尹 致昊(日本語読み;いん ちこう、朝鮮語読み;ユン・チホ、1865年1月23日 - 1945年12月6日)は、李氏朝鮮末期から連合軍軍政期に活動した朝鮮の政治家。貴族院朝鮮勅選議員。号は佐翁(좌옹)、日本名は伊東 致昊(いとう ちこう)。本貫は海平尹氏。 1880年代は独立協会、万民共同会の領袖として活動し、独立新聞社の第2代社長である。1909年に韓英書院と大成学校の校長を務め、同年新民会に参加した。1920年代以降は教育活動に重点を移し、延禧専門学校・セブランス連合医学専門学校・梨花女子専門学校の財団理事として活動した教育者でもあった。また朝鮮人初の英語通訳でもある。 大韓民国第4代大統領尹潽善は甥、第13代ソウル市長の尹致暎は従弟にあたる。 生涯[編集] 出自[編集] 忠清道牙山郡に兵曹判書を務めた尹雄烈を父、全州李氏のイ・ジョンムを母として生まれた。宣祖時代の領議政尹斗寿の次男尹