webに関するshin-oharaのブックマーク (63)

  • 2006-06-21

    6月20日付のNYTでニコラス・クリストフ(中国名は紀思道)が、中国のネット規制についてのコラムを書いている(下記リンクは有料)。 In China It's ******* vs. Netizens その主張は「中国当局は必死になってネット規制を強化しようとしているが、いまや1億2000万人に達し真実を求める中国ネチズンを全て押さえ込むのは不可能だろう」という定番の見解といっていいもので、まあ特に面白いものではない。 ただちょっと面白いのは、「ネットの規制がどこまで厳密に行われているか」を試す実験台として、彼自身が中文のブログを解説して当局の規制に引っかかりそうな内容のエントリを次々に発表していることだ。 続きを読む さっき試してみたら新浪網のブログの方も既に削除されていますた。中国のネチズンが勝利する日はまだまだ遠そうでつ。

    2006-06-21
  • いやぁ〜笑った、笑った(「まとめ」を追記)

    事情がよくわからない方にとってはまったく面白くないはなしで恐縮です。「id:lovelovedog」という文字列に心当たりのない方はスルーしてください。 「まとめ」を追記 サイモン・ウィーゼンタール・センター(SWC)が『文藝春秋』の記事に抗議するにあたって、あらかじめ『文藝春秋』ないし抗議対象となった記事の筆者に対して「この英訳は正確か」とお伺いを立てていなかったということ(ただし、お伺いを立てていなかったということはまったく立証されていない)に関してネチネチと文句を言っている人物が、私のこのエントリのタイトル、 「なぜあなたは、兄弟の目にある塵が見えながら、自分の目に梁があるのに気づかないのか」(マタイ七・三、ルカ六・四一)(追記あり) にこんないちゃもんをつけてきました。 ダイアリのタイトルが「別に目の中の梁の大きさ比べをしているわけではないので。ていうかそのテキストは誤訳でしょ」、

  • 愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 少しクール・ダウンしないとダメだこりゃ、と思った。だからもうトラックバックはいいですから、apesnotmonkeysさん。悲惨な人は悲惨なブクマするし

    これなんですが、 →いやぁ〜笑った、笑った こういう状況になるまでやりすぎてしまうのがぼくのいけないところで、刺激的な語句を使うのを避けたり、相手の精神状態を心配しながらテキストを推敲したり、とかしていたつもりなんですが、夜中の1時過ぎに「捨てメールアドレス」のように思えるメールアドレスに「連絡しろ」と言いはじめるところまでぼくが追い込んでいたとは思いもよりませんでした。 →http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20060627#c またあとからぐちゃぐちゃ言われてもかなわんので、メアドお知らせします。 zenitar16@mail.goo.ne.jp なにぶんスパムがひどい昨今なので、仕事やプライベートで主に使ってるメアドでないのはご了承ください。 (↑追記:当人により元テキストは削除されました) そんな、仕事でもプライベートでも使っていないメールアドレスに

    愛・蔵太の少し調べて書く日記 - 少しクール・ダウンしないとダメだこりゃ、と思った。だからもうトラックバックはいいですから、apesnotmonkeysさん。悲惨な人は悲惨なブクマするし
  • ネット時代の情報操作について - ARTIFACT@はてブロ

    NaokiTakahashiの日記 - 当に手ごわいのは、騙されない人だ http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20060607#p2 当に怖いのは、自分に都合のいいネットデマに対してもきっちり踏みとどまれるような人だ。時流を作るのはそういう人だ。 NaokiTakahashiの日記 - こんなの流行ったら嫌だなあ http://d.hatena.ne.jp/NaokiTakahashi/20060607#p3 「両論併記、真相は藪の中だろ?」 ネット上で怪情報を流すだけでなんでも藪の中に持ち込めるなら楽だよね。デマを作るほうは、振り込め詐欺レベルの怪情報なら手間も知恵も使わず作り出せちゃうのだが、それを検証するほうは大変なのだ。そういう攻撃を続ければ、理屈なんか関係なしに手間暇の圧力だけで、ある情報を完全否定は出来ないまでも有効性をそぐことは出来て

