕は中核じゃない。俺はスパイなんかじゃない! 1972年11月8日。早稲田大学文学部キャンパスで、第一文学部2年生の川口大三郎さんは、革マル派に8時間に及ぶ暴行の末に殺された。彼はなぜ殺されたのか。この事件を契機になぜ“内ゲバ”はエスカレートしたのか。代島治彦監督の最新作『ゲバルトの杜 彼は早稲田で死んだ』は、当時者の証言を積み重ね、その真相に迫るドキュメンタリー映画だ。冒頭の短編劇「彼は早稲田で死んだ」は演出家の鴻上尚史さんが担当した。「三里塚闘争、学生運動の映画を撮った監督に、あとは内ゲバしかないでしょうと1冊の本を手渡したのが始まりでした」と振り返る。その本、樋田毅さんの『彼は早稲田で死んだ』(小社刊)を原案として、映画は制作された。鴻上さんは、樋田さ

                          「白いセーターには血が滲み、足元には血だまりが」8時間に及ぶ暴行の末…早稲田大学2年生を殺した、エリートたちの“正義感” | 文春オンライン
                        • 【しらなみのかげ】 今、〈解釈権の独占〉へとひた走るのは誰か #19|雁琳の『晦暝手帖』

                          昨日(正確には30日付の深夜未明)に上げた「「オープンレター」講解」は、15000字に及ぶ長文であるにも拘らず、お蔭様で多くの人に読んで頂けた。御読み頂きました方々には改めまして厚く御礼申し上げます。 物議を醸し続けている「オープンレター:女性差別的文化を脱するために」に対して逐文解釈的に内在的読解を施すという試みは恐らく初めてだろう。この試みにおいて、呉座勇一氏の名前を連呼し、呉座氏の懲戒停職と准教授テニュア内定取り消しに影響を与えたと思われるあの文章は、「社会問題に目覚めよ」と絶叫するウォーキズム(wokism)の一派による紛れも無い〈キャンセル・カルチャー宣言〉であることが明らかになったのではないだろうか。この問題に関心のある未読の方には、是非共御笑覧頂きたい。 私はあの地道な作業を行なった後に自分の書いた文章を顧みた。そこで気付いたことだが、「講解」を書くことによって、結局の所、「

                            【しらなみのかげ】 今、〈解釈権の独占〉へとひた走るのは誰か #19|雁琳の『晦暝手帖』
                          • 51年間地下に潜行「中核派」84歳最高幹部が初告白「新左翼運動とは何だったか」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース

                            ---------- かつて革マル派と壮絶な内ゲバを繰り広げ、「暴力革命」を掲げてゲリラ活動を行ってきた新左翼党派・中核派。そのトップ・清水丈夫氏(84歳)が、前進社(中核派本部)で田原総一朗の取材に応じた。この年齢になった革命家は、いまの日本社会と戦後の左翼運動をどう総括するのか。 ---------- 【写真】田原総一朗が入った中核派アジト 中核派議長 清水 丈夫 1937年、神奈川県生まれ。高校生時代に革命運動を志し、東京大学在学中に日本共産党に入党。58年に離党し、共産主義者同盟に参加。59-60年、全学連書記長として安保闘争を指導する。61年、革共同(革命的共産主義者同盟全国委員会=通称・中核派)に参加。97年、中核派議長に就任。69年4月より非公然活動に入る。2020年9月、実に51年ぶりに公然集会に姿を見せて人々を驚かせた。著書『清水丈夫選集』(全10巻予定)など。 田原 6

                              51年間地下に潜行「中核派」84歳最高幹部が初告白「新左翼運動とは何だったか」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
                            • 【読書感想】真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960 ☆☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

                              真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960 (講談社現代新書) 作者:池上 彰,佐藤 優講談社Amazon Kindle版もあります。 真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960 (講談社現代新書) 作者:池上彰,佐藤優講談社Amazon 日本の左翼は何を達成し、なぜ失敗したのか? ーー忘れられた近現代史をたどり、 未来の分岐点に求められる「左翼の思考」を検証する 壮大なプロジェクト。 深刻化する貧困と格差、 忍び寄る戦争の危機、 アメリカで叫ばれる社会主義(ソーシャリズム)。 これらはすべて、【左翼の論点】そのものである! 激怒の時代を生き抜くために、 今こそ「左の教養」を再検討するべき時が来たーー。 ◇◇◇◇◇ 戦後復興期に、共産党や社会党が国民に支持された時代があったことは、 今や忘れられようとしている。 学生運動や過激化する新左翼の内ゲバは、 左翼の危険性を歴史

