タグ

bookと宇野常寛に関するsizukanayoruのブックマーク (11)

  • [書評] 母性のディストピア (宇野常寛): 極東ブログ

    大著にも見える宇野常寛『母性のディストピア』(参照)の基テーマは、意外に非常に単純なものだと理解する。表題が示す「母性のディストピア」をどのように克服するか?ということだ。 ここにはだが、微妙に自明とされているだろう前提がある。「日の」ということだ。単純に言ってしまえば、書は、日論であり、戦後日論である。別の言い方をすれば、著者は嫌がるのではないかと思うが、「日はどうあるべきか」とまで還元できるかもしれない。そして、そうしてみてまず私の脳裏に浮かぶことは、その「日の」という問題フレームワークについて、「そんなのどうでもいいや」ということだ。投げやりなトーンになってしまうが、投げやりなことが言いたいのではない。「日の」を冠する問題フレームワーク自体が疑似問題ではないかと思う。なんとなれば、それは日人だけが問われているのであり、その日人は、つまるところ、この「母性のディスト

  • 【特別寄稿】宇野常寛「あなたはなぜ『母性のディストピア』を読むべきか」 | PLANETS/第二次惑星開発委員会

    10月26日(木)、宇野常寛待望の新著『母性のディストピア』が発売になりました。「新しい思考」の場となることを期待されていたはずのインターネットは、いまや自尊心を守るために他人を叩くための場となってしまいました。宇野がこの卑しさを解き放つ活路を見出したのは、アニメ、ゲームアイドルについて語ることでした。人々の欲望にまみれた市場の中の表現にこそ世界の真実が露呈する。宇野が思いのたけをぶつけた書き下ろし原稿を全文無料公開でお届けします。 この1ヶ月あまり、いろいろなことがありすぎた。 ご存知の方も多いと思うのだけど、僕は先月末に2年半レギュラーを務めたテレビ番組をクビになった。この1年、日テレビは僕の発言(特に政治的な発言とマスコミへの批判)を押さえ込みたくて仕方なかったらしく、ちょくちょく衝突を繰り返していた。特に決定的だったのがアパホテルの出版した歴史修正主義への批判だ。誰がどう呼び出

    【特別寄稿】宇野常寛「あなたはなぜ『母性のディストピア』を読むべきか」 | PLANETS/第二次惑星開発委員会
  • [書評]リトル・ピープルの時代(宇野常寛): 極東ブログ

    「リトル・ピープルの時代」(参照)で宇野常寛が展望する現在世界の見取り図は、理解しやすい簡素な構図で出来ている。 1948年にジョージ・オーウェルが著した「1984」(参照)の「ビッグ・ブラザーの世界」は、2009/2010年に村上春樹が「1Q84」(参照)で描いた「リトル・ピープルの時代」に変貌したということだ。では、ビッグ・ブラザーとはなにか。リトル・ピープルとはなにか。 ビッグ・ブラザー(偉大なる兄弟)は、オーウェルの脳裏ではスターリンだった。有田芳生氏の名前の由来となった「ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)」である。同志スターリンとも呼ばれたものだった。その他に毛沢東もビッグ・ブラザーであり、金正日もそうだ。カダフィーもそうだと言ってよい。大衆の前に写真で大きく掲げらる。全体主義国家の独裁者と理解されることが多い。 だが独裁的な国家の内側では慈父として信奉される。ある

    sizukanayoru
    sizukanayoru 2016/03/05
    リトルピープルは個別の些末な世界観を奉じているにも関わらずビッグブラザーを憧憬しそれがかなわぬがゆえ小集団化しセクト化しさらなる焦りから小さな物語を大きな物語だと勘違いし各種の奇矯な言説をわめきたてる
  • Amazon.co.jp: ゼロ年代の想像力: 宇野常寛: 本

    Amazon.co.jp: ゼロ年代の想像力: 宇野常寛: 本
  • 『ゼロ年代の想像力』読みました。 - 感情レヴュー

    ゼロ年代の想像力 作者: 宇野常寛出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2008/07/25メディア: ハードカバー購入: 41人 クリック: 1,089回この商品を含むブログ (263件) を見る宇野常寛氏が『ゼロ年代の想像力』でテーマにしたのは、価値観の流動化・多様化を背景にした、内向的なロマン主義から暴力的な決断主義への歴史的以降、あるいはその両者の、コインの裏表的カップリングという問題系である。これは、ナチスの近傍にいた法哲学者カール・シュミットとそれを批判的に問題にしたカール・レーヴィット以来、近代の古典的なテーマであることは、ここで改めて確認しておきたい。 もちろん日でも直接間接にしばしば問題にされてきた。とくにポストモダンとか「近代の超克」が取り上げられた1990年代には、現代思想周辺で盛んにクローズアップされている。その関係でデリダ(『法の力』)、ベンヤミン、ハイデガー、

    『ゼロ年代の想像力』読みました。 - 感情レヴュー
  • http://d.hatena.ne.jp/Siliqua_alta/20080909/1220898356

