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日露戦争の検索結果1 - 40 件 / 68件

  • 日露戦争に並ぶ屈辱...ロシア国営TV、へルソン撤退に「歴史的敗戦」引用し悲壮ムード

    Russian TV Compares Kherson Retreat to Worst Military Defeats in History <普段は威勢よくロシア政府のプロパガンダをまき散らす国営放送だが、へルソン撤退のニュースは重苦しく暗いムードで伝えられた> ウラジーミル・ソロビヨフは、ロシア政府のプロパガンダ拡散役を担っていることで知られる国営テレビの司会者だ。しかしこのたび、ロシア軍がウクライナ南部のヘルソンから撤退することが決まったと報じた際は、いつもとは打って変わって沈痛な面持ち。ロシア軍の「歴史的敗北」にまで言及する意気消沈ぶりだった。 ■【動画】重苦しく暗いムードでへルソン撤退を伝えるソロビヨフと、普段の威勢の良いソロビヨフ 国営テレビ「ロシア1」で放送された番組「イブニング・ウィズ・ウラジーミル・ソロビヨフ」の司会者であるソロビヨフは、11月9日の番組冒頭で、本来な

      日露戦争に並ぶ屈辱...ロシア国営TV、へルソン撤退に「歴史的敗戦」引用し悲壮ムード
    • JSF on Twitter: "勝利しゃもじを千羽鶴と同列に扱うのは全く意味をわかってない。一国の首相が戦争している国に訪問して「必ず勝て」という意味が込められた贈り物をするだなんて、メッセージ性が強烈過ぎてヤバいですよ。しかも広島特産の日露戦争にも由来する品だ。広島出身の宰相がこう来るとは思わなかった。"

      勝利しゃもじを千羽鶴と同列に扱うのは全く意味をわかってない。一国の首相が戦争している国に訪問して「必ず勝て」という意味が込められた贈り物をするだなんて、メッセージ性が強烈過ぎてヤバいですよ。しかも広島特産の日露戦争にも由来する品だ。広島出身の宰相がこう来るとは思わなかった。

        JSF on Twitter: "勝利しゃもじを千羽鶴と同列に扱うのは全く意味をわかってない。一国の首相が戦争している国に訪問して「必ず勝て」という意味が込められた贈り物をするだなんて、メッセージ性が強烈過ぎてヤバいですよ。しかも広島特産の日露戦争にも由来する品だ。広島出身の宰相がこう来るとは思わなかった。"
      • 石井 顕勇 on Twitter: "「戦争の呼称は当時の正式名を使うべき。だから『大東亜戦争』が正しい」と主張する人のほぼ全てが「第一次世界大戦」「日露戦争」と書いてますが、その主張通りなら「日独戦役」「明治三十七八年戦役」と書くべきでしょう。単に「大東亜戦争」を使… https://t.co/DUpxBtsG7E"

        「戦争の呼称は当時の正式名を使うべき。だから『大東亜戦争』が正しい」と主張する人のほぼ全てが「第一次世界大戦」「日露戦争」と書いてますが、その主張通りなら「日独戦役」「明治三十七八年戦役」と書くべきでしょう。単に「大東亜戦争」を使… https://t.co/DUpxBtsG7E

          石井 顕勇 on Twitter: "「戦争の呼称は当時の正式名を使うべき。だから『大東亜戦争』が正しい」と主張する人のほぼ全てが「第一次世界大戦」「日露戦争」と書いてますが、その主張通りなら「日独戦役」「明治三十七八年戦役」と書くべきでしょう。単に「大東亜戦争」を使… https://t.co/DUpxBtsG7E"
        • 日清戦争と日露戦争の事業収支報告書 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

          断捨離の途中で、いまやウクライナ侵攻の話題で大活躍しているポール・ポースト『戦争の経済学』の解説で使った、日清戦争と日露戦争の収支報告書が出てきました。 戦争の経済学 作者:ポール・ポーストバジリコAmazon パブリックドメインだし、ぼく一人が持っていてもしょうがないので公開。ご活用ください。 Expenditures of the Sino-Japanese War (1922) Expenditures of the Russo-Japanese War (1923) どちらも、実にしっかり書けているし、英語も見事だなあ。このシリーズで出ているらしい他のやつもおもしろそう。 これを書いたオノ・ギイチとかオガワ・ゴウタロウ京都大学教授とか、有名なのかもしれないけれど、ぼくはよく知らない。田中秀臣氏あたりに聞くと何か出てくるのかな? なお、この手の内容を日本語で詳しく読みたい人はこちらを

            日清戦争と日露戦争の事業収支報告書 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
          • トンカツの付け合わせ、なぜキャベツ?  日露戦争が変えた食習慣 なるほど!ルーツ調査隊 - 日本経済新聞

            すしや天ぷらと並んで日本食の代表格ともいえるトンカツ。付け合わせといえば生のキャベツが定番だ。だが最初から生キャベツだったわけではない。ルーツを探ると、日本の食文化の懐の深さが見えてきた。トンカツを定義するなら「豚肉にパン粉などの衣をつけて油で揚げたもの」だろうか。この調理法を編み出した店は定説がある。1895(明治28)年に東京・銀座で創業した煉瓦(れんが)亭だ。「トンカツのルーツといわれ

              トンカツの付け合わせ、なぜキャベツ?  日露戦争が変えた食習慣 なるほど!ルーツ調査隊 - 日本経済新聞
            • twinrail on Twitter: "勝手に大文字、倫理的に追及しようとしても ・慰霊行事であり単なる点灯行事ではない →日清戦争勝利(1895)、日露戦争勝利(1905)、ミレニアム(2000)でも実施 ・正統な主催者がいるはず →灯火管制中(1943)、東日本… https://t.co/JrvCz9hhSc"

