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日本と内田樹に関するsizukanayoruのブックマーク (57)

  • 「天皇主義者」宣言について聞く――統治のための擬制と犠牲 - 内田樹の研究室

    『福音と世界』8月号に天皇制についてのインタビューが掲載された。 キリスト教系の月刊誌なので、当然天皇制については批判的である。そこにレヴィナスの時間論を連載しているわけなので、「天皇主義者」を名乗った真意はいずくにありやということでロングインタビューを受けることになった。かなり手厳しく問われたけれど、これくらい攻めてもらった方が僕の真意は伝わりやすいかもしれないと思う。 以下文 2016年8月、平成天皇はいわゆる「おことば」を発表し、高齢のため「象徴天皇」としての務めを担うことが難しくなっている旨を述べた。これを受けて誌で「レヴィナスの時間論」を連載中の内田樹氏(武道家、哲学者)は、この「おことば」が「象徴天皇」の役割をはっきりと述べた画期的なものであると高く評価し、現在の日で象徴天皇制は「統治システム」として非常によく機能していると考えるに至った、と表明した(「私が天皇主義者にな

  • 『街場の憂国論』文庫版のためのあとがき - 内田樹の研究室

    文庫版のためのあとがき みなさん、こんにちは。内田樹です。 文庫版お買い上げ、ありがとうございます。お買い上げ前でこの頁を立ち読みしているかたにも「袖すり合ったご縁」ですので、ひとことご挨拶を申し上げます。できたら、この「あとがき」だけ読んでいってください。 この文章を書いているのは2018年の3月です。 少し前の頁にある「号外のためのまえがき」が時間的には収録されたものの中で一番新しいテクストですが、その日付は2013年12月10日です。ということは、それを書いてから今日まで4年半が経ったということです。 その間に何があったか。 巻末に僕が不安げに予測した通り、「現在の自民党政権は、彼らの支配体制を恒久化するシステムが合法的に、けっこう簡単に作り出せるということ」を特定秘密保護法案の採決を通じて学習しました。その結果、2014年夏には集団的自衛権行使容認の閣議決定があり、2015年夏には

  • 天皇制についてのインタビュー - 内田樹の研究室

    『月刊日』今月号に天皇制についてのインタビューが掲載された。このトピックについて長い話をしたのはこれがはじめてなので、ここに再録しておく。 ―― 昨年8月8日の「お言葉」以来、天皇の在り方が問われています。死者という切り口から天皇を論じる内田さんにお話を伺いたい。 昨年のお言葉は天皇制の歴史の中でも画期的なものだったと思います。日国憲法の公布から70年が経ちましたが、今の陛下は皇太子時代から日国憲法下の象徴天皇とはいかなる存在で、何を果たすべきかについて考え続けてきました。その年来の思索をにじませた重い「お言葉」だったと私は受け止めています。 「お言葉」の中では、「象徴」という言葉が8回使われました。特に印象的だったのは、「象徴的行為」という言葉です。よく考えると、これは論理的には矛盾した言葉です。象徴とは記号的にそこにあるだけで機能するものであって、それを裏付ける実践は要求されない

  • 日弁連での講演の「おまけ」部分 - 内田樹の研究室

    日弁連の勉強会で「司法の役割と現代」というお題で講演をした。なが~い講演だったけれど、最後のほうで質疑応答があったので、その部分だけ採録(ただしコピーライトの関係で僕がしゃべった回答部分だけで、弁護士のかたたちからの質問はカット)。 【第一の質疑】 後の質問からお答えします。 道場やっていて、道場ではほぼ毎日稽古しています。それとは別に週に一回、寺子屋ゼミをやっています。これは大学院の授業の延長で、どちらでもいつでもお入りになれます。どなたでも、年齢制限はございません。 前の方の質問ですけれども、日は反知性主義に支配されているというと、「じゃあ支配している人がいるんですね」というお話になりましたけれども、これは論理的には成立しません。ある破局的な事態が起きたときに、この事態を制御している人間がいると推論することはできません。すべてをマニピュレイトしている「オーサー」が存在するというのは、

