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ブックマーク / dr-seton.hatenablog.com (2)

  • いのちの奪い方 - シートン俗物記

    ずっと昔のことだ。子供相手のボランティアをやっていた時のこと。ある時、キャンプを行って、その夕時にニワトリをシメて料理することになっていた。ニワトリは近くの養鶏場から譲り受けた廃鶏といわれる老鶏。「子供たちにたべる事の大事さを伝える」授業の一環として行ったものだ。 参加した子供たちの親たちは口々に 「命の大切さを教えるために必要なことだ」 「べ物がどうやって手に入れられているのが教えてやって欲しい」 「べるためには、他の生き物の命を奪わなければならない事を伝えて」 と、立派な事を言ってくれたのだった。 ところが、いざ鶏をシメるとなった時、親たちは 「自分は血が苦手なので」 「こうしたことはやったことがないんで、慣れた方に」 「いや、ちょっと出来ないです」 と仰り、 「どうか、先生(私の事)がやって、見せてやってください」 と云い、誰一人として自分でやろう、という親は現れなかった。 み

    いのちの奪い方 - シートン俗物記
  • マッスルソウルは傷つかない - シートン俗物記

    なんか盛り上がってる“マッチョ”論争。まぁ、リベラルを標榜する自分としては、まったく同意出来ないけれど、ちょっと面白かった部分を取り上げる。 ・2010年、マッチョ主義によって日社会のとてつもない大改革が始まり、人々の生活が根底から変わりはじめた http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20080302/1204438491 当人もネタとして扱ってるっぽいのだけれど、前半の教育の部分が面白い。 また、マッチョの基は、自分で決断し、自分で実行し、自分で責任をとることである。このため、必然的に、教育の裁量権の徹底的な現場委譲が進んだ。 (略) たとえば、公園にあるコンクリートと玉石の岩山に幼児がよじ登って降りられなくなり、泣き叫んでいたとしよう。 この場合、親は、単にその幼児を抱きかかえて降ろしてはいけない。 幼児の手や足を玉石に一つ一つ導きながら、自分

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