              勝手に大文字、倫理的に追及しようとしても ・慰霊行事であり単なる点灯行事ではない →日清戦争勝利(1895)、日露戦争勝利(1905)、ミレニアム(2000)でも実施 ・正統な主催者がいるはず →灯火管制中(1943)、東日本… https://t.co/JrvCz9hhSc

                twinrail on Twitter: "勝手に大文字、倫理的に追及しようとしても ・慰霊行事であり単なる点灯行事ではない →日清戦争勝利(1895)、日露戦争勝利(1905)、ミレニアム(2000)でも実施 ・正統な主催者がいるはず →灯火管制中(1943)、東日本… https://t.co/JrvCz9hhSc"
              • ゴールデンカムイ20巻 史実解説! 世界史における「日露戦争」後の日本

                せがれの音之進はいずれ 指揮官になっち 決まっちょります 指揮官には大勢の若い命を預かる責任があっど せがれには我から進んで困難に立ち向い ふさわしい男になっくんやせ 鯉登平二(『ゴールデンカムイ』第139話より) ※この記事はネタバレを含んでおりますので単行本20巻読了の方のみ、読み進めてください。 『ゴールデンカムイ20巻』は、前を見据えて進む杉元が表紙です。 彼が進みゆく道に待っている冒険の結末は、どうなるのか? それはこの先を読み進めねばわかりませんが、金塊争奪戦以外の未来はわかります。 現実に起きたことを見直せば、見えてくるのです。 彼らの過去、そして未来について、区切りとなるこの機会に考えてみましょう。 【TOP画像】ゴールデンカムイ20巻(→amazon) 幕末から明治、日本が直面した国際情勢幕末に直面した欧米列強の圧力は「黒船来航」が起点である――。 アメリカを皮切りにして

                  ゴールデンカムイ20巻 史実解説! 世界史における「日露戦争」後の日本
                • るまたん нет войне No War on Twitter: "これは全くの誤解。日本群は既に日清戦争時に朝鮮農民軍3万人以上を殺害し、村落を焼き、王宮を占領している。日露戦争時には朝鮮全土を軍事占領下に置いた。ドイツは併合前のチェコにそのようなことはしていない。 https://t.co/ZLT8Oz4y8d"

                  これは全くの誤解。日本群は既に日清戦争時に朝鮮農民軍3万人以上を殺害し、村落を焼き、王宮を占領している。日露戦争時には朝鮮全土を軍事占領下に置いた。ドイツは併合前のチェコにそのようなことはしていない。 https://t.co/ZLT8Oz4y8d

                    るまたん нет войне No War on Twitter: "これは全くの誤解。日本群は既に日清戦争時に朝鮮農民軍3万人以上を殺害し、村落を焼き、王宮を占領している。日露戦争時には朝鮮全土を軍事占領下に置いた。ドイツは併合前のチェコにそのようなことはしていない。 https://t.co/ZLT8Oz4y8d"
                  • 日露戦争に並ぶ屈辱...ロシア国営TV、へルソン撤退に「歴史的敗戦」引用し悲壮ムード(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース

                    <普段は威勢よくロシア政府のプロパガンダをまき散らす国営放送だが、へルソン撤退のニュースは重苦しく暗いムードで伝えられた> ウラジーミル・ソロビヨフは、ロシア政府のプロパガンダ拡散役を担っていることで知られる国営テレビの司会者だ。しかしこのたび、ロシア軍がウクライナ南部のヘルソンから撤退することが決まったと報じた際は、いつもとは打って変わって沈痛な面持ち。ロシア軍の「歴史的敗北」にまで言及する意気消沈ぶりだった。 【動画】重苦しく暗いムードでへルソン撤退を伝えるソロビヨフと、普段の威勢の良いソロビヨフ 国営テレビ「ロシア1」で放送された番組「イブニング・ウィズ・ウラジーミル・ソロビヨフ」の司会者であるソロビヨフは、11月9日の番組冒頭で、本来ならばアメリカの中間選挙について番組内で議論する予定だったが、ロシア軍によるヘルソン撤退という、より重大な事態が発生したと深刻な面持ちで説明。その後、

                      日露戦争に並ぶ屈辱...ロシア国営TV、へルソン撤退に「歴史的敗戦」引用し悲壮ムード(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース
                    • 山田風太郎賞受賞! 日露戦争から太平洋戦争まで、満洲の架空都市を舞台に日本SF界の新星が描いた『地図と拳』――その構想は? | ダ・ヴィンチWeb

                      トップインタビュー・対談山田風太郎賞受賞! 日露戦争から太平洋戦争まで、満洲の架空都市を舞台に日本SF界の新星が描いた『地図と拳』――その構想は? 先ごろ第13回山田風太郎賞を受賞した『地図と拳』(集英社)は、日露戦争から太平洋戦争までの日本の灰色の時代を通して、満洲にある架空都市〈仙桃城(シエンタオチョン)〉にひき寄せられた人々によって紡がれる歴史大河小説だ。 著者・小川哲さんはSF小説『ユートロニカのこちら側』(早川書房)でデビュー後、長編『ゲームの王国』(同)で第38回日本SF大賞と第31回山本周五郎賞を受賞し、『嘘と正典』(同)では第162回直木三十五賞候補と最も注目される作家の一人。 雑誌『小説すばる』での連載開始から休載を挟み4年の歳月をかけて刊行された『地図と拳』(集英社)について小川哲さんに話を聞いた。 (インタビュー・構成・撮影=すずきたけし) ――『地図と拳』は日露戦争

                        山田風太郎賞受賞! 日露戦争から太平洋戦争まで、満洲の架空都市を舞台に日本SF界の新星が描いた『地図と拳』――その構想は? | ダ・ヴィンチWeb
                      • もし第二次日露戦争が勃発したら「日本が海戦を制する」とロシアメディアが断言する理由 | ロシアの軍事専門家が両国の軍事力を詳細分析

