大著にも見える宇野常寛『母性のディストピア』(参照)の基本テーマは、意外に非常に単純なものだと理解する。表題が示す「母性のディストピア」をどのように克服するか?ということだ。 ここにはだが、微妙に自明とされているだろう前提がある。「日本の」ということだ。単純に言ってしまえば、本書は、日本論であり、戦後日本論である。別の言い方をすれば、著者は嫌がるのではないかと思うが、「日本はどうあるべきか」とまで還元できるかもしれない。そして、そうしてみてまず私の脳裏に浮かぶことは、その「日本の」という問題フレームワークについて、「そんなのどうでもいいや」ということだ。投げやりなトーンになってしまうが、投げやりなことが言いたいのではない。「日本の」を冠する問題フレームワーク自体が疑似問題ではないかと思う。なんとなれば、それは日本人だけが問われているのであり、その日本人は、つまるところ、この「母性のディスト