タグ

人生と考察に関するsizukanayoruのブックマーク (44)

  • ある日突然、余命宣告をされても後悔しない生き方を、私はできているだろうか。

    おそらく西暦で言えば、2000年くらいまでのルールじゃないだろうか。 一昔前は、親、、夫など家族が不治の病であること、とりわけガンであることが判明した場合にはまず人以外の家族だけが病院の「カウンセリングルーム」なる部屋に集められて、重大な決断を迫られる事が多かった。 「残念ですが、患者さんの余命は残り6ヶ月ほどです。ご人に通知をするかどうか、まずはご家族で話し合って下さい。」 という具合だ。 インフォームドコンセント(患者人が十分な情報に基づき、自ら治療方針について意思決定すること)という概念が浸透した現在では、おそらくそんな時代があったことすら、知らない人も多いだろう。 一昔前は、自分がもうすぐ死ぬことを人に知らしめることは残酷であり、最後まで「頑張れば治るよ!一緒に頑張ろう!」 と、家族が励ますという看取りが一般的な時代が長く続いていた。 これは言い換えれば、患者人が、自分

    ある日突然、余命宣告をされても後悔しない生き方を、私はできているだろうか。
  • およそ、師を誤るほど不幸なことはない。

    2018年7月に、オウム真理教関連の事件で死刑判決が出ていた元幹部らの死刑が執行されたことを受けて、村上春樹さんが毎日新聞に寄稿された文章を読みました。 「胸の中の鈍いおもり」(毎日新聞)(リンク先は有料記事です) オウム真理教の元幹部ら13人の死刑が今月執行されたのを受け、作家の村上春樹さん(69)が毎日新聞に文章を寄せた。 1995年の地下鉄サリン事件に衝撃を受けた村上さんは、被害者や遺族へのインタビューを著作にまとめ、裁判の傍聴を重ねるなど、深い関心を寄せ続けてきた。「胸の中の鈍いおもり」と題する寄稿で、刑の執行への複雑な思い、裁判での印象、残された課題について率直につづっている。 村上さんは、『アンダーグラウンド』で、地下鉄サリン事件の被害者やその家族の言葉を記録しています。 『約束された場所で』では、元オウム信者たちに、これまでどんな人生を送っていったのかを聞き取っており、加害側

    およそ、師を誤るほど不幸なことはない。
  • 内向的な人間が社会に向き合い思ったこと。私は寂しくもないし、孤独でもない|チェコ好き

    内向型の人は、どんな心持ちで社会と接しているのでしょうか。つらい?孤独?寂しい?旅と読書とアートを愛する「筋金入りの内向型」ブロガーのチェコ好きさんが、自身の体験を振り返り、「内向型として生きること」をつづります。 小学校5年生のとき、新しいクラスで私は友達ができなかった。 でも、そのことを特に心配しなければならない事態だとも思わなかった。 私は、休み時間は極めてマイペースに、図書室で好きなを読んだり、ノートにマンガを描いたりして、一人で遊んでいた。修学旅行などでは班を作らないといけないので、その時はどうしようかなあくらいは考えていたが──まあ何とかなるだろうと、非常にのんびり構えていたのである。 これだけでわかるように、私はいわゆる内向型の人間である。そしてこの気質は変わることなく、内向的なまま会社勤めをしつつ、物書きとしてなんとか31歳までやってきた。以下の文章は、そんな私と似た、内

    内向的な人間が社会に向き合い思ったこと。私は寂しくもないし、孤独でもない|チェコ好き
  • 時代の風:「結果がすべて」の風潮 不成功、後付けで正当化=藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員 | 毎日新聞

    今の世の中、「結果がすべて」という風潮が強まっている。途中経過はどうでもいい、手段は身も蓋(ふた)もなくていいので、「成功してなんぼ」と考える風潮だ。 倫理性や一貫性に無数の問題を抱えるトランプ米大統領だが、彼の支持者は彼を、米国のサバイバルという“結果”に向けての、文字通り身も蓋もない“手段”だと思っている。「もり・かけ問題」に象徴される官僚組織の内部規律の崩壊、豪雨災害への初動の遅れなど、体質の悪さを露呈し続ける安倍政権の支持率が、4割程度に回復しているというのも「結果が出ているからその他には目をつぶるべきだ」と考える有権者が一定数いるからだろう。 しかし「結果がすべて」の風潮には、二つの落とし穴がある。第一に“より良い結果”は実際には“より良い途中経過”からしか生まれない。身も蓋もない手段で得た成功は、長くは続かないのである。