                        日本とロシアの間には北方領土問題という大きな火種が長年存在し、日本は南千島列島の4島の返還を求めつづけている。そんな千島列島で日露が軍事衝突した場合、どちらが勝つのか、ロシアの軍事専門家が、ロシアのオンライン軍事メディアで検証してみた──。 千島列島で日露の戦闘が発生したら… ロシアの太平洋艦隊の能力には、ロシアの多くの愛国者たちが不安を感じている。敵は強くて立派なのに対し、わが国には同盟国もそれほどいないからだ。 2021年10月にはロシアと中国の合同演習が行われたが、「有事」に中国海軍が千島列島でロシア軍とともに戦うことはない。中国はこの地域で独自の利益を追求するが、千島列島に興味はないからだ。自国の犠牲を払ってまで他国の利益を守るというのは中国共産党の方針にまったく合致しない。 合同軍事活動については、少なくとも中露間の包括的な同盟条約締結なしには実現しないし、そもそもそんな条約に中

                          もし第二次日露戦争が勃発したら「日本が海戦を制する」とロシアメディアが断言する理由 | ロシアの軍事専門家が両国の軍事力を詳細分析
                        • デイヴィッド・ジオー「ウクライナ戦争と酷似している日露戦争からプーチンが学ぶべき教訓」 | いつの時代も、無謀な戦争は国内の不和を表面化させる

                          ロシアによるウクライナ侵攻は、ウクライナの抵抗や欧米の支援と制裁もあって、ウラジーミル・プーチンが当初想定した通りには進んでいない。 絶対的な自信を持ったロシアが相手の力を見誤って、戦争が泥沼化した例は初めてではない。特に1904〜1905年の日露戦争の状況と今回の状況は似ていると、インテリジェンスが専門の歴史研究者、デイヴィッド・ジオーは指摘する。 この戦争がロシアの権力基盤に与える影響は大きく、プーチンは今後、日露戦争後のニコライ二世と同様、大きな試練に直面することになるかもしれない。 戦況が似ている2つの戦争 拡張主義的感情にとらわれ、領土をめぐる隣国との無分別な戦争に乗り出した際のロシアは、自国が勝ちを収めるものと絶大な自信を持っていた。 絶対君主同然に国を治め、隣国を見下していたロシアの元首は、自国の利益が脅かされている、そしてロシアはもっと大きな影響力を持ち、もっと敬意を払われ

                            デイヴィッド・ジオー「ウクライナ戦争と酷似している日露戦争からプーチンが学ぶべき教訓」 | いつの時代も、無謀な戦争は国内の不和を表面化させる
                          • 日露戦争から第3次日韓協約に至るまでの簡単な流れ - 誰かの妄想・はてなブログ版

                            日本軍は1904年2月の日露戦争開戦と同時に局外中立を宣言していた大韓帝国に上陸し漢城に進駐。 日本軍が漢城に駐屯している状況下で、韓国政府に対して日韓議定書を強要しました(1904年2月23日)。 日韓議定書は、大韓帝国領土内を日本軍が自由に利用できるという一方的に日本に有利な協定です*1。 1904年3月10日、日本軍は韓国駐箚軍を編制して韓国を軍事占領します。 “ロシアから韓国を守るため”等ではないことは、1904年9月20日の訓令*2を見れば明らかで、そこには「駐箚軍隊の配置は実際の情況に応ずべきものなりと雖も京城には常に成るべく多くの軍隊を駐箚せしむるを要す」とあり、警戒対象が韓国であったことを示唆しています。 1904年8月22日には第1次日韓協約で大韓帝国は外交権を著しく制限され、その後の1905年1月に日本政府は独島(竹島)の領土編入を閣議決定しますが、日本軍に首都・漢城を

                              日露戦争から第3次日韓協約に至るまでの簡単な流れ - 誰かの妄想・はてなブログ版
                            • ウクライナが北東部ハルキウの奇襲で大戦果、戦況の転換点となる可能性大 露軍元司令官が吐露「ハルキウ奇襲作戦は日露戦争の奉天会戦に匹敵する」 | JBpress (ジェイビープレス)

                              9月9日、ウクライナを訪問したポーランドのモラウィエツキ首相と握手を交わすゼレンスキー大統領(写真:AP/アフロ) (在ロンドン国際ジャーナリスト・木村正人) [ロンドン発]「この24時間、ウクライナ軍は北東部ハルキウ州で大きな戦果を上げ続けている。ロシア軍はこの地域から部隊を撤退させたようだが、戦略的に重要な都市であるクピャンスクとイジューム周辺では戦闘が継続している」 英国の国防情報参謀部は9月11日のツイートでウクライナ戦争の戦況をこう報告した。 ウクライナ軍の奇襲に逃走するロシア軍 英国防情報参謀部(10日時点)によると、ウクライナ軍は9月6日、ハルキウ州南部で作戦を開始した。狭い前線でロシア軍が占領していた地域に最大50キロメートル攻め入った。ロシア軍は奇襲を受け、それほど守りを固めていなかった町をウクライナ軍に奪還されたり、包囲されたりしている。 イジューム周辺のロシア軍はます

                                ウクライナが北東部ハルキウの奇襲で大戦果、戦況の転換点となる可能性大 露軍元司令官が吐露「ハルキウ奇襲作戦は日露戦争の奉天会戦に匹敵する」 | JBpress (ジェイビープレス)
                              • 日露戦争で大敗しながらウクライナでも同じ過ちを繰り返す 懲りないロシアの時代遅れな「帝国主義」=河東哲夫(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース

                                100年前の日露戦争時もロシアは兵士の士気は低かった。敗戦後にはロシア革命が勃発。ウクライナ侵攻と重なってみえる。 1904年10月15日、ロシアが誇るバルチック艦隊は、バルト海の港を出港した。ロシアに戦いを挑んだ東洋の小国、日本の艦隊をたたきつぶし、海上補給ルートを断ち切ってやろうという作戦。いとも簡単に思われたこの企ては、大失敗に終わる。途中の港はだいたい日本の同盟国、大英帝国の息がかかり、自軍基地もないから補給も思うにまかせない、半年以上の船旅。貴族の上級士官、ついこの前まで農奴だった水兵の間には、ストレスがたまる。05年6月には、そのストレスが高まり、黒海で戦艦ポチョムキン号上の反乱――士官は射殺――が起きている。あげくのはて、バルチック艦隊は対馬の海戦で、新型の日本艦に比べて大砲が旧式であることを露呈した。 ◇「小国日本」をなめたロシア こうして05年5月には、バルチック艦隊は壇

