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日本と歴史に関するsphynxのブックマーク (4)

  • 今日の大手紙社説 - finalventの日記

    終戦記念日の話が多い。私としてはもうこの話はほぼ終了。 ⇒極東ブログ: [書評]奪われた記憶(ジョナサン・コット) で、ユダヤ教ラビ、ローレンス・クシュナーはこう語る。 ― 哲学者アヴィシャイ・マルガリートは著書『記憶の倫理』の中で、ユダヤ教の伝統において、許すことと忘れることをどう区別するかについて書いています。また、エレミア書にある神の言葉、「私は彼らの咎を許し、彼の罪を忘れるであろう」を引用します。そしてマルガリートは、神が許したことを神が忘れることはあるかもしれないが、われわれは許すことはあっても、忘れることはないと言っています。 K その言葉は好きだけど、嫌いでもありますね。ユダヤ人はこの概念に固執しています。これはアマレクに関する命令にまで遡るわけですが、人びとがあなたに対してやったことを思い出さなければならない、でないと人びとは同じことを繰り返す、という考え方です。でも、たと

    今日の大手紙社説 - finalventの日記
  • それはびっくり - finalventの日記

    ⇒asahi.com(朝日新聞社):鎌倉の大仏様「素材は中国銭」 別府大グループが解明 - 文化トピックス - 文化 「美男におはす」とうたわれた鎌倉の大仏様は、中国からもたらされた銭(銅貨)で造られたらしいことが別府大(大分県別府市)のグループの研究で明らかになった。平安時代末の12世紀半ば、中国銭は貨幣ではなく、銅製品の原料として輸入されるようになったというのだ。 この時期、多量の銭が輸入されたことがわかっている。まとまった量の銅が手に入る方法はほかに見あたらない。経筒の原料は中国銭の可能性が強まったが、銭には「簡単にはつぶさないだろう」との先入観もあり、飯沼さんらは銭の流通状況をたどった。国産銭の発行が止まってから2世紀以上をへて、日では12世紀末〜13世紀初めに中国銭の流通が急に格化する。銭の輸入が始まってから数十年たった後だった。 「輸入当初、日で銭は流通していなかった。銭

    それはびっくり - finalventの日記
  • 読売社説 万葉集 日本人の心の源流を未来へ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞) - finalventの日記

    いかんなキレそうだ。 日人の心の源流である「万葉の心」について、改めて考えてみるよい機会だろう。 そんなものは明治時代に与謝野鉄幹とかがフカシたもので、万葉の心というは、古今にそして新古今につがれ、並行して仙覚や契沖といった僧侶たちに守られていたものだった。古今にどう受けつがれ、仙覚や契沖がどう思ったか、それをきちんと辿っていかないかぎり、万葉の心なんてわかりゃしないよ。日近代が生み出した日古代幻想に浸ってナショナリズムの情感を濃くしていくだけにすぎない。きっこがやってりゃいい馬鹿話だよ、おっとキレてるなオレ。放言放言。 古代の日人の素朴な感情を率直に表現している。 万葉集が長く読み継がれてきたのは、そこに時代を超えて強く訴える力があるからだろう。 古代日人の素朴な感情がないとはいわないが、近江朝廷のサロンを壬申内乱でぐちゃぐちゃにして新政府が新しいサロンを引き継ぎ、律令的帝国国

    読売社説 万葉集 日本人の心の源流を未来へ : 社説・コラム : YOMIURI ONLINE(読売新聞) - finalventの日記
  • 日経春秋 春秋(4/27) - finalventの日記

    確かに、例えば古代日の文学作品である「万葉集」はみんなで楽しむために編まれた。▼万葉の歌は民謡でもあった。「多摩川にさらす手作りさらさらに何そこの児のここだ愛(かな)しき」は「多摩川にさらす手作りさらさらに」「さらさらに何そこの児のここだ愛しき」と「さらさらに」を繰り返す労働歌だった(佐佐木幸綱「男うた女うた」)。琵琶法師が語る「平家物語」も耳から入る娯楽作品だった。 平家物語は案外難しい。万葉集については、これはまあ違うと言ってもいいかな。最近の学説はどうか。万葉集というまとめにも問題がある。基的に現存するのは奇跡に近く、仙覚は偉かった。 ⇒仙覚 - Wikipedia で、万葉集なのだが、巻1、2あたりは国選というか国家との関わりが強い。天智系と天武系の微妙な軋轢を残している(額田王の伝説あたりはけっこうどうでもよいが)。 春秋子が引かれている民謡だが、これが微妙で、ざっくばらんに

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