その時にはまってるモノごと、いろんな場所に聖地巡礼に行くオタは、休日も家や会社に引きこもる下手な非オタよりも、立派に現実世界に生きている、とあるオタが言った。オタの活動など現実逃避なのだからオタを味方につけようとする麻生さんの政治活動は非現実的、とつるっぱげ監督が言った。 オタらはオタジャンルを現実に沿わせて現実世界を生きることに成功している? それとも現実をオタジャンルといっしょくたにしたオタ世界に生きているだけ? それをこれから考えてみようじゃあないか(自分で考えてみる気は無い)
けもフレMADのひとつ ん〜ん記憶が呼び起されてきたぞ。毎度のことですが遠い遠い記憶が。 自分の現実の野生動物に関する知識は、シートン動物記とかもあったのですが、物語性の高いシートンには悲劇的というか自然の摂理上残虐な描写が多く、それよりももっと好きなシリーズがありましてね。それすなわち、ソーントン・バージェスの著作です。ってウィキペディア(J)にもバージェスの項目が無いじゃないのよさ。よしこう言えばわかるぞ。 あの『山ねずみロッキーチャック』、 の原作になったシリーズです。って今の読者にわかんのかこれで。 ロッキーチャックからその原作についてもだいたい想像がつくと思うのですが、物語化したシートンよりもさらに動物たちが擬人化されています。にも関わらず、原作の動物らの生態や風習などの描写はきわめて正確でした。例えば、ビーバーがダム湖の真ん中に巣をつくるだとか、巣はダム湖に盛り土の島を作り、そ
当ブログで私はしばしば、「悟り」や「涅槃」について、それは要するに特殊な体験なのだとして、その体験が事実起こったとしても、それが何であるかを釈尊が直接説明しない以上、結局のところわからない話だと言ってきました。 となれば、釈尊以外の人間の「悟り」話は、所詮自分が「悟りだと思ったこと」にすぎません。すると後は、「悟り」言説の正当性および正統性を担保するシステム、これをどう構築するのかという理論的かつ技術的な問題、そして各々のシステムにどれくらいの支持が集まるのかという政治的な問題になるでしょう。 初期経典には、この辺の事情がすでに意識されていただろうと思わせる記述があります。それは「解脱すると解脱したと知る」という文句が繰り返し出てくるからです。つまり、「解脱」すると、その瞬間に「解脱したとわかる智慧」が生じると言うのです。 釈尊がこんなことをわざわざ言う必要はありません。彼は単に『解脱した
前回の記事の追記で、拙著の新刊を紹介させていただきましたが、実はこれから秋にかけて、もう3冊でます。それぞれずいぶん前に依頼されていたのに、「まあ、そのうち何とかね」などと言を左右にして引き伸ばしていたら、とうとう3つの出版時期が重なってしまったのです。 これから発刊のたびに追記するのも姑息な感じがするので、現在わかっている限りのことを一度に紹介させていただきます。要するに宣伝です。まことに恐縮です。 明日(21日)には『禅僧が教える心がラクになる生き方』(アスコム)が出ます。 前回記事で紹介した本とは大違いで、私を直接知っている人、拙著を読んだことのある人、話を聞いたことがある人は、まず全員が、この本のタイトルと装丁は著者が決めたものではないと思うでしょう。その通りです(私がストレートに「ラク」系統の話をするはずがない)。すべて出版社が決めました。 この本の制作はある編集者の非常に熱心な
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