                                  日露戦争で大敗しながらウクライナでも同じ過ちを繰り返す 懲りないロシアの時代遅れな「帝国主義」=河東哲夫(サンデー毎日×週刊エコノミストOnline) - Yahoo!ニュース
                                • 地元広島の名産品「必勝しゃもじ」岸田首相がゼレンスキー大統領に贈呈 日露戦争勝利時の縁起物(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

                                  岸田文雄首相が21日にウクライナを電撃訪問した際、地元広島の名産品「必勝しゃもじ」を手みやげとしてゼレンスキー大統領に渡していたことが、分かった。松野博一官房長官が23日の会見で明かした。 【写真】握手する岸田首相とウクライナのゼレンスキー大統領 しゃもじは、広島の宮島の名産品としても知られる伝統工芸品。もともと縁起物として知られていたところ、日清戦争や日露戦争が起きた際、しゃもじで「飯取る」ことを「敵をめしとる」という語呂(ごろ)合わせのもと、兵士がしゃもじを厳島神社に奉納していたことから、さらに有名になったという説があるという。すくいとる部分に「必勝」「商売繁盛」「夫婦円満」「千客万来」などのメッセージを書くのが定番だ。 日露戦争で、日本は当時のロシアに勝利している。岸田首相は、ロシアによる理不尽な侵攻を受け続けるウクライナのゼレンスキー大統領に、必勝しゃもじが持つ由来や思いを伝えたか

                                    地元広島の名産品「必勝しゃもじ」岸田首相がゼレンスキー大統領に贈呈 日露戦争勝利時の縁起物(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース
                                  • 日露戦争は「大攘夷」の完結。しかし、それでも実現できなかった理想。 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

                                    サムネイル画像は日本海海戦後に凱旋した第一艦隊幕僚たち。秋山真之会編『秋山真之』(昭和8年。国立国会図書館デジタルコレクション)より はじめに 日露戦争の発端は何処にあるのでしょうか? 日本がロシアを仮想敵国として強く意識しはじめたのはシベリア鉄道の着工がきっかけです。そのことは【日英同盟の回】で詳しく書きました。鉄道が開通する前、すでにロシアの版図は沿海州にまで及び、さらに領域を拡大しようとする形勢にあって、欧州と極東が鉄道で結ばれれば、さらに進出してくるだろうと予測されていました。 日本が恐れていたのは、かつてモンゴルが九州を襲ったときのように朝鮮半島が列強の基地になることでした。理想からすれば、日本は清国、朝鮮国と提携して列強の東アジア進出を食いとめることが望ましいのですが、現実には【日清戦争】に至ってしまいました。そして、戦争には勝利したものの、三国干渉によって領土は獲得できません

                                      日露戦争は「大攘夷」の完結。しかし、それでも実現できなかった理想。 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
                                    • 弁護士福山和人 on Twitter: "1868明治維新 1872琉球処分 1874台湾出兵 1875江華島事件 1884甲申事変 1894日清戦争 1895台湾征服 1904日露戦争 1914第一次大戦 1918シベリア出兵 1927山東出兵 1928張作霖事件 19… https://t.co/Lsvt7MMeNB"

                                      1868明治維新 1872琉球処分 1874台湾出兵 1875江華島事件 1884甲申事変 1894日清戦争 1895台湾征服 1904日露戦争 1914第一次大戦 1918シベリア出兵 1927山東出兵 1928張作霖事件 19… https://t.co/Lsvt7MMeNB

                                        弁護士福山和人 on Twitter: "1868明治維新 1872琉球処分 1874台湾出兵 1875江華島事件 1884甲申事変 1894日清戦争 1895台湾征服 1904日露戦争 1914第一次大戦 1918シベリア出兵 1927山東出兵 1928張作霖事件 19… https://t.co/Lsvt7MMeNB"
                                      • 【古銭買取】日露戦争軍票買取とは? - 高く買取-壱ノ型

                                        日露戦争軍票とは? 軍票とは、読んで字のごとく戦時に通貨のごとく使用された政府発行の徴発証券とも言える物です。 明治10年に西郷隆盛により、不兌換紙幣が発行されましたが、政府発行として日本で初めて使用されたものはこの日露戦争軍票と言われるものです。 元々、日清戦争時には軍事費を捻出する為、軍票発行の準備が進みましたが、軍票発行するということ自体が日本で初めてということもあり、軍票図案の決定が日清戦争開戦後4カ月を経過しており、そこから印刷終了するまでに戦争は終了してしまい、日清戦争では実際に軍票が発行されることはありませんでした。 この日清戦争での反省を踏まえ、日露戦争時には日露間の関係悪化を見て、前もって軍票を印刷し、日露戦争時に使用する軍票として活躍したようです。 日清戦争では銀本位制を取っていた日本は軍票の作成が間に合わず銀兌換紙幣を使用しており、正貨が海外に流出してしまい、国内経済

                                          【古銭買取】日露戦争軍票買取とは? - 高く買取-壱ノ型
                                        • 東郷平八郎が「日露戦争の勝利は幕臣・小栗上野介のお陰」と感謝した理由 『開成を作った男、佐野鼎』を辿る旅(第58回) | JBpress (ジェイビープレス)

                                          (柳原三佳・ノンフィクション作家) 〈もし、ロシアに負けていたら日本海はロシアに抑えられて自由に航海できず、日本はロシアの言いなりの国になっていたことでしょう〉 ロシアによるウクライナ侵攻のニュースを連日のように目にする中、この一文が目に留まりました。 今年1月、子ども向けに出版された『小栗さま 小栗上野介』(編著/村上泰賢/東善寺発行)という本の中に記された一節です。 振り返れば、日本もかつてロシアと戦争をしていました。今から118年前、朝鮮・満州の支配権をめぐって勃発した「日露戦争」です。 東郷平八郎が小栗忠順に感謝した理由 1904(明治37)年、この戦いは日本側が旅順を攻撃したことで始まり、翌年、東郷平八郎率いる日本海軍が、日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破り、勝利を収めたのです。 実は、この戦争の終結から7年後の1912(明治45)年夏、東郷平八郎がこんな「言葉」を残していた

