この2010年の夏は、ゲーム『メタルマックス3』の発売に加え、執筆の修羅場や記録的猛暑による夏バテもあり、記事内容が連載マンガとゲーム一辺倒ぎみだったこの「あつじ屋日記」ですが 久々に少し生きるテーマとかいささか形而上テーマとか書いていきたいと思っています。 いったいどう生きれば自分は(そして人は)幸せに一生を過ごせるか、ということをシビアに突き詰め始めたのは、40代も半ばになってからでした。それまでも考えてはいましたが、どうしても目先の刺激にとらわれて、今ひとつ踏み込めなかったです。 近年の自分の生き方を言い表すいい言葉はないかと思っていましたが、今年になって思い浮かんだのは 「人生アポロ13号」(笑)。 多くの方がご存知のことと思いますが、その手の話題に興味がないとおっしゃる方のためにポイントだけ申し上げますと、アメリカが人類を月探検に送り込んでいたアポロ計画で、13号はその事故によっ
すでにご存知の方もおいでと思いますが、先日 任天堂ゲーム機 Wii のコンテンツの一つ 「バーチャルコンソール」にてファミコン版の『メタルマックス』の配信が告知されました。 バーチャルコンソールについては任天堂さまのホームページをご確認いただければと思います。 ※すごく簡単に言いますと、Wiiでファミコンやスーパーファミコンのゲームができる! というものです。 『メタルマックス』は、19年前の一作目からキャラクターデザイン(最初は主にモンスターやメカデザイン)として私が参加させていただき、二作目、リターンズと続いて、その後諸所の事情で中止となった二作品にも関わってきた思い出深いゲームです。 その後、一時私は離れておりましたが、この夏発売のパート「3」に、久々に復帰、おもにモンスターやら敵メカやらをデザインさせていただきました(一部主役級キャラのデザインにも関わっておりますが、今回のキャラク
ドラクロアがなんの関係があるんだ?とお思いでしょうが 昔からある不毛な議論に「エロか芸術か」(わいせつか芸術か)というのがあります。 世の中の一部の人には、芸術は崇高で良いが、エロやわいせつは低俗で規制されるべき忌むべきものであるという偏見があります。 まことに不毛な論争で、エロい(わいせつな)芸術もあれば、そうでない芸術もある。芸術とは呼べない(と、どうひいき目に見ても思えてしまう)ただのわいせつもあるetc・・・さまざまだと思います。 いったい、エロと芸術は、磁石のS極とN極のようにはっきり分けられるものでしょうか。 これに関しては、一つ忘れられない想い出があります。 いささか下ネタですので、下ネタは嫌い、読みたくないと言われる方は、お読みにならないでください。 私の学生時代、十代だった、1970年代。 ネットもなければ、過激なビデオ影像(お皿、テープを問わず)もなかった先史時代。 瀬
私が昔描いた作品で『シンバッド』というのがあります。 シンドバッドの英語読みは途中のDが省略されて「シンバッド」となるんですが、ハリーハウゼンのシンドバッド映画などに敬意を表して、そういうタイトルにしました♪ 主人公のシンバッドはアラビアに暮らす少年です。 と言っても現地人ではなく、東洋から流れ着いた孤児(実は日本人)で、優しいアラビア人の両親に拾われて暮らしています。 しかし彫りの深いイケメンの多いかの地で、三白眼で凹凸に乏しい顔のシンバッド(無論本名ではなく、拾った義理の両親に付けられた名)は、仲間たちからイジメを受けます。 そしてあるとき、ひょんなことから自分のルーツを探す長い旅に出る・・・ そんな話だったように思うのですが、何しろ二十年以上昔に描いた作品ですから、記憶違いがありましたらお詫びします(笑 表現規制の話とそれが何の関係があるんだと思われるでしょう。 あるのです。 と言う
表現規制問題の三回目ですが、長い話ばかりだと打つのもお読みくださるのも大変ですので、今回は手短に。 表現規制を行うには、その客観的な判断の「目安」が必要になります。 そこで思い出すのですが、 あの北野武監督が海外で 「あなたの映画の暴力シーンは怖い」 という意味のことを言われたことがあったように思います。 で、北野氏が 「何を言うんだ、ハリウッド映画なんかもっとたくさんの人がバンバン撃たれたりして死んでるじゃないか」 と返すと、質問者が 「ハリウッドのあれはコミックだが、あなたのはリアルだ」 という意味のことを言ったという。 無論、北野氏の表現も、一つのエンターテインメントの枠内である以上、ある種のお約束の範囲を出ない部分はあるのですが、ハリウッド的な「痛みのない暴力表現」とは一線を画していると思います(だから、どっちが優れているとか下だとか言うのではありません)。 「痛みのない暴力表現」
前回に引き続きましてこの問題です。(ここからお読みの方は、なんだかわからない部分もおありかも知れませんので、18日の日記「表現規制の問題に関して1」から、お読みいただけますと幸いです)。 私は本来気性の激しい偏狭な人間です。 偏ってはいますが、ある種の美意識も持っています。 ですので、マンガにせよ他の娯楽にせよ、見ていて、なんでこんなしょーもない見るに耐えない作品があるのだろうと思ったことは何度もあります。 こんなマンガ焚書にしたらいいんじゃないかとか思ったことも多々あります。 ただ、私がそういう感情を抱くことと、それを実行に移していいかどうかはまったく別問題であり、言うまでもなく、私にそんな権利も資格もありません。 「人を呪わば穴二つ」という、いい言葉が東洋にはあります。 誰かにバカと言う者は、己がバカ扱いされ、誰かにクズと言う者は己がクズ扱いされるものです。 西洋には、聖書に、あなたが
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