  • ルモンドの記事から(天皇退位について) - 内田樹の研究室

    L’abdication de l’empereur évoquée LE MONDE | 14.07.2016 à 07h37 天皇は退位の意向を持っていないと7月13日水曜日夕刻に宮内庁は断言した。同日の早い時間に、公共放送NHK共同通信は数年以内に明仁が退位する可能性があることを報じた。 1989年に即位し、現在82歳になる天皇は、政府筋によると、以前から「この地位にあるものが果すべき責務」を十全に担い得る者に譲位したいという意向を洩らしていた。 「退位はない」と同日夜に宮内庁の山信一郎次長は述べた。だが、観測筋によると、これほどのニュースが確かな筋からの裏づけなしにNHK共同通信から報道されることはありえないという。さきに五月に宮内庁は君主の公務の削減を発表していた。 この情報の裏づけが取れれば、これは明仁の直系の祖である光格天皇(1771~1840)が1817年に退位して以

  • 日本はこれからどこへ行くのか - 内田樹の研究室

    先日若い研究者たちと話したときに、自分の立ち位置はどこかということが話題になった。私は自分の立ち位置を「大風呂敷を広げること」だと思うと言った。「屋」、人はそれぞれ自分の得意なスタイルで研究すればよいのではないかと申し上げた。 私は若いときからいつも「ウチダの論文は、話は面白いが論証が雑だ」と批判され続けてきた。その通りなので反論したことがない。でも、「面白い話」を思いつくと、どうしても黙っていることができないのである。 助手の頃、フランスの文芸理論家モーリス・ブランショがナチ占領下のパリで出した『文学はいかにして可能か?』という文体論を「検閲を逃れるために暗号で書いた自らの30年代の政治活動に対する総括」だという仮説から逐語的に読み直すという大風呂敷論文を書いたことがあった。学界では「バカなことを言うな」と一笑に付されたが、その後ブランショ自身が「あれは暗号で書いた政治論文である」

  • 朝日新聞インタビュー(ロング・ヴァージョン) - 内田樹の研究室

    朝日新聞にインタビューが掲載された。 市民連合の新宿西口街宣でも、だいたい同じようなことを話した。 「街宣でのスピーチをブログに採録してほしい」というリクエストがあったので、新聞掲載のインタビューに、今日話したことをすこし加筆して以下に掲げる。記者の質問に私が答えたところだけ。 今は移行期です。地殻変動的な移行期の混乱の中にある。グローバル資主義はもう限界に来ています。右肩上がりの成長はもう無理です。収奪できる植民地も第三世界ももうないからです。投資すべき先がない。だから、自国民を収奪の対象とするようになった。貧者から吸い上げたものを富裕層に付け替え、あたかも成長しているかのような幻想を見せているだけです。 若い人の賃金は下がる一方で、法人税を下げ、株の配当が増やしている。ぼくのまわりでも、株をやっている人とやっていない人では、安倍政権に対する評価が正反対です。株をやっている人からすれば

  • 反知性主義3 Part 2: 内田編『日本の反知性主義』:白井総の文は、無内容名同義反復。他の文は主に形ばかりのおつきあい。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    はい、まだ反知性主義の話は続きます。第3部を前編と後編にわけるなんて、最近の無内容を引きのばそうとする『トワイライト』とか『ホビット』『ハリポタ』『ハンガーゲーム』みたいでいやなんだけどさ、お金とるわけじゃないし、どうせ読む側もあんまり長いのは飽きるでしょ?(といいつつ、今回もえらく長いんだけど) ブレイキング・ドーンPart2/トワイライト・サーガ [DVD] 発売日: 2013/10/25メディア: DVD これまでの話は以下の通り: 反知性主義1:ホフスタッター『アメリカの反知性主義』は、知識人のありかたを深く考えていてとってもいいよ 反知性主義2:森『反知性主義』は、アメリカに限ったまとめとしてはまあまあ 反知性主義3 Part1; 内田編『日の反知性主義』の編者による部分は変な思いこみと決めつけだらけ 白井の文は、グローバリズムとかポストフォーディズムとか聞きかじりだけで並べ