                                【読書感想】真説 日本左翼史 戦後左派の源流 1945-1960 ☆☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
                              • 思ってたんと違う(10)ヤクザ、右翼~近代議会政治と暴力はいかに結びついたか~政治と暴力2 - 大和徒然草子

                                皆さんこんにちは。 今ではコンプライアンスの徹底で、民間はもとより政治の世界でもすっかり「暴力」の影が、公然と姿を現すことは稀になっています。 しかし、つい最近まで日本の政治と暴力は半ば公然と近しい関係にあり、本来「暴力」とは対極の「言論」を武器とすべき議会政治の発達とともにその結びつきを強めました。 ※前回は明治維新から、自由民権運動、男子普通選挙の実施までの政治と暴力の結びつきをご紹介しています。 有権者がごく少数に限られた制限選挙の時代、有権者への恐喝・投票妨害といった直接的暴力は選挙結果に影響を与える有効な手段とされました。 しかし、1925(大正14)年に公布された普通選挙法により、大量の有権者が創出されると、有権者への直接的暴力はコストメリットがなくなり衰退します。 しかし、政治と暴力の関りが消えることはありませんでした。 代議士となった親分・吉田磯吉 大日本国粋会 木村篤太郎

                                  思ってたんと違う(10)ヤクザ、右翼~近代議会政治と暴力はいかに結びついたか~政治と暴力2 - 大和徒然草子
                                • 成田空港問題の年表 - Wikipedia

                                  成田空港問題の年表(なりたくうこうもんだいのねんぴょう)は、三里塚闘争をはじめとする、成田国際空港(旧・新東京国際空港)に係る諸問題に関連する出来事を時系列順に述べるものである。 なお、年表中の役職はいずれも当時のものである。 年表[編集] 1930年代まで[編集] 1871年[編集] 十余三地区で中沢彦吉と小野善助(小野組)の開墾会社による入植が始まる[1][2]。 1875年[編集] 宮内庁下総御料牧場の前身となる、下総牧羊場と取香種畜場を大久保利通内務卿が開場[3][4]。 1885年[編集] 下総牧羊場と取香種畜場が宮内省に移管、下総種畜場と改称[3]。 1923年[編集] 1月:東西定期航空会が陸上機による定期航空便を開設。 9月1日:関東大震災。長岡外史が羽田飛行場の建設を提唱。 1931年[編集] 8月:日本初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」が開港(現在の東京国際空港、羽

                                  • 父の話。 - うさるの厨二病な読書日記

                                    ここ一年、ずっと体調が悪かった父親が今日、緩和ケア病棟に入ることが決まり、手続きをしてきた。 昨日、父と話して感じたことを、急に書きたくなった。 いま「彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠」という本を読んでいる。 1972年に革マル派が支配していた早稲田大学の中で起きたリンチ殺人と、その事件をきっかけに立ち上がった学生たちの戦いの記録だ。 これまでこの時代の学生運動は、ごく一部が過激化して一般学生の生活とは離れた場所で内ゲバを繰り返していた、と思っていた。 まさか大学自体が過激派と癒着していてその支配を認めており、大学内で真昼間から重傷者が出る暴力沙汰やリンチが横行していたとは思いもしなかった。 読んでいると、自分がまったく知らない異次元の話のようで、頭がクラクラしてくる。 暴力が一般的な普通の生活からはかけ離れたアングラな世界のものではなく、日常風景としてカジュアルに存在して

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                                    • 新聞部数ランキング2024年1月 中日新聞社は「外報部廃止」! - 北穂高岳で味わう至福のひと時

                                      2024年1月時点での新聞別の「販売部数」が明らかになりました。 「ABC部数」といいます。一般社団法人日本ABC協会が、第三者機関として認定した新聞社別の≪販売部数≫です。 「朝刊」のランキングをつくってみました。 長期下落傾向は相変わらずです。かつて1000万部を誇っていた「読売」は600万部に転がり落ちました。 「全国紙」とされている「産経」に至っては、この1年間で10万部減らして販売部数は90万部を割りました。 この1年間で減った部数は、全国紙では「読売」45万部、「朝日」30万部、「毎日」23万部。 地方紙(=県紙)も軒並み、1万部前後、減らしています。 ただ、全国紙の減り具合いが地方紙に比べてはなはだしく多いのが特徴です。 ブロック紙の「中日グループ」は10万部減らしたものの、販売部数は「読売」「朝日」に続いて全国第3位です。 以下、新聞業界の最新情報です。 もくじ 中日は東京

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                                      • 山本太郎 - アンサイクロペディア

