タグ

ブックマーク / finalvent.hatenadiary.org (2)

  • 大正生まれの日本人は…… - finalventの日記

    先生⇒「方法」と「方法論」 - を償うにをもってせよ 『新ゴー宣』で、天皇を気で神だと信じていたのは、大東亜戦争時分に子供だった「小国民世代」だけだと書いてあった。これは興味深い指摘だ。同じように、明治43年までの日人は、それほど天皇を崇拝すべき、畏怖すべき存在だとは思っていなかったのである。 これは私の父(大正生まれ最後)の世代に人には当たり前のことだった。普通に「天ちゃん」とか言っていた。普通に、「あ、そう」とかギャグ飛ばしていた。「なるたん憲法」なんていう言葉もそのころの名残かもしれない。さらに普通に大正天皇は民衆から変に思われていた。 このあたり、しかし嘆息したのは、「大東亜戦争時分に子供だった」吉隆明かな。彼は学生時代、さすがに天皇を神と信じていたわけもないが、現人神というか理念には従っていた。山七平との対話でもそのあたりがずれまくっていた。 山七平にしてみれば

    大正生まれの日本人は…… - finalventの日記
    suikyo
    suikyo 2009/02/19
  • そういえば天皇家は泉涌寺の檀家 - finalventの日記

    ⇒泉涌寺 - Wikipedia 近代の感覚からだとわかりづらいかも。⇒天皇家は代々仏教徒だった?泉涌寺の謎 - 作品一覧 仏教徒というより、天皇家というのは、仏教の頂点でもあったはず。たしか、このあたり網野善彦が以前いろいろ書いていた。 というか、このあたりの国家鎮護というか国家権力としての仏教も、近代の感覚からはわかりづらくなっている。 これはまあよくある話⇒泉涌寺散策 : 納得できない『逆説の日史』(補論) 井沢もフライングというか、これ、小林惠子説のトンデモ度を薄めたネタなんだけどね。 これらから導かれる穏当な推測は、この寺は13世紀の四条天皇の山陵造営から皇室の菩提寺としての性格が芽生え始め、遡って当時の都である平安京の初代天皇と、その父と、やはり直系で有名な天智天皇までを奉祀の対象に設定した、ゆえに平城京の天皇もそれ以前の天皇も、原則として奉祀されていないのだ、というものでは

    そういえば天皇家は泉涌寺の檀家 - finalventの日記
    suikyo
    suikyo 2008/11/24
  • 1