頻発する社会の不祥事は マーケティング病の結果である (『新祖国論』辻井喬、2007年) と、書かれると、マーケティング屋の端くれとしては、 何を言われているのか、気になるというものだ。 前世紀の一九八〇年代のころから、 マーケティング病とでも呼ぶしかない現象が わが国を席捲している。 簡単に言えば、何でもマーケティングの素材として認識し、 それ以外の思考を排除してしまう考え方である。 ここで、何でもマーケティングの素材として認識するということは、 全てを事業機会と見做すことを意味していると思う。 一度そういうことに気づいてあたりを見回してみると、 この病は未だにその領域を熱心に拡げようとしていることがわかる。 その第一は、売り込み対象の年齢層を拡げようとする努力だ。 (中略) もうひとつの方向は今でまでは休息の時間だった夜を 市場にする努力である。人口に二十四(時間)を 掛けたのが市場規
『クチコミの技術』の新しさは2つある。 マーケティングに、 企業はクチコミをコントロールできないけれど、 きっかけをつくることはできる、 という認識を加えたこと。 もうひとつは、企業と消費者が同じ土俵にいるということは、 個人のブロガーは、 企業でこれからブログをやらんとする担当者の「先輩」 なのだということを示したことだ。 ○ ○ ○ Web2.0が実感的になるにつれ、 裏づけが得られたように、 CMが効かないことも認識されるようになった。 そこでは、2つのことが指摘されてきた。 1)企業は消費者のコミュニケーションを コントロールできない。 消費者の立場になれば至極、当然のことなのに、 このことが前提となるのに、消費者主導が可視化される空間 の出現が必要だったのかもしれない。 2)消費者による商品のネガティブ評価は 許容しなければならない。 1)の帰結は、当然このことを踏まえることにな
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