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trivialに関するsphynxのブックマーク (2)

  • それを「権威主義」と呼ぶかどうかはともかく、我々は権威に頼らなければ暮らしていけない - 一本足の蛸

    未熟な科学は、疑似科学と区別がつかない - NaokiTakahashiの日記を読んで、ふと、以前読んだに似たようなことが書いてあったことを思い出したので、棚の奥底からそのを引っぱり出してきた。 論理学 (哲学の世界) 作者: W.C.サモン,山下正男出版社/メーカー: 培風館発売日: 1987/01メディア: 単行購入: 1人 クリック: 17回この商品を含むブログ (3件) を見るこのは 論理学の活動範囲 演えき 帰納 論理学と言語 の4章から成り立っている。論理学の教科書をいくつか読んだことのある人なら、章題を見ただけでもこのの特徴がある程度わかるのではないかと思うが、たぶん論理学の教科書の読み比べが趣味の人はさほど多くはないので、こののまえがきからこのの特徴をよく表している箇所を抜粋して紹介しよう。 多くの重要な学科と同じように、論理学もまた、それ自体に備わっている

    それを「権威主義」と呼ぶかどうかはともかく、我々は権威に頼らなければ暮らしていけない - 一本足の蛸
  • 殺人と死刑 - 一本足の蛸

    1 殺人事件には加害者と被害者がいる。 殺人事件の加害者は事件の後も生きていることが多いが、殺人事件の被害者は事件の後には生きていない。 生きている人には生存権があるが、生きていない人には生存権はない。 殺人事件の加害者が事件の後も生きていれば生存権があるが、殺人事件の被害者には事件の後には生存権はない。 殺人事件の加害者の生存権を死刑によって奪うことは可能だが、殺人事件の被害者の生存権を死刑によって回復することはできない。 2 殺人事件の被害者には遺族がある場合と遺族がない場合がある。 殺人事件の被害者に遺族がある場合に、犯人を殺してやりたいほど憎む遺族がいる場合と犯人を殺してやりたいほどまで憎む遺族がいない場合がある。 殺人事件の被害者の遺族が犯人を殺してやりたいと思う場合に、死刑によってその感情が解消される場合と死刑によってはその感情が解消されない場合がある。 いずれの場合においても

    殺人と死刑 - 一本足の蛸
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