                                        当初はお笑い芸人として、箕輪自由学園高等部在籍中に「アジャコング&戸塚ヨットスクール」というグループ名でデビュー。メインが裸踊りというヨゴレ芸を持ちネタとしたことで、自分の学校だけでなく戸塚ヨットスクール及びアジャコング女史のイメージを著しく落とした上退学を余儀無くされている。後年政治家としての行動から考えると、彼の才能はこの時点で大きく花開いていたと言えるだろう。 退学後はバラエティ番組のタレントとして活動していたが、トークがあまり上手くない事もあり、あまり目立った実績は残していない。 後に俳優に転じ、朴訥な人柄から数多くの映像作品に起用されるも、ほぼ全てが端役であり、あまり目立った活動はしていない。このときBSドラマで「ヘリコプターから万札をばらまく異常者」役を演じており、これが財務省からのスカウトを受けた遠因とも見られている。 2011年頃より、その演技力を買われて、原発推進の工作員

                                        • 【読書感想】激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言

                                          激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972 (講談社現代新書) 作者:池上 彰,佐藤 優講談社Amazon Kindle版もあります。 激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972 (講談社現代新書) 作者:池上彰,佐藤優講談社Amazon 高揚する学生運動、泥沼化する内ゲバ、あさま山荘事件の衝撃。 左翼の掲げた理想はなぜ「過激化」するのか? 戦後左派の「失敗の本質」。 「この時代は、左翼運動が最高潮に達しながらその後急速な凋落を辿っていった時代にあたり、左翼史全体を通じても特に歴史の教訓に満ちた時代です。まさに、この時代は「左翼史の核心」と言えるでしょう。」(佐藤優) 「なぜ左翼は失敗したのか。この本では一貫してこの問いに立ち返ることになるでしょう。そして、左翼の顛末を歴史の教訓として総括することは、最も学生運動が盛り上がっていた1968年に大学生になった私の使命で

                                            【読書感想】激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960-1972 ☆☆☆☆ - 琥珀色の戯言
                                          • 「コロナ危機を革命へ」中核派の訴えは、現代に通用するのか? 拠点にDIY手洗い場、“3密”避けてデモ(withnews) - Yahoo!ニュース

                                            新型コロナウイルスが経済や教育現場に大きな影響を与える中、“過激派”と呼ばれる団体の活動も活発になっている。「コロナ危機を革命へ」。中核派の機関紙が、こんな過激な見出しで論評を載せた。YouTubeでも積極的に発信するが、現代の日本で革命の可能性は、どれほどあるのだろうか? “3密”に注意しながらデモを続けているという活動家の声、そして、専門家の分析から考えてみた。(北林慎也) 【写真】公然拠点「前進社」のDIY手洗い場と座席間隔を空けた食堂 「貧困層に被害が集中」中核派が発行する機関紙「前進」。 4月27日付の1面に、大ぶりの横カットでこんな見出しが踊った。 「コロナ危機を革命へ」 世界規模で感染が広がり、経済活動にも深刻なダメージを与える新型コロナウイルスの余波について論評している。 この中で中核派は、日本を始めとする「帝国主義」「資本主義」体制において、「最も深刻な被害は戦争と同じく

                                              「コロナ危機を革命へ」中核派の訴えは、現代に通用するのか? 拠点にDIY手洗い場、“3密”避けてデモ(withnews) - Yahoo!ニュース
                                            • 『狂おしく悩ましく』

                                              【ブログ注】『情況』最新号で語られています。詳細は以下。 情況 2024年春号 [第6期6号] | 模索舎 A5 240頁 【読後感】 岩本愼三郎『党はどこに行ったのか』 | 菅孝行 勝者なき「内ゲバ」の決算に一筋の光を見る -岩本愼三郎『党はどこに行ったのか』 | 長島由紀夫 終わりなき葬送、過ぎ去らない惨苦 『自伝的革命論〈68年〉とマルクス主義の臨界点』 | 幸村燕 川元祥一著『部落差別の原因-国家による天候支配の思想=仏教の「殺生禁断」』 | 小林孝吉 ……… ……… ……… 【注】以下は目次です。「特集 食」 は略しました 【連載】 川元祥一と文学者たち 第五章 | 河村義人 戦前は続いているのか?非断絶の戦時(16) | 髙井ホアン 情況喫茶 傍流からの展望 弐 | 中牟田聖司×髙田輝 解説 ウクライナ戦争論争 | 横山茂彦【特集外】 ハマスと熱心党 安彦良和『イエス』と相澤文

                                                『狂おしく悩ましく』
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