    ネット時代の情報操作について - ARTIFACT@はてブロ
  • 傷 - エレニの日記

    finaventさんが傷の話をしてたけど、追求側の人には皆、傷を感じる。BBさんでもfinalventさんでも、ランスロットさんでも、黒崎氏にも。 傷があるかないかというのでなくて、傷を傷としてそこに抱えている人。 自分の傷を見ない人というのは、何も見えないんじゃないのと思う事がある。断絶を感じる事がある。過去、ずたずたにされた事が何度かあった。 傷を見ない人は、自分の芯から逃げ出しているんだと判ったのは、それだけ痛い目にあったから。どれだけ試みても、言葉が届かなかった。その人の傷が、私にだけ見えることもあったし、見られない傷というのは、・・・言葉にならないけど。でもそれは、その人を追い込んでいく。関わった人間の事も。 何言いたいか判るかな。 いつまでも偽善で人を丸められると思う人は、傷を見ていない人。ブロゴスフィアはそういう場所じゃない。2ちゃんも。笑えてくるほど、純粋な場所。 でも見え

    傷 - エレニの日記
  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…

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    shin-ohara
    shin-ohara 2006/06/16
    >>高学歴の人たちはNEETに同情的というかNEET批判に批判的:無駄に高学歴の人も社会から遊離させられてるので、社会に適応してる人とNEETと呼ばれる人のどちらに親近感を抱くかというと後者、てのはあると思うな、と。
  • バッシングの意図もないし燃料投下の意図もないのでよろしくのメモ - finalventの日記

    少し書いておこう。誤解なさらないように。メモである。 松永さんには敬称を付ける。きっこにはつけない。特定の一人がいるとはとうてい思えないからだ。メインの女性ライターはいるのだろうとは思うが。きっこはきっこグループと考えているので「さん」とはしない。私の勝手な妄想かもしれないが。 松永英明さんときっこの関係についてだ。まず、ガチな部分は、両者にメールのやりとりがあったという松永さんの発言があるということ。たぶん、あったのだろう。また、それによれば、松永さんからきっこへのメールが端緒であった。メール内容は、きっこについてどこだったか(サイバッチだったか)で話題になっているのをきっこに知らせたということ。どのような話題でなぜ知らせたのかはわからない。気にはなる。 もうひとつガチと言っていいのは、松永さんがきっこに関心を持っていたということ。なぜ彼がきっこに関心を持っていたのかについて、ネットで十

    バッシングの意図もないし燃料投下の意図もないのでよろしくのメモ - finalventの日記
  • 相手を実名で批判するのは良いことか - 狂童日報

    ニート」概念を批判している後藤和智という人が、批判は「実名」を出して行なうべきだと述べていた。この意見に一瞬頷きかけたが、ちょっと考えてそれは違うと思うようになった。 そもそも、名指しで批判された人は、それを読んでどう思うだろうか。これは断言できるが、考えを改める人はまずいない。実際批判の内容は「こいつらは馬鹿で偏見だらけでしょうがない」というもので、そもそも議論するにも値しないという扱いなのだ。批判された側は、内容を読む以前に批判者に対する憎しみとルサンチマンを溜め込むことになる。そうすると、批判した側が相手に受け入れさせたい意見とは、真逆の方向へ相手を追い込んでいくことになる。 はっきり言うが、明らかにレベルの低い議論のレベルの低さを実名で逐一とりあげてあげつらうのは、罵倒であり、侮辱ではあっても批判ではない。そういう議論の流行を問題にしたい場合は、「論壇誌やマスコミでは・・・という

    相手を実名で批判するのは良いことか - 狂童日報
    shin-ohara
    shin-ohara 2006/06/13
    「批判」という言葉は難しいな、と。非難(「ぶっ潰す」)と啓蒙(「免疫化」)と分析(「有益な議論」の下準備)が一語に収束してるのがな、とか思うし、対象が概念の場合と人の場合とでもズレが出るだろうし。
  • 愛・蔵太の少し調べて書く日記:また不正確な引用をしているいる人がいるようですが

    こんなのもありました。 →田宗一郎氏の「韓国とは関わるな」発言の元ネタ まぁくわしいことはあちらのサイトを見ていただくことにして、要するに田宗一郎さんの「韓国とは関わるな」発言の元ネタは、『アジア共円圏の時代』(邱永漢・渡部昇一)の中で、田宗一郎さんが言ったこと、と、邱永漢さんが言っていること、らしいです。 太字の部分に注意してくださいね。もう少し分かりやすくすると、 田宗一郎さんが言ったこと、と、邱永漢さんが言っていること、なわけです。 ちなみに、田さんは1991年8月5日に亡くなられていて、 →田宗一郎 - Wikipedia この「対談」がいつおこなわれたかは不明ですが、が出たのは「1994年9月」なので、 →ビーケーワン:アジア共円圏の時代 実は、以下のようなことは、 昔、田宗一郎さんが私の家に来て事をごいっしょしたことがありました。そのとき、「田さんのところで

