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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (3)

  • いじめっ子だった保坂和志 - jun-jun1965の日記

    保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』というのは、 (活字化のため削除) 保坂は最初のほうで、いじめられっ子のような人間こそ小説を書くべきだが、自分などはそれどころかいじめっ子だった、と書いている。私は保坂の小説に感心したことがなく、何かほっとした。いじめっ子だった奴の書いた小説になど感心したら、情けないしね。 保坂は執拗に、ネガティブな経験などを描くな、と繰り返している。私はむしろ、ネガティブなことを進んで書くべきだと思っている。最後の方になると、「自分をいじめた小学校の同級生へのうらみつらみ」などを小説にすることを批判して、それは「小説という形式を利用しているだけではないのか」と書いている。利用して何が悪いのか。小説というのは、何でも書ける形式である。古来、数多くの作家が、小説という形式を使って、政治や社会を諷刺したり、批判したりしてきた事実を、保坂は無視している。だが、保坂

    いじめっ子だった保坂和志 - jun-jun1965の日記
  • 枡野さんに代わって - jun-jun1965の日記

    枡野浩一さんが送ってくれた『淋しいのはお前だけじゃな』の文庫版を、台所のテーブルの上に置いておいたら、がカヴァーを外して中味だけ持って外出してしまった。そこで枡野さんに代わって一首。 人に裸にされて拉致されて少し嬉しい春の大雨 - 今日は映画「夕凪の街桜の国」を観て、ミクシィのレビューに書いておいたのだが、「現代日の精神的頽廃を示す一例である。 原爆を扱えば、ある程度の評価が得られるという精神的頽廃である。政治的なものでありながら、右翼も左翼も文句を言わない。登場人物はみないい人。こうして原爆を扱った小説映画が繰り返し産出されるのだ。 若い人には、日の核被害は広島と長崎だけではないことを知るために、新藤兼人の「第五福竜丸」を是非観て欲しいと思う。」 私が不快なのは、原爆を扱えばよしという文化的頽廃と緊張感の欠如である。

    枡野さんに代わって - jun-jun1965の日記
  • 金井美恵子先生に頑張ってほしい - jun-jun1965の日記

    金井美恵子先生が、このところ元気がない。『一冊の』の連載で、目の具合が悪くなった報告と休載に続いて、今月も、最後は「上野千鶴子の言うような夢と希望に溢れたのとはまるで違う老後が控えており、年はとっても長生きはしたくない」などと書いている。心配だ。お元気になってほしい。 私が金井先生のを読んだのは、確か1979年、新潮文庫に入っている『愛の生活』に目がとまって以来で、当時まだ30そこそこだった金井先生のを文庫でいくつか読み、『夜になっても遊びつづけろ』で、その小生意気ぶりに実に痛快な思いをさせられた。『岸辺のない海』という、ひどくイメージを喚起する題名の小説もその頃読んだ。 その後遠ざかり、蓮實先生と一緒に毒舌を吐く姿に一抹の違和感を覚え、松浦寿輝と同棲しているという噂に興じたりしつつ、留学中に文庫で『タマや』を読んで感嘆した。「デビューした時石川淳に褒めてもらったから生きている間は言

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