前置きが長くなったが、今回は、佐高の標題文章の中身を検討・批判する。では、佐高の文章を見ていこう。 本誌の読者の中には、佐藤優を登場させることに疑義を唱える人もいると聞く。私も本誌の「読んではいけない」で佐藤の『国家の罠』(新潮社)を取り上げ、“外務省のラスプーチン”と呼ばれた佐藤が守ったのは「国益」ではなく、「省益」なのではないかと指摘したことがあるが、省益と国益が一致するとの擬制において行動する官僚だった佐藤は、それだけに国家の恐ろしさを知っている。たとえば、自分は人権派ではなく国権派ながら、死刑は基本的に廃止すべきだと考えるという。死刑という剥き出しの暴力によって国民を抑えるような国家は弱い国家だと思うからである。そして、ヨーロッパ諸国が死刑を廃止したのは、国権の観点から見て、死刑によって国民を威嚇したりしない国家の方が、国民の信頼感を獲得し、結果として国家体制を強化するという認識が