                                            東郷平八郎が「日露戦争の勝利は幕臣・小栗上野介のお陰」と感謝した理由 『開成を作った男、佐野鼎』を辿る旅(第58回) | JBpress (ジェイビープレス)
                                          • 実家の大掃除をしていたら日露戦争時のひいじいさんの従軍証が出てきた「国宝レベルの資料」

                                            カッツン @kurogane_pl やべーぞ在宅ついでに実家大掃除してたらひいじいさんの従軍証見つかったぞ!明治37年って日露戦争だこれ! pic.twitter.com/Ea6of6swW2 2020-05-13 20:01:24

                                              実家の大掃除をしていたら日露戦争時のひいじいさんの従軍証が出てきた「国宝レベルの資料」
                                            • 日露戦争を終わらせた“ルーズベルト流の和平モデル”がウクライナ停戦の参考になる | 「ルーズベルトは1905年、戦争という悪夢に終止符を打った」

                                              「ルーズベルトは1905年、戦争という悪夢に終止符を打った」 日露戦争を終わらせた“ルーズベルト流の和平モデル”がウクライナ停戦の参考になる 1905年8月、米メイン州ポーツマス海軍造船所で行われた和平会議で、日本の小村寿太郎とロシアの代表団を引き合わせるセオドア・ルーズベルト米大統領(中央)。 Photo: Hulton Archive / Getty Image

                                                日露戦争を終わらせた“ルーズベルト流の和平モデル”がウクライナ停戦の参考になる | 「ルーズベルトは1905年、戦争という悪夢に終止符を打った」
                                              • 日露戦争緒戦で日本軍が勝利したのを見て親日に一変した韓国

                                                日露戦争開戦と第一次日韓協約締結 ロシアと我が国の交渉は決裂して一九〇四年に日露戦争が始まったのだが、この戦争については以前このブログで記したので、省略させて頂くこととし、今回は、日韓関係で補足すべき点について記しておきたい。 中村粲(あきら)著『大東亜戦争への道』にはこう解説されている。 (一九〇四年)二月、我国が対露開戦劈頭(へきとう)に戦勝するや、韓国は俄(にわか)に態度を親露から親日に一変させ、ここに日韓議定書が結ばれた。 右議定書は(一)韓国は施政改善に関して日本の忠告を容れること、(二)韓国の危機に際して日本は軍事上必要の地点を収容できる――等を骨子とした。これは日韓関係を一変し、明確に保護化への第一歩を印した点で頗(すこぶ)る重要な意義を有した。 かくして併合への歴史的過程は日露開戦を契機として始まり、戦争と共に進行していった。韓国の不安定な政情が日露戦争を誘発し、その戦争が

                                                  日露戦争緒戦で日本軍が勝利したのを見て親日に一変した韓国
                                                • 日露戦争後に日米関係がどう動いたか~~福永恭助著『挑むアメリカ』(GHQ焚書)を読む

                                                  福永恭助は海軍少佐で退役した後、小説や軍事に関する評論などの著作を残しているが、戦前・戦中の作品34点のうち12点がGHQによって焚書処分されている。 また、国立国会図書館デジタルコレクションでデジタル化されていながらネット公開されていないのが21点、国立国会図書館に蔵書がないかデジタル化未済のものが7点もあり、ネット公開されているのは5点のみと少ない。 福永恭助の没年が昭和46年(1971年)で、著作権保護期間のためネット公開書籍が少ないことに文句は言えないのだが、「著作権法の一部を改正する法律」が今年の5月26日に国会で成立したことから、福永だけでなく多くの絶版書が令和4年1月1日より「一定の要件の下で」読むことができるようになることを期待したい。 福永の著書は、以前このブログのテーマ別で『軍艦物語』と『国の護り』の一節を紹介させて頂いたことがある。

                                                    日露戦争後に日米関係がどう動いたか~~福永恭助著『挑むアメリカ』(GHQ焚書)を読む
                                                  • もし第二次日露戦争が勃発したら「日本が海戦を制する」とロシアメディアが断言する理由(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース

                                                    日本とロシアの間には北方領土問題という大きな火種が長年存在し、日本は南千島列島の4島の返還を求めつづけている。そんな千島列島で日露が軍事衝突した場合、どちらが勝つのか、ロシアの軍事専門家が、ロシアのオンライン軍事メディアで検証してみた──。 【動画】ロシア海軍の破壊力を解説 千島列島で日露の戦闘が発生したら…ロシアの太平洋艦隊の能力には、ロシアの多くの愛国者たちが不安を感じている。敵は強くて立派なのに対し、わが国には同盟国もそれほどいないからだ。 2021年10月にはロシアと中国の合同演習が行われたが、「有事」に中国海軍が千島列島でロシア軍とともに戦うことはない。中国はこの地域で独自の利益を追求するが、千島列島に興味はないからだ。自国の犠牲を払ってまで他国の利益を守るというのは中国共産党の方針にまったく合致しない。 合同軍事活動については、少なくとも中露間の包括的な同盟条約締結なしには実現

                                                      もし第二次日露戦争が勃発したら「日本が海戦を制する」とロシアメディアが断言する理由(クーリエ・ジャポン) - Yahoo!ニュース
                                                    • 総攻撃始めたロシア軍に襲いかかるNATOの最新兵器 日露戦争での旗艦「ペトロパブロフスク」と同日にモスクワ撃沈 | JBpress (ジェイビープレス)