    時代の風:「結果がすべて」の風潮 不成功、後付けで正当化=藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員 | 毎日新聞
  • 「生きにくさ」とは何か。 - Everything you've ever Dreamed

    「生きにくい」「生きづらい」、そういうフレーズをたびたび耳にするようになったのは、いつ頃からだろうか?マスコミや広告代理店の活動の結果なのか、僕のアンテナのそういうフレーズへの感度があがったからなのか、わからない。おそらく両者だろう。 確かなことは、生きにくい、という言葉に接するたびに、当事者ではなくても言いようのない閉塞感を覚えることだ。もっとも、生きにくさは、平成の世に、突如、出現したわけではなく、ずっと僕らのそばにあった。ただ、文化や生活のレベルが上がるにつれ、その内容が変わってきているだけのこと。たとえば、縄文時代の生きにくさは「今日は鹿が取れなかった。飯どうしよ…」という直接、命にかかわるような生きにくさが主だったが、現代社会のそれは(心身の病気のようないかんともしがたい事情からの生きにくさは別として)他人との関係性において感じるものが主になっている。生きやすくするための社会が高

    「生きにくさ」とは何か。 - Everything you've ever Dreamed
  • ミッドライフ・クライシス(中年の危機)の真ん中で - いつか電池がきれるまで

    p-shirokuma.hatenadiary.com pha.hateblo.jp toya.hatenablog.com 僕がこの「ミッドライフ・クライシス」(中年の危機)という言葉をはじめて意識したのは、12年前でした。 この概念そのものは、けっこう前からあるみたいなんですけど、成人式とか認知症みたいなもので、自分には(時期的に)、まだ(もう)関係ない、と思っているときに触れても「ふーん、世の中には、そんなものがあるんだねえ」みたいな感じだったのでしょうね。 いまから12年前って、僕は30代前半くらいだったのか、独身だったし、ようやく少し仕事らしいこともできるようになったし、という時期だったと思います。 リアルタイムでは、いろんな悩みはあったんだろうけど、どんなものだったかは、もう忘れてしまっています。 そのきっかけになったのが、映画監督の周防正行さんが書いた、このだったんですよ。

    ミッドライフ・クライシス(中年の危機)の真ん中で - いつか電池がきれるまで
  • 「中年の心の闇」がイマイチわからない - シロクマの屑籠

    35過ぎるとでかい無が見えてくるので対処しないでいるとそれに呑まれる— 小林銅蟲 (@doom_k) 2018年4月25日 中年がみえてきてデカい無がみえてくるの、とりあえず家族や子育ては無を二十年くらい遠ざけてくれるけれども、あくまで遠ざけてくれるだけだし、頼り過ぎると全員バグるので、根的解決とは言えない。が、使える方便ではある。— p_shirokuma(熊代亨) (@twit_shirokuma) 2018年4月25日 ときどき、「中年の心の闇」について考えることがある。 先だっても、タレントの誰それが未成年に犯罪行為に及んで書類送検された、というニュースが流れた。いっぱしの立場を獲得した中年が、ある日突然、大きく道を踏み外して回復不可能の傷を負う。その背景の心理や動機は、第三者にはさっぱりわからないことが多い。 メディアでは、よく「青少年の心の闇」という言葉が語られるが、実のとこ

    「中年の心の闇」がイマイチわからない - シロクマの屑籠
  • 中年の危機について - phaの日記

    p-shirokuma.hatenadiary.com 中年の心の闇。 シロクマ先生はイマイチわからないと書いているけれど、僕はこういう中年の虚無感が最近すごいわかるんですよね。シロクマ先生は確か子育てをされているし忙しそうだからまだ闇が遠いのかもしれないけれど、同じように子がいつつも虚しさに囚われてしまった人も知っているので、人それぞれなのかもしれません。 コンビニ店長が昔書いてたこのへんの気持ちが分かりすぎる。 web.archive.org 店長最近どうしてるんだろと思ったら最近増田書いてた(よかった)。その後だるさはどうなったでしょうか。 自分のスペックで遊べるもの全部遊んじゃった感、すごいわかる。自分の中のストックはいろいろあるんだけど、新しい刺激があまりないんですよね。昔は屋に行くとあんなにいつもワクワクしたのに、今はあまりワクワクしない。かといって新しい面白を探す気力もない