    反知性主義3 Part 2: 内田編『日本の反知性主義』:白井総の文は、無内容名同義反復。他の文は主に形ばかりのおつきあい。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • 反知性主義3 Part 1: 内田編『日本の反知性主義』は編者のオレ様節が痛々しく浮いた、よじれた本。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」

    しばらく間が空いた。で、反知性主義についての簡単なお勉強を経て、ぼくが手に取ったのは『日の反知性主義』だった。 このの題名は、明らかに『アメリカの反知性主義』を意識しているようだ。その一方で、この面子を見ると、ぼくが冒頭に挙げた『現代思想』の執筆者と重なるようであり、「反知性主義」を「バーカ」の意味で使う連中の集団のようにも思える。で、どうなのよ? それがぼくの興味だった。が、その前に…… 「反知性主義」をちがう意味で使ってはいけないの? まず、そもそも「反知性主義」を「バーカ」の意味で使ってはいかんのか? ぼくはそうは思っていない。ぜんぜん構わないと思う。ただ、その場合にはホフスタッターとかを引き合いに出してはいけない。まるで意味がちがうからだ。 なぜか? ホフスタッターのは、名著とはいえ決してだれでも知っているメジャーなではない。ぼくはたまたま、漠然とホフスタッター的な意味合い

    反知性主義3 Part 1: 内田編『日本の反知性主義』は編者のオレ様節が痛々しく浮いた、よじれた本。 - 山形浩生の「経済のトリセツ」
  • Japan Times の記事から「日本の厄介な歴史修正主義者たち」 - 内田樹の研究室

    海外メディアは連日安倍政権の歴史修正主義と国際的孤立について報道している。 ドイツの新聞に対してフランクフルト総領事が「親中国プロパガンダン」と抗議したことが、世界のジャーナリストたちに与えた衝撃を日の外務省も日のメディアも過小評価しているのではないか。 日では「政治的主人たち」(political masters)に外交官もジャーナリストも学者も無批判に屈従しているのが、外から見るとどれほど異様な風景なのか、気づいていないのは日人だけである。 日の厄介な歴史修正主義者たち(Japan Times, 14 April) by Hugh Cortazzi(1980-84 英国駐日大使) 日の右翼政治家たちは海外メディアの報道を意に介さないでいる。彼らが外国人の感情に対する配慮に乏しいのは、外国人を蔑んでいるからである。 右翼政治家たちは日をすべての面で称讃しない外国人、日の歴

  • ドイツのあるジャーナリストの日本論 - 内田樹の研究室

    ドイツのある新聞の東京特派員が過去5年間の日の政府と海外メディアの「対立」について記事を書いている。 安倍政権の国際的評価がどのようなものかを知る上では貴重な情報である。 でも、日国民のほとんどは海外メディアが日をどう見ているのかを知らない。 日のメディアがそれを報道しないからである。 しかたがないので、私のような門外漢がドイツの新聞記者の書いたものをボランティアで日語に訳して読まなければならない。 このままでは「日で何が起きているのかを知りたければ、海外のメディアの日関連記事を読む」という傾向は止まらない。 そんなことまで言われても日のジャーナリストは平気なのか。 「ある海外特派員の告白 5年間東京にいた記者からドイツの読者へ」 Carsten Germis さて、荷造りも終わった。ドイツの日刊紙Frankfurter Allgemeine Zeitungの特派員として東

  • 『日本の反知性主義』のまえがき - 内田樹の研究室

    『日の反知性主義』は3月刊行予定。編者として「まえがき」を書いたので、それを掲載しておきます。 どういう趣旨のなのか、その緊急性は何か、それをぜひご理解ください。 編者のまえがき みなさん、こんにちは。内田樹です。 書、『日の反知性主義』は昨年の『街場の憂国会議』に続いて、私がその見識を高く評価する書き手の方々に寄稿を依頼して編んだアンソロジーです。書の企図が何であるかは昨夏に発送した寄稿依頼の書面に明らかにされております。それを再掲して、書編纂の意図を示しておきたいと思います。まずそれをお読みください。 私たちは先に晶文社から『街場の憂国会議』を刊行しました。これは特定秘密保護法の国会審議においてあらわになった立憲政治、民主制の危機について、できるだけ多様な視点からその文脈と意味を考察しようとした試みでした。不肖内田がその編著者を拝命いたしましたが、多くのすぐれた書き手の方に