                                                      同時に南部でも継続的な攻撃があった。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は、「戦争は第2段階に入った」と述べた。 第2段階の攻撃はどのように展開するのかについて、ロシア軍の戦力損耗とウクライナ軍の戦力増強を掛け合わせて考察し予想する。 1.歴史は繰り返す:4月13日の撃沈 4月13日、黒海艦隊旗艦「モスクワ」が撃沈させられた。4月13日というのは、ロシア海軍にとって「悪魔の日」と呼んでよい。 というのは、日露戦争の日本海海戦の前年の1904年4月13日朝、旅順港外で、「司令長官(マカロフ)中将ノ旗艦(ペトロパブロフスク)ハ、我機械水雷に罹リ瞬間に爆発、沈没、跡を留メズ」と戦史にあるからだ。 ロシア極東太平洋艦隊旗艦「ペトロパブロフスク」(2万3000トン、編集部注:この排水量は上記戦史の記載)が、大日本帝国海軍が設置した水中機雷に接触し、撃沈したのだ。 ちょうど118年前の同月同

                                                        総攻撃始めたロシア軍に襲いかかるNATOの最新兵器 日露戦争での旗艦「ペトロパブロフスク」と同日にモスクワ撃沈 | JBpress (ジェイビープレス)
                                                      • 曾祖父は「君が代」を制定していない。日露戦争の総司令官、大山巌に関するウソ・ホント | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

                                                        日露戦争で日本軍を率いたことで知られる大山巌は、歴史の教科書に載ったり載らなかったりで、いまひとつ著名とも言い難いところじゃないかと思います。学校で教わる歴史の授業は、近代まで行かずに時間切れになったり、近代を教わるころには受験シーズンの到来で学校の授業そっちのけで入試対策をしていたりしますから、明治以降の歴史を学校できちんと教わっていない人が多いようですね。私もそうでした。そのせいか、明治以後に活躍した大山巌のことも、小説やドラマをきっかけに知った人が大半のようです。いってしまえば小説やドラマは「つくり話」なので、本当の人物像は違うのになぁ、と、思わせられることも多々あります。 かく申すワタクシは、大山巌の曾孫でありまして、また、30年近く歴史雑誌に記事を書いてメシを喰っておりまして、キチンと調べて歴史を書くことをモットーとしております。webメディアで仕事をした経験はございませんが、縁

                                                          曾祖父は「君が代」を制定していない。日露戦争の総司令官、大山巌に関するウソ・ホント | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
                                                        • 日露戦争のビラに軍艦『高千穂』が大きな鯨と衝突して鯨が両断されたと描かれておりそれはないだろうと思って調べたら概ね事実だった「ホエー」

                                                          ミサンザイ 同人誌 「天皇を旅する本」「天皇を旅する地図」ほか BOOTHはじめました @katsunomisanzai 日露戦争時に刷られた速報なのかビラなのか戦況記録みたいなのを見てたら「帝国艦隊が陣形くんで進んでたら目の前を大きな鯨が横切り、戦艦高千穂とぶつかって鯨のほうが両断された」てなことが描かれていて、それはないだろと思ったんだけど調べたら事実だったらしく驚いた。鯨かわいそうに… pic.twitter.com/TDtea8HopQ 2022-10-27 23:12:02 ミサンザイ 同人誌 「天皇を旅する本」「天皇を旅する地図」ほか BOOTHはじめました @katsunomisanzai 高千穂のほうでは鯨が視認できたのか、できてもよけられなかったのか鯨の側面に艦首が思い切りぶつかり鯨はあえなくなってしまったようだけど、当時は大鯨を両断したってことで瑞祥として語られたらしい

                                                            日露戦争のビラに軍艦『高千穂』が大きな鯨と衝突して鯨が両断されたと描かれておりそれはないだろうと思って調べたら概ね事実だった「ホエー」
                                                          • 日露戦争の戦費調達で総額十三億円もの外債発行を成功に導いた高橋是清

                                                            第三回目の外債発行 二回目の外債発行に成功したのち、高橋は翌年(1905年)の一月に帰国している。しかしながら、日露戦争の為にさらなる起債が求められ、結局彼以外に適任者はいないので、口説かれて米国に向かっている。 しかし、その後も各国の金融ブローカーが政府に直接交渉を持ち掛けてきたという。『高橋是清自伝』にはこう記されている。 私が日本を出発する前から、ロンドンやニューヨークにおける日本公債の任期は非常に好転して来た。そのために内外人のブローカーが現れてきて、政府に対しても色々と献策するようになり、同時にイギリスやアメリカでも、これらブローカーの策動が始まってきた。 なかんづくしつこく運動を開始したのは、米国のスバイヤー・ブラザーズ商会であった。この商会は第一回公債発行までは極めて冷淡で私とは全然無関係であったが、ひとたびシフ氏が、第一回六分利付一億円の半額を米国にて引き受けたということが

                                                              日露戦争の戦費調達で総額十三億円もの外債発行を成功に導いた高橋是清
                                                            • 「戦争は始めるより終わらせるほうが難しい」独裁者ヒトラーを生んだ"世界最悪の平和条約" 日本も日露戦争の終わらせ方で"悪手"を打った

                                                              過去の戦争からは、なにを学ぶべきか。立命館アジア太平洋大学学長の出口治明さんは「戦争は始めるより終わらせるほうが難しい。ポーツマス条約やヴェルサイユ条約が次の戦争につながってしまったように、大きな戦争後に結ばれた平和条約でうまくいった例は少ない」という――。 ※本稿は、出口治明『戦争と外交の世界史』(日経BP)の一部を再編集したものです。 日露戦争を終わらせたい伊藤博文が頼った相手 1904年に日露戦争が始まったとき、明治政府の元老だった伊藤博文はただちに前司法大臣の金子堅太郎をアメリカに派遣しました。金子はハーバード大学に留学したとき、セオドア・ルーズベルトと同窓でした。そのとき以来、金子とルーズベルトは親友でした。そして日露戦争が始まったとき、ルーズベルトはアメリカ大統領だったのです。

                                                                「戦争は始めるより終わらせるほうが難しい」独裁者ヒトラーを生んだ"世界最悪の平和条約" 日本も日露戦争の終わらせ方で"悪手"を打った
                                                              • 日清、日露戦争で3万人以上が「脚気」で死亡…文豪・森鴎外の「大失敗」とは?