    中年の危機について - phaの日記
  • 私は自分が中年になったことを発見し、驚いたのです - シロクマの屑籠

    内容と直接関係ないけど、ここしばらくのシロクマさんの、「自分が中年になったこと」に関する関心というか執着心の出処はなんなのかなと時々思う。私は自分が中年になって変化したとはあまり感じていないので / “青春モノを中年のアングルで…” https://t.co/MbC4evFCoV— Ta-nishi (@Tanishi_tw) 2018年3月19日 こんにちは、Tanishiさん。若者ではなくなった境地に言及を繰り返しているシロクマです。 せっかくご質問いただいたので、なぜ、「自分が中年になったこと」に盛んに言及しているのか、書いてみます。 まず、単純な理由として『「若者」をやめて、「大人」を始める』を出版したからってのはありますよね。自分が書いたを少しでも遠くまで届かせるべく、関連事項をブログに書くのは有意味なことだ思います。このタイプの書籍を作成する場合には、一冊の書籍の余剰生産物と

    私は自分が中年になったことを発見し、驚いたのです - シロクマの屑籠
  • 死んだ方が楽って思いません?って質問 - 警察官クビになってからブログ

    先日、質問箱にこんな質問が来ました。 『どうしてそんなに辛い半生で自殺せずに生きて来られたのでしょうか?私だったら死んだほうが楽だと思ってしまいます。』 ははぁ~なるほどなるほど・・・・・ これ毎度毎度よく聞かれるんですよね。 警察官をクビになったり、 3年間給与5万とか。婚約破棄3連発とか。 首の骨曲げて会社クビとか。 まぁ・・・・私もいろいろありましたね。 結論ですけど、 私が今もこうして生きてられるのは・・・ 自分の能力にも、 自分の人生にも、 ぜんぜん期待してないからです。 どうせ失敗する。 うまくいくわけがない。 だけど、とりあえず全力でやってみるかぁ~ こんな意識低めだからです。 あと・・・みなさんはもしかすると・・・・ 「人生は厳しい」「ツライ」と口では言いながら、 平和な野山をハイキングしてるような? そんな気分で生きてませんか? 私は違います。 この世界は濁流みたいなもの

    死んだ方が楽って思いません?って質問 - 警察官クビになってからブログ
  • 「何者にもなれない」の正体と、中年期以降の約束事について - シロクマの屑籠

    fujipon.hatenablog.com リンク先のブログ記事をtwitterに流したら、 自分のような中途半端になってしまった人にもぜひ言及して頂きたいです。— zom a.k.a 呉羽漣 (@zomzom1974) 2018年2月20日 zomzom1974さんから「自分のような中途半端になってしまった人にもぜひ言及して頂きたいです。」というコメントをいただいたので、少し言及してみる。なお、ここから先に書く「何者」の定義は、fujiponさんのブログ記事と一致しているわけではないし、なにか役に立つことを言ってみたいわけでもないことは断っておく。 「何者かになれた/なれない」はニーズの一致・不一致次第 fujiponさんのブログ記事でいう「何者」のなかには、界隈の第一人者とか、名声を獲得したとか、そういったニュアンスが含まれているように読めた。そういうニュアンスで考えるなら、第一人者

    「何者にもなれない」の正体と、中年期以降の約束事について - シロクマの屑籠
  • あなたの人生はまだ詰んでいない可能性が高いし、一発逆転とかないですよ、、と。|けんすう

    質問箱というサービスを使っているのですが、多くの質問をいただいております。未返信が1000件を超えちゃいましたが、気が向いた時に返信しています。 で、どんな質問が多く来るかというと、たとえば「プログラミングを学びたいけどどうすればいいのか」「やりたいことが見つからないけどどうしたらいいか」とかです。 これ、毎回答えてたんですが、あまりに同じのが来るので放置するようにしちゃいました、、すいません。 で、多い質問の中に「フリーターだ / 受験失敗した / ニートだ」という前提の元、「人生詰んだけどどうしたらいいか」「一発逆転をするにはどうしたらいいのか」というやつです。 これは結構答えに困っちゃうんですよね。というのも、一発逆転って、要はミラクルみたいなもんなので、あまりにハイリスク的すぎてすすめられません。一発逆転をしようとすると「消費者金融で金を借りまくって全額、暗号通貨にぶち込む。利益が

    あなたの人生はまだ詰んでいない可能性が高いし、一発逆転とかないですよ、、と。|けんすう
  • 何もできない自分が情けない!人生を諦める方法!イラストを添えて - 人生の物語を楽しむブログ!ネガティブ・ライト