  • 憲法の話 - 内田樹の研究室

    5月3日は憲法記念日なので、いろいろなところから憲法についてコメントを求められる。 一つは毎日新聞の「水脈」に書いた。 今日の夕刊に掲載されるはずだが、一足お先に公開しておく。 改憲の動きが進んでいる。一部の世論調査では、国民の6割が改憲に賛成だそうである。大学のゼミでも「もうすぐ憲法が改正されるんですよね」とあたかも既成事実であるがごとくに語る学生がいて驚かされた。 九条第二項の政治史的意味についての吟味を抜きにして、「改憲しないと北朝鮮が攻めてきたときに抵抗できない」というような主情的な言葉だけが先行している。 私は改憲護憲の是非よりもむしろ、憲法改定という重大な政治決定が風説と気分に流されて下されようとしている、私たちの時代を覆っている底知れない軽薄さに恐怖を覚える。 改憲とは要すれば一個の政治的決断に過ぎず、それが国益の増大に資するという判断に国民の過半が同意するなら、ただちに行う

  • 日本語壊滅 - 内田樹の研究室

    産経新聞が「大丈夫か日語」というシリーズ記事を掲載している。 たいへん興味深い記事があったのでご紹介したい。 まずは携帯メールによる語彙の変化についての研究報告。 日大学文理学部の田中ゆかり教授(日語学)は「(携帯メールのコミュニケーションで)新たな語彙を獲得するのは難しい」とみる。そこでのやりとりは親密な間柄の「おしゃべり」に限られるからだ。丁寧な言い回しや敬語といった配慮表現が絵文字や記号に取って代わられることも多く、言葉を尽くして伝える訓練にはならない。 「短文化」も加速している。田中研究室に在籍していた立川結花さんが平成17年、大学生の携帯メール約400件を分析したところ、1件平均の文字数は約30字で、5年前の調査結果の3分の1にまで減っていた。 「相手に悪く思われないためには、30秒以内に返信するのが暗黙のルール。送受信の頻度は上がり、極端な場合、1文字だけのメールがやり取

  • 辺境で何か問題でも? - 内田樹の研究室

    次々といろいろな人がインタビューに来るので、誰にどんな話をしたのか忘れてしまう。 昨日は Sight という雑誌のインタビュー。 ロッキングオンの姉妹誌だというので、ポップスの話でもするのかなと思って待っていたら、ポリティカル・イシューの専門誌だった。 渋谷陽一くん(別にともだちじゃないけど、なんとなく同世代的タメ口が許されそうな・・・)は「これからは政治の季節だ」ということで Sight の誌面を刷新したそうである。 その意気や善し。 先月号のラインナップを見たら、特集が憲法で、巻頭インタビューが吉隆明。高橋源一郎と斎藤美奈子の対談。藤原帰一、小熊英二のインタビューなどなど「60年代テイスト」のまさったメニューである。 インタビューにいらしたのは副編集長の鈴木あかねさん。 私はインタビュアーのご要望に合わせて話す内容をころころ変える迎合タイプのインタビュイーなので、穏健で謙抑的なことを

  • ショコラ・リパブリック言語論 - 内田樹の研究室

    学校に行く途中、二号線沿いにチョコレート屋の開店の看板が出ていた。 Chocolat Republic 「ショコラ・リパブリック」と読みながら、「変なの」と思った。 「チョコレート共和国」というのを英語で書くなら Chocolate Republic だろうし、フランス語で通すなら République du chocolat とかRépublique chocolatée(あ、これいいな「チョコレートフレイバーの共和国」)であろう。 どうしてこういうデタラメな表記をするのであろう・・・と学者にありがちな定型的な反応をしたあとに、いや待てよと思った。 「こういうデタラメな表記」がすらすらとできるのはもしかすると日人だけではないのか。 ある種の錯誤行為が「すらすらとできる」というのはあるいは能力の一種と言ってもよろしいのではないか。 そう思い至ったのである。 しかし、それは一体どのような能