                                                                (やまもと・たけひと)。2010年、京都大学医学部卒業。博士(医学)。外科専門医、消化器病専門医、消化器外科専門医、内視鏡外科技術認定医、感染症専門医、がん治療認定医など。運営する医療情報サイト「外科医の視点」は開設3年で1000万ページビューを超える。Yahoo!ニュース個人、時事メディカルなどのウェブメディアで定期連載。Twitter(外科医けいゆう)アカウント、フォロワー約10万人。著書に17万部突破のベストセラー『すばらしい人体』(ダイヤモンド社)、『医者が教える正しい病院のかかり方』『がんと癌は違います~知っているようで知らない医学の言葉55』(以上、幻冬舎)、 『医者と病院をうまく使い倒す34の心得』(KADOKAWA)、『もったいない患者対応』(じほう)ほか多数。 Twitterアカウント https://twitter.com/keiyou30 公式サイト https://

                                                                  日清、日露戦争で3万人以上が「脚気」で死亡…文豪・森鴎外の「大失敗」とは?
                                                                • 日露戦争中に始まったカリフォルニア州地方紙の排日キャンペーン

                                                                  前回の歴史ノートで、南満州鉄道を日米共同で経営しようとする鉄道王ハリマンの提議を小村寿太郎が反対し、桂首相がハリマンと交わした覚書を反故にした頃からアメリカの排日運動が本格化していったことを書いたのだが、アメリカの排日運動はその少し前からカリフォルニア州で発生していて、話の順序として、日本人がこの州に移り住んだ経緯から述べることとしたい。 カリフォルニア州の支那人が排斥されたのち日本人移住者が急増した 実は、日本人が移住する前には大量の支那人がこの地域に住んでいたのだが、のちに排斥されることとなった。なぜ支那人が排斥されたかについては、これからわが国でも同様な問題が起こり得ると思うので少し触れておこう。 勝井辰純 著『猶太(ユダヤ)人の陰謀と排日問題』(GHQ焚書)によると、一八六一年以降支那人移民が急増し、一八八二年には一年間で三万九千五百七十九人が増加し、累計では二十一万四千七百八十九

                                                                    日露戦争中に始まったカリフォルニア州地方紙の排日キャンペーン
                                                                  • 菊池寛の名著『大衆明治史』(GHQ焚書)で日露戦争の舞台裏を読む

                                                                    菊池寛といえば小説家であり劇作家でありジャーナリストであり、実業家としても文芸春秋社を創設した著明な人物だが、歴史書にもいい本をいくつか出している。戦後は歴史家が登場人物を生きた人間として描くことがほとんどなくなってしまったのだが、菊池寛は歴史的舞台立った人物や、大きな決断をした人物が何を考え何を目指そうとしたかを生き生きと描いていてわかりやすい。 今回は西尾幹二氏が「名著」と高く評価されている『大衆明治史』(GHQ焚書)の一部を紹介したい。 金子堅太郎 1905年頃 (Wikipediaより) 日露戦争が勃発したばかりの頃、伊藤博文がアメリカと日本とが親密な関係を築くことが重要であるとして、当時のルーズベルト大統領とハーバード大学で同級生であった金子堅太郎を渡米させている。金子は、大統領ほかアメリカの重要な人物と面談したのだが、それぞれ非常に親日的であったという。その背景について、菊池寛

                                                                      菊池寛の名著『大衆明治史』(GHQ焚書)で日露戦争の舞台裏を読む
                                                                    • 日露戦争の戦利品としてロシア製の大砲が奉納されている奈良県葛城市の笛吹神社 - 暮らしの顛末(くまくまコアラ)

                                                                      奈良県葛城市にある笛吹神社。 笛吹って変わった名前。 正式には葛木坐火雷神社(かつらきにいますほのいかづちじんじゃ)。 って覚えられるかよ! ってことで通称、笛吹神社と呼ばれている。 火の神、笛の神、音楽の神なのだそう。 鳥居の色が朱色じゃないのが気になる。 なんで白色? もしかして笛の色? どうなんだろう。 この神社に祀られているお方は天香山命(あめのかぐやまのみこと)。 天香山命(あめのかぐやまのみこと)は天照大神が天の岩戸に閉じこもった際、天香山の土を掘って鏡を作り、竹で笛を作って吹き鳴らした。 と古事記にある物語。 古代、王朝の笛師をつとめた笛吹連がこの地に居住したらしい。 だから笛吹神社か。 なるほど。 鳥居をくぐると、緑が美しい階段。 階段の両脇にならぶ灯篭に目が行くと。 鹿の姿が彫刻されている。 さて、階段を上ると・・・ 意外なものが・・・ この大砲は日露戦争の記念として明治

                                                                        日露戦争の戦利品としてロシア製の大砲が奉納されている奈良県葛城市の笛吹神社 - 暮らしの顛末(くまくまコアラ)
                                                                      • 日露戦争開戦前後の欧州列強国の思惑

                                                                        日露戦争に関する欧州列強のスタンスの違い 義和団の乱で北京の各国公使館区域が暴徒に取り囲まれ、六十日近い籠城を経験した英国『タイムズ』特派員であったG.Eモリソンの記事や日記等をもとに著された『日露戦争を演出した男モリソン』という本に、日露戦争についての各国のスタンスの違いがでている。 まずフランスの立場だが、フランスはロシアに巨額の投資をしているので、ロシアが戦争で財政難になることを嫌って戦争に反対していた。 またイギリスは、もしフランスがロシアとの同盟に基づいて日露戦争に参戦すると、日英同盟のとりきめによってイギリスは露仏を相手に戦うことになってしまう。一九〇三年当時の英国の分析では日本とロシアが戦えば日本が負けると考えており、当初は日露戦争に反対していたという。 一方で、日露戦争を起こさせようと裏で工作している国があったという。それがドイツである。前掲書ではこう解説しておられる。 「

                                                                          日露戦争開戦前後の欧州列強国の思惑
                                                                        • 日露戦争のあと隻脚の僧侶となった市川禅海の『残花一輪』~~GHQが焚書処分した明治期の著作7