    人生を諦めようかな」と思ったことある人はいますでしょうか。 僕はあります。何度も何度も。挫折さして新しいことに挑戦し挫折しての繰り返しです。 僕にはできないことが多すぎる。 「なぜ親にできないことを強いられてきたのだろう」「なぜ弟よりできないのだろう」「なぜ友達はできない僕と遊んでくれるのだろう」「なぜ仕事ができないのにクビにならないのだろう」 喪失感や劣等感に苛まれてきました。 そのたびに人生諦めたくなりました。 一回、上司に聞いたことがあります。 「僕って会社に必要ですか?何でクビにならないんてすか?」 すると上司はこう答えます。 「俺もできないから同じだよ、気にするな」 相談する相手を間違えました。 僕は傷の舐め合いをしたいわけではありません。 同情もいりません。「あいつより全然マシ」と言われることもありますが比較もされたくないです。そもそも自分が一番できないと思っているので”あい

    何もできない自分が情けない!人生を諦める方法!イラストを添えて - 人生の物語を楽しむブログ!ネガティブ・ライト
  • 自己責任と社会責任の両方の意識をバランス良く持っていたほうが良い - ゆとり男とミニマリストの融合ブログ

    どうもたんたん(@tantan4423)です。 最近ベーシックインカムの勉強をしていると、貧困は個人の責任だけだと感じなくなる事が多いです。 まぁ個人的な考えとしては自己肯定出来ないような風潮や教育に問題があると思っています。 結果として貧困になってしまったこともあるかもしれないです。 今回の記事では、自分や社会が100%悪いと言ったことはほとんど無いという事を伝えていきたいと思います。 自分の人生だから自分で責任を取るのが基 自己責任を追求しすぎると病んでしまう 他人、社会のせいにしすぎても無責任過ぎる 自分にちょうどいいバランスを探していく 自分の人生だから自分で責任を取るのが基 自己責任と他人や社会のせいにする比率として半分半分にするということが大事です。 偏りすぎた考え方は、逆に生きにくさにも繋がてしまいます。 自分の責任と感じてしまいすぎたら病んでしまいますし、人のせいにする

    自己責任と社会責任の両方の意識をバランス良く持っていたほうが良い - ゆとり男とミニマリストの融合ブログ
  • 損得勘定する奴が一番損をする、それが人生の大原則 - xevra's blog

    損得勘定ばかり必死にやる奴の末路はいつも悲惨だ。人は結婚し、子供を儲けて初めて完成する。未完成の方が得だと考える時点で生きてる価値がない。/追記がまさにダメ人間。人生の問題を損得で考えるな。目を覚ませ / “今の時代に女が結婚す…” https://t.co/iUK7DiAFxC — Xevra Lindich (@xev_ra) 2017年6月3日 この増田もそうだし、増田に賛同ブコメしてる馬鹿どもが余りに情けないのでエントリを起こす。 人生とは他の人とどれだけ心豊かな時間を共有できるかと言う営みだ。愛する人と、気の置けない友達と、志を共にする仲間と、充実して濃厚な心の交流をどれだけできるかの旅なのだ。この心の交流には損得勘定など無い。むしろお互い損得勘定なく心からぶつかるから心豊かな時間ができるのだ。 これが人生の大原則。豊かで充実した人生の基中の基だ。 ところが当該の馬鹿どもはこ

    損得勘定する奴が一番損をする、それが人生の大原則 - xevra's blog
  • 自己と他者と比較しないために。自分だけが熱狂できるブルーオーシャンをつくりだす。

    昨日、こんなツイートをしました。 とても共感する。他者との比較は不毛だけど、自分の中の物足りなさからくる“幸せじゃない”感は、更なる優越性の追求に繋がるから大切にするべき感情だと思う。:「足りなさ」がない人生はきっと進歩もない<生き方を仕事にする方法>はあちゅう https://t.co/TWlmhRPIMz — 鳥井 弘文 (@hirofumi21) 2017年5月15日 すごく素敵な内容だったので、ぜひリンク先の記事も読んでみてください。 さて今日は、「どうやったら他者と比較する不毛から抜け出すことができるのか」そんな話について少し書いてみようかなと。 自己と他者の優劣を比較してしまう原因。 僕たちはどうしても、自己と他者の優劣を比較してしまいがちです。 「あの人は自分と同じ経歴なのに、これだけいい成績を出している」とか、「あの人は自分と同じ能力なのに、これだけ稼いでいる」とか。 同じ