    愛・蔵太の少し調べて書く日記:また不正確な引用をしているいる人がいるようですが
    shin-ohara
    shin-ohara 2006/06/11
    >>マスコミ...を信じない人間が、「その報道は嘘...」と言われると...ネットの怪しい情報でも「そうだったのか!」「やっぱり!」になってしまうのが面白い...ので...そういうネタを拾ってくるようにしてみたい:期待。
  • 嫌儲:常識が違う場合。活動している人に分かって欲しいこと。あと事実関係。:しっぽのブログ

    結局まとめサイトはいっぱい閉鎖しちゃいましたねー。 また次もこういうことが起こるかもね。 何をしたらいいのかなーとか、今まで上手く書けなかった事のまとめ。 それだけに話が抽象的で、今までのよりも分かりにくいと思います。 持論だし、今回はあまり同意してもらえないかも。 多分この件に関してはこれで最後にして、また更新の遅い日記みたいなブログに戻ると思いますー。 これは前の嫌儲関係2エントリーに関係するお話です。 見てない人は先に読んでおいてくれるとうれしいです。 しっぽのブログ: 「嫌儲」についてと、vip系ブログを叩き潰すとどうなるか。(嫌儲その1) しっぽのブログ: 「嫌儲」の心理と正義感、資主義、あと転載について。(嫌儲その2) 事件そのものの概要は べにぢょのらぶこーる - ”ニャー速。城”は当に燃えているか?でどうぞ。 常識というのは、例えば 「お金は汗水たらして稼ぐもの」 とか

    shin-ohara
    shin-ohara 2006/06/11
    >>相手が馬鹿だとか、理解する力が無いとかではなく...同じような頭を持っているけど...常識が違う:「常識」は皆意識しないので違うことが認知され難い、と。無意識に近いからある種「宗教戦争」になりがちだし、と。
  • コンテキスト漂流記 - 玄倉川の岸辺

    花岡信昭氏のブログ炎上に関する当ブログの記事に興味深いトラックバックを頂いた。 Dancin’ in the Dark - 「論理的」と見なされること今の世の中、特にある程度よりも若い層を中心に「論理的」であるかどうかについてのリタラシーが上がっているのかなと。裏返せば、「論理的でない」状態に対する許容度が低くなっているというわけ。「論理的か否か」という話とはすこしずれるが、「高コンテキスト文化」「低コンテキスト文化」という言葉を思い出した。私は文化人類学や社会心理学について何も知らないので、これから書くことは単なる素人のあてずっぽうである。 ■高コンテキスト文化と低コンテクスト文化(Hall, E.T., 1976 Ferraro, G.P., 1990)人が伝えるメッセージの内容は、言語化された情報とそれがどのような場面で誰に対して発せられたかというコンテキストによって決まる。あまりコ

    コンテキスト漂流記 - 玄倉川の岸辺
    shin-ohara
    shin-ohara 2006/06/10
    >>「マスコミ界」の文化と比べると、ネット世界の文化はかなり低コンテキストであるといえる:ということは、ネットが浸透すると日本社会も低コンテクスト化してくる、というか既にしてると見るべきかしらね、と。
  • あられもない言い方は避けるが…… - finalventの日記

    ⇒CNET Japan Blog - 佐々木俊尚 ジャーナリストの視点:ネット世論の「拠って立つ場所」とは もちろん、ジャーナリストには責任がある――たしかにそうだ。自分自身もジャーナリストを名乗って20年近く活動してきた私も、そう思う。だったら、ジャーナリストを名乗らないブロガーには責任はないのだろうか? もし責任があるとすれば、その責任の度合いは、ジャーナリストと異なるのだろうか? あーあーマイク入ってる?あーあーそこが出発点です。この前文、すべて、いらね。「新明解国語辞典(三省堂)によれば」なんてレトリック使って笑いを取るサービス、不要。 フラットなネットの地平線の中において、ジャーナリストの言説とブロガーのエントリーは相対化されつつある。その相対化されつつある現状の中で、ジャーナリストとブロガーの責任の度合いは相対化される可能性はあるのだろうか? ブロガーはジャーナリズムのプロでは