                                                                          市川禅海(いちかわ ぜんかい)という人物の経歴がコトバンクに記されている。明治十六年に長野県中込村(現・佐久市)に生まれ、明治三十六年に海軍兵学校を卒業後、「日露戦争に参戦して負傷し、片足を切断する。明治四十二年剃髪し、修行のかたわら各地を巡回して講演する。著書に戦争記録文学である『残花一輪 発心録』などがある」とある。 今回紹介させて頂く『残花一輪:発心録』は、明治四十三年に啓成社から出版された本で、この本は昭和四年に戦記名著刊行会から刊行された『戦記名著集 : 熱血秘史. 第1巻』及び昭和十四年に潮文閣から刊行された『戦争文学全集 第2巻』に収められて、この二点がそれぞれGHQによって焚書処分されている。 市川は日露戦争で戦艦初瀬の乗組員となり、互いに死を誓い合った戦友が二人いた。一人が梶村候補生で、もう一人が鈴木候補生である。 しかしながら第一次旅順口攻撃の際に梶村候補生は戦死を遂げ

                                                                            日露戦争のあと隻脚の僧侶となった市川禅海の『残花一輪』~~GHQが焚書処分した明治期の著作7
                                                                          • 『青天を衝け』ざっくりコラム 第39話 渋沢栄一と日露戦争 - 旅人サイファのお出かけブログ

                                                                            本日放送のNHK大河ドラマ『青天を衝け』ざっくりコラムです。 次第に忍び寄る軍靴の音。日本が近代大国化して行くに伴って、欧米列強との確執も目立つようになりました。 特に日清戦争での勝利後、極東での日本の権益増大を恐れたロシアやフランスは、戦後清国から獲得した大陸の領地、遼東半島を放棄させるに至ります。俗にいう三国干渉です。 その結果、極東での勢力を増したロシアは朝鮮半島までその影響力を広げはじめました。 鎌倉時代の元寇以来…朝鮮半島を領有した勢力は日本にまで侵略の手を伸ばすのが常。日本国首脳は、ロシアの南下政策に非常な危機感を覚えます。 このような情勢の中…ロシアの侵略の手を振り払うために、満州そして朝鮮半島を舞台にして始まったのが日露戦争です。 日露戦争は、近代日本が生き残るかどうかの生存戦争。国力の全てをかけて生きるか死ぬかの戦いでした。 日本は、旅順攻略、奉天会戦勝利、日本海海戦勝利

                                                                              『青天を衝け』ざっくりコラム 第39話 渋沢栄一と日露戦争 - 旅人サイファのお出かけブログ
                                                                            • 日露戦争を終わらせたルーズベルト像も人種差別的で撤去

                                                                              Teddy Roosevelt's Great-Grandson Supports Removing Statue From NYC Museum <世界中に広がった黒人差別反対デモで南部連合の軍人や奴隷商人の銅像が引き倒される事件が相次いでいるが、セオドア・ルーズベルト元大統領はいったい何をしたのか> 映画『ナイト・ミュージアム』の舞台となった米自然史博物館は6月21日、正面に設置されているセオドア・ルーズベルト元大統領の像の撤去を(像の所有者である)ニューヨーク市に要請したことを明らかにした。元大統領のひ孫であるセオドア・ルーズベルト4世は、この像は元大統領の功績を適切な形で表したものではないとして、博物館の判断に支持を表明している。 22日にはニューヨークのビル・デブラシオ市長がこの要請を認めると表明。博物館は撤去の理由について、馬に乗った元大統領がアメリカ先住民とアフリカ系の人物を

                                                                                日露戦争を終わらせたルーズベルト像も人種差別的で撤去
                                                                              • ポーツマス会議全権随員・本多熊太郎の「講和外交秘話」を読む~~日露戦争に関するGHQ焚書2

                                                                                日露戦争に関するGHQ焚書リストの中に、時事新報社 編『日露戦争を語る. 外交・財政の巻』(昭和10年刊)という本がある。日露戦争の重要な交渉や会議などに関わった人物が、当時のことを回想して記した文章をまとめた本なのだが、簡単に目次と筆者の当時の経歴を列記すると 「戦前外交」・・・栗野慎一郎(当時駐ロシア公使) 「三十年前の非常時財政」・・・阪谷芳郎(当時大蔵次官) 「募債苦心談」・・・深井英五(当時日本銀行秘書役) 「ロシアの背後より戦争を見る」・・・秋月左都夫(当時スウェーデン公使) 「講和外交秘話」・・・本多熊太郎(当時講和会議全権随員) 「ロシアから日本を観る」・・・ローゼン(当時ロシア駐日公使、後ポーツマス会議全権) で、いずれも興味深い話ばかりである。 冒頭で本多は、ポーツマス講和会議の特異性について触れている。ちなみに、文中の「欧州大戦」とは「第一次世界大戦」、「小村さん」は

                                                                                  ポーツマス会議全権随員・本多熊太郎の「講和外交秘話」を読む~~日露戦争に関するGHQ焚書2
                                                                                • 『日露戦役の思ひ出』を読む~~日露戦争に関するGHQ焚書3

                                                                                  かつて陸軍省の中に「つはもの編輯部」という部署があり、兵士や国民向けに、兵士の書いた文章などを集めた「つはもの叢書」というシリーズ本が昭和8年から12年までに14点が出版され、そのうち3点がGHQ焚書に指定されている。今回は『日露戦役の思ひ出』(GHQ焚書)という本の一部を紹介したい。これまでは日露戦争に出征した日本人の記録を中心に紹介してきたが、ロシア人に焦点を当ててみた。 国交断絶後の駐日ロシア公使・ローゼンの帰国に対する対応 満韓に対する侵略の意図を隠さないロシアに対し、伊藤博文や桂首相はなんとか外交による解決を図ろうとしたが交渉は進展せず、明治三十七年(1904年)一月六日にはロシアから最後回答のようなものが届き、いよいよ開戦が避けられないような状況となった。 ロシアは既に対日作戦計画を立案して裁可を得、旅順ドックの竣工と同時に日本に対して戦争を始めるとの情報が二月一日に入り、その

                                                                                    『日露戦役の思ひ出』を読む~~日露戦争に関するGHQ焚書3