  • 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』 - logical cypher scape2

    まず全体的な感想としては、面白かったし、方向性としても納得というか共感した。 しかし、読みながら、色々と批判したくなってくるのは何故なんだろうか。 とりあえず、以下、こののまとめと読みながら思った事を書いていくつもりだが、その中には「ここがおかしい」というものも含まれる。ところが、色々考えていると、それって単なる重箱の隅を突いているだけのように思えてしまう。重箱の隅つつきは面白くないよな、と思うので、あんまりしたくないのだが、何故かそういうものばかりが、読んでいてチラチラと頭をよぎるのである。 これは、このが、読んでいて自分のことを批判されているような気分にさせられるだからではないか、と思う。 重箱の隅を突きたくなるのは、図星だからなのであろうか。一方で、いや別に、この批判は俺のことを言っているわけじゃないなんだから、そんなに焦らなくても大丈夫、と思ったりもする。 それから、あとでも

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』 - logical cypher scape2
  • ナルシシズムの変質? - 仮想算術の世界(福嶋亮大)

    宇野常寛さんの『ゼロ年代の想像力』の書評などいろいろ書いてました。書評は来月掲載される予定です。 宇野さんのは、連載で読んでいたときとはだいぶ印象が違って、いろんな意味で面白かったし刺激になりました。「雑誌で読んだし、買おうかどうしよう」と思っている方は、一度書店で手に取られることをおすすめしておきます。決して社交ではなく(笑)これは読まれるべき力作です。 ただ、書評を書くのはかなり大変でした。発売前からこんなにネットで「書評」が出てるは他にないし、一応最初はネット上の言論をチェックしようと思っていたのですが、とても把握しきれないので諦めたというのが実情です。というか、そういう新しい言論空間こそが宇野現象の質だと思うので(ちなみにニコ動と初音ミクとらき☆すたと宇野常寛は同じ何かを共有しているというのがぼくの考えなんですが)、書評もそのあたりに触れつつ書いています。 * それで

    sizukanayoru
    sizukanayoru 2010/03/14
    "むかし浅田彰氏の『構造と力』が出たときに、森毅が「日本で5000部以上売れる本はぜんぶ人生本」という意味のことを言ったことがあります"( ..)φメモメモ
  • 宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義 - 韓流好きなtanakaの過疎日記

    何度もアマゾンのおすすめに出てきたのでたまたま書店で手に取る。毎回思うが、「時代」を語る上で必修である経済問題に対する想像力というか理解というか知識というかが、この種の論者には決定的に不足していることだ。 それは単純に不勉強だからだろう。どんなに取り繕ってもこの不勉強は今後この若い論者の可能性の足枷になる。人が「時代」と格闘しようとすればするだけこの取り繕いが彼の論説の限界を設定していく。それは高原基彰氏にも感じたことだ。それは残念なことだ。いや、むしろ僕はその不勉強ぶりを少し怒ってもいる。 例えば、その想像力、理解、知識の不足をなんとか補っても、話はよくあるパターン(小泉政権がもたらした構造なんとかのなんとか変化というベタなストーリー)に落ち込むのがせきのやまだろう。 以下に引用するように、「想像力、理解、知識の不足」は、例えば書の基的な認識を奇妙なものにするのに十分である。 「こ

    宇野常寛『ゼロ年代の想像力』と山形・稲葉の新教養主義 - 韓流好きなtanakaの過疎日記
  • 『ゼロ年代の想像力』という“スタート地点” - シロクマの屑籠

    (※この文章は、それほど多くはネタバレを含みません。ネタバレを踏まえた文章は、後日何かの形で書くと思います) ゼロ年代の想像力 作者: 宇野常寛出版社/メーカー: 早川書房発売日: 2008/07/25メディア: ハードカバー購入: 41人 クリック: 1,089回この商品を含むブログ (264件) を見る ゼロ年代の想像力をやっと読み終わった。僕は評論というジャンルがどういうものなのかをよく知らないので、これが文芸評論としてどういう出来映えなのかは分からない。なので、作品論を通して現代社会のコミュニケーションやメンタリティを描写しようとした試み、という風に僕は読んでいたし、その限りでは非常に挑発的な、面白い問題提起だと思った。 個人的には、引っかかるところも幾つかあった。例えば宇野さんが美少女(ポルノ)メディアと呼称する、一連の美少女コンピュータゲームの分野に関する記述をみても、Fate

    『ゼロ年代の想像力』という“スタート地点” - シロクマの屑籠
    sizukanayoru
    sizukanayoru 2008/09/01
    "他者性との遭遇や痛みを回避したまま、そのことにすら無自覚のまま、バトルロワイヤル的なコミュニケーション状況のなかで他者を消費する(またはされてしまう)ことに慣れきっている。"
  • 時代を切り拓くサブ・カルチャー批評『ゼロ年代の想像力(早川書房)』 文=さやわか 【前編】 - WEBスナイパー

    special issue for the summer vacation 2008 2008夏休み特別企画! web sniper's book review 時代を切り拓くサブ・カルチャー批評 『ゼロ年代の想像力(早川書房)』 著者=宇野 常寛 【前編】 文=さやわか 『DEATH NOTE』、宮藤官九郎、よしながふみ……格差・郊外・ナショナリズム、激震するゼロ年代に生まれた物語たちの想像力は何を描いてきたのか。時代を更新するサブ・カルチャー批評の決定版。 昨年、『SFマガジン』誌上で連載が開始され、ネットを中心に大きな話題となった宇野常寛『ゼロ年代の想像力』がついに単行化された。つまり、これは話題のである。 連載開始当初から宇野が注目された理由とは、まずはやはり彼が「決断主義」という言葉によってゼロ年代のフィクションの特徴を抉り出すことに成功したからだろう。その達成は単行

  • 1