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2008年6月30日のブックマーク (6件)

  • 人として報いる - 旧 はてブついでに覚書。

    ある組織の中で、この人が多少「報われる」といいなと 勝手に思っていたことがあって まあでもそれは組織の「システムの問題で難しい」し、 きっとこの人の積んだ「徳」は、 どこかで報われるのだな それはペイフォワード的なあれなのだろう、 と、その人の「善意」にそのまま乗っかっていた。 私に対して何かしてくれたなら私が返せばいいんだけど、 その人は組織に対して貢献していたので、 いまいち私からダイレクトに恩返し、というのは違う気がしていたのだ。 が、一向になんというか、「気配」がないので、 さすがに、罪悪感を感じて、 システムとしてじゃなくて、対人として 何か出来ないかということを思った。やっと。 で、働きかけるように、動いてみた。 で、まあ、少し前、 当に多少「報いる」ことが出来た。 明示的に、具体的に。 思いっきり焼け石に水だけど。 それが案外、自分にとってはすごい新鮮だったっぽい。 ほんの

    人として報いる - 旧 はてブついでに覚書。
    semis
    semis 2008/06/30
  • ★ 電脳ポトラッチ: 『真の愛の実現』という妄想 〜 秋葉原殺傷事件に思うこと

    『真の愛の実現』という妄想 〜 秋葉原殺傷事件に思うこと ● 「マスコミは派遣制度の問題を無視し、個人の恋愛問題に帰することで事件質をうやむやにしようとしている。問題は現代の奴隷制である派遣だ」 「一度は正社員になれたのに、自ら退社して派遣になったのは加藤だ。彼女いない暦=年齢というコンプレックスが加藤を押し潰した」 「家庭環境が最大の原因だった」 等々、事件からしばらく経った現在でも、秋葉原殺傷事件は多くの議論を呼んでいる。 結論から言って派遣制度に問題があることは事実だと思う。派遣を含めたワーキングプア問題全体が深刻な社会問題であり、これを一括して「自己責任」に帰することはできないとも思う。 ただし、加藤人が「派遣であること」を最大の苦悩としていたかどうかはあやしい。 客観的に見れば、恋愛などより仕事や生活の方が「ずっと重要」だと思えるし、犯罪は許容できないものの、日

    semis
    semis 2008/06/30
  • ロリショタを見てハァハァすること

    異性愛者は異性を、同性愛者は同姓を、腐女子は男同士を見てハァハァするもんなんだから目くじらたてる方がオトナ気ない、という論法をよく見るんだけど、これって搾取されている側が悟りを開いて諦めてあげているだけなんだよね。大人の対応ってやつなんだろう。 吉田秋生の漫画でノンケ男がゲイバーに入って、じろじろと値踏みされて「性欲の対象になるのはえれープレッシャーだ」みたいなこと言っていたのが印象的でよく覚えている。要するに覚悟なくいきなりハァハァされると、何を取り繕っても怖いんだよね。全員が理性のないヴァカじゃないとは分かってるけどさ、誰に何されるか分かんねーもん。だからそういうプレッシャーに対して覚悟がなく、抵抗も出来ないロリショタが保護されることは真っ当だと思うし、文字通り大人ではないのだから、子供や親御さんが諦めてあげる必要はないと思うんだ。ロリコンやショタコンはロリショタを見てハァハァするもん

    ロリショタを見てハァハァすること
    semis
    semis 2008/06/30
  • 俺と友達のユウキは、今年の海水浴を楽しむべく水着やバーベキューのため..

    俺と友達のユウキは、今年の海水浴を楽しむべく水着やバーベキューのための 設備を色々買い込むことにした。幸いにもバイトで貯まった金があるので、 今年こそは彼女いない歴=年齢のお互いが浜辺で女の子たちと仲良くなって いいひと夏の思い出を作ろうぜ、と張り切っていた。 格好つけて濃い黒色の、タモリが普段使ってるようなサングラスをかけて 俺たちがデパートの水着売り場まで行った時(当然その売り場でばったり いい女の子と会ったらナンパでもしてみるか、と思っていたのだけど)、 ユウキが「おい、あれ見てみろよ!!」と指差した。 そこには等身大の女性のマネキンが立っていた。 大体マネキンというのは手足が途中から切り落とされてトルソーに頭を くっつけた状態のものしかないのが定番だ。手足があればそれだけ 衣服を着させるのが面倒だからだ。 しかしそのマネキンは手足も揃っていて、眩しい笑顔が印象的なものだった。 多分

    俺と友達のユウキは、今年の海水浴を楽しむべく水着やバーベキューのため..
    semis
    semis 2008/06/30
    意味がよくわかりません! / あ、ちょっとわかったかも
  • 救われたかったら、救え - 書評 - 最底辺の10億人 : 404 Blog Not Found

    2008年06月29日23:30 カテゴリ書評/画評/品評Value 2.0 救われたかったら、救え - 書評 - 最底辺の10億人 日経BP川口様より献御礼。 最底辺の10億人 Paul Collier / 中谷和男訳 [原著:The Bottom Billion] サバイブSNS第1回オフ会当日に届いた。なんというシンクロニシティ。 現時点において、最貧国問題に対する処方箋としてはもっとも説得力のある一冊だと感じた。 書、「最底辺の10億人」は、まず世界を「先進国」「発展途上国」そして「底辺国」の三つに分けた上で、書のタイトルともなった、底辺国の10億人に対して何をすべきかを説いた一冊。 目次 - 日経BP書店|商品詳細 - 最底辺の10億人より はじめに 第一部 なにが当の問題なのか? 第一章 脱落し崩壊する最底辺の一〇億人の国 第二部 これらの国を捕らえる数々の罠 第二章 

    救われたかったら、救え - 書評 - 最底辺の10億人 : 404 Blog Not Found
    semis
    semis 2008/06/30
  • おごちゃんの雑文 » Blog Archive » 「サバイブSNS」は入った時点で貧困者じゃない

    「サバイブSNS」の宴会に行った。 オフレポはそこらじゅうにあるので、はてブででも探すといい。小飼氏宅でやったので、小飼氏のところにまである。 集まった人々の感じからすると、これはまるっきり「貧困者」の集まりじゃない。それはある意味当然だ。 集まった人達は、ほとんどが貧乏だ。まぁこの範中に入らないのは、小飼氏くらいなもの。私も年収的には貧乏でも何でもないんだけど、諸伴の事情で貯金らしい貯金はない。だから、仕事をしなくなったらあっと言う間に貧乏人だ。 普段困ってないかと言えば、たいていの人が困っている。貧乏でも何でもない小飼氏の奥さんですら「貧乏性で」とか言ってるくらいだし、現代の金持ちってある意味たかが知れていて、広義の「金」しか持ってない。そう言った意味ではいつだって心配事は尽きないだろう。「将来の不安」は尽きない。 逆にそんなに金持ちそうに見えない人が「貧乏だけど困ってない」とか言って