  • 日本語って変かも - 内田樹の研究室

    大学院のゼミ、今季は「日辺境論」である。 日の地政学的辺境性あるいは文明論的辺境性という補助線を引くことによって、日の「ありよう」を再解釈しようという野心的な企てである。 第一回目の発表はイハラさんの「外来語」。 これはなかなかすぐれた着眼点である。 というのは、日語は外来語に対して、世界の諸国語の中でも例外的に開放的な言語だからである。 原日語(大野晋先生によれば、もとはタミル語だそうであるが)に漢字が入り込み、さらに近代になってヨーロッパの言語が入り込んできた。 私たちの使う言語には、それらが混在している。 どうして、漢字カタカナひらがな alphabet が並存するような言語が成り立ちうるのか。 こういうことは、あまりに当たり前なので、ふだんは私たちはあまり考えない。 それについて考えてみる。 このタイプの混淆言語は巨大な文明圏の周辺部分に生まれる。 朝鮮半島もインドシナ半

  • 抑止力と付加形容詞について - 内田樹の研究室

    在日米軍再編が進んでいる中で、米側が日政府に沖縄の海兵隊の移転計画を明らかにした。 海兵隊司令部と遠征部隊は沖縄に引き続き駐留するが、陸上部隊の大半はグアムなど国外移転する。 06年のロードマップでは司令部も国外転出の予定であったが、軍備拡張を進める中国を牽制するかたちで司令部のみ残留ということになった。 これについて3月2日の毎日新聞は「日側は、陸上部隊の国外移転で抑止力が低下しないかなどを慎重に見極めている」と書いている。 徴候的な書き方だと思う。 「抑止力が低下しないか」が問題だと言う。 抑止力とは何のことか。 ふつうは、こういう文脈では使わない言葉である。 英語ではdeterrent と言う。「引きとどめるもの、妨害者」というのが原義だが、 軍事用語では要するに「核兵器」の迂回的表現のことである。 あまりに迂回的なのでわざわざ「核抑止力」(nuclear deterrent)と

  • 教育基本条例再論(しつこいけど) - 内田樹の研究室

    『赤旗』の取材。大阪のダブル選挙と教育条例について。 教育条例に反対する「100人委員会」の呼びかけ人に私が入っているので、意見を徴しに来られたのである。 教育条例に反対する人たちにはいろいろな立場があり、私のような「教育への市場の介入と、グローバリスト的再編そのものに反対」という原理主義的な反対者はおそらく少数(というかほとんどいない)のではないかと思う。 マスメディアと保護者のほぼ全部と、教員の相当部分は「学校教育の目的は、子供たちの労働主体としての付加価値を高め、労働市場で『高値』がつくように支援すること」だと思っている。 私はそのような教育観「そのもの」に反対している。 この100人委員会にも、私に原則同意してくれる方はほとんどいないだろうと思う。 メディアでも、教育条例の区々たる条文についての反論は詳しく紹介されるが、私のようにこの条例を起草した人間の教育観(「学

  • アンケートの続き - 内田樹の研究室

    若者と雇用について、アンケートに回答したら、さらに続きの質問が来た。 Q4 「人参と鞭」の教育を突き進めてきた米国であのような大規模なデモが起こっているのはなぜなのでしょうか? 日とはどこが違うのでしょうか? 日は戦後、米国から教育や民主主義の概念など多くを学び、米国的価値観をよしとしてきました。その日では連帯せず、米国では拡大している。この差についてどうとらえたらいいのか、ぜひ教えて下さい。 戦後日で大きな社会運動が起きたのはすべて「反米ナショナリズム」の運動としてです。 外形的には「左翼」主導の運動でしたので、質は見えにくいですが、そうなのです。 内灘闘争以来の反基地運動、60年70年の二次にわたる安保闘争、佐世保羽田に始まるベトナム反戦戦争などなど・・・巨大な動員をもたらした社会的な異議申し立ての運動はすべて質的には反米闘争(すなわち「日の主権回復闘争」)として行われま