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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/cloud_leaf (2)

  • 足下の蟻を避けながらよろぼい歩けば、それはそれで、無様なりに一つのダンスさ。 - 蒸散する物語

    雑記 | 23:42 | 電車のなかで、誰かが咳き込んだ。隣に立っていた女子中学生が、咳き込んだその誰かを振り返って見ていた。その視線のおぞましいまでの冷酷さを、きみに伝えることはできるだろうか。きっとできないだろう。汚臭を放つヘドロでも眺めるような目つき。けれども同時に、彼女の気持ちを、ある程度は推測することもできる。共感はしないけれど。自分に生きる価値があると思えるというのは、とても素晴らしいことだ。だけれどもそれは、まるでごみのような素晴らしさだ。少なくともぼくは、そんな感覚は欲しくない。何かを見るということは、酷く倣岸で残酷なことだ。小さな生き物や落ち葉を撮るとき、ぼくは、それを見てはいない。単に、語りかけ、耳を澄ませている。そこに在るものを感じとろうとしている。人間を撮るのは、苦痛以外の何ものでもない。見なければならないし、見られなければならない。ぼくはそこまで他人に責任も関心も

    sphynx
    sphynx 2011/06/15
  • それだけで素晴らしいあとがき - 蒸散する物語

    雑記 | 00:30 | 物語が好きなひとならお分かりいだたけると思うのですが、過度の感情移入というのは、その世界から抜け出すことを極めて困難にします。それ故、映画のエンドロールや小説の解説やあとがきは、向こうの世界からこの世界へと戻ってくるその困難さを和らげてくれる緩衝材として、極めて重要なものだとぼくは思っています。だから映画館とかで、エンドロールが始まった瞬間に席を立って帰っていくひとを見ると、ちょっとびっくりするのです。あれ、あんなことして、この世界にちゃんと戻ってこられるのかな、と。そんなふうに無理やり自分の心を向こうの世界から引き剥がしてしまったら、ぼくならしばらく混乱してしまうでしょう。そんな感じで、ぼくは小説の解説やあとがきをしっかり読むほうですし、単純に好きなんです。そうして解説も良いけれど、あとがきの方がさらに好きです。それはべつに、作品とは異なるところに現れる作家の素

    sphynx
    sphynx 2011/05/16
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