    あられもない言い方は避けるが…… - finalventの日記
    shin-ohara
    shin-ohara 2006/06/07
    >>いまこの問題でブロガーが滑稽なまでに必死にジャーナリズムごっこをしているのは、プロのジャーナリストがいねーこと。これはオウム事件の時もそうだった。
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    恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…

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  • 素朴で正義感の強い人たち - 玄倉川の岸辺

    ブログのコメント欄に大量の批判・罵倒・侮辱を書き込む人々をこれからは「ネットイナゴ」と呼ぶことにする。 えっけんさんによる「ネットイナゴ」の定義 自分の意見と異なる主張をする者に対して、相手の考えが変わるまでコメントを続ける者 自分が直接コメントスクラムに参加しなくても、それを焚き付ける行為をする者 他人のサイトが「炎上」するのを見て喜ぶ者 「炎上」しているブログに対し、尻馬にのって罵倒コメントを残す者 それが恥ずべき行為ということを分かっていない者 単なる荒らしと異なり、コメントの際に意味不明な単語の羅列などは行わない ネットイナゴ(いなご)という言葉に反発する向きもあるが、私は「ネット右翼によるコメントスクラム」という表現よりはずっと適切だと思う。 集団的に(あくまで集団「的」であって、組織されてはいない)多量の批判コメントを書き込む人たちをひとまとめに「ネット右翼」と呼ぶのはおかしい

    素朴で正義感の強い人たち - 玄倉川の岸辺
  • ekken?

    ekken?

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    恋人と別れて30年が過ぎ、その元恋人の娘と出逢う夜 古い友人であるShellyからメッセージが届いた。「私の娘のAdrienneが日に行くのだけれど、時間取って彼女と会ってくれるかしら?」 Shellyはアメリカ在住の白人女性だ。Shellyと俺との関わり合いは、過去に書いた。こちらを参照のこと。25歳に戻れた夜~ブライアン・…

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    なぜ日報を書くのか ※この文章は「日報を書くの良いですよ!」という事を進める文章ではないです。 あくまでも自分がScrapboxで外部向けの日記を書いたり、社内のドキュメントツールで日報を書いていく内に思いついた考えを一旦まとめたくて書いています。 元々は社内向けで書いていたので…

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    絵の超初心者ド下手くそ人間が、20日間絵を描いて感じたこと わたしは、「文の人」だ。絵を描くのは大の苦手。 そんなわたしが、ひょんなことから絵を描き始めた。 そうしたらおもしろくなって約20日間、なにがしかを描きつづけている。 未知の領域での挑戦は、発見が多い。 また、ここまで絵を描けない人間の挑戦は、あまりネッ…

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    shin-ohara
    shin-ohara 2006/05/28
    『嫌韓流』はロクでなし本と思うが、このレビュー群は『ここがデタラメ』について書いてない気も。amazonガイドラインの「レビューする商品に焦点を置いて...」にどの程度抵触してるか次第かな。他の削除事例ないかな。
  • 分裂勘違い君劇場

    shin-ohara
    shin-ohara 2006/05/18
    まぁこのエントリを触発しただけでも朝日の記事に価値があったと言えるかな、と。
  • 「憎悪の表出」としての保守、という話 - H-Yamaguchi.net

    内容は、まあタイトルから想像がつくとおり。とはいえこれだけではさすがにわからないと思うので、出だしの段落を引用してみる。 この十年は戦後保守の最盛期だった。保守的な言説が広範に浸透し、日政治基軸は確実に右にシフトした。だが、皮相な盛況の影で、思想内容の空疎化が進んでいるのではないか。九〇年代末辺りから保守陣営内で囁かれはじめた危惧が、いま現実の危機として露呈しつつある。 もともと保守には「アンチ○○」といった具合の「仮想敵」が必要であるが、90年代以降それが失われたために再構築を強いられた。努力はされたものの、皆が一致しうる「敵」が見出せず、またその基盤を支える社会構造もゆらいできたため、次第に細分化、断片化する様相を見せている、という。もはや保守の美点であった現実主義すらも失い、「平和さえ唱えていれば、それが実現すると信じた空想的平和論者の姿勢と瓜二つ」と喝破される状況、なんだそうだ

    「憎悪の表出」としての保守、という話 - H-Yamaguchi.net