天譴(てんけん)論は、表面的には極めて誤解を生む表現だが、その内実を辿ると必ずしもそうは言えない。「天が罰を与えた」というのが本来の意味であるとしても、人によって吐かれると必ずしもそうは言えなくなる。 関東大震災から8日目に当たる1923(大正12)年9月9日に、東京商工会議所で渋沢栄一は講演を行っている。集まったのはやはり実業家40人だったのだが、そこで渋沢は、「政治、経済、社会に亘り果たして天意に背くことなかりしや」と天譴を具体的に語った。この時に、「大震災は天譴ではないか」というのは、渋沢にすれば「帝国の文化は進んだが、それは東京、横浜においてであった。それが全滅した。この文化は道理にかなっているのか、天運にかなった文化なのか、近来の政治は私利私欲に走っているのではないか、そのことを考えてみるべきであろう」との意味だというのである。 国民全体に「天」が警告を発する 渋沢はこの頃に、報