  • ちゃんと自己決定してきたか? - Chikirinの日記

    人生において決定的に大事なこと。 それは、これまでちゃんと「自己決定してきたか?」 いまもちゃんと「自己決定しているか?」ってことでしょう。 人生 80年、もしかしたら 100年かもしれないし、もっとずっと短いかもしれません。 その長さがどうであれ、「問題がひとつも起こらない完璧な人生」なんて存在しません。 どんなに金持ちの家に生まれても、 どんなに容姿や才能に恵まれても、 想像もしていなかった事態に遭遇すること、 必死で頑張ってるのに、まったく思うように進まないこと、 なんで私に? なんで我が家に? と思えるような不幸が襲ってくることは、 必ずあります。 だけど、そういう時、 それでもなんとか一歩でも前に向かおう、という気持ちを支えてくれるのは、 「自分は人生を自分で決めてきた。自分で選んできた。 たくさん考え、 たくさん悩み、 たくさんの反対意見や不安に取り囲まれる中で、 最後はきちん

    ちゃんと自己決定してきたか? - Chikirinの日記
  • 娘へ ~将来死にたくなったらコイツを読め~ - ひつじのブログ

    幸い、娘はその後幼稚園には普通に通っています。 しかしどんな気持ちで毎日暮らしているのか当の心の内はわかっていません。 もうイジメ問題が他人事ではないと感じました。 ボクは、いじめる側が悪いとか、いじめられる側にも問題があるとか イジメに気づいていながら止められない学校側が悪いんだとか 責任論について語りたいわけではありません。 生物が生存競争をするよう遺伝子レベルで定められているのなら 同じ年齢層を同じ場所にぶち込んだ状況下において 個体の強い弱いでイザコザが起きないわけはないと思います。 イジメは集団生活をする生物において起きて然るべき事象なのかもしれないと 考えてしまいます。 ただ、現在進行形でイジメやその他諸々の事情によって 今も苦しんでおられる方は、きっと視界も狭くなっていて もう周りの人間のどんな声にも心は動かない、決して心が楽にならないという事は 想像できます。 全知全能の

    娘へ ~将来死にたくなったらコイツを読め~ - ひつじのブログ
  • 自分の不幸は自分で選んだもの。自分の幸せは「いまここ!」で決まる | MIYAIRO

    以前、何かのを読んだ時に 今あなたが不幸であるのは 自分の手で「不幸であること」を選んだから というのをみました。 いろんな苦しい事、つらい事はあるけれど 決して不幸の星の下に生まれたからではないということです。 やりたことはやる! 当であれば自分の人生どのように生きるか選ぶことができます。 けれど、子供の頃から義務教育である学校へ行き、みんなと同じ時間割で同じ勉強をして、 大学へ行って会社へ就職をし、毎日会社から与えられた仕事をこなすために、深夜まで残業をして… そんな風に当は選ぶことができるはずなのに、無意識に自然にその道に進んでしまっている。 自分で選んでいるつもりでも、決められた選択肢の中で「選ばされている」のではと思います。 社会の中で、周りの人と比べてしまい、自分はどうみられているのか。 そんな事を考えて自分の人生を他人に委ねてしまっている気がします。 自分が楽しいと思え

    自分の不幸は自分で選んだもの。自分の幸せは「いまここ!」で決まる | MIYAIRO
  • 希望を持つことの残酷さ。 - NIKKY

    2016 - 12 - 04 希望を持つことの残酷さ。 自分がずっと追い求めてきた幸せがこれまで 掴めたと思ったら何度も潰されてきた。次第に自分が握りつぶしていた錯覚に襲われるようになって、掴むのを避けるようになっていった。無我夢中になってカエルを捕まえに追っかけて、やっと捕まえたと思ったら力を入れすぎてカエルを殺してしまった時のようなあの恐怖感。やっと捕まえることのできた幸せもカエルも私が握りつぶして殺してしまっていたのだ。それならば遠くから眺めている方が安心する。しかしいざ自分に寄ってこられると不安になる。殺しちゃうかもしれないよ?いいの?だめでしょ?…急にふと消えたくなってしまう。後悔することがわかっていながら、自分を不幸にして後悔させたがる悪い自分がいる。腕を切ることをやめても精神的 リストカット はまだ治らない。生きることに希望を抱くことができても社会的な障害がたくさんある。仕事

    希望を持つことの残酷さ。 - NIKKY