僕は今非常に感動しています。 1月7日が無事に過ぎようとしているからです。 1月7日。 それはエジプトなどにいるコプト教徒にとってのクリスマスです。 コプト教はキリスト教の一種で、アルカイーダから、このクリスマスにテロを行うことを予告されていました。 実際に、大晦日のミサにはアレキサンドリアの教会前で大規模な爆弾テロがあり、少なくとも23名のエジプト人が亡くなりました。 以下は、なくなった一人がFacebookに最後に書き込んだ内容。これが人生最後の書き込みだったなんて、あまりにも悲しすぎます。 さて、日本だったら、「集会でテロを起こす」とアルカイーダ並みのテロリストに予告されたら、まず、どんな集会であれ、中止にするでしょう。 エジプトでは、ここからまず違いました。コプト教の人たちは「それではテロリストに屈したことになる」といって、クリスマスのミサを中止しなかったのです。ちなみにミサはイブ
ノルウェーの滞在先のホストマザーの家には、死んだ私の彼女も訪れている。94年のことで、留学中の妹に会いにノルウェーを訪れた。お礼状をかねた彼女の95年の年賀状がキッチンの壁に飾られていた。幾種類かの模様の和紙で縁取った手作りのA4サイズのカードで、真ん中には年賀の文句、和紙の日本人形が添えられている。下のほうには小さなアルファベットの几帳面な字面で、英語の礼が教科書的に丁寧に述べられている。その判読しやすさに重点が置かれた字面に、彼女が肩をすくめてマウスを細かく動かしながら図面をひいている様子などを思い出して、その礼状の一文字一文字を彼女が丁寧に書いている様子が目にうかんだ。心がちくちくした。94年のころの彼女を私は知らない。09年の今、彼女はこの世にいない。知らなかった存在と、失った存在。その礼状は目の前にあるのに、どうにもありえない存在のような気がしてしまう。 - ノルウェーにいる間に
FM東京からの電話取材で「マルクスブーム」についてお話する。 「今どうしてマルクスなのか?」 ってさ、この定型的なタイトルなんとかなりませんか・・・ まあ、よろしい。 どうして、私たちは今ごろ「マルクス本」を書いたのか。 それについては『若マル』の中に縷々書いたので繰り返すの面倒だが、やはり最大の理由は「グランド・セオリーの復権」という思想史的な軌道修正である。 「グランド・セオリーの終焉」というのは、ご存じポスト・モダニズムの惹句である。 世界を概観し、歴史の流れを比較的単純なストーリーパターンでおおづかみに説明するような「大きな物語」を退けたポストモダニストたちは、きわめて複雑な知的ハイテクノロジーを駆使して、何を書いているのかぜんぜんわからない大量のテクストを書きまくった。 「何を書いているのかぜんぜんわからないテクスト」を書く人間はもちろん「わざと」そうしているのである。 それは読
Health ministry says 15 people killed in Israeli attack on ambulance convoy near Gaza’s largest hospital, al-Shifa.
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