雑記 | 23:42 | 電車のなかで、誰かが咳き込んだ。隣に立っていた女子中学生が、咳き込んだその誰かを振り返って見ていた。その視線のおぞましいまでの冷酷さを、きみに伝えることはできるだろうか。きっとできないだろう。汚臭を放つヘドロでも眺めるような目つき。けれども同時に、彼女の気持ちを、ある程度は推測することもできる。共感はしないけれど。自分に生きる価値があると思えるというのは、とても素晴らしいことだ。だけれどもそれは、まるでごみのような素晴らしさだ。少なくともぼくは、そんな感覚は欲しくない。何かを見るということは、酷く倣岸で残酷なことだ。小さな生き物や落ち葉を撮るとき、ぼくは、それを見てはいない。単に、語りかけ、耳を澄ませている。そこに在るものを感じとろうとしている。人間を撮るのは、苦痛以外の何ものでもない。見なければならないし、見られなければならない。ぼくはそこまで他人に責任も関心も